143 - 決断の時
実を言えば、僕たちは僕たち自身が本当に僕たち自身であるのかという証明をすることが出来ない。
いや、僕たち自身が今、ここに存在していることは、今僕たちがここに居る以上、間違いはないんだけど……。
「要するに、俺たちの正体なんだよな。俺は自分を『鶴来洋輔』だと考えているが、実は『鶴来洋輔の記憶を持ったヨーゼフ・ミュゼ』なのかもしれないし、究極的には『鶴来洋輔の記憶を持ったヨーゼフ・ミュゼの記憶を持った鶴来洋輔』――という可能性も、まあ、否定しきれない」
「まあ、ね」
鶴来洋輔を渡来佳苗に、そしてヨーゼフ・ミュゼをカナエ・リバーに置き換えれば、それは僕のことになる。
これは順番に考えるとちょっとは分かりやすいだろうか。
まず最初に、地球上に僕たちが産まれた。
そして中学校の入学式の、帰り道。僕たちはあの野良猫によって異世界へと送られた――らしいけれど、その時、僕たちの身体は確実に死んでいる。
その時点で、鶴来洋輔も渡来佳苗も、存在が一度終わっているのではないか?
ただ、僕たちの存在が終わったとしても、記憶をあの野良猫が異世界に送り、そして異世界のカナエ・リバーやヨーゼフ・ミュゼに与えられたのではないか。
結局カナエ・リバーとヨーゼフ・ミュゼはあちらの世界でやるべきことを為した結果、その存在が世界に消費され、僕たちは地球に戻ることになったのだけど……ここで戻ってきたのは渡来佳苗や鶴来洋輔ではなく、『渡来佳苗の記憶を持ったカナエ・リバー』と『鶴来洋輔の記憶を持ったヨーゼフ・ミュゼ』なのかもしれない。
で、さらに考えると、世界に消費されるという時点であの世界の僕たちは、カナエ・リバーとヨーゼフ・ミュゼはやっぱり死んでいる。
だからその時の記憶が改めて野良猫に返されて、そして『再生成された身体』にそれぞれの記憶が関連付けられた結果、新たに成立した『渡来佳苗の記憶を持ったカナエ・リバーの記憶を持った渡来佳苗』なのではないか……なんて考え方も、まあ、当然出てくるわけで。
「もちろん、どれが僕だったとしても、あるいはどれが洋輔だったとしても……僕は僕だし、洋輔は洋輔だ。それは変わらない」
「変わらねえ、その通りだな。その通りだが、自分のルーツが分からないってのはかなり怖いところじゃねえか?」
「…………」
カナエ・リバーとして僕が生きていたあの時。
ヨーゼフ・ミュゼとして洋輔が生きていたあの時、僕も洋輔もその手の疑問は抱かなかった。
それはきっと、ルーツがはっきりとしているからだ。
洋輔にとっては苦い思い出になってしまうのだろうけれど、それでも、その存在にとっての両親が確かに存在して、その両親が確かに僕たちを育んでくれていたという事実がわかっているから、そこまでの混乱はなかったわけである。
そして、異世界に行く前であれば僕たちはそもそも僕たちでしかないのだから、その手の疑問を抱くはずもない。
じゃあ今の僕たちは同だろう。
もちろん僕にも洋輔にも両親が居る。一緒に暮らしている、大切な人たちがいる。
でも、僕と洋輔の身体は、その両親からもらったものではない。
その両親の子供の身体を、『再生成』したものなのだ。
ルーツは、だからはっきりとしない。
遺伝子的には間違いなく両親の子供だと思うけれど、それでも僕の身体も洋輔の身体も、それらを作ったのはあの野良猫である――そして僕たちはあの野良猫の正体をいまだにつかめていないし、つかめていたところで、自分というものが人間であるのか、それとも人間と同じ性質、同じ材料で作られた別の何かなのかという判断でさえもできないわけだ。
「せめて、地球上の身体が死んでなければね……例えば意識不明になっていて保護されていて、その後、戻ってくることが出来たって形だったらね。違ったんだけど」
「だな」
ここは折り合いを付けなければならないところなんだろう。
例えばここであの野良猫を呼び出して、そこで解答を得ることが出来たところで、それで納得できるかどうかはまた別の問題だし。
「……胡蝶の夢、を書いた人も、実は僕たちと似たような境遇だったりしてね」
「ねーよって言いきれねえのが怖えよ」
胡蝶の夢。
夢のなかで蝶になっていた、とある人の物語。
その人は結局、蝶であれ人であれ――夢であれ現であれ――、そこに区別はあったとしても、自分という主体は変わらない。見た目は変わっても本質は同じなのだと説いたのだったか。
その物語は、参考になるようで。
だけど、参考にできないものだ。
「実際、僕たちの場合は本質が変わっちゃってるっぽいんだよね」
「……だな」
僕と洋輔は陰陽互根という関係で、重なり合うように本質がつながってしまっている、らしい。
つまり僕と洋輔は一つでありながら、同時に逆の性質を持つものなのだ。
僕が『作る』ことを得意とするように、洋輔は『消す』ことを得意とする。そういう分かりやすいところから、わかりにくいところまで。
もちろんそんな性質は、少なくとも小学生のころまではなかったはずだ。
「猫寄せについては前々から実際にあった体質だけどな、お前の場合」
「ね。まあ猫寄せになる前は、いろんな動物が来てた気もするけれど」
「より悪化してるじゃねえか」
ノーコメントの方針で。
「……根拠としてはちょっと弱いけれど。でも、この体質がカナエ・リバーにもあったってことを踏まえると、やっぱり僕たちは僕たちなのかな」
「本当に根拠としては弱いよな、それ。よしんばそれを根拠として認める場合、あれだぞ。マタタビ体質どころかマタタビ魂ってことになるぞ。俺はともかく、お前はそれでいのか?」
「…………」
その視点はなかった。そしてさすがにそれは嫌だ。
強引にでも話を戻すか。
「僕たちが僕たちである証明かあ……」
「我思う、ゆえに我在り、なんて、開き直れたらそれが一番なんだろうな……」
そこまでのポジティブさは持てるかどうか微妙なところだ。
けど、他に解決策もないし。
「はあ。あの野良猫に言われたと仮定しても納得できかもしれないとなると、いよいよ手詰まりだよね」
「だな……。自分に自信が持てない。自分って存在に自負が持てない。だから……不安になる」
そしてそんな根本的なところで躓いている以上、他の事が解決できるわけもなく。
「仕方ないか」
「何がだ?」
「洋輔。僕は洋輔を保証する。だから、洋輔は僕を保証してくれない?」
「…………? つまり、俺がお前の正気を、そしてお前が俺の正気を相互に証明しあうってことか? いやまあ、それが出来たら苦労はしねえけど……」
方法ならば、あるのだ。
「方法……?」
「うん。……使い魔の契約。あれを使う」
使い魔の契約とは、本来人間と動物や、人間と魔物の間で行われる契約だ。
それを行うことで、契約を行った者たちの思考内部に共有の領域が出来て、そこを介することで『言葉』を用いず、直接的に意志を伝えたりすることが出来る。
しかも距離も問わないらしい。
尚、共有領域の広さによってやり取りできる量ってのは変わってきて、広ければ視覚をはじめとした感覚でさえも共有できる半面、狭いと感情を断片的に伝えるので精いっぱい、となることもあるらしい。
僕にせよ洋輔にせよ、その契約を行使したことはないけれど、その契約を行使された猫又とならば半年程度だが一緒に暮らしていたし、そのあたりの使い勝手だとかの大体の事は、その猫又に教えてもらっていたり。
そもそも洋輔ならば知ってたと思うけど。魔導士だし。
「あれを使おうって言ってもな……ありゃ人間と魔物を繋ぐのがメインの使い方だぜ。人間同士をつなぐことは、できないわけじゃないけどかなり条件が付くし、共有領域も狭くて意味がない。その上一度契約しちゃうと破棄も大変だ。まあ、共有領域についてはお互いの意志で一時的に狭めたりもできる、そうだけど……」
「僕と洋輔の仲なら、究極的には問題ないと思うよ」
「いやあどうだろうな。『隠し事をしない』――ってのが前提になるわけで。俺はお前に隠していることがあるし、逆だってそうだろ」
まあ、そうだ。
「でも、相互に保証するにはこれが一番だよ。頭の中でお互いに、常に通じ合っているならば。それも本心だとわかっている状態であるならば、この上ない証明になる。リスクが多いのも重々承知してるけどね、でも、……正直、今の精神状況のままじゃ学校も辛くなるだけだし。お互いにね」
「…………」
洋輔は答えない。
答えないことで、是としている。
結局、洋輔も手段としては思い付いていたのだろう。ただ、それをするにあたってリスクや、技術的な問題があったから実現ができないと判断していただけで。
「リスクについては、隠し事が出来なくなる……くらい?」
「あとはどんなに小さくても、共有領域は常に開いた状態になる。実を言えば閉じる方法も無いわけじゃないんだが、そう簡単に開け閉めは出来ねえからな。要するに俺が起きててお前が寝てるとき、お前の夢に俺の思考が、逆にお前の夢が俺の思考に紛れてくることもあるし、その逆もまたしかりだ」
「今更、知られて困ることもないし」
僕の方は、だけど。
「……そこを割り切ったとしても、感覚の共有だってちょっと問題ではあるんだぜ。あれ、双方の同意があれば……ってわけじゃなくて、例えば俺とお前が実際にその契約をしたとしよう。そして共有領域も十分にあったとしよう。そうするとだ、俺が望めばお前の視界を獲得できてしまう。お前の断りなしにな。逆もだ。ちなみに共有されてる間は、『共有されてるな』、って感覚があるらしいから、こっそり一方的に覗いたりはできねえけれど」
「いいじゃん。いちいち許可とらないでいいんだし。それに声に出さないで色々とやり取りできるのってすごい便利じゃない? メールとか打つ必要もなくて直接相手の視覚とか聴覚とかを共有できるとなれば尚更」
「まあ便利と言えば、その、便利なんだけど……ああもう、佳苗がピュアすぎる。今更だけどな」
「ま、八月に教えてもらう予定だったことは、契約を成功させちゃったらその時点で判明するわけだけど。ことがこうなっちゃったら、もう仕方ないんじゃない?」
「…………」
あれこれと断る口実を作ろうとはしていても、それでも結局、これが一番の有効打だと。洋輔もそう判断したようで。
「じゃあ、最後だ。難易度的な問題はどうする? お互いに隠し事をせずに制約をする。それさえできれば人間同士でも契約は成立しうる――そういう記録も実際にある。だがな、同種族で行う場合は『お互いに契約魔法を使う必要がある』んだ。俺はそれを使えるが、佳苗にはぶっちゃけ無理だろ」
「まあね。そこが問題、ではあるんだけれど」
眼鏡を外して、僕は言う。
覚悟は。
どうせ、しなければならなかったのだ。
「方法があるんだよ」
「どんな」
「僕が魔物化――魔王化しちゃえばいい。そもそも魔物ってのは、錬金術の影響を受けたもの。錬金術の影響を自分にかければ、結構あっさりと、魔王化はできる」
「……いや、でも、そうするとお前は……」
「魔王は人間と変わらない。魔王というのは一種の性質だ。魔物と同じでね。遺伝子的にも技能的にもさしたる変化は現れない……魔法的な感覚がちょっと得意になるだけなんだっけ? 異世界ではそれでも色別とかのリスクがあったけど、地球でならばその心配もない。そもそも魔物なんて存在は考慮されてないからね」
僕は、本気だよ。
洋輔にそう表情で告げると、洋輔は長く、長く、長く考え込んで。
「ならば、俺が魔王化しちゃえば……」
「いや。魔法的な感覚が変わるってのが真実ならば、洋輔が魔王化した結果契約魔法が使えなくなりました――とかもありうる。それはかなり困るから」
その点僕は魔法に頼る部分が少ないし、いざとなったらコスト度外視で錬金術でどうにかできる。
だからここでの最善手は僕自身を魔王化させて、そして洋輔と契約を行うこと。
そのはずだ。
「契約は破棄の可能性がある。でも、魔王化は取り返しがつかない。それでもいいのか」
こういう事情ならば仕方がないし、興味が無かったと言えば嘘になる。
「僕たちが知らないだけで、実は解除法があるかもしれないよ」
だからこれは。
「その前向きさを見習いたいぜ。そうすりゃ、こんなことで悩まないで済んだだろうにな」
とても前向きな決断だ。
「違いないね……」
それじゃあ。
人間、やめますか。
あくまでも前向きに。
その進路は、保証されていないけれど。