144 - 契約の儀
動物の魔物化と比べたとき、人間の魔王化はとても味気が無い。
なにせ見た目の変化は何一つ起きないからだ――何か特別な器官が新たにできるだとか、目の色が変わるだとか、そういうことは全くない。
それでも魔王化と真相を知りえたごく一部の錬金術がリスクと表現していたのは、あの世界においては魔物であるかどうかを見分ける術が存在し、魔王であっても魔物と同じように検知されてしまうからである。
その点に関して言うならば、地球においては問題ない。
そもそも魔物や魔王という存在はゲームやおとぎ話の中にしか出てこない架空の存在であり、そうであるかそうでないかを見分ける術もないからだ。
あったとしてもごくまれで、基本的には害もない。
だから。
代替コストを指定せずに、時間間隔を弄る道具を行使することで、魔王化リスクを急激に高める。
リスクというと曖昧だけど、言ってしまえば閾値だ。特定の値以上になると、そこが新たな基準となって、元には戻れないというだけの事。
故にほんの一瞬で、全ては終わる。
あっという間に自分の中にあった、魔力の感覚が変わってゆくのがわかる。
全てが書き換わる前ならば、まだ止められる。まだ人間に戻ることが出来る。ゆっくりと、元の魔力の感覚に戻っていく――全てが書き換われば、感覚が変われば、取り返しはつかない。
それでも僕は、書き換えを続けて。
閾値を超えていざ、魔王になってみても。
特に変化はないなあ……。
「それで、佳苗。いつ魔王化するんだ?」
「えっと、今さっき魔王化したんだけど。わかった?」
「……いやまったく。え、いつの間に?」
「今だけど……」
ちなみに僕のもともとの魔力の感覚は紙で表現していた。
紙の面積を魔力の量として、紙の形で魔法を表現していくようなものである。
それが今回、魔王化した結果どうなったかというと、感覚は布のような感じになっていた。
折りにくそうだなあ……まあ、逆に言えば折り目が付きにくいという事でもあるから、一長一短なのだろうか?
「……うーむ。思った以上に変化が無えな……」
「いやあ。まったくだね」
魔力の総量もあんまり変わらないけど、魔力が溜まるペースは全く違う。
すっごい早い。もともと使いきれなかったのに、これじゃあ無駄である。暇があったらカプ・リキッドとか金の魔石とか、携帯できる形にでもしておこう。それでも余るけど。もとより魔力を消費する錬金術も段階を分けて行えばトータルでは魔力が増える状況だったけど、この様子ならば省略しても魔力は増えそうだ。
「まあ、うん。これで契約はできるんだよね?」
「……ああ。できる。けどさ。その……」
「今更辞めた、は無理だよ。もう魔王化しちゃってるし。いやほとんど実感ないけど……。まあ、でもこっちはやったんだから、そっちも大人しくやってよ」
「まあ、そうだな……しかたねえか。魔力的な抵抗はしないでくれ。特に感覚は無いと思うけど……」
そう言った直後から、洋輔の周りに奇妙な渦が産まれる。
初めて見るけど、これが契約の儀式の魔法か……。
なんだか、すごくきれいだ。
渦はだんだんとその色を濃くして行き、霧から靄、靄から砂塵のようにと微妙にその表現を変えてゆく。
最終的には様々な色がまじりあうようになって、そして、洋輔が僕に手を差し伸べた。
僕は、その手を受け取って。
ふわあ、と。
渦が霧散し、身体には奇妙な感覚が走ってゆく。なんだ、これ……。
くすぐったいような、そうでもないような。あたたかいような、つめたいような。
なんだか、身体の芯がぞくっとして。
じんわりと、温かくなって。
ふっ、と。感覚が元に戻る。
ただ、それだけだった。
(これが、共有領域……。魔力と似たような感じで認識できるのか。てっきり俺は空間的なもんだと思ってたんだが)
それだけだったけれど。
どこかで、そんな事を考えた。
いや、僕が考えたわけじゃない。伝わってきた、のか。
これが共有領域か。なんていうか……。
プライバシーのかけらもないなこれ。
(だから言っただろ……)
まあ今更だよ、今更。ちなみにこの広さだと感覚の共有行けるのかな?
試しにちょっと、洋輔の視覚を分けてもらって……おお、なんかテレビ画面を二つ並べてみてる感じになった。意識すれば画面は移動できるようだ。あ、ワイプもできる。結構便利。複数の視界を持つと混乱しそうなものだけどそれがないのは、たぶん洋輔の視界はあくまで洋輔が知覚していて、それを僕が受け取っているから……かな? 逆もそうだろう。
聴覚も分けてもらうとどうなるんだろう。
「あーあーあー。うわあ……僕の声って他人が聴くとこうなんだ」
「説明はその様子だと必要なさそうだな」
「うん」
「ちなみに俺が共有しようとすると、」
ん……なんか妙な感じが。これは目かな?
案外わかりやすいものだ。
きちんと表現しうる擬音が思い付かないけど、なんか、感覚としてどこが共有されてるよ、というのがわかる。
「とまあ、これが使い魔の契約。……かなり大変だけど、裏技的に破棄は可能だ。もし鬱陶しくなったら言ってくれ。努力する」
「オッケー。ま、技術的な事はそっちに任せるとして」
とりあえず眼鏡を装着。
そして品質値を表示。
「洋輔。ちょっと視覚共有してみて」
「ん? あー。表しの眼鏡の本領か」
「そうそう。で、色別が、こう」
「うわあ。これはなんつーか、視界がずいぶんとえぐいな。……よくこんな機能使ってたな」
まあ、うん。それは僕も思わないでもない。
当然だけどこの状態での移動は正直勘弁してほしいところである。
「……そういや、剛柔剣も言っちまえばアレで感覚だけど。共有できるのか?」
「さあ」
えーと……そもそもその感覚はどんな感じなんだろう。錬金術?
とは違うよね。何かこう、感じ取るタイプの……。
ていうか。
「感覚って剛柔剣のベースになるところでしょ? その感覚を基に技術として会得できるかどうかって話だし、直接的に剛柔剣はまた別じゃない?」
「ああ、そりゃそうか。てことは逆、錬金術もそうか?」
「だろうね。マテリアルとか、対象とか、そういうやつの指定は……、感覚に基づく技術らしいし。さて、もう一個確認。洋輔、今からちょっと奇妙な事をするから、全部の感覚を共有してくれる?」
「できるかな……ああ、できるな。オッケーだ」
よし。その上で眼鏡の機能、時間感覚の変更を行う。
とりあえず百倍。って、何もしてないのに魔力が増えるんだけど。なんでだ。
ああいや、魔王化してるとそもそも『魔王化リスク』という副作用が無視できるってのは想定内だったけど、あれか。魔王が魔王化リスクの副作用を受けると魔力が回復する、と。もっとも、すごく微々たるものだけれど。
で、洋輔。感覚は共有できているはずなんだけど、この辺どう感じるんだろう。
(か)
か?
もしかして、と思って機能を解除。
(苗のやつ、何してるんだ? なんか一気に雑念が増えてたけども)
佳苗のやつ、って言いたかったのね。理解。
「今、時間間隔を弄る例の道具使ってたんだけれど」
「そうなのか? 俺は特に何も変化なかったぜ。あえていうならノイズっぽい思考が流れ込んできたくらいだ」
ふむ、僕が時間感覚を弄ったところで洋輔には影響なし。これも剛柔剣と同じで、感覚を基に効果として獲得しているかどうかってことなのかもしれない。
もちろん時間を認知する『間隔』を変えるだけだから、洋輔にまで効果が波及しないとか、そういうこともあるかもしれないけれど。
「ふうん。あくまでも意識して共有できるのは、感覚……か」
「十分といえば十分だし、そもそもそんなに使うもんでもねえけどな」
「まあ、確かに。いざという時はともかく、基本的には許可貰ってからやるって形にし四日」
「それがいいだろ」
よしよし。ならば当面はこれで行こう。
というか思考がある程度漏れるというのもわかったけど、具体的には何処まで漏れてるんだろうね。
明示しようとしたところは通じると思うけど、ちょっと隠したいな、とか、そういうのも漏れてしまうのだろうか?
「漏れてしまうんだなあこれが。ちょっと領域が広すぎる感じがするぜ」
「そっか」
ま、洋輔ならいいや。
他にもいくつか確認したんだけれど、どうやら共有領域が出来ていてそれによって意志の伝達ができるというのはそれはそうだけど、記憶とかには全く干渉が無いようで。
たとえば僕が覚えていることを『あのことなんだけど』と説明したとしても、洋輔はそれが『どのこと』なのかが分からないという訳だ。
ただし、共有領域が広いからか何なのか、ある程度のイメージ映像のようなものは見せたり見たりすることが出来る。
それは記憶に基づいて再現されるようなものだから鮮明なものとは言い難いし、結構漠然としていてディティールまでは分からないけど、まあ、無いよりマシ。
尚、どの程度の映像なのかというと、
「とりあえず今名前を付けてる野良猫の名前と柄とかを思い浮かべてみたんだけど」
「わりぃ。全く頭に入ってこねえ。ただなんだ、この、えっと、スリジャヤワルデネプラコッテ? って猫は。妙な名前にもほどがあるぞ」
「都市名だね。その前の名前はクルンテープで、その前がヴィエンチャン、その前がアスタナで――」
「あーいや。わるい。覚える気がねえから。無理。ふうん……しかし、あれだな。あくまでも共有できるのはその時の意識だけか」
「それも、集中してるときはあんまり気にならない感じだね」
つまり、声に出さずにそしてある程度のイメージ映像を添えて意思の疎通ができるようになり、それを受け取ることもできるようになるだけで、別な事に集中していたらよっぽど強く働き掛けない限りは聞き流してしまうことができる、と。
僕の場合は勉強中とか、洋輔の場合はコンセントレイト中にお互いの思考が邪魔にならないというのは良いな。
(ま、考えるだけで伝わるからこそ、言葉にできないところまで伝えられるし、伝わってもしまうってことだ)
洋輔の思考の通り、お互いにこれからは誤魔化しができない。でもそれくらいだ。おもったよりもリスクはない。
実際洋輔としても安心しているのだろう。洋輔の秘密ごとが現状では僕にもまだ分からないわけだし。
「まさしく、それこそ時間の問題だけどな……」
まあそれはそれ。
これからも……いや。
これからを、よろしくね。
(こっちこそ)
さて、これでとりあえず僕が僕であること、洋輔が洋輔であること、そして僕たちが僕たちとして存在することをお互いに観測しあうことで、証明することはできるようになった。たとえ僕が誰であるにせよ、洋輔は僕を僕として定義してくれるし、逆に洋輔が誰であるにせよ、僕は洋輔を洋輔と定義できる。
でもだからこそ、僕と洋輔は恐らく、今後お互いに観測しあわない限り存在が成立しないのだろう。
陰陽互根。
その在り方を解消するべきだ、その在り方は改善するべきだと僕も洋輔も思ってたはずだけど、なんていうか、最終的には――結果的には、今回僕たちは僕たちの手によって、完膚なきまでにその形に自分たちを固定してしまった感じがする。
「覚悟の上だろ。お互いにな」
「まあ、そりゃそうだけど」
と、洋輔の周りにまた軽く、小さな渦ができる。
うん?
契約すんの?
「……渦? って、なんのことだ」
「え? ……視界共有してみて」
「ん……? あれ、なんだろうな、この渦」
あれ、洋輔には見えてなかった……ってこと?
一応説明をしておくと、使い魔の契約をする際にも、これとは比べ物にならないほど大きく強い渦は出ていたよ、っと。
それを聞いた洋輔は、
「……もしかしたら、佳苗は魔力場が視えてる、のか?」
ああ、これが魔力場ってやつなのか。
でもなんで急に見えるようになったんだろう。思い当たる節はないぞ。
それこそ魔王になったくらいじゃないか。
「いやどう考えてもそれが原因だろ。つまり魔王は錬金術的な影響を受けきることで、魔力にもその影響が及ぶ。その結果表面的には何も変わらなくても、内面的な部分、魔力に対する感覚は変わる……だろう? それが原因で、もしかしたら魔力の流れとか、そういうのが見えるようになってるのかも」
なるほど。
魔導士が持ってるそれと似てるのかな?
「いや、俺たち魔導士でもここまではっきり見える奴はいねえよ」
(一人は心当たりが無いわけでもないが、ランのこと知らねえもんなあ)
ラン?
誰?
「あ。」
……まあ、話したくないなら良いけどね。
こぼれ話:
ランくんについては、いずれ説明が入ります。