155 - カラフルパステルのち黒猫
日曜日。
約束通り、紅茶の茶葉を買いに行く日。
両親の許可はもらっていて、どころかお茶代ももらってしまった。
お昼ご飯は家で食べて、洋輔も伴い一緒に出発。
喫茶パステルまでは徒歩で出発。走ればもっと早いけど、急ぎの用事でもない。
「そういや自転車どうしたっけ……」
「……言われてみれば、帰ってきてから一度も乗ってないような」
まあ、別に使わないですむならそれに越したことはない。
あれ、駐輪場探すのめんどくさいし。
それに今の僕たちならば自転車よりも走った方が早い。
「まあな」
さて、そんなこんなで野良猫を途中で愛でたりしながら、三十分ほどで無事到着。
正味七分程度の移動距離である。
アンティークな佇まいの、テラス席もある喫茶店。
パステル、と言う名前はついているけれど、どちらかというとシックな感じがしないでもない。
木製の扉を開けるとちりんちりんと鈴が鳴る。
どうやら鈴が扉にくっつけられていたようだ。
ちょっと遠慮がちに入ると、
「いらっしゃい。お好きな席へどうぞ」
と店員さん。
若い女性だ。若い女性といっても僕たちの倍は生きてるだろうけど。
窓からは少し遠い、奥まったあたりの席に座ると、すぐに先ほどの店員さんがお水とおしぼりを持ってきてくれた。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
……中学生だけの入店なのに優しいなあ。
なんて思いつつ。
「俺はバナナジュースかな。佳苗は?」
「そうだね。レッドティとアイスティー……ちょっと、甘めでお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
注文をメモし、伝票を裏返さずに店員さんはテーブルにそれを置く。
そこに記載されていたのはバナナジュース、アイスティーの二つだけ。
ただ、伝票の右下の方には『少々お待ちください』とプリントされていて、そこを囲うように印がされていた。
上手いこと考えるなあ。
(どういうことだ?)
お水を飲みながら洋輔が思考を介してきいてきたので、まあ、答えておくか。
おそらくこの伝票それ自体はごく一般的なものなのだ。店名が入ってるからちゃんと発注してるってことだね。
で、このお店は伝票のデザインとして、右下の方に少々お待ちください、と記載している。
(うん?)
これ自体には意味が無い。
他の人たちに対しても、『少々お待ちください』で間違いは無いからね。特に誰も気にとめないようなデザインだ。
けれど、僕たちに対してはあえて伝票を表のまま、しかもその部分に印をつけて渡した。
特別なのだ。そういう意味では。
(特別……)
レッドティとアイスティー、と僕は注文したけど、伝票にレッドティはない。
そこも鍵だよね。つまり、レッドティが符丁になっている。
だめならばライ麦パンも注文するつもりだったけど……、ま、僕たちみたいな年代の子が入店すること自体が珍しくて、その上でレッドティという単語が出てきたから、僕たちで間違いないと判断されたのだろう。
「やあ、こんにちは」
しばらくして、僕たちの席にドリンクを持ってきたのは髭を蓄えた初老の男性だった。
白髪交じりの髪の毛は、不思議と美しくも見える。
また、その顔つきは少しばかり独特だ。ハーフかな。
「こんにちは。今日は茶葉のお使いに来ました」
「ああ、やっぱり君たちか。缶に詰めるのに多少時間がかかるからね、少しばかり待ってくれ」
「はい。もちろん」
僕たちの前にはコースターがすっと置かれる。
そして洋輔の前にバナナジュースとストロー、僕の前にはアイスティとガムシロップにミルク、ストローがおかれて、と。
「はい、これはサービス。クッキーはお好きかな」
「ありがとうございます」
「じゃ、少し待っていてくれ」
そう言って男性はクッキーをおいて去って行く。
クッキーののせられたお皿には、一枚の紙が挟まれていた。
取り出してみるとそこには、
『連絡は店を介して。現状はなし』
なんて書いてある。
ふうん……?
とりあえずクッキーをいただいたりしながら僕は紅茶を、洋輔はバナナジュースを飲み始める。
なんとも大人な空間というか、とっても静かな場所だ。
(現状、遅延戦術は上手くいってるってことか)
たぶんね……ピュアキネシス製のアレの解析は難しいだろう。
実際、どんな結果が帰ってくるのか僕としても楽しみだったり。
未知の物質と判断されるのか、それとも既存の物質の奇妙な塊になるのか。
(原子とかの構成で言えば、多分既存だとは思うけどな)
まあ、そうだね。
そしてこのクッキーおいしいな……バターの風味が絶妙だ。
「たまには喫茶店とかも、いいな」
「そうだね。普段はファストフードで賑やかだけど、静かなところもいいや……」
んーっとのびをしながら答えると、洋輔は苦笑を浮かべた。
ぽつりぽつりと遠慮がちに会話を一応しておいて、話題がちょうど途切れたころ。
時間にしては十分以上は経っただろうか。
「失礼。待たせたね」
と、先ほどの男性が缶を持ってやってくる。
缶は直径二十センチよりもちょっと小さめ、の円柱形で、高さは三センチないくらい。
おそらく中身が茶葉なのだろう。
「お代はもらっているからね。そのまま持って帰ってくれ」
「そうですか。ありがとうございます」
「うん」
他にも何かアクションがあるかな、と思ったんだけど、特にないらしい。
僕たちが気づけてないだけってことも無いようだし……となると、あんまり長居するのもそれはそれで問題か。
猫が居れば多少理由はつけられたんだけれど、飲食店だしな。
「そうだ。佳苗、この後すこし付き合ってくれないか」
「うん? 何か買い物?」
「そ。そろそろノート買い足さないとだめでなー。文房具屋寄りてえ」
「なるほど」
昨日四冊一気に使い切ったせいか。
かまわないよ、とうなずいて、ちょうど飲み物も飲み終える。
伝票を持って、そろそろ退店するとしよう。
レジの前まで行き、そこに伝票を提出すると、一番最初に接客してくれた女性が駆け寄ってきてレジ打ち。
お値段は二人合わせて九百円。
後で折半するとして、ここはとりあえず千円で支払い、百円おつり。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
「ありがとうございましたー」
さてと。
これでとりあえず顔見せは終わった。
手順も概ね理解した。
今後はここを使ってクロットさんや夏樹さんとのやりとりをすることになるだろう。
……まあ、もっとも、か。
(ん?)
いや、何でもないよ。今のところはね。
喫茶店を出てから文房具屋に直行。
洋輔がノートを調達している間、僕としては微妙にやることがなかったのだけど、ポストカードで猫の写真がいくつかあったのでそれを見て時間を潰し。
猫といえば江藤さんの家にも行かないとなー。
(このままついでに寄ってくか?)
うーん。
ちょっと電話してみるね。
(おう)
洋輔が会計している間にスマフォを使って江藤さんの家に電話をかける。
六回ほどのコールの後に受話器が取られ、
『江藤です』
と聞き覚えのある声が。
「渡来です。お久しぶりになります、結さん」
『ああ、お久しぶり。どうかしたかな?』
「もしご迷惑でなければ、今からお伺いしてもいいかなって……例の、猫を譲っていただくお話も進めないと。お互いに時間が合う日が、大分限られてますから」
『なるほど。そういう事ならかまわない。何なら今日、譲ってしまってもいいしね。ケージは貸し出せるが、受け入れの準備は?』
「そちらは問題ありません。餌は帰り道に買えます。じゃあ、今から向かうので……、えーと、だいたい十分くらいかな? で、つくと思います」
『わかった。待っているよ』
というわけで許可が出た。
洋輔も会計が終わったようで、そのまま河川敷の方面へ。
途中何匹か野良猫と邂逅したけど、軽く頭をなでるだけにしておいて、っと。
「大丈夫だって。洋輔も来てくれる?」
「ん。ま、荷物持ちくらいはできるよ」
十分。
「助かるよ」
江藤さんの家につくなり、例によって猫たちに塗れながら改めてお話。
いろいろと検討はしたのだけど、例の中途半端に毛の長い黒猫の子を譲ってもらう方向で決まった。
ちなみに大分マシになったとはきいていたけど、比較的マシというだけで、まだなかなかにやんちゃで手を焼いているというのも事実らしい。
「こらこら、あんまりやんちゃはしちゃだめって前も言ったのに……だめだよ、困らせちゃ」
「にゃあ」
黒猫は不満げに鳴く。
不満げにというか完全に不満だなこれ。人間みたいな感情を持ってやがる。
たまに居るんだよなあ、猫の中にもやたら人間っぽい子が。この子もその類いかもしれない。
「まあ。君にとっては不本意かもしれないけれど、今日から僕の家に移動して、僕と一緒に暮らしてくれるかな?」
「だから佳苗。猫にきいてどうする」
「にゃん……」
まったくだ、と黒猫が洋輔に同調した。
本当に人間っぽい子だなあ……。
この子、気性が荒いわけじゃ無いのかも。
自分という存在を周りに居る猫たちの同族じゃ無くて、飼い主としての人間の側だと考えているとか。
そのあたりは本来親猫から教えられるはずなんだけど、この子は小さな時から人間に育てられていたのだろう。
それがこの勘違いを生んでいる。
「…………」
まるでそんな僕の思考を見通すかのような視線で僕を見つめて、その黒猫はしばらく香箱座りをしたままで。
ゆっくり、ゆっくり。見定めるかのように。
しっかり、しっかり。尻尾を緩やかに振りながら。
「にゃ」
結局、その子は一度だけそう鳴いてから立ち上がり、僕にとことこと近寄って、膝のあたりにすり寄ってきた。
交渉成立。
「私もここで生活をしているだけに、ある程度猫とは意思疎通ができるつもりだったけれど。なんというか、レベルが違うな……」
「いえ、江藤さん。アレを参考にするのはどうかと思います。少なくとも俺はアレにまだ納得してないんで」
「ああ、うん」
そしてそこ。
別にいいけれど。
「じゃあ、ケージを貸し出し……」
「ああ、いえ。ありがとうございます、でも必要ありません。ね。逃げたりしないよね?」
「にゃ」
「よろしい」
「…………」
思いっきりあきれる二人はさておいて、僕はその子と視線を交わす。
『もう気づいたんだろう』
とでも言いたげな視線だ。
『そうだよ』
とでも言いたげな仕草だ。
『君も彼も勘違いをしている。私と同じように、似たような勘違いをしている』
とでも言いたげな態度だ。
僕はそんな猫を抱き上げて。
『やるべき事はわかっただろう。ルールは同じだ』
それでもその猫は言う。
いや、猫が言っているんじゃない。猫はただ、態度を示しているだけだ。
もし少しでも違っていたら、決して会うことが無かったはずの子なんだけどなあ……いや、そうでもないのか。
僕がバレー部に入って無くても、演劇部に入っていれば江藤さんとは遅かれ早かれ出会っていた。
逆もまたしかり。演劇部に入ってなかったとしても、バレー部に入っていればやっぱり出会っていた。
どちらにも入っていなかったとしたら……、
「江藤さん。変なことをききますが……。将棋か囲碁か、その手のものは得意だったりしますか?」
「本当に変なことをきいてくるな。脈絡がない。……そしてご期待に添えなくて残念だが、どちらも得意ではない。まあ、私の友人には皆月というものが居てね。父親がそれなりに有名な棋士だ」
「現竜王のあの方ですか」
「博識だね。その通りだ」
……どちらにも入ってなかったとしたら、将棋部か囲碁部。そのどちらかに所属していれば将棋の大会にも出ただろう、そして皆月竜王と出会い、そこから接点が生じる、と。
ここまで来るともはや確信もしてるようなものだけど、
「じゃあ、剣道とかはどうですか?」
「私は苦手だな。もっとも、夕映がアレでどうして得意ではあるが」
はい、やっぱり。
(さっきから何を質問してんだよ)
ここが……この黒猫がゴールってことを確認してたんだよ。
(……ゴール?)
そう、ゴール。
後で詳しく説明するよ、洋輔。
「参考になりました。感謝です。そのお礼と言っては何ですが、何か他の猫たちに言い聞かせたいことがあるならば言ってください」
「ああ、それなら是非お願いしたいことが一つある。最近そこの三毛猫が他の子の餌を勝手に食べてしまっていてね。注意してくれないか?」
「お安いご用です。きみ。他の子の餌を勝手に食べちゃだめだよ。太るとケージに閉じ込められちゃうからね」
「にゃん」
よろしい。
「いやだからなんで通じるんだよそれで」
「さあ。そういうものなんじゃないの」
投げやりなのは、わかってる。
次回更新、いつもの。