107 - 『陰陽互根』
「さてと、渡来佳苗の質問の方には答えた。だから次は鶴来洋輔、君の質問に答えるのだけれど……うん。君がしでかしたことは、通常はできないはずの事だ。別に神様という訳じゃないけど、異なるレイヤーを参照するなんて、結構、横紙破りの行為なんだ。けどまあ、かなりの労力と工夫を重ねればできてしまうようだね。とはいえ今回の方法じゃあ二度とできないと思うよ、こうやって情報を与えている間にも、再発防止策が既に定義がされつつあるから。でもなんだか君たちなら、また何度かはやってのけそうだよね……やれやれ、まあその辺はどうでもいいわけじゃないが、今は関係ないな。次の質問に答えよう。結論から言うと、まあ、無理かな。さっきも言ったけれど、鶴来洋輔は渡来佳苗を証明し、渡来佳苗は鶴来洋輔を証明することで、ようやく認識できる類のものになってしまっている。どちらかが掛ければ証明ができないわけだから、認識も薄れていくだろう。わかりにくいかい? そうだなあ。鶴来洋輔と渡来佳苗は、『二つで一つ』というわけじゃないんだ。『一つ』を、鶴来洋輔と渡来佳苗という『二つ』に……『一つを二つ』にしている、って言い方が近いかな。君たちはだから、もはや何よりも同じで、だけど全く違うものなんだ。詳しいことは君たちのような人間が、陰陽互根だったかな、そういう名前で思想を纏めていたはずだよ。調べてみたほうがいいね。直接教えるよりも人間が解釈したものを学んだほうが、君たちにとっても都合がいいだろう」
陰陽……ごこん?
「ふむ。どうやら対策がそろそろ終わりそうだ……この奇跡のようなルール違反は、まあ、別にそっちは『やっていいことを重ねただけ』だからね。特にこれと言ったペナルティもないそうだよ、よかったね。あんまり繰り返しやると、さすがにいつかは雷が落ちるとは思うから、注意しなさい。そして、鶴来洋輔。最後にその質問に答えてあげようとおもうのだけれど、それにこたえるためにも渡来佳苗の確認を取らなければならないね。渡来佳苗は自分を信じるかい?」
自分ってどっちの?
「ああ、君自身ということだ」
ならば信じるよ。とりあえずは、自分が下した結論ならば、それを信じなきゃ――自分を敵視したら何も始まらないし。
「なるほど。じゃあ答えてもいいだろうね。答えよう。鶴来洋輔、安心しなさい。渡来佳苗は、決してその思いを裏切ることはないよ。というか……。勘違いしてるのは鶴来洋輔。君の方なのだから」
裏切る?
勘違い?
どういうことだ、と思ったところで、またノイズのようにその野良猫の姿がブレる。
そして野良猫は不敵に笑って、ただ一言。
「君たちには驚かされるよ、本当に」
と言って、そのまま何事もなかったかのように――そこにはなにもいなかったかのように――その痕跡を消し去った。
やっと動けるようになったのは、それからさらに数秒後のことで。
だけど、時計の針はたったの一秒分でさえも、動いていなかった。
「なんていうか。まあ、おおむね察してはいたけど、あの野良猫。超常現象の塊みたいな存在なんだね」
「神様とはまた別っぽかったけどな。どっちかというと管理者か?」
「あー」
いい得て妙だな、とか思いつつも、シェルターの椅子に座り込んだ洋輔の隣に腰を掛ける。
まあ。
「陰陽互根……か。洋輔は知ってる?」
「そこまで詳しいわけじゃねえけど……まあ、一応は。『光があるから闇がある』、『闇が無ければ光も無い』、みたいな感じの話だな。地面が無ければ空しかないけど、地面が無ければ空もないとこの場合は考えるんだったか? ともあれ、何かが存在するならば、その反対側……必ずしも反対とは限らねえけど、対になるような概念もまた存在する。そういう考え方、のはず」
「洋輔がいなければ、僕が存在しない……か」
「逆もまた、な」
ふうむ。
つまり、
「このところの僕たちがお互いを前提にできないときに不機嫌になったり具合が悪くなるのは、存在の証明ができないから。『洋輔がいないから僕の存在が証明されず、結果として僕の存在が希薄になる』。逆もまたそうで、だから具合が悪くなったり機嫌が悪くなったり、正常から外れてしまう。証明ができなければ即消えるようなことはないけど、何かしらが『おかしく』なる」
「今日の学校での様子をさっと聞いた限りだと、あれだな。お前は今日ずいぶん『やんちゃ』をできちゃったんだろ? それはあるいは、筋力強化の魔法とかを使ってたわけですらなくて、定義が揺らいでたから。曖昧になってたから『できてしまった』だけ、とかじゃねえかな」
否定できそうにないな。
しっくりくる。
「対になる概念として、僕には洋輔が、洋輔には僕がいる」
「だとすると……まあ、大雑把な考え方だけど、錬金術師の佳苗に対して魔導師の俺。たしかに対にはなってるな」
「でもどうせ対にするなら『男女』も対にするんじゃない?」
「その辺は曖昧の範疇なんじゃねえの。男女って性別には表れてねえけど、真相的な部分では対になってるとか」
そんなことあるのか……?
「いや実際、こうなった以上正直に白状するけど、俺はお前に対して一定の情報を意識的に阻害してるわけで。そこまでは知ってるよな?」
「うん。身長伸び無くなると困るから、絶対に教えないでね?」
「ああうん……。でもさ、それって逆に言うと、俺はそのことを熟知してるってことでもあるだろ。知ってることだから意識的に情報を阻害、遮断できるんだ」
それは……それもそうか。
僕も錬金術のことをある程度知っているから、洋輔が『気づきそうだな』、と思ったらそれとなく遠回しにちょっかい出してるし。
それと感覚的には同じこと、なのだろう。
「純粋性としての佳苗と、不純性としての俺か。ふん。なんかこう、当然すぎるな」
「だからこそ……なのだとも、思うけどね」
「まあな。……佳苗」
「うん?」
「あの猫……いや猫っていうよりネコか? 神にしてはちょっと色々と足りねえし」
ああ、ネコと和解せよ的な。
危険な発想をするな、洋輔。
いや正直、僕も似たような感想を覚えていたけれど。
「ともかくだ。あれは、『むしろ勘違いしてるのは俺の方だ』みたいなことを最後に言ってただろ」
「言ってたね。あれ、結局質問内容は何だったの?」
「…………」
洋輔は言いづらそうにして、というかそのまま口を閉ざしてしまった。
ううむ。相談はできないってことか。
ま、勘違いというワードをあの野良猫のような何かは使った。
そして洋輔が言いづらそうにしている。
ここまで状況が揃えば、いくら僕が鈍くても、それとなく察しはつくのだけれど。
「あの時、僕が言った言葉はさ」
「ん?」
「今でも、変わらないんだ。……なんて、改まって言うとなんか恥ずかしいなあ」
「あの時……かあ」
洋輔はゆっくりと、息を吸って、息を吐いて。
あの時。
幼稚園児だったころの、お話。
もうだいぶ曖昧で、覚えているような覚えていないような、そんな出来事が大半になっても尚、全く忘れることのない、あの瞬間。
それでもいつかは忘れるんだろうなあと。
いつかは忘れていかなければならないんだろうなあと思っていた。
でも……どうやら、そうはならないらしい。
僕には洋輔が必要で、洋輔には僕が必要だから、忘れる必要はない。
そう思うと、不謹慎ながらに嬉しくなる。
本当は良くないとわかっていても……でも、やっぱり洋輔と一緒に居られるならば、それが一番楽しいのだ。
「……思いだせるようで、思い出せないようで。あれはお前が本当に俺に言ったことだったか、それともそれは俺の願望なのか。それもわかんねえな」
「結局さ。僕も洋輔も、結構臆病なんだろうね」
「それは、あるな」
取り繕ってはいるけれど、その実は内心で、お互いに同じことを考えている。
そしてそのことに気づいてさえいるのに、僕には洋輔に聞く気概が無いし、洋輔には僕に聞く勇気がない。
それはきっと、まったく同じ理由なんだろう。
お互いに同じことを考えているのは分かり切っているのだから、さっさと言っちゃえよと突っ込まれては返す言葉もない。
結局僕も洋輔も、追い詰められても突き詰められても、そしてああやって訳の分からない野良猫のような何かに真相の一つの側面を教えられても、怖いものは怖いのだ。
たぶん猫が蛇を怖がるのと同じだと思う。
「はあ。今後の身の振り方も考えねえといけねえな」
「そうだね……とはいえ、状況は分かった。対策はとりあえず、できそうじゃない?」
「できるかぁ? 要するに俺とお前が常に、咄嗟に連絡がとれなきゃだめな……って、あれ?」
言ってて気づいたのだろう、洋輔はきょとんと首を傾げた。
まあ僕も、ちょっと気づくまでにかかったんだけど。
異世界と違って、地球上の科学文明は発達しているのだ、かなり。
「携帯電話なりスマホなり、まあその辺でほぼ即解決できるんだよね、これ。お互いに即座に連絡ができる」
「…………。あっちの世界の魔法も錬金術も大概だけど、地球の電気的文明も大概だなおい」
「ね。電気ってすごいよね。まあそれを自由に使える程度には整ってるインフラが一番すごいのかな……」
「あー。水道よりもさらに扱いにくいもんな、これ」
そういうこと。
というわけで、今後の方針を洋輔と確認。
「陰陽互根については、あとでパソコンでも調べてみればわかるか。お父さんにお願いしないと」
「そっちは任せていいか?」
「そっちは、って……まあ別に、僕としては構わないけど。なんか洋輔は洋輔でやるってこと?」
「スマホの方、俺が親説得してみる。俺の親だけじゃんくて、そっちの親も」
「できるの?」
「俺はお前と違って動作型を習得できなかったからな」
それは真偽判定の話……って、ああ。なるほど。
問いかけ型の真偽判定、その応用編。
「真偽幻惑……。そういえば今まではほとんどその手の技術使ってなかったよね」
「……俺は、な。佳苗はバシバシ使ってたように見えたけど」
「僕は使えるものは使う主義だし。バレない範囲で」
この眼鏡にしたってそうだ。
「まあ、そっちはじゃあ任せるよ。何かついでに調べることはある? 二度手間は面倒だから、先に教えてくれたら調べておくけど」
「特にねーかな……ああいや、一個。藍沢典人とカミッロ石堂の二人の名前で軽く調べてみてくれねえか?」
「それはいいけど……そんな、突っ込んだ情報は出てこないと思うよ?」
「うん。いや、俺が知りたいのはその二人の試合の映像が何かの間違いで残ってねえかなってところ」
ふむ?
残っててもおかしくはないよな。
ていうか、
「そういうことなら藍沢先輩に頼んでみようか? たぶんお願いすれば、持ってきてくれると思うよ」
「いやでも、悪いだろ?」
「こそこそと裏で嗅ぎまわる方が心証は悪いよ」
それもそうか、と洋輔は二度、三度とうなずいた。
ま、その辺は演劇部から繋いでいけばいいだろう。
「演劇部側の練習も始まったし、その流れで自然と話題にできると思うから。そっちは任せて」
「オッケー。そんじゃ佳苗、よろしくな」
「そっちこそ、言いくるめ頑張ってね」
「おう。……なんだろう、その言葉だけを切り取るとものすごい悪だくみをしているように聞こえる」
確かに……。
ま、いつまでもシェルターに居たって仕方がない。
そんなわけでシェルターを出よう、と立ち上がったところで、洋輔が「ああ、最後にひとつ」と僕の腕を掴んで言った。
「あの時、俺はたしか断っちゃったけど、それは理解できてなかったんだと思う。ごめん。……今は、今なら、断らない。絶対に」
「……本心みたいだね」
「本気だよ」
「なら、嬉しいな」
真偽判定は欠かさない。
そして、その本気という言葉も含めて本心だとわかるから、かなり嬉しくなる。
ほとんど諦めていたことだったけれど。
時間はかなりかかったけれど、思い続けてみるものだ。
案外、願い事は叶うらしい。
すくっと立ち上がった洋輔は、そのまま僕の髪をかき上げるようにしてきて。
「だからこそ、俺は……なんか、守ってみたくなる」
「じゃあ、攻撃は僕が担当?」
確かに攻撃性能は僕のほうが上だけど。
冗談めかして言うと、洋輔は失笑を漏らした。
そして、小さな声で「これからも、よろしく」と。
僕と洋輔の声が重なって、言葉は罪の告白にも似ていたけれど。
それでもそれは一つの終わり。
それでもこれは一つの始まり。
心と利益の天秤を、傾けたのは神様だった。
こぼれ話:
106のタイトルを白黒と同じにできるかどうかは分の悪い賭けでしたが、同じにできて良かった。そんなこぼれ話。