135 - こんな僕じゃなかったに
水曜日。中間考査前日――の、放課後。
さすがにこの日になると一年生たちの間にも多少の緊張感のようなものは漂い始めていて、それでもまだ楽観的な子の方が圧倒的に多いのは、やはり今一小学生気分が抜けていないってところかな。
で、先生の方も多少気張るようなところはあるらしく、帰りのホームルームでは明日明後日のテストにおいての留意点、主にテスト中に消しゴムなどを落とした時は自分で拾わずに先生を呼びなさいだとか、どうしてもテスト中にトイレに行きたくなったりしたならば先生の許可を得ていきなさいだとか、そのあたりを繰り返していた。
尚、この件に関しては今週に入ってから毎日帰り際に言われているのだけれど、今日は特に忠告の色が強かったのは、そういうことをしたらカンニングとしてみなされるかもしれないよという忠告というより、カンニングとしてみなすからねという警告ってところなのかもしれない。気を付けないとね。
また、帰りのホームルームが終わった後、先生に呼ばれて近寄ると、
「今日は演劇部のブリーフィングはキャンセルだ。今日は皆方が病欠でね、ナタリアもそれならば勉強したいと言っている。で、藍沢もそれに同調した」
「そうですか。祭先輩はどうされてますか?」
「祭も決して余裕を持っていられるわけではないからねえ。ましてや最近まで脚本の手直しもしていたようだし、勉強の追加が必要だと考えたようだよ」
なるほど、一夜漬けかあ……。あんまり建設的とは言えないけれど、他に手が無いならそれが次善の策になることもあるだろう。
「そういう佳苗くん、君は大丈夫なのかい。授業態度を聞く限りはさほど問題もなさそうだが、あんまり余裕を持ちすぎるのも問題だ。余裕で手が塞がって、問題への対処ができませんでした――なんてことになったら話にならないからね」
「もちろんです。部活への影響も避けたいですからね、ある程度は狙ってますよ。一か月分のハンデも、家庭教師さんにある程度埋めてもらいましたし」
「いい先生を得たね」
「はい。緒方先生のおかげです」
「え?」
「え?」
あれ?
何そのリアクション。
「……いい先生を得たね、と言ったよね?」
「はい。ですから、緒方先生のおかげです、って……ああ。すみません、先生って家庭教師さんの事を言ってたんですね。僕はてっきり学校の先生のほうかと……」
「……なんだろうねえ。打算だとか媚だとか、そういうもので君みたいなことを言ってきた子はこれまでも居なかったわけではないが、君はまるっきり天然でそれを言い放つのだね。まさしく大物だ」
なんだか空気も妙になってきたので会話を打ち切り、洋輔と合流。
洋輔も話は聞いていたようで、大きなため息をついて、しかし何も言わずに荷物を抱えた。
「それで洋輔、今日は勉強しに来るの?」
「お前さえよければな」
「じゃあ家に帰って、着替えたら僕の部屋かな……」
洋輔の部屋だとゲーム始まりそうだし。
下校途中、珍しく洋輔がコンビニに寄りたがったので、コンビニ前で見つけた野良猫を抱えて待つことに。
よし、この子の今日の名前は店長にしよう。
ぶち猫店長だ。
まともに物を売ってくれそうにないなあ……。
しばらく店長と遊んでいると、洋輔が大きな荷物を持って出てきた。はて?
「お待たせ」
「ううん。店長と遊んでたから」
「……お前の猫に対するネーミングセンスはどうにかなんねえかなあ」
ならないかな多分。
「で、何買ってきたの?」
「お菓子類。ま、今日は俺のおごりってことで」
「ふうん? じゃあ、ありがたく」
「おう」
お菓子は作ろうと思えば作れるけど、錬金術だと品質値が高くなりすぎて、なんかコレジャナイって感じになるんだよね。
美味しければいいというものでもないのだ。
そもそも錬金術による『美味しい』を美味しいと言っていいのかという点が疑問だけど。
「それじゃあ店長。また来るからね」
「にゃ」
「そして相変わらずの意思疎通っぷりだな……」
「相思相愛ってやつだよ」
「いや多分それは違う……お前をボス猫としてとらえてるだけじゃねえかな……」
ボス猫ににゃあにゃあと懐く野良猫が居るとも思えないけれど……。
そもそも猫が鳴くのって甘えるときなんだよね。あとは弱ったときとかおなかが空いたときとか。
特にけがもなく空腹でもないのに鳴いたならば、それはその飼い主に対する愛情が芽生えつつあるみたいなものだ。
「本当か?」
「半分くらいはね。もう半分は僕の場合はそうってだけかも……」
「ふうん……。それで、佳苗さ、猫一匹どうこうとか言ってたけど、あれから進展は?」
「ああ、うん。来週にならないと江藤さんの方がちょっと都合つかないみたいだから、来週のどっかで江藤さんの家に行って、そこで相談する感じかな。一応今のところはあの小猫……ほら、あの、一匹だけちょっと好戦的、みたいな話してた子いたでしょ。あの子かなって」
「ふうん。成猫選ぶのかと思ってたぜ」
「僕もそうしようと思ってたんだけどね。江藤さんの思い入れが強いみたいで、そんな子を無理やり引きはがすのはちょっとね」
「あー」
それを言ったらどの子も大差なくアウトなんだけど、それはそれとしておくことに。
でも江藤さんにとって比較的思い入れが少ない子、と考えていくと、あの子って感じなんだよね。
「ふうん……でも、小猫か。あの猫、本当にちょっとやんちゃだったけど、大丈夫なのか?」
「僕を誰だと思ってんの?」
「いやそれは分かってるよ。でもお前以外のやつ、たとえばお前の両親は大丈夫なのかってこと」
「んー……」
まあ、大丈夫、だとは思う。たぶんだけれど。
お父さんやお母さんより猫が上って感じですっと落ち着かせればいいのだ。いざとなれば。
そうすれば被害は最小限に抑えられるし。うん。
帰宅してからすぐに洋輔が窓伝いに来て、そのまま勉強を開始。
といっても、僕も要点をまとめたノートを読むくらいで、洋輔も一緒に読んでいく程度の軽い勉強だ。
これでいい。
僕にせよ洋輔にせよ、勉強机に向かって何かをするよりも、こういう何気ない事のほうが覚えられるしね。
問題点としてはノートの要点がまるで的外れだった場合、それはもう悲惨なことになるという点だけど、その辺は家庭教師の香木原さんを信じることにした。
山を張るまでもなく、中学一年生の最初のテストだから、範囲が狭いというのもある。
「そういえば洋輔さ、テストは時間余りそう?」
「まあ、多少なりとも余るだろうな。それが?」
「香木原さんに自己採点手伝ってもらうことになっててさ。洋輔も一緒にどう?」
「俺としては望むところだけど、香木原さんとの契約上、それってだめじゃねえの?」
それもそうか。
お願いすればやってくれそうだけど。
「対価を払ってもねえのに受けるのはちょっとな」
「……洋輔は律義だよね、時々よくわからないところで」
「佳苗が訳の分からないところで大雑把すぎるんだよ。普段は細かいくせに」
そうかなあ。
喧嘩したいわけでもないし、なんか洋輔が焦ってるのは確かなので、ここは受け流しておく。
「…………。ねえ、洋輔」
「ん?」
「ぶっちゃけさ。七十点、そこまできつい?」
「正直、すごい微妙」
んー……。
「僕から最低限のアドバイスをさせてもらうならば、とりあえずそのノートは良いんじゃない?」
「え、なんで?」
「だって洋輔の算術、結構上だったでしょ。中学校でやってるのはマイナスの概念とか、記号がちょっと入るだけで、読解系もさほど難しいわけでもないし。洋輔なら数学は問題ないと思うよ」
「……あー。言われて見りゃそうだな」
僕に言われるまで気づかなかったってことはかなり焦ってるという証拠だ。
洋輔もそのことを自覚したのだろう、ぱん、と軽く頬を打って気合いを入れなおすようなそぶりを見せた。
その次の瞬間から目つきがちょっと変わっていて、それまでの焦りとかじゃなく、まるでコンセントレイト――集中することに集中――しているときのような感じになっている。
この様子なら大丈夫かな……?
ていうか僕は僕で、自分の心配しないとな。
危険という訳でもないけど絶対に安全ってわけでもないし、香木原さんの事も考えるとやっぱり平均で八十点くらいは取っておきたい。
数学は僕も大丈夫だと思うし、社会だなあ、ネック。
国語とか英語はなんとかなると思う。たぶん。
理科はどうかな。現状では比較的大丈夫な部類だけど……。
「…………」
「…………」
そして五分ほどしたのち。
正直、飽きた。
洋輔はまだ集中している。放っておこう。何しようかな……もうテスト前とか関係なしにゲームとかやってようかな。
でもゲームは流石に洋輔の邪魔になりかねないし、妥協案として漫画を取って読み始める。
そういえばそろそろこの漫画も新刊が出るんだっけ?
後で確認しよっと。
ぱらりぱらりとページをめくり、漫画を読み進めていく。何度も読み返した漫画だ、大体のストーリーは覚えている。
なのに不思議と読み返したくなるのは、やっぱり面白い漫画ってことなんだろう。
あるいは僕が無意識でなにかに気づいていて、それを思い出そうとしているのかもしれないけれど、そっちの線は基本的にひらめきが無い限り解決できないわけで、無視。
「って、おい。何一人で漫画読んでるんだ。勉強するんじゃなかったのか」
「飽きた」
「もうちょっと言葉を飾れよ……」
「ていうか、もう二冊目読み終わるところだよ。洋輔も大概、勉強に集中できたみたいだね」
「おかげさまでな。やっぱ佳苗のまとめは読みやすい」
「洋輔は特にそう感じるだろうね……なにせ、異世界の軍機方式だから」
「……あー。納得」
ていうか軍機方式で学校の授業を纏めるな、と洋輔。
でもこれ、すごいわかりやすいのだ。読み方に慣れると。
「まてよ。佳苗、これ当然だけど、家庭教師さんに見せてるよな?」
「もちろん。ていうか学校にも出してるし」
「…………。よく怒られねえなとも思ったけど、考えて見りゃあれだな、これ、ぱっと見は『ちょっと珍しいけど要点をまとめたノート』なんだな」
「でしょ?」
さらにいうならこの方式での纏め方は僕よりも洋輔の方が得意なので、洋輔がしっかり授業を受け、ノートを取っていれば、僕よりもさらに分かりやすい軍機方式のノートが作れるはずである。
まあ、洋輔にそれを期待するのはアレだけど。僕もそういうところがあるけど、洋輔は特にこの手の勉学については手が抜けるところは徹底して手を抜くし。
だからといってテストの範囲もメモってないのはどうかと思うけどね。そのノートには何が書いてあるんだろうと思ったら何も書いてなかった、なんてことが無かった事だけは幸いだ。
「はあ。まあこれのおかげで助かりそうなわけだしな……怒れる立場でもねえや。さてと、そんじゃゲームするか」
「……勉強は?」
「先にやめたのはお前だろうが」
ごもっとも。
何をやろうか、とゲーム機を起動しようとしたところで携帯が鳴った。
メール……じゃなくて、通話アプリか。
「誰からだ?」
「涼太くん。……あー。明後日、テストが終わったらちょっと将棋の練習やろうぜ! 的なお話みたい」
「将棋ねえ。お前もよく手伝おうと思ったな」
「別に断る理由もそこまでなかったし」
ま、確かに『僕らしいか』と聞かれると微妙だけど。
「お前さ。演劇部はまだしも、バレー部に将棋に、どんどんいいように使われるようになるんじゃねえの」
「演劇部は持ちつ持たれつみたいなところだし、バレー部だって最終的には自分の意志だよ。将棋だって僕が決めた――とはいえ」
「自覚してるみたいだな。なら、いい」
「……うん」
誰かに頼まれたら、それを手伝わなければいけないという決まりはないし、実際僕もそこまで献身的というわけではない。
なのに最近は頼まれたら何とかして聞いてあげたいなという気持ちが強いのは……いや。
そう、しっかりと自覚しよう。
「お前が本当に必要だと思った分は、たぶん必要なんだろう。でも、これ以上は正直、オーバーだ」
「ありがと。僕も分身とかね、できればいいんだけど」
「ダメだろ。佳苗が分身できるようになったところで、全員好き放題して結局何も解決しないやつだぞ」
否定できない……。
「とりあえず返事しとけよ。六原のやつ、待ってると思うぜ」
「それもそうか」
おっけーだよ、と返事を出して、改めてゲーム機に手をかける。
明日はテスト。
だからこそ、ちょっとは遊んで気晴らししよう。