82 - 猫屋敷への招待券
この感覚を誰かに説明しろ、と言われると非常に難しいのだけれど、どうも僕は茱萸坂さんの居場所がわかるし、逆も多分そうなんだろうなあと思う。
まあ、意識した時に近くに居ればという話だけど。
洋輔の剛柔剣とか魔導師としての直感もこれに近いのかな?
それはそうとして、僕が向かったのは体育館。
の、二階、ギャラリー部分。
ギャラリーにも窓があって、ちょっとトイレが遠いのと、ギャラリーに上がるためには狭い階段を上らなければならないから、あまりここで見物をしている人は居ないようだ。
だから、茱萸坂さんの居場所もすぐにわかった。
「茱萸坂さん!」
「あら、かーくんの方からやってくるだなんて、ちょっと予想外だわ。どうしたの?」
「えっと、江藤さんはどこですか?」
てっきり一緒にいると思ったら居ないんだけど。
「結ならお花摘みに行ってるわよ。ちょっと前にだから、そろそろ帰ってくるとは思うけど」
「わかりました。花壇ですね」
「ごめんかーくん。そうじゃないわ。えっと……ああもう、これだから男子は。お花摘みっていうのはお手洗いの事よ」
「……あ。ごめんなさい」
焦りからものすごくデリカシーのない事を言ってしまったらしい。
っていうか理解した上で僕が言ったのだと誤解されてたらあれか、僕は無謀にも女子トイレに突撃することを宣言しているようなもんだったのか。
やばい、なんか妙に恥ずかしい。
「あははは、かーくんも年相応ね。顔が真っ赤よー」
「そりゃ、恥ずかしいと思えば赤らみもしますよ。猫派だって」
「それもそうね。犬はその辺り、だいぶわかりやすいけれど……」
「猫も結構分かりやすいですよ。ただ、急に切り替わるんですよね。意識が」
「あー」
自然と犬猫トークに誘導し、それに茱萸坂さんがのってくれたのは僕に対するフォローなんだろうなあ……。
いい人だ。敵だけど。
「やれやれ、君たちは犬猫の話に飽きないのだな」
と。
そんなところで渦中の人、江藤さん。
「あ、結。なんかね、かーくんが結に用事あるんだって」
「私、に……? 何かな?」
「えっと、皆方部長から聞いたのですけど。江藤さんって、えっと、その、猫屋敷の……?」
「ああ。なんだ、皆方に聞いたのか」
そして本当にそうらしい。
うわあ。羨ましいなあ。
「何なら遊びに来るかい。猫と遊ぶくらいなら自由にしてもらっても構わないよ。もてなしについては、あまりできないとは思うが。あまり殿方を自宅に招くことはないからね」
「いいんですか!? え、じゃあなんだろう。カステラ? とか、持っていきます!」
「いや気にしないでいいよその辺りは」
「猫屋敷猫屋敷。猫屋敷に一時間でも滞在できれば値千金ですよ。うわー。猫ちゃんたちと遊べる!」
「かーくんってこんな子だったのか、夕映……?」
「いやあ。私も犬屋敷とかあったら似たような反応するわよ。だからわかるなー。敵だけど」
「わかってくれますか! さすがですよ茱萸坂さん! 敵ですけど」
「そして君たちはなぜそうも敵であることを強調するのかな……」
なぜと言われても。
なんか本能が敵だと言っているというか。
いわば犬派と猫派の代理戦争?
「ちなみに結は猫派じゃないわよ。犬派でもないけどね」
「猫派でもないのになんで猫屋敷に?」
「私は動物派だから……」
「…………」
なんだろう、この強烈極まる敗北感。
圧倒的な包容力の前には犬派も猫派も関係なく叩き伏せられるというか、大いなる自然に人間ごときが勝てるわけがないというか、そういう類の絶望感にも似ている。
っていうかいくらなんでも慈愛の範囲が広すぎない?
「まったく、これを素で言ってのけるからすごいのよね、結って。私たちとはスケールが違うわ……」
「同感です……」
はあ、と感嘆のため息が重なったところで、
「……えっと、佳苗? くん? そちらのお二人はどなただい?」
「あれ、信吾くん」
なんかキャラがぶれているけど、声のした方に視線を向ければ居たのは信吾くん。
どこか腰が引けているように見えるのは気のせいだろうか。
「どうしたの?」
「いや、親に呼ばれてちょっと話してたら、この辺で佳苗の声がしたから、来てみたんだけど。……えっと、本当にどなた?」
「えっと、演劇部の先輩の茱萸坂さんと、」
「茱萸坂よ」
「その茱萸坂さんのお目付け役の江藤さん」
「江藤だ。君は?」
「あ、すいません。えっと、水森信吾、です……」
そして微妙に頬が赤い。
これは……ほほう。
信吾くんの視線は江藤さんに向いている。つまり、信吾くんの好みはこういうタイプなのか。
…………。
ものすごくニッチ過ぎて将来苦労しそうだなあ。
それも含めて恋心なんだろうけど。
「っていうか、かーくん。なんか結の説明、おかしくなかった?」
「いやあ、大体そんな感じかなあと」
「それはまあ、そうなのだけど。私と結は仲間よ」
「そして私は夕映の手綱を握るために同行している」
やっぱりお目付け役で合ってると思う。
「まあいいや。それじゃあ、今度……うーん。でも、江藤さんの都合と僕の都合が合うのっていつかな……お互い部活ありますし……」
「それもそうだな。直近なら日曜日……、は、どうだろうか」
「演劇部は大丈夫だけど、バレー部の方がどうかな?」
「あー。そのことなんだけどね、かーくん。一応さゆりんには話通しておいたから、今週中には合同練習の正式な決定があるともうわよ。でも、いきなり日曜日にってのは無理な話だし、早くても再来週じゃないかしら。で、それに合わせて来週まではそこそこ、紫苑学園に合わせて練習が多めになると思うの」
「ということは、土日もだめかあ……」
ううむ。なかなかままならないものだ。
せっかく猫屋敷の人と面識が持てたのに……。
「なに、部活の後に来たらいいだけのことだろう。君は門限があるかな」
「門限……は、明確には無いです。でも、そんなに遅くまでは外に出れないかな。洋輔が一緒なら、親もある程度安心してくれるとは思いますけど、例の件があるので」
「ああ……それもそうだ。ならば、そうだな。私が学校から帰るのは大体六時過ぎだが、親には話しておくから、好きな時間に来て遊んでいくと良い」
「いいんですか?」
「かまわないさ。君の猫好きが夕映の犬好きと同格なら、我が家の子たちも喜ぶだろう」
やばい、江藤さんの包容力がすさまじく強い。この人には一生勝てない気がする……。
「……え、何。佳苗、えっと、江藤さんの……家に招かれてる? のか?」
「うん。猫屋敷なんだって!」
「ああ猫」
「ああ猫って。それで納得するのかい、君は」
「まあ……佳苗とは小学校が一緒で、その辺は知ってるんで……」
江藤さんにそう返事をしつつ、信吾くんの頬はやっぱり赤い。
うーむ。言いふらしたい気分だ。いやそんなことはしないけども。他人の恋愛事情なんぞそうそう勝手に広めて良い類のものでもあるまい。
そしてフォローしておいたほうが良いかな。
「信吾くんも興味あるの? 猫屋敷」
「ああ、そういう事なら君も来るかい?」
「……えっと、いえ。正直猫にはそこまで強い思い入れは無いんで……」
「そうかい。残念」
僕としてもちょっと意外。
ああでも、信吾くんって結構段階踏む感じだもんな。
階段を一段飛ばしするようなことはしないか……。
とりあえず連絡先は教えておいて、と。逆に連絡先を教えてくれたんだけど、このメモ帳どうしよう。まさかこれ持って競技に当たるわけにも……。
あ、そうだ。
「さてと、そろそろ準備しないと。そろそろ一年の全員リレーだ」
「そうだね。信吾くん、さきに行ってて」
「いや、お前が遅刻したら話になんないぞ。お前トップ走るんだから」
「それはそうだけど、まさかメモ持って走るわけにもいかないしね。バレー部の部室に置いてくる」
「ああ、そういうこと」
あんまり遅れるなよ、と信吾くんは言って集合場所へと向かう。
僕も改めて茱萸坂さんと江藤さんに挨拶をして、ギャラリーの柵に手をかけ、階下に人が居ないのを確認してひょいっと一階へと先回り。
「おい、佳苗。なんで俺しか階段を下りてないのにもうここに居るんだ」
「階段使わなかったからだけど」
「それ、すっげえ怒られるやつじゃねえの?」
「バレなきゃ問題ないよ」
「少なくとも今、おれにバレてんじゃねえか」
「言いふらさないでね」
「……やれやれ」
信吾くんは肩をすくめて、それでもりょーかい、と適当に言って歩き始めた。
僕もさっさとしまってこよっと。
というわけで諸々を済ませていざ、一年生の全員リレー。
幸い三組にはけが人が出ていないため、僕は二回走るだけ。
最初に緑色のバトンを仕切り役から受け取って、この時点でようやく、他のクラスの正式なトップバッターが判明するわけだ。
「げ」
「うげ」
「うわあ」
と、僕以外の三人は三者三様にそんな反応で返してきた。
というか、
「あ、四組の第一走者は曲直部くんなんだね。部活が同じだからって容赦はしないよ?」
「お手柔らかにオネガイシマス」
曲直部くんに冗談めかして言ってみると、なんか片言っぽく返された。
やれやれ。人を何だと思っているのだろう。
「大方『人を何だと思ってるのだろう』とか思ってるんだろうが、あれだぞ。小学校の頃はさして早くもなかったのに、突如中学ではトップクラスって時点でそりゃびっくりもするからな」
「……そういう尾坂くんも、信吾くんばりの変化だとは思うけど」
「俺は一年かけてる」
「それもそうか」
で、二組代表が尾坂くん。
小学校が僕や洋輔と同じ子で、五年生まではなんというか、体格的に大きな子だった。横方向に。
けど、六年生の一年をかけて、卒業するころには今の無駄のない体型。
もともと運動神経もかなり良かったようだ。とはいえ持久力が課題だったかな……。
尚、テニス部である。
「なんだよ、俺だけ除者か?」
「除者っていうか武者でしょうに」
「あっはっは」
そして最後、自分の名前で遊んで朗らかに笑ったのが一組代表は武者くん。
小学校は僕と同じではない。確か上木くんと仲が良いから、その辺りかな?
部活は男子バド部。
ということは、皆運動部か。
ま、一番早い子は大抵アンカーだろうしな……それもそうか。
どうしよっかな。いっそ本気で走ってみようか。
警察の人たちも帰ったみたいだし……。
「佳苗」
「……どうしたの、洋輔」
声にあえて視線をそらして聞くと、
「こっち見てくれ」
と宣告が。
いやいやそちらを見ると、ああ、すっごい笑顔。
周囲の子たちが目に見えて怯えているんだけど……。
そして『余計なことをしたらわかってるな?』という感じの意思がひしひしと伝わってくる。一歩間違えれば殺気だぞこれ。
余計な事なんて考えてないよ、ただ全力って――「かーなーえー?」――はい。
「わかってるよ……」
洋輔も洋輔でよくよく僕の考えをきっちり読み取るもんだよな……。
今のは分かりやすかったか。僕の性格知ってれば。
全力は出さない。
ただ、最善を尽くすのは当然だ。
変なことはせずに……ごくごく普通に、きちんと走り切る。
「どうせ、二回走るし……ね」
小さくつぶやきつつも選手入場。
第一走者は指定のレーンについて、スタートの姿勢を取る。
結局のところ――
「位置について……」
――僕にせよ、洋輔にせよ――
「用意……」
――生涯にわたって、この力を持て余すんだろうなあ。
ぱあん、と。
空砲でスタートの合図がならされて、きっちりそれに合わせてスタートを切る。
可能な限り姿勢は低く保ち、とはいえすぐにコーナーなので体を起こして遠心力に抗って、そのまま流れに任せて第二走者の基へ。
百メートルなんて距離は一瞬だ。
とはいえ、走っておしまいという訳ではない。バトンはきちんと渡さなければ。
少しスピードを落として、第二走者の加藤さんにバトンをパス。
加藤さんは若干ぎこちなさそうに受け取って、そのままスタートを切った。
僕は他の子たちの邪魔にならないように、レーンの内側へ。
少しして武者くん、曲直部くん、尾坂くんの順でゴール。
武者くんは僕と同じで二回走るようだ。
「いや、渡来は早すぎるよやっぱり……」
曲直部くんの抗議じみたそんな言葉に、苦笑して。
「なんかね。コツがあるみたい」
「コツ……速く走るコツか?」
「惜しい」
ほとんど正解だけどね。
「『うまく身体を動かすコツ』だよ」
走るだけなら、眼鏡を使うまでもない。
さてと、二回目も待機しないと。




