116 - 他所は他所
部活も中止ということで、プリントを抱えて大人しく帰宅。
道中はいつも通りに猫を撫でまわしたりしていたのだけど、洋輔が今日は微妙に落ち着かない様子だったので、せっかく時間的に余裕があったというのに四匹しか撫でることが出来なかった。
「いや四匹『も』だろ」
猫に関する抗議の言葉は受け付けません。
で、それぞれ自宅にいったん帰宅。
時間的な余裕があるというのは本当なので、この後はゲームでも一緒にやろうという話をしている。
洋輔の事だから、窓からきそうだな……。
「ただいま」
「おかえりなさい、佳苗。早かったわね?」
「そういうお母さんも」
靴を脱ぎながらちらり、とホワイトボードを確認。
午後半休……? なんでだろう。
月一ペースのあの不調かな?
でも別に、今朝は具合悪そうじゃなかったしな。
「あ、佳苗。上に行く前に一度リビングに来て頂戴」
「それ、急ぎ?」
「別に急がなくてもいいけれど、洋輔くんに後れを取るわよ」
洋輔に?
何だろう。ろくでもない気がする。
まあいいや、僕としてもお母さんに渡さなければいけないプリントがあるし。
というわけで、まずはリビングへと直行。
お母さんが手にしていたのは小さな白い箱である。
小さなといっても筆箱よりかは分厚いかな。分厚いだけで大きさ的にはやっぱり小さめ。
「なにそれ?」
「頼まれていたものよ。ちなみに、洋輔くんも今頃、弘美さんから受け取ってるはずね」
「ふうん……? あ、ついでだからプリント渡すね」
「あら。何かしら?」
「いや、プールの男子更衣室とかに盗撮カメラが設置されてるのがわかって。その犯人が学校の先生で、その自白はしたけど、今日明日って警察の人が調査をするから部活はお休みになるよっていうのと、その事件の簡単な説明、あとは明後日木曜日の朝にそれに伴う全校集会をやって、午後に保護者会をやるって内容」
「…………。どこから突っ込めばいいのかわからないけれど、ええと、部活がお休みになるからプリントが出たんじゃなくて、事件が発覚したからプリントが出たのね。ああ、でも早かった理由はそれか……」
そうともいう。
「……って男子更衣室? 女子更衣室じゃなくて?」
「うん。男子更衣室。プリントによると、他にもいくつか設置されてたみたい。明確に書いてあるのは男子トイレと、一部の部室とか……」
「物好きな犯人ねえ。あなたくらいのお年頃なら男の子でもかわいい子は多いから、そういう意味で需要はあるんでしょうけれど、でも男子更衣室に設置するくらいなら女子更衣室に設置するくらいの気概はほしいわ。トイレも男子じゃなくて女子の方にすればいいのに」
「だよねえ」
とりあえずプリントは渡した。
するとお母さんは二つ返事で『出席』のほうに丸をつけて、提出用の部分をきちんとペーパーナイフで切って返してきた。
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
で、渡されたのはその提出用の部分だけではなく、先ほどは箱にしか見えなかったものもである。
意外と重たい。いや重たいと言っても空っぽじゃない程度で、ほとんど重さは感じないけど……。
「それで、結局なにこれ?」
「スマートフォンよ。ほら、洋輔くんがお願いしてきたアレ」
「あー。……え? って、いいの!? あれから洋輔、一言も続報をくれなかったから、てっきり交渉失敗だったのかと……」
「うちも鶴来さんの家もそこそこ悩んだんだけどね。四月の事もあったし、いずれ持たせるならばもう持たせるかって話になったの。ただし使用に条件はあるわ。メールアドレスを教える相手は、お友達だけにしなさい。電話番号は信頼のおけるお友達とかに限定よ。アプリを導入したいときは、それがタダのやつならばまあ、あとから言ってくれればいいけれど。お金がかかるやつはダメだからね」
「うん!」
うわあ。いやまさか、本当に洋輔の奴がいいくるめに成功しているとは……。
さすがにいいくるめに関しては僕の三倍以上の成功率を誇るだけのことはある。
しかもほぼほぼフリーハンドじゃん。
「設定とかはどうなってるの?」
「私とお父さんの番号とメールアドレスは、もう登録してあるわ。あと会社の連絡先も一応ね。それ以外は初期状態よ。インターネットも使えるわ」
「ふむ」
「あなたたちのことは信頼してるからそれを渡すのであって、変な使い方をしていたらすぐに取り上げるからそのつもりでね。電話のし過ぎとかネットのし過ぎで泣きを見るのはあなたよ」
「わかった。ありがとう、お母さん」
「お父さんにも、帰ってきたらお礼を言いなさい」
「もちろん」
いやあ、しかしこれで僕も、スマホデビュー……。
うーむ。
洋輔とは今後、連絡面で困ることはなさそうだな。
一応いろいろとアプリの導入とかはやらないと。それはそれこそ、洋輔と一緒にやればいいか。
スマホ持ちの友達とは連絡先を交換、できれば一刻も早くしたいけど、いまから電話をかけて回るのもなんかなー。
明日学校でいいや。
「そうだ。佳苗、お風呂はどうするの。部活やってないなら、今日は夜に纏めちゃう?」
「ううん、シャワーは浴びるよ。プールだったし」
「ああ。それもそうね……。水着は小学校の時と同じでいいから、ちゃんと処理しておいて頂戴ね」
「はあい。じゃ、一回部屋に戻るね」
「ええ。何かあったら呼ぶわ。だから佳苗も、何かあったら呼びなさい」
自室に戻り鞄から荷物を取り出したところで、
「どうだ、佳苗。受け取ったか?」
と、洋輔が。
「うん。ありがとね、洋輔」
「どういたしまして。何もお前のためだけじゃないしな」
まあ、確かに。
そっち行っていいか、という感じのモーションをされたので、オッケーと答えると、洋輔は迷わず窓から窓へと。
相変わらずの即断即決は別にいいけど。
「ちょっとしたら僕、シャワー浴びてくるよ」
「ん、なんでだ?」
「なんでって……。プールだったからに決まってるじゃん」
「え、俺気にしねえよ?」
「洋輔が気にしないとしても僕は気にするんだよ。水着の洗濯とかもあるし」
それもそうか、と頷く洋輔に、たぶんそれでもシャワーを浴びることは無いんだろうなあとちょっと諦めモード。
まあ洋輔だし。
塩素焼けとかは気にしないのだろう。
その割に僕よりも髪の毛がより黒に近いんだから、これは体質なのかなんなのか……。
「まあでも、今すぐにシャワーってわけでもねえだろ。先に設定しちゃおうぜ」
「そうだね。電話番号と、メールと……」
「あと無料通話アプリ系」
「あれ、どうなの?」
「ないよりマシだろ?」
それもそうか。
洋輔と一緒に操作をすすめて、とりあえずメールアドレスの設定から。
アドレスにriverを何となく入れてみると、洋輔はお前ならそうするよなあ、とそれでも特に文句はないようだ。
ちなみに洋輔はというとmagusという単語がちょっと浮いている。
「まぐす……まがす?」
「メイガス。まあ……結構違うんだけどな」
「ふうん……?」
まあ、僕も別に洋輔の設定に文句があるわけもなく。
そしてお互いに空メールを送って、それぞれアドレス帳に登録。これでよし。
電話番号は洋輔の番号を見せてもらって一度かけてすぐに切って、その履歴からお互いに登録する感じで良し。
登録名は……どうしよう?
変な名前で登録すると別の子に着信画面を見られたときとかに変だし、普通でいいか。
鶴来洋輔。
ニックネームはよーすけ、っと。
で、次に先ほどいってたアプリを導入。
無料といっても会員登録というか、IDを取得するためには成人であることを証明しなければならないらしい。
とはいえ別に、IDが無くても検索ができないだけで、対面している相手とは関連付けができるようだったので問題なし。
慣れないフリック入力に苦戦しながら洋輔に挨拶、なんだこの徒労感。
「普通に電話した方が早くない……?」
「まあほら。電話できる状態ならそれでいいけど、部活中とかに記録残せるのはでかいだろ。メールすまでもないなら特に」
まあ、うん。
そうかも。
「他にもいくつか便利系のアプリ入れるかな」
「あんまりオススメはしないぜ。必要ないものを入れて無駄にバッテリ使うのも癪だろ」
「それもそうか……」
ともあれ初期設定は完了。
たぶん。
ちなみに写真や動画もこれで取れるようになったのでバシバシ使う、というわけには、残念ながらいかないわけで。
仕方がないね。
「……それで、だ。佳苗。ぶっちゃけた話、してもいいか?」
「ああ、うん。先に答えておくと現状では、『部分的に』可能だよ」
「何が言いたいのかわかってんのかよ……」
「防護措置とかの錬金術をかける、でしょ」
大正解、と洋輔は大きく呆れつつも頷いた。
さて、ここで部分的に可能、と言った理由について、洋輔に説明しておくことにする。
「とりあえずできない事が、いくつかわかってて。たとえば耐熱系の錬金は、できない」
「なんでだ」
「内部に熱が溜まっちゃうんだよ。で、完全耐性もダメ。あれ使うとバッテリーが機能しなくなるっぽい」
「…………。えっと……まるでやってみた、みたいな感じだな?」
「やってみたんだよ。実際」
ちょっと待っててもらい、屋根裏倉庫から引っ張り出してきたのは木箱である。
片手で抱えられる程度の大きさだけど、そこそこ大きい。
それを机の上に置いて、展開。
中にはスマートフォンが二つと、それを分解したものが入っている。
「まずこれがオリジナルに最も近い状態のスマートフォン。色々とあれこれする前の状態ね」
「待てツッコミが間に合わん。まずこのスマートフォンは何処で手に入れたんだ」
「お父さんがこの前機種変更したんだけど、その古い方。SIMカードとか入ってないから、インターネットも使えないし、電話も使えないただの『文鎮』になってて、捨てるって話だったからこっそり貰っといた」
「おい。本人の承諾は」
「で、それに重の奇石を使って『不変』の道具と錬金して、オリジナルに最も近いというか、同等状態のものを二つにしたわけ」
「だから本人の承諾は」
「大丈夫だよ。本人のところにはちゃんと同じものがあるから」
「…………」
さて、ここで原則的な話をしよう。
錬金術って実は複製ができない。Aというものをコピーして、A'という物品を別に作ることが出来ないのだ。
あくまでも錬金術は『マテリアル』を完成品にするものであるからで、この場合、Aとまったく同じA'を作るためには、Aを作り上げているものと全く同等のマテリアルが無ければならない。
でもまあそれは原理的な話。
実際には重の奇石という抜け道がある。
これを用いて錬金術を行使するとき、完成品は『二つ』になるという性質がある。
だから、Aに何かのマテリアルを重ねたとき更に重の奇石を混ぜれば、A1とA2という二つができるわけだ。
また、Aに重ねるマテリアルを『不変』の性質を持つアイテムとしたとき、完成品は二つになるけど、それ以外に変化は起きないから、実質的な複製が可能になるわけだ。
この時注意したいのは、Aは消滅している点である。
Aに重ねるマテリアルが不変である以上、完成品としてのA1やA2はもともとのAと全く同一のものであるけれど、それでもAとしての存在ではなく、A1とA2になっているのである。
これは他の道具との関連付けを何らかの方法でしているとき、致命的な問題になりうる。
特定の道具が近くにあるとき特定の機能を発動するタイプの仕掛けなどでは、その特定の道具が先ほどの例で挙げたAだと、A1やA2では反応しないって意味だ。
いつだったか、異世界で『複製はできるか』と問われたことがある。
それに対する錬金術師としての僕の回答は、今も『できない』で変わりはないけど、ちょっと意味合いが変わってるかもな。
「待て。ってことはお前、実質その『不変』の道具と『重の奇石』があれば、何でも二つにできるとか?」
「いや、生き物は無理。あとあんまりに大きかったり、『それが一つの完成品』でなかったりするとやっぱり無理」
「一つってどういう意味だ」
「んー、たとえばスマートフォンはスマートフォンって完成品だから、二つにできる。でも、そこの漫画の収納されてる本棚を丸ごとは増やせない。あくまで『本棚』って完成品に『漫画』って完成品が格納されてるだけだから」
「なるほど」
「逆に部品だけを二つにする、とかならできるね」
錬金限定術。
苦手なんだけどね。
「目安は品質値だね。スマフォはスマフォの品質値が見えるからできる。本棚と本はそれぞれ数値が別だから無理」