147 - 彼はなつき
僕たちが昌くんの家を出たのは、結局午後の六時過ぎ。
ちょっと長居してしまったかな、という感じはするけれど、まあこんなものか。
ちなみにゆーとは本格的におねむになったようで、そしてそのことを晶くんはきっちり察知していて、帰り際に寝かしつけにいって、そのまま晶くんもぐっすりと眠っていた。ていうか、ゆーとよりも多分先に寝ていたと思う。
以前もだけど、あの子、本当に寝るの早いよな……。
「以前もっていつの事だ。前に来た時は寝てなかっただろ」
「ああいや。初めて僕が晶くんに会った時の事だよ。洋輔はその時一緒じゃなかったから、知らないはず」
「あー」
ちなみに僕に似てずいぶんと眠りが深いタイプらしい。
どんな夢を見ているのかまでは知らないけど、寝返りで思いっきりテーブルにぶつかっても起きない程度には。
「筋金入りだな……。お前もいい勝負してるが。ていうか、あれか。猫好きはみんなそうなのか」
「いやあ。さすがにあれは特殊なパターンじゃないかなあ……」
「もちろんお前もだけどな?」
ああ、うん。
そっちはもう否定する気もない。
ま、その辺はさておいて――だ。
(さすがに佳苗も気づいてるよな)
まあね。
誰だと思う?
……というのも、ちょっとなんか、誰かに尾行されているっぽい、というか。
複数人じゃなくて一人。
たぶん男性。
ちょっと心当たりがない。
(二人ならあの刑事さんたち。女性なら、えーと、なんだっけ。クロットだっけ、あの人)
そう、ナタリア先輩のお母さん、クロットさんという線も考えられたんだけどね……男性っぽいという時点で、まあ、違うかなと。
(とりあえず色別してみてくれよ)
そうするか。
「そうだ、佳苗。財布もってねえか」
「財布? ……ああ、缶ジュース。はい。あとで返してね」
「わかってるよ」
洋輔に百円玉と十円玉を手渡し。
で、その時に十円玉を一枚落としたので、それを拾うついでに主観を調整、ちらりと尾行してるっぽい人に視線を向けてみると、だいぶ若々しい男性だった。
よくて二十代後半かな。そしてそのまま色別オン。色は緑。
当然の結果か。
(尾行に慣れてはねえみたいだけど、あからさまな反応はしねえな)
そうだね。咄嗟に隠れようともせず、足を止めることもなく、ゆっくりとそれまでのペースを変えずに歩いている。たぶんこのまま自販機で迷うようなそぶりを見せていれば、そのまま僕たちを追い抜くだろうし、その人はそれでもいいと考えている……か。
そもそも『尾行されているような気がする』だけで、尾行されていると決まったわけでもない。だから考えすぎなのかもしれないけれど……。
もし考えすぎじゃないなら、ちょっと厄介だ。
でもなんだったかな。
この人、どっかで見覚えあるんだけど。
(ああ、佳苗も? なんか俺もどっかで見たことがあるような気はしてるんだよな……)
洋輔もか。
てことはますます、なんかどっかで見たことがある人ってことになるんだけども……うーん、咄嗟に思い出せない。名前も出てこないし。実際に会ったことはない人?
たとえばテレビで見たことがあるとか、そうでなくても写真とか。だから直接の面識があるわけでもなく、関連付けができな……い……?
あれ?
(……いや、いくらなんでも若すぎるだろあれ)
僕もそう思うけど、でも、うん。
確かにあの人、写真で見たあの人っぽい。
写真で見た……『来栖夏樹』さんっぽい。
あれ、僕たちと同年齢の娘さんが居て、今は小児科やってるお医者さんだよね。いくら何でも外見年齢若すぎない?
どんなに見積もってもやっぱり二十代後半だぞ。でももし僕たちの想像通りの人なら、その人、どんなに若くても三十代後半なはずなんだけど。
「あれ、この自販機スポドリねーや」
「別の所のにする?」
「いーや、別に。何飲んでも変わんねーだろ」
と、洋輔はコインを投入、少し悩むそぶりを見せてコーラを購入。
がこん、と商品が出てきたところで、その人、来栖夏樹さんが僕たちの背後を普通に歩いて行った。
一瞬だけとはいえど、こちらに視線を向けてきてたな。
そのまま通り過ぎて、僕たちの前を歩いていく。特にペースは変わらない。
けど……。
(やっぱ動作型は便利だなおい)
いやあ、動作型だからというか時間認知間隔の操作の方だと思うけども。
ともあれ、真偽判定応用編、心境把握によれば来栖夏樹さんの感情は『余裕』だ。
『今回がだめでも次がある』、それも『割と直近に』。だから、『今の段階でリスクを冒す意味がない』。
だから余裕がある。ましてや僕と洋輔が気づいていない、と彼は考えているから、よりその考えは深まっている……と。
(便利すぎる……)
そう思うなら洋輔も頑張って今から習得すればよい。
(できたらやってるっての)
まあそれはそうだけれど。
で、どうするの。何かアクション起こすなら今かもしれないよ。
(それこそ藪蛇が怖いぜ。つーか俺たちとあの人が接触したら刑事さんたちも動くだろ)
まあね……もしかしたらこの場面も、僕たちからぱっと見えないところで、ちゃんと監視してるのかもしれないし。
(監視って、どっちを)
さあ。僕たちをかもしれないし、来栖夏樹さんをかもしれないし。
メインは僕たちの方に違いないだろうけど、いい加減『証拠』もなくなって完全に煮詰まった頃合いだろうし、こうなるともう決めつけ捜査に賭けていてもおかしくない。
冤罪が作られないことを祈るばかりだけれど……、まあ、状況からするとむしろ疑われているのはやぱり狂言だろうから、僕たちも見守るだけじゃダメか。
しばらく、見て見ぬふりをしていたけれど。
やっぱりこれは、一つの解決をしなきゃいけないのかもしれない。
翌日、水曜日。
朝、学校へと向かう前にお母さんに呼び止められて、何だろうと思ったらメモを渡された。
それは刑事さん二人からの伝言のようなもので、来栖夏樹さんが近々君に接触をするだろう、何かがあっては大変だから、今日からしばらくの間僕と洋輔の視界に入らない程度の場所から観察をするけれど、プライバシーは尊重するし無理に近づこうともしないから許してほしい、って感じに、比較的わかりやすい文体で書かれていた。
僕と、それと洋輔に向けての物だから、かな。いい意味での子ども扱いをしてくれているようだ。
「これ、いつ貰ったの?」
「今朝、ずいぶん早くによ。本当に気を付けなさい」
「うん。何かあったら大声出せばいいんだよね」
「そうね」
この人が関係しているわけがない、という断言はできないにせよ、この人が関係しているという証明だってできないってのは言うまでもない。
落としどころを設定しないわけにもいかないので、こんな感じに一つの決着をさせつついってきます。
玄関を出たところで洋輔と合流し、「おはよう」と一応挨拶を。
「おはよ」
まあ、今日も今日とておはようと挨拶をする前から散々言葉なしの会話はしてたけれども。
「昨日の夜は妙なテレビ番組やってたな」
「ああ、キャットフードを人間が食べるアレ?」
「おう。実際どうなんだ?」
「人間が食べておいしいと感じるからと言って、猫もおいしいと感じるかどうかは別だよねって」
言うまでもない事だけれど。
そんな雑談を挟んで学校へ。
少し歩くと、なるほど。確かに刑事さんたちが背後を付けてきているのはわかる。
ぶっちゃけ結構バレバレで、よっぽど来栖夏樹さんのほうが手ごわかったような……。
朝の商店街を横切って、あともう少しで学校、というその時のことだった。
道の真ん中。
その人は、待ち受けるように立っていた。
そして僕と洋輔を見るなり、少しだけ目を細めて。
「初めまして」
と、丁寧にお辞儀をしてきた。
「君たちとはいつか、お話をしたいと考えていた」
色別は、やっぱり緑のまま。害意は無し。
赤が混じってない以上、あくまでもお話がしたいだけか……?
「初めまして。来栖夏樹、という。……私の事は、聞いたことがあるかな?」
「……ええ、刑事さんたちから。重要参考人、だそうですね」
「どういう訳だか、そうなっているらしい。まったく、世の中理不尽だ」
本心から彼はそう言って、苦笑を浮かべる。
その態度には余裕がまだあって、そして僕たちの背後に刑事さんがいることさえ、それとなく察しているようだ。
それでも話しかけてきた。
意図が、どうにも読めないな。
「一昨日の夜も、そうだった。昨日の夜もそうだった……妙な夢を、このところ連続で見ていてね」
困惑する僕たちをよそに、彼はまるで脈絡もなく言葉を続ける。
「君たちに会え。そしてこう言えと、その夢の中で見知らぬ女性が言うのだよ」
見知らぬ女性の夢……、はまだしも、僕たちに会って何かを言え?
妙に具体的な夢だな……。
「『セントラルアルターに私は杯を埋めた。幾億の後悔をするとしても、この奇跡が叶いますように。』――それを君たちに言えと。そうすれば、理解するだろうとね。まるで、私には理解のできない事だったが」
…………、セントラルアルター、杯、後悔、奇跡。
――女性。
「その女の人は、どんな人でしたか」
「黒い髪を長く長く伸ばした、それは美しい人だったよ」
黒い髪。
となると……やっぱり。
その女性は、フユーシュ・セゾンか。
(セントラルアルター。あの異世界に居た俺たちにならば余裕で通じて、かつ地球では聞き慣れない施設名)
そこに杯を埋めた。後悔、奇跡という単語が続いている以上、それはペルシ・オーマの杯だ。
(じゃあ、フユーシュ・セゾンが望んだ奇跡は?)
明確には分からない。
ただ、地球上の自分を思い出したか、あるいは思い出すことは出来なくても推理が出来たとか、推理すらできてなかったとしても僕たちが『地球』からきていて、そしてどうも自分もそれの成りそこないであると気づいていて、だから奇跡にすがって地球の誰かに、何かのメッセージを届けたかった……とかかな。
もっとも、僕が知る彼女は、洋輔が知る彼女だって、そんな決断ができる性質の子ではない。
ペルシ・オーマの杯の存在を知れば、それの代償も自動で知ってしまう。そしてその代償は、彼女にとって耐えがたいものであるはずだ。
付き合いが深かったわけじゃないけれど、だからこそ彼女の根源的な部分にあるものが自己犠牲であることははっきりとしている。
杯をつかうだなんて、その自己犠牲の精神から言えば真逆になる。それを彼女が良しとするとは思えない……。
よっぽどの何かが起きたってことか?
でも、よっぽどの何かが起きたということを僕たちに伝えたところで、僕たちはもはや彼女に何をしてあげることもできない。干渉する手段がまずないのだ。
その事にまったく考えが及んでいないとも思えないし、となればもとより僕たち側からのリアクションがあちらに届くことは期待していないってことになる。
(『だとしても』尚リアクションを期待しているとしたら?)
そんな何かが起きているとしたらなりふりを構わずもっと核心を突くような内容を伝言に頼むだろうし、そもそもそんな問題を解決できる僕らでもない。
(それもそうか)
リアクションを期待していない以上、彼女が伝えたいことはかなり限られる、とは思う。
でもそうなると、やっぱり彼女の性格が、彼女に杯をつかわせるとは思えない……。
(ならば使ったのがフユーシュじゃない、って考えればいい。今にして思えばヒントはあった。フゥはイミテーションによる偽装人格、それとは別に本来の人格があって、何らかの理由でイミテーションが崩壊。本来の人格に戻ったフゥが杯を作り、使ったとしたらどうだ)
本来の人格……それが、例えば、来栖冬華としてのそれである、とか?
(そう)
ならば彼女が願った奇跡は、ただ一つ。
「『私は、異世界に生きていた』と伝えたかった……かな」
彼女と似たような立場に追いやられ、それでも帰ってくることが出来た僕たちは彼女が生きていたことを知っている。
だから、彼女が生きていたんだという事を証言できる人がいるとしたら、確かにそれは僕と洋輔だけだ。
僕たちに引き合わせたのは、それが目的。
「……どういうことだい?」
つぶやくような僕の言葉を、それでも聞いていたようで、そう聞かれ。
「夏樹さん。僕は黒い兎が、結構好きでして。それに免じて、今のところは勘弁してください」
困惑する洋輔を黙らせつつした僕の提案に、来栖さんは「わかった」と答えて身を引いた。
通じて良かった。
(後で説明)
もちろん。