123 - しょうもない現実
「そっちの子は知っているみたいだけれど、自己紹介した方がいいかしらあ……。はじめまして、のはずよね、弓矢日よ。芸術品の鑑定士をしているわ」
柔らかな笑みを浮かべながら、その人、弓矢日さんは言う。
「渡来佳苗。一年三組……昌くんと郁也くんのクラスメイトです」
「ん……?」
「昌くんのお姉さんだよ、この人」
「ああ、なるほど。鶴来洋輔。同じく一年三組です」
「クラスメイトだったのね」
納得、と数度うなずきながら、日さんは言う。
「昌は学校でよくやっているかしら」
「はい。とてもいい子ですよ。僕もよくお世話になってて……」
「よかったわあ。まあ、あの子は私なんかよりもよっぽどいい子だから、その点はあまり心配いらないんでしょうけどねえ……」
くすくすと、それでも誇らしげに日さんは笑った。
自慢の弟なんだろう。
などと考えていると、わん、と。
日さんが連れている柴犬が、一度だけ吠えた。
ううむ。何言ってるのかまるで分らん。そりゃ動物の言ってる事がわかる方がおかしいと言われればそれまでだけど……。
「それで、ええと……弓矢お姉さんは、」
「日でいいわ」
「じゃあ、日お姉さん……でいいですか?」
「ええ。何かしらあ」
「はい。えっと、昌くんを探してるんですか? ……それとも、昌くんの家を探してるんですか?」
「どちらも、が解答かしら。さっき弟……晶のほうね、あの子から連絡があって。昌が帰ってこないから、探してきてくれーって。ついでにたまには遊びにおいでよ、みたいに言われたから、じゃあ今日はお仕事をお休みして実家に帰ろうと思ったの」
「なるほど。……なるほど?」
うん?
なんか今さらっと、お仕事をお休みしてとか言わなかった?
そんな気軽に休んで良いものなのだろうか、芸術品の鑑定士って。確かにそんなに忙しそうなイメージもないけど……いやそもそも、芸術品の鑑定士という仕事に想像が無いんだけど。
「郁也んの所にいるならば、引きはがすのは難しそうねえ……晶もそれとなく察してたのかしら。じゃあ、実家に帰るだけでよさそうかあ」
うん、ありがとう、と頷いて、日お姉さんはそのままさりげなく歩いて行こうとする。
あんまりに自然な動作だったので見逃しそうだったけど、
「待ってください。日お姉さん。昌くんの家はそっちじゃないです」
「あら?」
なんだろうこの人。方向音痴とはまた違った方向性で地図に疎いというか、なんというか。
空間認知力の問題だろうか。奇妙とはいえ個性は個性か……。
「洋輔。もうちょっと寄り道するよ」
「事情が事情だからな。しかたねーさ」
「日お姉さん。昌くんの家ならば一度ですが遊びに行ったこともありますし、そこで晶くんとも会っています。なので、とりあえず昌くんの家までは案内できますよ」
「それは助かるわあ。じゃあ、遠慮なく。ふふ、昌もいいお友達を持ったわねえ」
「ああ、車のナビみたいな」
「そうそう」
おい、洋輔。
それと日お姉さんもそこで同意しないでほしい。
「冗談よ。ところで渡来くん……よねえ、あなた、その腕に抱えてる子、とても怯えてるけれど、連れて行くの?」
「ああ、いえ。ちなみに怯えてるのはその柴犬さんのせいですけど……。とりあえずみけ、大丈夫だからにげなさいな」
「にゃ」
解放すると待ってましたと言わんばかりに猛ダッシュで去ってゆくみけ。元気なことは良い事だ。
さてと。
「じゃ、行きますか。……せっかくだし聞きたいことがあるんですが、良いですか?」
「ええ、お礼替わりになるならば、いいわよ。なにかしらあ」
「鑑定士さんって、どんなお仕事なんですか?」
「そうねえ。本物を見て、出てきたものが偽物かどうかを見極めるお仕事……かな?」
「…………」
「…………」
うん?
思わぬ回答に僕と洋輔が揃って黙り込む。
いやだって、目の前に本物があるのに、改めて別の物が出てきたら偽物確定じゃないの?
「同じ作者かどうかという意味よ。その作者の本物を見て、それと出てきた作品を比べることで、見極めるの」
ああ、そういう事か。
つまり作品Aの本物を見て、作品A'が本物かどうかを確認するのではなく、作品Bの真贋を判定すると。
「私の目は少しだけ、他の人たちと違うのよね。それを最大限に活用できるのってどんなお仕事かなあ、って小さい頃はずっと考えていて……ある日、中学校で美術館に行く芸術鑑賞のイベントがあったの。そこで、気づいちゃったのよ。私の目だと、本物と偽物がわかるんだ、って」
わかる?
「私の目はね、少しだけ他の人よりも多くの色を見ることが出来るの。同じ作者ならば、色遣いは似るものよ。もちろん作品ごとに微妙な違いはあるでしょう。徐々に進化することだって、あるに違いないわあ。でも、まったく違った色遣いになることは、変でしょう? 普通の人たちは機械を使って色々と調べなければならないことを、私はただ、見るだけでそれが出来る。だから、これを活かそうと思ったの。……なんて威張っても、そんなにお仕事は来ないんだけどね。一年に十件くらいかしら」
「それは……、だいぶ暇、になるんでしょうか?」
「そうよ。一度でもミスをしたら――真贋で間違った判定をしてしまえば――もともと少ない信用さえも無くなって、二度とお仕事は来なくなるでしょうから、一度でもミスをしたら永遠に暇になりかねないわあ。それでも……この仕事は私にとって天職だと思っているの。この目があるから、役立てる」
いいなあ。
そういう、自信の持てる生き方は、とても羨ましい。
僕もそうなりたいと思うけど、錬金術じゃな。ちょっと派手にやりすぎる。
「ところで、渡来くん。少し気になったんだけれど……。その眼鏡、どこで買ったのかしら?」
「え?」
「不思議な構造をしているのねえ。なんだかフレームに溝があるし、もしかして開いたりするのかしら」
「…………?」
なんで気づかれたんだ。
黒一色の黒ぶち眼鏡。実際に触れたら微妙な凹凸はあるから……まあ引っかかる部分が無いと開け閉めできないからだけど、その凹凸からあれ、と気づくことはあるかもしれないけど、見ただけじゃわかんないはずだぞ。
……いや、色が違って見える、のか?
だとしたら……ふうん、『違った世界を見ている』という昌くんの評価は極めて正しいということになる。
「これはもらいものなんですよ。だから、どこで買ったのかは……」
「そう……。面白そうな造りだし、私もほしいなあ。今度探してみましょう」
たぶん見つからないと思う。
ま、雑談をしつつ道をゆき、いざ稲荷神社に近づいたところで、「ああ、やっと見覚えのある道に」とは日お姉さん。
この人実は空間認知能力とか以前に記憶力の方なんじゃないかな……。
それは記憶力が悪いという意味ではなくて、記憶する色のチャンネルが一個多いから、その分だけ多く記憶する量が多くて、要求される容量が多くかかるみたいな。
HD画質と通常画質みたいな感じ。いやなんか違うな……。
「あ、ねーちゃんだ! ……と、渡来さん? あれ?」
「こんにちは、晶くん。日お姉さん、ここまでで大丈夫ですか?」
「ええ。助かったわあ。ありがとう、渡来くん。それに鶴来くんもね」
「どういたしまして」
「あ、そういう事か……。ごめんなさい、渡来さん。ねーちゃんが迷惑をかけました」
「気にしないで。散歩ついでと思えば特に負担でもないからさ」
ありがとう、と無邪気に笑う晶くんに頷き返す。
一方、僕の横では洋輔が表情に出さずに驚いていた。
晶くんのオッドアイを直接見るのは初めてだろうし、そりゃ驚きはするか。
「ねーちゃん、にーちゃんは?」
「郁也くんの家に居るみたいよ。渡来くんに教えてもらったのだけれどね」
「ふうん……? 学校から直でいくなんて、にーちゃんらしくもないね。なんか落ち込んでるのかな?」
「そうかもしれないわね。さてと。渡来くん、鶴来くん、お世話様でした」
「はい。じゃあ、帰るか、佳苗」
「そうだね。それじゃあ、また」
「また来てくださいね!」
元気よく答える晶くんに手を振ると、日お姉さんは晶くんに連れられて行った。
あの様子なら大丈夫そうだ。そして晶くんの調子が良くなりつつあるというのも、なんか事実のように見える。
前に会った時よりもはるかに元気だ。
別れたところから少し歩いたところで、
「佳苗。前に会った時もあんな感じだったのか、弟の方は」
と、洋輔が聞いてきたので、先ほど感じたことを素直に答えると、
「……そうか」
などと意味深にうなずかれた。
何かに気づいた感じかな?
「ありゃ、俺たちの手にも余りかねるぞ」
「え?」
「ありゃあ呪いが原因だ。同じような症例を、一件だけど知ってる。ま、家に帰ったら話そうか。外でする話でもない」
「うん……?」
でも呪いが原因だとしても、別にどうとでもならない?
帰宅した後いつものように諸々を済ませて、今日は洋輔の部屋にお邪魔することに。
たまには、というのもあるけど、
「おじゃましまーす」
「おう、いらっしゃい。早速だけど移動するぞ」
「うん」
僕はちゃんと玄関を通ってお邪魔したので、そのまま洋輔と合流して地下、シェルターへ。
洋輔の部屋といってもシェルターの方なのだ。
なんでかというと、まあ、普通の部屋だとちょっと危ないから。
ぴぴぴ、と電子ロックを外し、シェルターの中へと。
相も変わらず整理された空間だ、そして恐ろしいほどに静かな空間でもある。
コーティングハル無しでも結構な防音性あったからなあ。
「あ、今回は机作ってくれ」
「どんなの?」
「学校で使ってるようなやつを二つくらい」
ふぁん、ふぁん。
「……材料もねえのにどうやって作ったんだよ、おい」
「ピュアキネシス製だけど?」
「…………」
何をいまさら。
ともあれ、作り出された机に洋輔が展開したのは布だった。
って、布?
「テーブルクロス?」
「まあ、そんな感じ。えっとだな、佳苗。当初の俺たちの想定からまずはおさらいだ」
「?」
洋輔がそう言って布に書き始めたのは、呪いについての基礎知識。
「呪い……まあ、あっちでも多少しか研究は出来なかったし、魔導師としても管轄外に近しい技術だったからな。あんまり俺も詳しいわけじゃないんだが。ともあれ、呪いってのは魔法に極めて近しい技術……ただし、魔法とは違った何かだ。効果は読んで字のごとく、『呪い』。術者が対象を選択し、その対象に効果を与える。その効果量がとにかく安定しないことや、そもそも行使が難しいっつーか明確な行使法が存在しないっつーか。まあ、未研究の分野ってわけだな」
そこまでは知っている。
で、洋輔が今テーブルクロスに書き示しているのはそういう基礎知識……を、異世界の言葉で書いたものだ。
なんでこんなことしてるんだろう。
「で、その呪いの効果は単純明快。『対象に不幸をもたらす』、これだけだ。その不幸の大きさや種類は選べねえけど……。これを解除するのはかなり大変つーか、よっぽど巡り合わせが良くない限りは解除できない。術者にでさえもな。それを強引に解除する手段は二つ、抗呪と解呪。前者は魔法的に防御力を挙げて無効化しちゃえばいいじゃんって考えで、後者は錬金術的にそもそも解除しちゃえばいいじゃんって発想になる。まあ、ここまでは知ってるな」
「うん。その上で、僕と洋輔ならば大魔法とか陰陽凝固体を絡めて、その両方……第三の選択肢としての反呪が使える。洋輔は大量に魔力を使うし、僕も二十九種類の面倒な素材を用意しないといけないけど……」
魔力とは集中力であって、コンセントレイトで事足りる。
素材もぶっちゃけ完全エッセンシアで全部代用できる。
だからお互いに面倒なだけで、不可能ではないのだ。そういう手抜きをしないにしたって、時間がかかるけどあらかじめの準備さえしておけば問題はない。
「だから晶くんは大丈夫……だと思ってたんだけど、違うの?」
「確かに抗呪、解呪、反呪って手段で、呪いが掛かってるなら消せるんだよ。でもさ、それで消せるのって、かかってる呪いだろ?」
「そりゃそうだよ。そういう技術なんだから」
「だから弓矢の弟には使えない」
…………?
なんで?
「簡単なことだよ。『弓矢の弟は呪われてない』。だから呪いを解くことはできない。単純だろ」
ん……んん?
じゃあ呪い関係ないんじゃないの?
「弓矢の弟が呪ってる側なんだよ。反動の症例だ」