103 - 秘密と共感
練習を終えて、練習の様子を録画したデータをその日のうちに先生から受け取り、僕はそのまま郁也くんと共に下校。
下校というか、郁也くんの家に直行である。
「正直に言えば」
「うん?」
「いや、こんな汗かいてる状態で遊びに行くというのも失礼かなって思って……」
「ああ。お父さんもお母さんも、というかじいやもばあやも含めてそんなのは気にする人じゃないから、気にしないでいいよ」
もちろん僕もね、と郁也くん。
ありがたいことだ。
そんなわけで郁也くんの家に「お邪魔します」、横では郁也くんが「ただいま」と言っている。
すぐに以前も見た『じいや』さんがきて、郁也くんに「おかえりなさいませ」とかしこまりつつタオルを手渡し、あらかじめ僕が来ることは伝えていたらしく、僕にもタオルを渡してくれた。
汗を拭けという事らしい。
実は気にしているのでは?
…………。
まあいいや。
「じいや。お父さんはどうしてる?」
「旦那様はダイニングでくつろいでいらっしゃいますよ」
「そ。どうする、佳苗。先に要件済ませちゃう?」
「そうさせてくれると、ありがたいかな」
「わかった。じいや、荷物ここに一度置くけど、触らないで置いといて。後でどうせ、ボクたち自身で運ぶから。ばあやにも伝えてね」
「かしこまりまして」
そんなことを言っている郁也くんに合わせる形で僕もタオルを返却してお辞儀をすると、じいやさんは笑みを浮かべた。
なんか見覚えがあるんだよな、この笑い方。誰だっけ。
「じゃあ佳苗、いったん荷物はそこにおいて、ついてきて。ダイニングに連れて行くから」
「うん。じゃあ、あらためて失礼します」
郁也くんに合わせて荷物を置いて、っと。
さて。
ご対面と行きますか。
「村社史也と言う。初めまして、ええと……」
「初めまして。渡来佳苗と申します」
…………。
郁也くんのお父さんは、なんというか、とてもダンディな、なのに若々しいという奇妙な印象の人だった。
若々しいとダンディが共存する印象というのは正直初めてなんだけど、実際に目にしてみるとううむ、どういう事なんだろう。
尚、髪の毛は僅かに茶色く見える。染めてるのかもしれない。
「いつも郁也くんにはお世話になっています。本当なら、なにか手土産の一つ持ってくるつもりだったんですけれど……」
「あはは、いやあ。そのような些事は気にしないでくれ。君ほどの歳でそのような気苦労をしていては先が持たんよ。いい心がけだとは思うがね」
その言葉には一切嫌味なども感じない。大体の性格は把握した……かな。
まあ、たぶん郁也くんが『友達』を連れてくることがレアケースで、それを喜んでいるから少し甘いとか、そういうあたりが実にありそうだけれど。
「それで、渡来くん。何か私に直接話したいことがある、と聞いているのだが。何かな?」
「はい。不躾ながら……。先日、郁也くんに招かれて、お部屋にお邪魔したのですが。その時、二階に飾ってあった水墨画が目に留まったんです」
「ああ、あの絵か」
「その絵、どなたが描いたものかご存知ですか?」
「もちろん。……だが、別に著名人という訳でもないし、なんでそのような事を聞くのかな?」
「なんだか、引っかかりまして……」
とりあえずこの人は、あの絵を描いたのが誰なのかは知っているようだ。
「あの絵はそもそも、私がお願いして描いてもらったものでね。なかなか気に入っている」
「水墨画のような絵、ですか」
「……ああ、その通り」
奇妙なニュアンスではあるけれど。
あれは水墨画ではなく――水墨画のような絵であるという点を、この人はあっさりと認めた。
そして少し探るような視線を僕に向けたかと思うと、
「郁也」
「なに?」
「キッチンの奥にチョコチップクッキーがあるから、お皿に出して持ってきなさい」
「うん。ついでだし佳苗、何か飲み物飲むなら言って。お茶でも紅茶でもコーヒーでもココアでも、なんならジュースもあるよ」
「えっと、じゃあ紅茶を……」
「わかった。お父さんは?」
「私は今ワインに見せかけてぶどうジュースを飲んでいるところだ」
「りょーかい」
そのグラスの中身、ワインじゃないんだ。ワイングラスに注がれてたからてっきりワインだと……っていうか、それって言っていいのだろうか?
と、思考が及んだところでしまった、と表情を歪める郁也くんのお父さん。
何この人。もしかしてうっかりさんか、この年齢で。
なんで僕の周りの大人はこうもうっかりさんが多いのだろう。担任の緒方先生と言い。
類は友を呼ぶ?
だとすると僕もうっかりさん?
いやそのようなことは……。
「さて、郁也が準備をするまでには少し時間がかかるし、キッチンには壁がある。ここでの会話はほぼ聞こえない……まあ、そうでなくても私が今のような事を言う時は、郁也に秘密で何かを話したいときの常套句だということを郁也自身も知っている。さて、その上で聞こうか。君はアレを何と見た?」
「それ自体は水墨画を模したもの、だと思います。ただ、墨にちょっと違うものも混ざってるだけで」
「根拠は」
「色の伸び方とかは別に詳しいわけじゃありませんし、特段検査をしたわけでもありません。ただ、実際に見たときは気になった。写真を送ってもらいましたけど、それを見ても正直何とも思いませんでした。だから直接見なければ分からないか、あるいは見て感じたのではないのではないかってところで……。ならば、混ざっているものに匂いか何かで気づいていたけど、写真越しでは匂いがかげないからわからなかった、とか、そのあたりかなとも思いまして」
「ずいぶんと突飛だな」
「子供なんてそんなものです」
「ふむ」
それもそうか、と郁也くんのお父さんは頷く。
んー。
なんか、真偽判定されてる気分だ。
しかも動作型の。
真偽判定に関しては魔法も錬金術も関係ないただの技術だから、地球で使える人がいてもおかしくはない。
「混ざってるものに何か、心当たりがあるという事かな」
「厳密に断定はできていませんけれど……。でも、僕が反応しうるものはそうそうありませんから。だから、その中にはありそうです」
「なるほど。で、それを確認して君はどうするね?」
「郁也くんがそのことを知っているのかどうか、にもよりますけれど……。勝手ながら、僕は郁也くんの友達でいたいと思っています。だからこそ、この家が何かを隠しているならば、それを僕が見つけてしまった時に、それを気づかれずに隠さなければ友情の危機になりかねません」
「それとなく隠し事をするというのも、なかなか難儀なことだよ。君にそれが出来るとでも? 『渡来佳苗』くん」
「警察に対して『何も覚えていない』とこの一か月ちょっと言い張り続け、多少の疑念はあってもそれを確固たるものにはさせていない。これじゃあ足りませんか?」
「…………」
僕と同世代どころか同年齢、しかも同じクラスに通っている息子を持った親御さんなのだ。
僕と洋輔の失踪事件のことは嫌というほど知っているだろう。
そして万が一、そう、万が一にでも郁也くんが同じような事件に巻き込まれないように努力をしているはずだ。
「君は捜査妨害をしているのかい?」
「そんなことはしませんよ。協力も可能な範囲でやってます。……でも。全部を言ってないというのも、本当ですけど」
「…………」
嘘はついていないなあ、と小さく小さくつぶやいて、郁也くんのお父さんはゆっくりと頷いた。
やっぱり真偽判定できるタイプの人だな……それが技術まで昇華されているのか、あるいは経験則とか勘とかで止まっているのかまでは断定しかねるけれど。
「いいだろう。ならば条件付きで秘密を教えてあげよう。条件は二つ」
「二つですか」
「うん。一つ、その秘密は絶対に秘密にすること。親も言っちゃいけないよ」
「親に言うつもりはもとよりありませんけど、一人だけ勘弁してほしい子がいますね」
「誰かな」
「鶴来洋輔。洋輔は、いわば僕と一心同体で一蓮托生なので、かなり頑張っても嘘がつけません。ただ、捜査に関しては洋輔も僕と『同じ』ですけどね」
「うわあ。怖いなあ、君たちみたいな子供がいるというのは。ふむ、まあいいだろう。二つ目の条件は、その秘密を知ったところで、郁也の友人をやめないという確約だ」
「……それだけでいいんですか?」
「うむ」
郁也くんのお父さんは目を細めて頷く。
てっきり僕は事件について探りを入れられるものだと思っていたのだけど……ふうん、そっちは別にいいってことか。
あるいは追々か、それともその秘密に関してを明かすことで探りを入れるつもりだろうか?
そこまで勘繰らなくても平気な奴かもしれないけど、念のため気合は入れておこう。
「わかりました」
「よろしい。ならば教えよう。あの水墨画のような絵、の墨に混ぜているものは血液だ。献血に用いることができないと言われ、破棄されそうになった希少な血液……ボンベイ型。それを混ぜている」
ああ、それで甘い感じの匂いがしたのか……。
だとしたら僕が反応したのはあそこに血が混ざっているから、そしてその血が珍しいからってところかな。
「なぜそのような事をしたのか、と聞かれると、これはまあ個人的な私の趣味でね。私は郁也たちとちがってだいぶ変人で、血というものが好きなのだよ」
「……僕も結構、好きだったりしますよ」
「ふうん? だがきっと、君のそれは私の物とは違うんじゃないかな」
「でもボンベイ型の血って、O型と比べても特に甘くていい匂いしません?」
「前言を撤回し訂正しよう。気に入った。どうだい、今日は夕飯も一緒に食べていくというのは。おいしい牛肉の煮込み料理を用意するよ」
あ、この人同類だ。
なんて確信をしたところで、郁也くんが帰ってくる。
「はい、佳苗。紅茶とクッキー」
「ありがとう、郁也くん」
「郁也。いいお友達を持ったな。渡来くん。さっきも言ったが、今日の夕飯は気が向いたらうちで食べて行っていいから、もしそうするならお家に連絡をしておきなさい。電話の場所は郁也に聞けばすぐにわかるだろう」
「はい。ありがたく、お借りします」
「……え、何? お父さんと佳苗、何か妙に仲が良くなってるって言うか、波長が合ってない?」
僕と郁也くんのお父さんは一度だけ顔を見合わせる。
お互いに探るような感じの表情で、向こうは『血の事は息子には伏せてほしい』的な感情が浮かんでいた。
「僕と郁也くんの話をしていたら、気に入ってもらえたみたい。ありがたいことにね」
「ふうん。……まあいいけれど、じゃあ先に電話しておく?」
「そうだね」
「こっちだよ」
『助かる』、という表情を見て、僕も『お互い様です』、と表情で答えておく。
表情で通じるのは便利だけど、いまだに法則性は不明。いい加減ちゃんと検証した方がいいかもしれない。
ともあれ電話を借りて、自宅に電話。
お母さんが出たので、今日の夕飯は郁也くんの家でご馳走してくれるそうだから食べてから帰ること、時間的には八時は過ぎそうだということなどを説明、していると、
「ああ。帰りは私が郁也と一緒に送るから、夜道も安心してほしい」
と、郁也くんのお父さん。
その旨も電話越しにお母さんに伝えると、お母さんは大分安心したようで、わかったわ、楽しんでいらっしゃい、と送り出してくれた。
いいお母さんだよなあ、本当に。今更言い直すまでもないけれど、こういう突発的なお出かけとかを心配はしても笑って送り出してくれることのありがたさ。
異世界に行って、地球に帰ってくるまでは思いもしなかったことだけれど。
子供は子供なりに大変だし、大人は大人なりに大変なのだ。
で、受話器を置いて、と。
「それじゃあ、佳苗。せっかくだし、貰ったデータ見ようか」
「そうだね。えっと、郁也くんのお父さん」
「うん。私のことは史也でいいよ」
「……じゃあ、史也さん。また後程」
「ああ、それで良い。郁也、何か困ったことがあったらいつも通りに言いなさい。じいややばあやを使っても構わないよ」
「そうするね」
郁也くんは頷き、お盆にティーカップやクッキーを乗せた状態で部屋を出ていく。
僕もその後ろをついて行って、荷物をついでに回収。
「郁也くんのも持っちゃうよ」
「ごめん。重いかも」
「いやあ、だいぶ軽いけれど」
「……佳苗って本当に力持ちだよね」
そりゃまあ、筋力強化してますし……なんて言えるわけもないけれど。まあ、そういうことだ。