132 - 雨のクラスルーム
月曜日は体育もないので、結構授業としては退屈ではないにせよ、そこまでアグレッシブという訳でもない。
バレー部があればなー、このあたりの運動不足感は解消できるんだろうけど。無いしな。
そんなわけでお昼休み。
今朝は晴れていたから正直油断したなあ、と、窓から外を眺めつつ思う。
「何してんだ、渡来」
「いや。まさか雨が降るとは思いもしなくて」
「天気予報くらい見て来いよ……。今日の午後は雨、って散々いってたぜ」
むう。油断した。思いっきり。
まあ傘なんていくらでも作れるし、いざとなったら合羽も作れるからいいんだけど……。
ていうか防水機能でもつけておこうかな? 撥水機能も。
いやでもそうすると今度はクリーニングに出す時に困るか。
いちいち解除するのも面倒だしな。
「まさか渡来、傘持ってきてないとか?」
「置き傘はあるから大丈夫」
「なら良いか。ていうかお前が忘れてても、鶴来が居るもんな。家真横なんだろ」
「うん」
ふと前多くんに言われて洋輔に視線を向ける。
洋輔は『しまった』と表情を浮かべていて、まあ、そうだよなと納得する。
今朝は一緒に登校していて、荷物は洋輔もほとんど同じで、当然傘なんて持ってきていないのアd。
あとで作ってあげよう。
「しっかし。雨の日の昼休みほど暇なのはねーなあ」
「それこそ将棋盤でも持ってきちゃえばいいのに」
「んー。でも部室から持ってくるの大変だし」
「ていうか持ってるよ将棋盤。安物だけど」
「え、あるの? なんで?」
「ちょっと待っててね」
という訳でせっかくだ。
前多くんを待たせてロッカーに向かい、ロッカーの中をごそごそとしつつピュアキネシスでふぁんと適当に作成、はい、将棋盤と駒が完成。
我ながらこういうシチュエーションではとても便利だと思う。
「お前な……」
「いいじゃん。別に」
「まあ、いいけど」
洋輔がおおむね事情を察したのだろう、ちょっと呆れつつも、それでも別にそこまで咎めるべきことでもないかと納得してくれたらしい。
僕としてはそれで全く問題はないし都合もいいけれど、だんだんと洋輔の感覚も麻痺し始めているようだった。
で、待たせていた前多くんに将棋盤と駒の入った箱をすっと渡すと、僕の机を指さした。
「そこでやろーぜ。ルールは覚えてるだろ」
「うん」
「りょーた、ちょっとどいて」
「ん?」
そして僕は僕の席に、前多くんは涼太くんをどけて涼太くんの席に逆向きに座って僕と対面。
机の上に将棋盤を置いて、駒を盤上にさっさと並べていくその手先はだいぶ慣れている。
「うわあ、なんだろ。結構高いんじゃないの、この盤と駒。手触りがいい……」
「そうかな? なんかフリマで売ってたんだよね」
「ふうん……? 大切にしなよ。かなりのお値打ちものと見た」
ごめん。それ、ほとんどタダなんだ。
駒を並べ終えたところで、
「……それで、涼太くんは立ち見?」
「仕方ねえだろ。前多に椅子取られたし」
「オレの椅子もってきていいよ?」
「いいよめんどくさい」
ふうん。まあ、本人が良いというなら構わないけれど。
というわけで、当然のように先手を貰い、さて。
初手は……んーと、5六歩。
いわゆる中飛車でいくぞ、という意思表示、らしい。
ルールは知ってても戦法とか知らないからな。
ちゃんと勉強してる人なら、その手順だけで会話が成立するんだろうけど……。
で、結果は言うまでもなく敗北。まあ、勝てる要素が一個もなかったしなあ。
あっという間に百四十手ほどで詰められてしまった。
「いや、だいぶ時間かかってる方だけど……」
「そうなの? プロとか三百手くらいやるんじゃない?」
「何年かけてやるの、それ」
ううむ、そうなのか……。
「前多にしては実際、粘られたな。敗着は百三十一手目だと思うが、それまでもなかなか詰みまで行けなかった……」
「こっちもミスがあったとはいえ、なんか、渡来の手は読めないんだよね。定跡も戦法もないから無茶に切り込んでくる。しかもそれがなかなか、難しい……というか、正直な感想言っていい?」
「うん。僕も聞きたい」
「じゃあいうけど。ものすごい強いAIと打ってる気分になる」
ふむ。
最近の将棋ソフトって強いらしいし、これは褒められている気もする。
実際のところは持ち時間的な問題で、僕はそれを前多くんと比べれば無限に持っていて、それをフルに活用した結果なのだけれど。
そういえば身体的な意味での理想の動きはもう眼鏡に機能があるけど、思考的な意味での理想を導き出す道具とかあるのかな?
さすがにそこまで行くと生体コンピュータ化しそうだから、たとえあったとしても使わないけど。
「読みがさ、すごい広くて深いんだよ、渡来は。だから定跡を知らなくても、ほとんど最適解で返してくる。この強さが定石を覚えていないからなら、覚えたらもっと強くなるかもしれないし、びっくりするくらい弱くなるかもしれない。中途半端に定跡を覚えるとダメだしね。……とりあえず、まだ時間あるし、感想戦行こうか」
「うん」
駒を初期状態に戻して、そこからすすすっと駒をお互いに進めていく。
そんな様子を見ておや、と首をかしげたのは涼太くんで、三十一手目を指したところで「待て」、と制止の声が上がった。
「いや渡来、なんで覚えてんの?」
「覚えようとしたからじゃない?」
「ええ……」
実際それが答えだし。
「まさか全部覚えてる?」
「うん」
「……渡来も大概な記憶力だな。前多と同じくらいはありそうだ」
「涼太くんはどうなの?」
「俺はかなり頑張っても、自分がやったやつくらいしか覚えらんねえよ」
ふうん、そんなものか。
「ていうか、オレもそこまで記憶力良いわけじゃないよ。佳苗がすって動かしてくれるから、思い出してるって言うか……まあ、午後の授業やったら忘れちゃうんだろうなー。渡来はどう?」
「僕も似たようなもんだね。一時的な記憶領域みたいなところに保存してる感じ……」
「いよいよオレには渡来がAIっぽく見えてきた……。あ、そこでストップ。なんで銀成しなかったんだ?」
「成っちゃうと斜め後ろに逃げられないでしょ。この状況下なら真後ろに逃げることはないし」
「ふむ。オレは成らずの選択あんまりしないからその辺の選択肢が正解なのかどうかは分かんないけど、りょーた的にはどう?」
「まあ、アリかな。おれでも成らずを考えるかも。でもここで成っておくと桂馬が取れるだろ、五手先」
「いやでも桂馬取りで考えると、こうなってこう、からのこう。金打ちからこうすすんで、こっちを絡めて歩成りに進むよね。そうすると角成りからの一連の攻防に発展して、十八手先に僕が詰められちゃわない?」
「……渡来さ、何手先まで読んでるの?」
それが僕にもわからないんだよなあ。
「何手先まで読んだところで、勝ちってところまでは読み切れないんだよね」
で、だからこそ負けるべくして負けるのだ――と説明をしたら、思いっきり呆れられた。
なんでだろう。
「ようするに渡来はさ、あれだよ。『相手のミス』を想定してないんだ。相手が常に最善で打ってくることを考えてる」
「そりゃそうでしょ」
「だからこそ、相手のミスに対して改めて読み直すだろ。延々そうやって読み直してるから勝ちが遠い。だからたぶん、佳苗は『誰にでも接戦ができるけど誰にも勝てない』って状況なんじゃないかと勝手に思ってる。実際どうなの?」
「どうだろう。そもそも僕、将棋する相手なんていないしね。洋輔もできないし」
つまり全くの素人状態でこれかよ、とは涼太くん。
「…………。ねえ、渡来。今度さ、大会手伝ってくれない? って言ったら、怒る?」
「大会を手伝う? 運営ってこと?」
「いや。団体戦の方」
ん……?
「将棋部とか囲碁部って先輩いるんじゃなかったっけ」
「居るけど、あんまりやる気ないみたいで。部室にさえほとんど来ないんだよ」
ふうん。じゃあ戦力外扱いなのか。かわいそうに。
「お願い!」
「いつ? バレー部とか演劇部がさすがに優先されるけど、日程によっては大丈夫……だと思うよ。でも僕、勝てないよ?」
「それまでに特訓すればたぶん何とかなるでしょ」
前多くんは相も変わらず根拠なしなポジティブを展開した。
だめだ、この頼みは断れない。
「っていうか、あれ、良いの?」
「良いよ、別に。どうせ部活以外じゃやることもないし……土曜の夜は家庭教師さんがくるからあれだけど、他の日は結構開いてるしね」
「本当? よっしゃ! それじゃあ、早速だけど今日から特訓だなー!」
「待って。大会っていつ?」
「来週の日曜だよ」
えーっと、来週の日曜というと……七月二日?
なら大丈夫か。
「わかった。バレー部と演劇部に確認取ってから正式に答えるけれど、僕としてはオッケー」
「おっけ! よろしくな!」
助っ人確保、と前多くんは控えめにガッツポーズを決めたところで予鈴が鳴ったので、将棋盤と駒を片付けて、と。
んー。ちょっと邪魔だけどこのくらいなら置いておけないわけでもない。ロッカーに保管しておこう。
もしかしたら結構使うかもしれないし。
と、ロッカーにしまっているところでふと思う。
色別、将棋とかにも適応できるのかな?
うーむ。たぶん無理だな。直接的な害ではないし。
で、放課後。
郁也くんに確認を取ってみたら、
「ごめん。その辺りのスケジュールはさすがにボクといえども……。先生に聞いてみて」
と至極まっとうな感じに返されたので、どうせ緒方先生にも確認取らないといけないし、という訳でそのまま職員室に向かう。
そしてまずは小里先生を捕まえて、
「小里先生。来週の日曜日、七月の二日になりますけれど、その日って練習やりますか?」
「いや、今のところ予定はないよ。また何か、どこかと練習試合でも組みたいのか?」
「それはそれで興味がありますけれど、実はクラスメイトに将棋部の助っ人を頼まれまして……。でも、一応バレー部とか演劇部を優先したいので、先に確認しに来たんです」
「なるほどね。うーん。次に練習試合をやるとしても七月の中盤以降だから、気にしないでいい」
「そうですか。ありがとうございます」
バレー部は大丈夫、と。
演劇部の確認は、緒方先生を捕まえて、
「緒方先生。来週の日曜日、七月二日……、ああいえ、やっぱりいいです」
「まちたまえ。なぜ小里先生にはしっかりと聞いて、自分には聞かないんだい」
「だって演劇部で特別な練習をするとしたら皆方部長とか、そうでなくても祭先輩が教えてくるタイプで、緒方先生は追認するだけかなって」
「うむ、よろしい。その通りだから自分に聞いても意味はないよ」
ああ、やっぱりと思う気持ちと、ならばなんで突っかかってきたんだろうという気持ち、そしてもうちょっと先生が主導した方がいいんじゃないかなという気持ちなどが複雑にブレンドされて、何とも奇妙な感覚に。
まあいいや。
「演劇部で思い出しましたけど、今朝もそこそこ運び込んでまして」
「ああ、うん。お昼休みにナタリアが興奮気味に来ていたからね、それは知ってるよ。それがどうしたかい?」
「第二多目的室にセット作っておいてるんです。とりあえず現状分でトラック一台かかるんですけど、増やしても大丈夫なんですか、あれ。ダメそうならちょっと削らないと……」
「うーん……。まあ、トラックはいざとなったら自分が出せるからね。大型免許持ってるし」
待って。なんで緒方先生がそんな免許取ったんだろう。怖いぞ。
「ただ、トラック的な問題はあまり気にしないで良いとしてもだ。まず、トラックまでの運搬と、トラックからの運搬も必要だよ。ある程度力持ちを集めなければならないだろう。その辺りに心当たりはあるのかい?」
「僕と洋輔の二人で大概のものは運べると思いますし、大丈夫じゃないかな?」
「……そ、そうかい」
実際大丈夫だろうしな。僕たちでも持てない荷物とか、さすがにそれは誰にも持ち運べそうにない。
そもそも乗用車くらいならば持てるのだ。
「ま、それでもだめなら適当に声をかけますよ。ありがとうございます、緒方先生」
「うん。あ、そうだ。今日は部室に行くんだよね?」
「はい。軽く顔見せだけやるって話でしたし、それに衣装の説明もしなければならないので。一応メモは置いてありますが……」
「そうだね、説明はしてあげてほしい。報告にきていたナタリアも興奮半分、困惑半分、そして混乱半分といったありさまだ」
微妙に合計値がおかしいけど、それほどまでに混乱してたってことか?
なんでだろう。
「先に部室に向かいますね」
「ああ。また後で」