75 - 目標は高く遠く
「どうしたの、渡来。どうぞ」
「……うん。えっと、お邪魔します」
「いらっしゃい」
さて、村社くんの家、である。
確かに表札には村社、と書いてある……、書いてある、のか?
というかこれ、表札って言っていいのだろうか。いや役割的には表札で合ってると思うけど……。
ともあれ。
村社くんがここだよ、と案内してきたのは、町の中でもトップクラスの規模を誇る西洋屋敷である。
小学生のころ、こんなところに誰が住んでるんだろうか、と皆で観察しに来たのを思い出すなあ……ちなみにその時はすぐに皆して飽きたので帰ってしまい、実際に出入りしているところを見たことはない。
そんなお屋敷にまさかの入場。こんな形で入る機会がくるとは……。
門をくぐると、中庭。すでにこの時点でだいぶ広い。少しだけ歩いて玄関、をくぐって中に上がると、すっと村社くんがルームシューズを出してくれた。
ううむ、至れり尽くせりというか、お坊ちゃんというか。
「とりあえずはボクの部屋でいいかな。居間……でも、良いけれど。親とかいるし」
「村社くんに任せるよ」
「じゃあ、ついてきて」
村社くんはそう言って廊下を歩き始めたので、その後ろをついていく。
一階の壁には絵画が嫌味にならない程度に配置されていて、お屋敷って感じがすごい。
そんなわけで二十秒ほど歩いて、右折。廊下で右折って奇妙な気分になるな。でもまあ、その先に階段があり、階段を……あ、登るのね。
登って二階。
二階の壁には絵画ならぬ水墨画が二つだけ飾られていた。
「…………、」
「渡来、どうしたの?」
「いや……なんでもない」
飾られた水墨画のうちの片方に違和感を感じて色別をオン、当然緑だったのですぐにオフ。
気のせいか。ただの既視感だろう。
「はい、ここがボクの部屋。入って」
「うん。あらためて、お邪魔します」
と、通されたのは……うわあ。僕の部屋の倍じゃきかない広さ……。
ベッドも大きいし。学習机の横には別の机と椅子があって、そこにはパソコンが置かれていた。ディスプレイは二つ? なんでだろう。
それとは別の空間として、敷かれたラグの上にはガラスづくりの大き目の机、その周りにはクッションが三つ。
狐と狸と猫柄だった。って、猫柄!
猫柄が置いてあるのでやっぱり村社くんは良い子だ。
「村社くんの部屋、広いねえ」
「そうかな。あんまり他人の家にはいかないからさ、わかんないんだよね」
少し照れるように村社くんは言う。
そしてテーブルの横、クッションを指さして、
「座っていいよ」
と。やっと許可が出たので、遠慮なく猫柄のクッションを選んでそこに座る。荷物は……まあ適当に置かせてもらおう。
荷物を整えていると、村社くんは無造作にガラスの机の真ん中に手を伸ばし、そこに置かれた小物のボタンを押した。
うん?
「郁也です。部屋に友達を招いたので、飲み物とお菓子をお願いします」
そしてボタンから指を離す。
……え?
「もしかして内線……的な?」
「うん」
「……村社くんって、結構育ちが良いだろうなあとは思ってたけど、なんか想像してたのとは方向性が違う育ちの良さだよね」
「……参考までに聞きたいんだけど、ボクってどう思われてたの?」
「なんか、神社的な日本家屋に住んでるみたいな」
「それは弓矢だよ」
「ああ、昌くんが……」
なんかそれはそれで納得してしまうところがあるのは、昌くんの家族も大概だと知ったからだろうか。
「さてと。とりあえず、動画再生する準備するね」
「うん。ありがとう」
村社くんは席を立ってテレビ……には触れず、その横、リモコンを手に取った。
そして何か操作をすると、うぃーん、と天井から何かが下りてきた。何かというかスクリーンが。
ああ。うん。動画の再生ってテレビじゃなくて、ホームシアター的な。
すっごい慣れた手つきってことは、これが村社くんの日常ってことだよな……。
羨ましいように見えないこともないけど、でもこんなに広い家なら猫の五匹くらい飼ってないと寂しい気もする。
なんて考えている間に部屋の扉がノックされて、
「どうぞ」
「お邪魔します。郁也さま、こちらでよろしいですか」
「うん。ばあや、ありがとう。下がっていいよ」
「失礼いたします」
ばあやって……。
リアルにそんなのがいる世帯、本当にあるんだ……。
さすがにそんなの呼ばわりは酷いかもだけど。
「今の人は……?」
「ばあやだよ。家政婦さん……って言うとちょっと無機質な感じで好きじゃないけど、立場的にはそう」
「ふうん。じいやとかもいるの?」
「居るよ?」
まさか居ないだろうと思ったら居るらしい。
「みんな優しい人だからね。ボクは結構好きだよ。あとは過保護な所さえなんとかなればなあ……」
ああ、そしてお坊ちゃん的な悩みを抱えてらっしゃる。
なるほど、村社くんがなんで人見知りなのか分かった気がする。
基準がつかめないんだろう。
自分にとっての普通がこれで、そしてそれが他の子の普通とは違うことを知っているから、変に接触できない、みたいな。
「はい。おまたせ、再生するね。あ、飲み物とかは好き飲んで」
「うん。ありがとう」
出された飲み物はりんごジュース。とてもおいしい。
お菓子はポップコーンとかが器に盛られている。お父さんに連れていかれたライブハウスを思い出すなあ。こっちの方が断然豪華だけど。
で、動画について。
「これは国体の二回戦でね。今、左側のコート。紫のユニフォーム着てるほうが、私立紫苑学園中等部。で、一人だけ白いユニフォームを着てる子がリベロで、その子が美土代朝撮さん。当時一年生……今の、二年生。一年先輩だね」
「身長は……160はなさそうだね。洋輔と同じくらいかな……」
「うん。体格は平均を割ってるけど、決して小さいわけじゃない。それでもまあ、紫苑みたいな強豪校の選手としてみると、だいぶ小さい方になるんだよね。ボクたちじゃ話にならない」
「世知辛いよね。百六十五センチ以上の子は削ればいいのに」
「全くだよ」
もちろん冗談だけどね。うん。八割くらいは。
それはさておき、動画に映っているその試合は、かなりレベルが高い。
レベルが高いというか、ステージが違うというか。
動きのそれぞれにほとんど無駄が無い。全くないわけじゃなくて、ところどころミスはあるけど、それでもそれが致命的なものにはなっていない。
それは紫苑学園中等部にかぎらず、対戦相手もそうだから、国体に出るためにはこのくらいにはできないとダメってことなのかな?
だとしたら相当練習をきつくしないと……、いや、きつくするもなにも、どうやれば上達するのかとかがわかんないと方向性が決まらないか。
剣の振り方、槍の持ち方と同じようなもので。
小里先生も体育の先生の一人だから決して素人ってわけじゃないんだろうけど、だからといって専門家でもない。
つまり、全国というステージを本気で目指すなら、ちゃんとした指導者を呼び込まないとダメ、ってわけで。
まず伝手が無いんだよなあ。伝手があっても人を雇うとなればお金がかかるし、それは部員の総意にしなければ不和になりそうだし……。
「この人、僕とはだいぶやりかたが違うなあ。予め予想して防御範囲を絞ってる……のか」
「ああ、わかる?」
「うん。ブロックの配置が決まった時点である程度見切ってるように見える」
ちなみに当然ながら、動画とか映像においてはベクトラベルのあの視界は使えない。
実際に動いてるところを見ているわけじゃなく、スクリーンに投影されているその光が動いてるだけだから……かな。
って、美土代さんがトスを上げた。
あれ?
「リベロってトス上げていいんだっけ?」
「最後に足がついてたのがアタックラインの後ろ側ならオッケー。美土代さんの今のプレーもそうだけど、ジャンプしながらトスに入ったでしょ。それは、滞空中のトスならばアタックラインの前でもセーフだから」
「なるほど。とはいえ……」
ちょっとアタッカーは打ちにくそうだったな。
セッター比べたとき、トスの精度にブレがあるのは当然か。
というより、このセッターの精度が高すぎる……?
意識してみてたのは美土代さんだったけど、次のプレーはちょっとセッターの子みてみよう。
で、実際にラリーが進んでゆくと、やっぱり、と感じ取れた。
「村社くんのお手本は、このセッターの子か」
「……よく、わかったね」
「トスを上げる直前の動作とかね。なんか似てるなーと思って」
「あはは」
その通り、と村社くんは認めた。
「ボクがバレーをやろう、って決めたのは、この人がすごかったからだよ。付き合いで見に行って……その場所で、かっこいいな、って憧れて。だから、親に無理を言ってバレーボールを始めたんだ」
「良いなあ、そういうの。強い動機があるってのは……単純に、羨ましい」
そういうものは、人生ってスパンで見ても数回しか遭遇できないだろう。
そのチャンスをものにしようと、村社くんは頑張ってると。やっぱりすごく羨ましい。
僕にも熱中できるなにかができるかな?
錬金術がそうだといえばそうだけど。
「ちなみにその、セッターの子って名前は?」
「七五三一郎」
「和み一郎……?」
「いや。漢字で書くともっと簡単だよ。苗字は七五三のやつ」
「……またすごいインパクトのある苗字だね」
「ボクは人の事言えないからなあ。弓矢もだけど」
確かに。
そう考えると渡来ってだいぶ普通の苗字なんだなあ……。
「で、ボクはあの人の一方的なファンってわけ。七五三さんを目指して……完全互換は無理でも、少しでも近づきたい」
素人目で見ても七五三さんのそれは尋常ではない領域にある。
それを目指そうとする人よりも、『才能があるやつは』と目を背ける人の方が多いだろう。
だけど村社くんはちゃんと向き合うタイプ。向上心と、負けず嫌いと。
前者はともかく、後者については共感があるからな。
「……うん」
道具は揃えた。
覚悟も決まった。
となれば、だ。
「ねえ、村社くん」
「うん?」
「村社くんは、バレーボール。もっと上手くなりたい?」
「そりゃね。いつか……できれば高校バレーでは、七五三さんとネットを挟んで戦えるようになってみたい。そう思ってるよ」
「そっか」
仲間としてではなく敵としてが先に出てくるのか。
憧れもそりゃあるだろうけど、それ以上に戦いたい、そして勝ちたい、みたいな感じが見えるようだ。
「…………」
「…………」
そして、少し探り合うような視線を飛ばし合って、ほぼ同時に視線を切った。
大丈夫だ。
村社くんは、僕と同じことを考えている。
「間に人を挟めばいい問題は、この際だからあとで考えるとして。だから、他の子たちをどうするかだね」
「渡来はもめると思う?」
「思う。っていうか、間違いなく揉めるよ。僕たちが目指すところと、他の子たちの目指すところが同じならいいけど……。実際、他の子のポジションってどうなの?」
「結構やる気はある方だと思うな。特に二年はほぼ全員、ボクたち側。ただ、部長は違うかな。曲直部はボクたちに近いけど、鷲塚は付き合いでやってくれてる感じ。他の二人は……どっちつかずってところ」
「ふむ。つまり……過半数ではある、のか」
「うん」
でも、やる気があったとしても、僕たちに近い立場だとしても、そこまでやる気があるとも限らない。
難しいなあ……。
「一気に進めるのはやめたほうが良いね。怨みができると面倒だ」
「だよなあ。ゆっくり進める、か……」
「うん。それも内々にじゃなくて、ある程度喋ったうえでね」
「……反発されるんじゃない?」
「だからこそだよ。こっちの手札は見せたうえで、あっちの手札を見せてもらって、落としどころを探っていくわけ」
なるほど、と村社くんは頷いた。
ようするに、道具と覚悟が用意されてるなら、あと必要なのは環境なのだ。
そしてこの場合の環境とは、コーチや監督といった指導者のことを意味している。
きちんとした練習をするためには、そういう練習を知っている人が必要だからね。
で、それには当然お金がかかるし、今の部活が好きという子もいるだろう。
そういう子にとっては望ましくない変化にもなりかねないと、村社くんも躊躇いを覚えていたってことだな。
「月曜日から、いろいろ頑張ろうよ」
「うん。よろしくね、渡来。……えっと」
うん?
「よろしくね、佳苗」
「こちらこそね、郁也くん」
名前で呼び返すと、郁也くんは笑みをこぼした。
だとしたら昌くんはなんでかな?




