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黒迄現在夢現  作者: 朝霞ちさめ
第五章 利益の天秤
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98 - 教育者と兄貴分

 明確な答えを出すことが出来ず、とはいえ晶くんについて全く何もしないわけにもいかないけれど現状では『明確には手を出せない』が回答となり、両親に送った猫の置物を犬の形にした犬の置物を錬金術で作って賢者の石によるゆっくりとした治療を行うことに。

 ……まあ、消極的ではあるけれど、何もしないよりかははるかに気分的にましだ。

 あるいは何もしない方がいいのかもしれないとは思うけれど、今、僕にできる最善はこれだったからやむを得ない。

 で、その日の夜七時四十分ごろ。

 ぴんぽん、と来客が。

 来客と言っても、突然の来客ではない。予め定められていた時間に、予定通りにやってきたのだ。

 迎えに出ると、そこに居たのは少し大きなカバンを肩から掛けた青年。

 香木原さんである。

「こんばんは、香木原(かぎはら)さん」

「こんばんは、佳苗くん。渡来さん、こんばんは」

「ええ、こんばんは」

 家庭教師の時間は八時から九時まで。

 とはいえ時間ぴったりに来て時間ぴったりに帰るわけもなく、だいたい七時四十分ごろに到着し、九時二十分ごろに帰る、形を取るんだとか。

 実質一時間四十分だ。

 まあ、途中休憩も入るかもしれないし、ちょっと後ろにずれる可能性はある。

 なのに一時間分しか授業料はかからないらしいから、微妙に割の合わない仕事なんじゃなかろうか、家庭教師。

 まあそれを言ったら塾講もそうなのかな?

 で、初回ということでまずはダイニングでお父さんとお母さんも交えて簡単に授業方針の確認から。

 僕が習うのは全教科だけど、一時間という時間に詰め込まなければならない。

 どう考えても無理だ。

 だからこそ、

「得意を伸ばすか、苦手を均すか。どちらかを、まずは決めていただきたいと」

 という香木原さんの問いかけは至極まっとうであり、

「苦手を均す……かな?」

「苦手を均す、ねえ」

「苦手を均す、だなあ」

 と僕たち親子が同時に口にしたのもまた至極まっとうな事である。

 さすがは親子。考えが完全に同調(シンクロ)している。

 まあ、香木原さんはちょっと面食らっているようだけれど、そもそも家庭教師による授業を僕が受ける理由を考えれば当然のことだ。

 つまり、他の子に追いつく。

 それなのに得意を伸ばしてどうするよ。

「わかりました。何が得意で何が苦手なのかを確認するためにも、今日は小テストをしたいと考えています、が。よろしいでしょうか」

「ええ。その辺りは先生にお任せします。私も夫も、勉強は人並みにできたけど、教えることに心得が無いので……」

「そうだな。息子をどうか、よろしく頼む」

「ふ、不束者ですが……はなんか違うよね?」

「うん。違う」

 お父さんがさらっと指摘。

「不届き者?」

「佳苗。ニュアンスが変よ」

「不真面目者……」

「不から離れなさい。というか、もっと素直な言葉で言えばいいだろう」

 お母さんにも指摘され、お父さんのアドバイスを受けて少し考える。

 ふむ。言葉を着飾っても仕方がないか。

「えっと、一生懸命かどうかはともかく、そこそこ頑張りますので、よろしくお願いします」

「うん。こちらこそ」

 というわけで、改めて香木原さんと握手。手が大きいな、この人。

 でも掌はずいぶんと柔らかい。体育系の人ではなさそうだ。体格は標準そのものだし、ごくごく普通に運動が面倒なタイプかな。

「さてと。それじゃ、僕の部屋に来てもらって、そこで授業かな」

「そうね。お茶はどうするの、佳苗」

「部屋にケトルも湯呑もあるよ」

「ならば大丈夫か」

 うん、と頷き、席を立つ。

 僕につられて、香木原さんも立ち上がり、改めて両親にお辞儀をしてから移動開始。

 僕の家は郁也くんや昌くんの家とは比べるべくもなく狭いので、すぐに到着。

 尚、椅子はカップとかと一緒に結局作ってしまった。いちいち運ぶのが面倒だし。

「椅子は、それを使ってもらってもいいですか」

「うん。ありがとう」

「お茶とコーヒー、紅茶があります。飲み物はどれが?」

「それじゃあ、紅茶かな?」

「はい。ミルクとお砂糖は? レモンは、ごめんなさい。今はないです。次回からは用意しておきますね」

「ああ、いや。お砂糖だけでいいよ」

 ふむ。

 電子ケトルにはあらかじめ水を注いであるので、スイッチをオン。

 すぐに沸騰するから、その間にティーポットに茶葉を入れて、ちゃんと手間をかけて紅茶を淹れる。

 尚、僕だけとか僕と洋輔の二人だけならば『ふぁん』の一瞬で終わる作業だけど、たまにはこうやって無駄に時間を使って遊んだりもしていたり。本当にどうでもいいことだけれど。

 そういえば洋輔、今日はカーテン閉めてるな。明かりはついてるから、部屋には居るっぽいけど。

 まあいいか。

「お待たせしました。えっと、先に説明しておきます。今学校で使ってる教科書は、この机の上の本棚にあるのが全部で、そっちの本棚に押しやってるのは小学校の頃のものです。ノートも六年の時のは残ってるかな。五年のは何冊か残ってると思いますけど、基本的には捨てちゃってるかと」

「ふむ。結構保管はしてるんだ」

「勉強が得意ってわけじゃないですからね。後から見直したりするのに、取っておく感じです。見てもいいですよ」

 なるほど、と頷いて、香木原さんが手に取ったのは今使っている社会科の教科書だった。

 何だろう。

「おや、これは……付箋?」

「ああ。剥がさないでくださいね。僕、教科書に線引くのが嫌いなんで、その代わりにどの辺が重要だぞ、みたいなのは付箋で記録してるんです」

「へえ。付箋の消費は激しそうだけど、いいかもね」

 よかった。

 ちなみに栞替わりにも使っていたりする。まあ、便利だしな、付箋。

「さてと。傾向にある程度あたりはついたけれど、一応、どの教科のどこが苦手なのかを調べるためにも、小テストを行うよ。国数英社理、全教科。今日はこれを全部やってもらって、採点をして、今後の方針を改めて相談して終わりの予定です」

「はい。じゃあ、……んー、机でいいのかな?」

「そうだね。着席してくれるかな」

 了解、と席に座って、淹れ終わった紅茶を差し出すと、入れ替わりに国語の小テストが渡された。

 手作りなのかな?

 手書きじゃないけど、パソコンかなにかで作った感じがする。

「だいたい、一教科に十分くらいを目安でやって行こう。遅れてもいいよ。早くてもいいしね」

「わかりました」

 机の上には小さな時計がある。これを目安にやればたぶん大丈夫だろうし、まあ、

 やれることは全部やる以上、時間的には逆の心配があるくらいかもしれない。

 それは負けず嫌い云々ではなく、それを学校でもしているからだ。

 じゃないと意味がないし。

「それじゃあ、筆記用具は」

「出してあります。シャーペンでいいですか? 鉛筆の方がいいなら、鉛筆出しますけど」

「シャーペンでいいよ。それじゃあ、早速始めてもらおうか」

「はあい」

 さて、切り替えて小テスト、国語編を開始。

 漢字の読み書きが五問ずつとちょっとした文章があって、その文章の読解問題が五問。

 文法に関する問題も五問ある。

 で、古典系の読解、読みと意訳も五問ずつ。

 思った以上に盛りだくさんだ。これで小テスト?

 学校で今度やる中間テストはもっと大変なんだろうなあ。うわあ、今からやる気が。

「終わりました」

「うん。うん?」

 というわけで全部目を通しながら答えを書いて、香木原さんに返却。

 字を書くのにはそこそこ時間がかかるので、都合二分ほどはかかったと思う。

「え? あれ、いつの間に答えかいたの……?」

「今ですけれど」

「だよねえ。……問題ちゃんと読んだ?」

「もちろんです。問題読まないと答え分かんないし……。あと、あらかじめ言っておきます。古典のほうは、自信が無いです。どうしても難しくて」

「……そう、そうかい。ふうむ。じゃあ、……見直しとかはしないでいいのかな? それとも、すぐに数学をやるかい?」

「次やりたいかな」

「わかった。じゃあ、これを」

 次に渡されたのは数学編。

 こっちは簡単な数式がたくさん載ってるくらいだ。

 マイナスの概念が入ってくるとはいえど、根本的なところはさほど問題ではない。

 絶対値や四則演算の順番やら、そのくらい?

 注意しながらさくさくっと回答。

 国語と違って基本的には書くのが数字と記号なので、一分ほどで終了。

「終わりました」

「……いや。いくらなんでも、早すぎないかい?」

「答えを出したら書きながら次の問題を読み始める、とか。よくやりません?」

「そんな器用な事、自分にはできないかな……」

 こればっかりは慣れだと思う。

 なんて感じで、国数英社理の五教科の小テストを終えるまでにかけた時間は十二分ほど。

 さすがに十分を切るのは難しそうだ。

 で、採点を目の前でしてもらうと、

「ふむ。やっぱり、古典が少し苦手そうかな。英語は単語さえ覚えれば……。社会科も、地理系統が少し怪しいと」

「やっぱり苦手が多いですね、僕」

「いや少ないからね?」

 あれ、そうなの?

「……もともと、君の家庭教師を受けるにあたって、お願いされたのは『他の子たちに追いつくため』だったんだけれど。これならばもう、追いついてるんじゃないかなあ。君は要領がいいんだろうね」

 あ、普通に褒められた。

 素直に嬉しい。

「それに数学的にはびっくりだ。まさか全問正解……いや、満点を取る子は時々いるそうだけれど、にしても一分で終わらせたのは君が初めてだろう」

「あはは……不正はしてませんよ?」

「わかってるよ」

 苦笑を浮かべて香木原さんは言う。

 その上で、じゃあ、と。

「今後の方針だけれど、苦手を均す、でいいんだよね。だとしたら、古典と英語、地理系統を重点的にやることになる。それ以外、数学と理科に現代文は補足程度かな。社会科に関してはちょっと様子見……だけど、暗記系は得意かな?」

「うーん。興味のあるものは結構覚えられるんですけど」

「なるほど。わかった、ならばこちらで少し手を考えてみよう。そしてもう一つ、決めたい方針があるんだが、いいかな」

「何ですか?」

「うん。自分は君の『教育者』であるべきかな、それとも『兄貴分』であるべきかな?」

 それって、地味に命題な気がする。

 幸か不幸か小テストを極めて迅速に終えていたから、考える時間はあった。

 兄貴分。高みよりもより親しみを感じるためには、こちらが必要だ。

 教育者。親しみよりもより高みを目指すためには、こちらが必要だ。

 その二つを両立させることも追々はできるかもしれない、だけれど今すぐに両立させることは難しい、らしい。

 確かにそうだよなあ。

 兄貴分と仲良しこよしでやればそれはきっと精神的には楽だろうけど、逆に言えば厳しい事の言えない間柄だ。

 冗談を交えつつゲーム感覚でいろいろなことは学べるかもしれないけど、真剣な勉強家と言われれば疑問符が付く。

 教育者となれば仲良しこよしとはいかず、精神的には窮屈になるけど、いっそ割り切る事ができるとも言える。

 要するに先生と生徒という間柄になるのだから、一時間という時間を授業の延長で考えていけるわけで。うーん。

 一長一短だよな。

 それに僕には兄弟がいない。あえてそれに近い存在を挙げろといわれればそれが洋輔になるんだろうけど、洋輔(あれ)は兄弟よりももっと深刻な何かだし結局はノーカン。

 だから、割と兄弟という存在に憧れている自分がいる。

 昌くんが晶くんにしていたみたいに……なんて、あんな良好な家庭はたぶんそうそうないんだろうけれど、家庭教師との関係でいうならば、少なくとも賃金が支払われている限りは表面上、良好に取り繕ってくれるだろう。

 お金で愛は買えなくても、お金で絆は取り繕えるのだ。

「決める前に、一つ聞きたいんですけど」

「何かな」

「香木原さんって実際のところ、家庭教師としてはどんな感じなんですか? えっと、テレビとかでコマーシャル出してるようなところの人? それとも、お母さんかお父さんが見つけて声をかけた人?」

「ああ、自分は君のお父さん、の知り合いの息子の大学生での友人だ。……まあ、ほぼ他人だけれど、接点があった。だから個人事業主みたいなものかな?」

 つまりいわゆる家庭教師派遣会社とは無関係、あくまで任意で善意の第三者みたいな感じか。

 ……バイト代は適正に支払われることを僕からもお願いしておこう。たぶん資料作りとか、小テストの作成とかにもお金かかってるし。

「じゃあ、兄貴分のほうで」

「ふむ。理由は?」

「そっちの方がお互いに負担少なさそうだし」

「……あはは」

 乾いた笑い声をあげつつ、香木原さんは頷いた。

 契約成立っと。

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