105 - 一つの真相を暴くため
たかが一日。
それも学校に居る間の時間帯。
そんな短い期間でも、洋輔と離れていると奇妙な寂寞感がしんみりと残っていて、演劇部では全員から、バレー部でも郁也くんに曲直部くん、それに土井先輩と風間先輩に鳩原先輩から『今日は元気が無いな』というようなことを言われ、そこまで表に出てしまってるのか、と自戒をしつつもなんだか部活の練習に身が入らず、
「おい。なんか今日の渡来は変じゃねえか……?」
「ボクもそう思うけど……なんだろうね。普通、落ち込んでる時ってやることなすことが全部だめになるものだけど」
「だよな。普通はそうだよな。でもなんでだろう。渡来の奴、普段より数段動きがキレッキレじゃないかこれ」
「世の中不思議な子って多いよね」
「いや村社に言われたらおしまいだよ」
などという曲直部くんと郁也くんのやり取りにツッコミを入れる気にもなれず、練習も終了。
なんか着替えるのもめんどくさいので、今日は学生服を畳んで袋に入れ、代わりにジャージを羽織って帰ることにする。
「お先に失礼します」
「お疲れ様、渡来。……気を付けて帰りなよ」
「はい」
だめだなー。
洋輔がいないだけでこれだ。
身が入らないから制約が掛からず、普段は我慢しているような動きに抑止をかけるよりも前に身体が動いてしまう。
たぶん今の僕にならば100メートル走でも世界記録を出せるだろう。筋力強化とかもろもろを無意識に使っちゃいそうだし。
身が入らない。
制約が掛からない。
箍が外れている。
思えば洋輔がいるから僕は、自分の力を隠そうとしているのか。
もしも最初から洋輔がいなければ、きっと僕は堂々と錬金術も魔法も使っているだろう。
その結果あらゆるものを敵に回したり、組織に追われたりしたってかまわずに、いざとなったら崩しの石なりなんなりを使ってでも逃げるだとか、そういう方向で調整しちゃうだろう。
この世界にそんなものがあるとは思えないけど、秘密結社とかスパイ組織があって、その力に目を付けて協力を求められたならば、報酬次第とはいえ僕は二つ返事でそれに応じるだろうし――まあ、結局のところ、『今が楽しい』ならば僕はどんな状況でもいいのだ。
それが僕だから。
だけど、実際には洋輔がいる。
洋輔は普通を望んでいる。
洋輔はつまらない日常を描こうとしている。
それを邪魔してはならない。
僕が異常な力を使えることも、だから内緒にしなければならない。
そうしなければ、洋輔の日常がつまらない日常ではなくなってしまうから。
だからこそ、洋輔は僕を押さえつける箍になってるんだろう。
僕だって考えればこの結論にたどり着ける。
洋輔は考えるまでもなく、きっとどこかで感じ取っていたんだろうなあ。
そして何かが切っ掛けになって、そのことを明確に気づきを得てしまった。
いつかな……体育祭のあたりからなんかおかしいなあとは思っていたけれど、あれとは別の問題っぽいし。
まあ。
それがいつだったとしても、洋輔はだから、僕にそのことを言うべきかどうかで悩んだのだろう。
で、結論が出せなかった。
言うべきとも、言うべきではないとも、結論できずにどん詰まりになって、今日は朝からカーテンを閉め、そのまま学校を休んだ。
その結果として、僕がそのことに気づくかどうかは半々だけれど……気づこうと気づくまいと、何らかの違和感は覚えるだろう。
そうした上で僕からの反応を待って、あとは野となれ山となれってところかな?
洋輔が考えそうなところだと。
近寄ってきた野良猫を抱き上げてひとしきり撫でたりしながら、僕はさらに思考を進める。
洋輔は僕の目指す『今が楽しい』を知っている。
そしてそれを妨害しているのが自分であることも理解した上で、それでも洋輔には洋輔の目指す理想である『つまらない日常』を捨てられない。
僕が目指す『今が楽しい』と洋輔が目指す『つまらない日常』は、お互いに少し我慢するだけで共存ができるからだ。
洋輔にせよ僕にせよ、少しも我慢が出来ないわけじゃない。
どころか、僕は洋輔のためならば、そして洋輔は僕のためならば、少しどころかかなりの我慢だってしてしまうだろう。
幼馴染とか親友だとか、それ以上になにか、僕と洋輔の間にはそういうところがある。
それは他人から見ればやっぱり変で、場合によっては気持ち悪くも見えるのかな。
だとしても……やっぱりお互いにかけがえのない人、という範疇ですらなく、やっぱり前提なんだよね。
洋輔がいなければ僕が成立しないし、僕がいなければ洋輔が成立しない。
それは誇張でもなんでもなく、ただの事実なのだ。
そんな今更の事を改めて振り返りつつ、考える。
僕にせよ洋輔にせよ、こうも奇妙な形になったのはいつだろうかと。
異世界に行く前の僕たちは、そりゃまあ既に仲は良かったけど、隣の家に住んでいる幼馴染の親友……でしか、なかった。
僕にとっては望むところで、それ以上の関係はないとも思っていた。実際、普通の範囲で言うならばそれが限界だろう。
それは間違いない。
じゃあ異世界に行った後はどうだろう。
異世界に行ったタイミングはほぼ同時だった。
でも、僕も洋輔も、異世界に到着してから合流するまでは、正直そこにもう一人がいるとは思っていなかった。
あちらの世界で僕は日本の渡来佳苗を、確かな存在として記憶はしていたけれど、それはそうとしてあちらの世界の自分として生きようとしていたし……ただ、あちらの世界で偶然にも洋輔と再会することが出来て、だから僕たちは帰るための努力を始めたのだ。
努力は半年にわたり、それ以前の一年――プラス、十一年ほど、合計十二年と数か月というあちらの世界での人生を費やし、帰ってくることに成功した。
あれ、そう考えると今の僕とか洋輔って何歳なんだろう。
肉体年齢的には十二歳だけど、異世界での時間も精神年齢に加算すると……二十四歳?
…………。
よし、考えなかったことにしよう。
あれ、前も似たようなことを考えたような……ああいや、考えなかったことにしたんだから、実質今回が初めてか。うん。
えっと、とりあえず、異世界に到着した時点でもそこまでこじれてはいなかった。
さらにいうならば異世界で合流した後も、諸般の理由で僕と洋輔は大概セットで行動していたけど、それはたとえば生活する場所は学生寮で自由意志で一緒になったわけではなく成績で割り振られたもので、同じ授業を受けることはあっても基本的には別の授業を受けていたし、そのあたりで特に僕たちが葛藤したことはない。
大体、確かに学生寮も相部屋だったけど、洋輔は割と外泊してたし。僕も物置で研究してたらそのまま寝てたとかも多かったからな。
だから実は、異世界でも今ほどまでに複雑な関係ではなかったのだ。
となると……やっぱり、帰ってきてからがどうにもおかしい。
魔法や錬金術、洋輔の場合は剛柔剣という奇妙な才能を持ってきてしまって、それを隠さなければならないというところが関係してるのかな?
あるいは、大人たちをだまして、親たちをごまかして、覚えていないと言い張らなければならない状況がそうさせているのか。
どちらも何かしっくりとこない。
でも他に考えようもないしな。
タイミングとしては、だから、帰ってきたあとなんだよな……そこで何か、僕たちの心境に変化があって、それが今の、この奇怪極まる僕と洋輔の関係になってるわけだ。
昌くんが見透かした通りに。
あれ、でも――
『切っ掛けは断定しかねるけど。佳苗を壊してしまうのが、怖いんだと思う』
――ふと、昌くんの言葉が頭の中で反響する。
もし僕の読みが正しいならば、洋輔の悩み事、今日洋輔が仮病を使ってまで休んだのは、僕たちの奇妙な依存関係をどうにかしなければならないという決意表明だ。
けどそれ、僕を『壊す』とは、ニュアンスがだいぶ違ってくる。
ていうかあの時は特に違和感なく受け取ってたけど、昌くんも奇妙な言葉を使ってたよな。
汚す。
壊すとかならばまだわかるんだけど……実際に、ニュアンスとしては壊すという感じだったけれど、それでも発音は汚すの方だった。
僕の想像においては、壊すのほうがふさわしい。
汚す……まあ、将来図を汚すとか、そういうニュアンスが無いわけじゃないけれど、なんか変なの。
昌くんは育ちが良いから、色々と古風な言い回しとかするんだよね……。
家の私服も甚平だったし。
だからというのもおかしな話だけど、そういう言い回しがあるのかな。京ことばとか言うくらいだし。
いや別に京都ではないか……。
「どちらにせよ、洋輔とは話し合いが必要そうだなあ……。君も来るかい?」
野良猫に話しかけてみると、野良猫はぷいっとそっぽを向いて、その上で耳を倒してガン無視モードになった。
まるで人語を理解しているかのような反応だ。別にどっちでもいいけれど。
猫の手を借りたところであまり意味のある話でもない。
僕の心がちょっとだけ癒されるだけだし、それはそれでありがたいけれど、猫にとってははた迷惑でしかないだろうからな。
解放してあげて、と。
覚悟を決めよう。
それは昌くんに言い方を合わせれば、壊れる覚悟だ。
実態がどうであれ、洋輔をこのままにしておくわけにはいかない。
洋輔のためにも、
自分のためにも。
家に帰って、そのまま洗濯物だとかをいつも通りに処理し、着替えを終えてあらためて洋輔の部屋を眺める。
カーテンは閉められたまま、電気もついていない。
約束は、約束。
自室を出てホワイトボードにお見舞い中と短く書いて、家を出てそのまま洋輔の家へ。
鍵がかかっているようだ。洋輔のお母さんもお仕事かな?
仕方がないので解錠、入室。
「おじゃまします」
「待て。問答無用かよ」
「それこそ今更でしょ、洋輔」
僕は手元の『鍵』をひらひらと見せつけるようにして言うと、洋輔ははあ、とため息をついた。
そして――ここは一階。
ダイニングの方から、声はした。
鍵をかけて靴を脱ぎ、ダイニングへと進むと、洋輔はソファに横になっていた。
目は腫れぼったい感じになっていて、顔色も優れない。
そこそこ具合が悪いという感じだ。
「洋輔。今日一日でわかったことがいくつかあってさ」
「……ん。それは具合が悪いのを無視してでも話すことか?」
「どうしてもというなら完全エッセンシアなりエリクシルなり持ってくるよ」
「はいはい、降参降参。どーせ偽装だってのもバレてるんだろうしな」
まあそのくらいはね。
「で、何がわかったんだ」
「どうも僕たちは変な具合に重なってるって言うか……。僕は洋輔の箍になってて、洋輔が僕の箍になってるというか?」
「あー……箍。なるほど、良い表現もあるもんだな。けど、ってことは今日の学校は大変だっただろ」
「うん。箍が外れて……まあ、ちょっと派手になったかも」
たまにはいいけど、さすがに怪しまれただろうなあ。
ちょっと自粛しないと。
まあ、反省は後でもできる。
「どころかね。昌くんに、洋輔がいないからそんな状況なんだろ、みたいな感じで深く聞かれて」
「……弓矢が」
「うん。条件付きだけど、少しだけ、本当を話した。……『覚えてることを隠している』、って範囲だけね」
「ん……それで、弓矢はなんて言ったんだ」
「『ぼくは鶴来と同じかもしれない』、みたいな感じに。で、『鶴来は佳苗を壊すのが怖いんだろう』とも」
「…………」
洋輔はしばらく黙り込み、考え込む。
もう一押しかな?
「あとは、表向きは記録されていないし……実際、僕以外は当事者くらいしか知らない事だろうけれど、昌くんと郁也くんも昔、トラブルに巻き込まれて、それが原因でしばらく大変だった……みたいな話を、僕の秘密を教える代わりに教えてくれた」
「トラブル……あー。だからその、奇妙なニュアンスが出てくるのか。なるほど。……佳苗は結局それに気づけていなくても、弓矢のやつは正確に俺の心境を理解してるってことだな」
ん……あれ?
つまり僕の現時点での結論はずれているということだろうか。
「ああいや、弓矢の推理は完璧に俺の心境を当ててるけど、今日休んだのは佳苗が言った方だよ。どうも気になってな……。ここまで依存しあう関係になったのがいつなのか、思い出そうとして――答えを得るためにずっと、コンセントレイトをしてたんだ」
だから手伝ってくれ。
洋輔はそう言って、僕に手を差し伸べた。