104 - 秘匿と共犯
週が明けて月曜日。
は、何事もなくさらに翌日、火曜日のことだった。
朝、いつものように目を覚まして準備を済ませ、たところでも洋輔はカーテンを閉めっぱなしで、電気もついていない。
ひょっとして寝てるのかな?
それとも、朝練かなにかですでに出かけているとか。
いや、出かけているならカーテンは閉めてないよな……、まあ、昨日の夜に閉めたまま、開けるのを忘れて行った可能性はあるけれど。
不振がりつつ約束は約束、声をかけることはせずに荷物を抱えて一階へ。
「おはよう、佳苗」
「おはよう、お父さん。……って、お母さんは?」
「今、鶴来さんちに行ってる」
うん?
なんでだろう。
お父さんからトーストの乗ったお皿を渡されて、それを受け取りダイニングの椅子に着席、朝食を食べ始める。
ちなみに今日はジャムではなくバターをさっと塗ってその上にお砂糖を振りかけるというぜいたくスタイルだ。結構おいしい。
個人的にはバターだけをふんだんに塗ったやつとか、何も塗らずに溶けるチーズをのせて焼いたやつとかも好き。
ご飯もなかなか万能だけど、トーストもそう考えると万能だよな。グラタンとかにもできるしピザの具材をのせてピザパンにしたり。
「今日、洋輔くんは学校をお休みするそうだから、その学生手帳を受け取りに行ってるそうだ」
「ふうん。洋輔が……うん? お休み?」
「うん。なんだか熱があるらしい」
熱……?
風邪だろうとインフルエンザだろうと肺炎だろうと、特に問題なく治せるだろうに。
それに洋輔が簡単に治せないのはそれこそ呪いくらいであって、その呪いの線もまず考えないでいいはずだからなあ……。
となると仮病か、あるいは実際に調子が悪いけど、治そうとしていないのか。
治せるものをあえて治さないことにあんまり意味はないけど、単に学校が嫌って可能性はあるかな……。
「このところ、洋輔くんの具合はどうだったんだ。佳苗から見て」
「んー……なんか、ずっと考え事してるなあとは思ってたよ。なかなか答えが出ないみたいだった。もしかしたら考えすぎて、頭が痛くなったのかも?」
「ふむ……。深刻じゃなければ、良いんだがな。ただの風邪なら、こう言っては何だが幸いだ」
「せめて不幸中の、って冠詞を付ければいいんじゃないかな」
お父さんらしいと言えば、お父さんらしいか。
そんな話をしている間にお母さんが帰ってきて、僕に学生手帳を渡してきた。
洋輔が今日お休みすることはもう電話で学校に連絡してあるけれど、学生手帳の提出も必要なんだそうで。
で、当然休む本人が持っていけるわけもなく、ならば親か、近所の生徒が代わりにとなるわけだ。
洋輔が僕を使うのは、だから当然なんだろうな。小学校の時も連絡帳であったっけ。
渡された学生証はきちんと鞄に入れて、っと。
「それじゃ、そろそろ行ってきます」
「いってらっしゃい、佳苗」
一人での登校。
なんか、さみしいよなあ。
学校につくなりまずは職員室へ、洋輔の学生手帳は緒方先生に渡して、改めて教室へ。
おはようと皆と挨拶をしつつ、準備を整え自分の席へと向かう。
「おはよう、佳苗」
「渡来、おはよー」
「おはよう」
「なんか珍しいな。お前ひとりってのも。鶴来の奴は?」
「熱があって、今日はお休み」
ふうん、と涼太くんは頷く。
一方、昌くんは少し訝し気に僕を見ていた。
「そういう佳苗もちょっと元気ないように見えるけど。具合悪いの?」
「ううん。気分が悪いというより、機嫌が悪い、の方が近いかなあ……」
「機嫌って……」
「なんかね。……ま。時間が解決してくれるのを待つしかないかなって、僕は思ってる」
というか、時間が解決してくれないと困る。
そりゃ僕だって洋輔だって努力はするけど、努力にだって限界はあるのだ。
時間にだって限界はあるけど……。
「変な話もあるもんだよな。お前ら、別に四六時中一緒ってわけでもねえんだろ? 現に部活も違う」
「うん。昌くん家にお邪魔した時も僕一人だったし……洋輔寝てたからね。それと、昨日の練習の時も洋輔は別行動してた。買い物だったかな。逆に僕が買い物に行くときも、洋輔と一緒に行く方が珍しいかも。コンビニにおやつかいにいく、とかなら別だけども」
「へえ。……だとすると、やっぱり佳苗のその不機嫌は、どっちかというと不満なのかもね」
「不満?」
涼太くんが聞き返すと、昌くんは頷く。
少し心配そうな表情で。
「不満って漢字で書けば、不満ってことになるでしょう。あるいは、不満の満はそもそも満足のことだから、不満足。そこからさらに一歩進めて、佳苗のそれは『不満』であって『不満足』であって、だからこそ『不足』でもあるんじゃないかな」
「不足……」
「水不足とか、お菓子不足とか、そういうのと同じ。普段は鶴来洋輔って子が近くに居て、『足りてる状況』だけど、思いもよらぬ形で離れるとこれが『不足』になるから、それが不満でそれが不機嫌で、そして不安になるんじゃないかな。勝手な想像だけどね」
「……あはは」
昌くんの言っていることは、でも、的外れとも言い難い。
不満なのは不足しているからで、だから不安になる。それが具合が悪くなる原因だとしたら……僕も洋輔も、それが原因で今の状況なのだとしたら、何らかの形で満たせばよいということだ。
……言うは易く行うは難し、だよなあ。
でもまあ。
他人にさえそう見られている、ということは自覚しておくべきだろう。
普段は問題ないのに、今日みたいな突発的な状況では不機嫌……不安になるのは、不満に思うのは、洋輔が何をしているのかが分からなくて、僕が何をしているのかを洋輔に伝えられないから……かな。
これは思ったよりも深刻だ。
深刻すぎるほどに、少なくとも僕は洋輔の存在を前提にしてしまっている。
「一人では生きていけないし、二人じゃないと生きていけない……か」
「ん?」
「いや」
不審がる涼太くんに、首を振って。
「なんでもないよ」
僕はあいまいに言葉を濁して答えると、納得したんだかしていないんだか、それでも追及を諦める涼太くん。
そして、その様子を昌くんは何も言わずに、ただ目を細めて見ているだけだった。
給食を終えて掃除の時間。
今週、僕たち第六班の担当は廊下なので、移動の手間は無くていい。
掃き掃除を終えればモップを使った拭き掃除、さっさときれいにして挙げて、っと。
「ねえ、佳苗」
話しかけてきたのは案の定と言えば案の定な、昌くんだった。
「うん?」
「この後お昼休み。ちょっと話せる?」
「別に、今日は特に用事もないし」
「じゃあ、掃除が終わったら一緒についてきて」
うん……?
まあ、別にいいけれど。
そんなこんなでお掃除終わり、先生に許可を貰ってお昼休み。
涼太くんは前多くんや信吾くんと合流して校庭に向かうらしい。
僕は昌くんに案内されるがままに移動して……移動した先は、体育館。
の、剣道場。
鍵は、そっか。昌くんが持ってるのか。
「ここなら、誰にも聞かれない。内緒の話をするにはもってこい……ま、本来の用途じゃないから、バレたら怒られるだろうけど。皆には秘密にしてね」
「それは構わないけれど。内緒の話って、何?」
「鶴来と佳苗について、少し聞きたいことがあるんだ。どうしても」
僕と洋輔……か。
「幼馴染の親友。それ以上でも以下でもないってわけじゃないけれど、それが僕の答えになるとは思うよ」
「本当に?」
「うん」
「だとしたら……。辛いことを聞くようだけれど、あの事件を経て、一気に関係が近づいた。近づいたというか、結びついたというか。そんな感じかな」
……鋭い。
「聞くだけというのもアンフェアだから、何かを代わりに教えてでも、なんとか教えてもらいたいなと思ったんだけど。ぼくには手札が無くってね。……だから、断ってくれてもいい。それでも、聞きたい。ねえ。佳苗。君は、」
ふ、と。
色別をオンにする。
緑の世界に、青が一つ。
青い人型が、一つ。
初めてだ。
洋輔以外で、青く見える人間は。
「そして鶴来の二人は、実はあの事件について。覚えてるんじゃないかい?」
「…………」
青く色別されている以上、昌くんのこの問いかけは、単なる心配からくるものだ。
そしておそらくこの問いかけは、洋輔の現状を把握するために必要だと、少なくとも昌くんが判断していることなんだとも思う。
「……誰にも話さないよ。それに覚えてたとしても、その内容までは聞かない。ただ、覚えているのかどうか、だけは教えてほしい」
「……それを知って、昌くんはどうしたいの?」
「ぼくには少しだけ、鶴来の気持ちがわかるかもしれないから……佳苗の不満は、鶴来が何を考えているのかが分からないから。だとしたら、それを教えてあげることが出来れば、解消できるかもしれない」
できないかもしれないけれど、と補足を忘れずに、それでも昌くんは言う。
あくまで善意から。
それはたぶん、昌くんという子が優しいからだ。
そしてたぶん、それは晶くんのためでもある。
他人への善意だけではなく、きちんと自分の利益にもなっている。
だからそれは、信頼できるわけだ。
「…………。覚えてるよ。はっきりと、ではないけれど、大体は」
「そうか……。鶴来も、そうかな?」
「たぶんね。保護される前に、『覚えていない』ことにしよう、って。口裏合わせしてる」
「…………、」
すう、と目を細めて、昌くんはゆっくりと頷く。
得心した、そんな様子だ。
「そこでは、いろいろあったし……。そんなことを言っても信じてもらえないようなことも起きたし、それ以上に、誰にも言いたくないことが起きてるから」
「……そっか。なら……うん。鶴来の考えも、少しは見えてくるかな……状況は違っても、形で言えばぼくと同じ。ならば、ぼくと同じことを考えてもおかしくはない」
ん……?
なんか引っかかる。
「今から何年前になるのかな。ぼくたちが小学二年生になったころに、ぼくと坊がトラブルに遭ったことがあってね」
「トラブル……?」
「うん。内容は……ごめんね、ちょっと言えないや。ただまあ、その事件のせいで、坊もぼくも結構、苦労をしてる。そのころだよ、坊がぼくの家に部屋を持ったのは」
坊。
郁也くん。
……確かに、小二のころ、昌くんの家に部屋を貰った、みたいなことはちょっと前にも言ってたか。
あれほど広い家ならば一部屋くらいは余ってるだろうし、それを与えた。
僕はそう解釈したけど、実際はもっと切実な理由があった……、それも、トラブル、事件性のあるものが理由で、なのにそれは知られていない。
表向きは事件など起きていないことになっている、だけど実際には起きていること……かな?
「晶の血液型が珍しい話はしてるよね。当然、ぼくもそうなんだ。で……坊も、そうだ。そうなるといよいよ実は珍しくないんじゃないかと思うけれど、そうでもない。この国にはたったの十七人しかいない血液型だから輸血するのも大変で……自分の血を、こまめに保存する必要があるくらいには大変でね。手術なんてする日には、一年くらいかけて血を用意しておかなきゃならない」
うわあ。
いざという時はエクセリオン分ける感じだな、これは。
あれならどんな動物でも血の代わりとして使えるし、一応晶くんの血を錬金して作ったものと反応させて問題なく適合してるのも確認済みだし……。
本当に、いざという時になるけれど。
「だからこそ、ぼくたちがそのトラブルに巻き込まれたのは、致命的だったんだ。しかもそれの性質はあんまりにも悪くてね。表立って言えることじゃなかった。だから……、ぼくも、坊も、親類全ても、そのトラブルを『なかったことにする』選択肢を取った。トラブルに巻き込まれたことを知っている人がそもそも少なかったし、口封じも簡単だと踏んだわけだ。実際それはなされていて、ぼくがこのことを他人に話すのは、実は佳苗が初めてだったりする。佳苗も、内緒にしてね」
「それは、もちろん。……ていうか、僕がそれをしゃべっちゃえば、昌くんとしても僕たちが実は『覚えてる』ことをしゃべるだろうしね」
「うん。だからある意味、これは共犯かな」
おどけるように昌くんは言って。
そして、明確に一度言葉を区切ってから、昌くんはそれでも言葉をつづけた。
「切っ掛けは断定しかねるけど。佳苗を壊してしまうのが、怖いんだと思う」
きっとこれが鶴来が休んだ理由だよ、そう昌くんが教えてくれた言葉の全ては、理解できなかった。