07 - らんでんナタリア
「これが、大道具の中でも特に小さいものだ。大きいやつは使う時しか動かさないことになってる。壊しちゃうと、OGの先輩呼ばないと治せねえことがあるから」
「中……に、これはLED照明が入ってるんですね。あ、電池式だ」
「うん」
現在僕と洋輔の前にあるその謎のオブジェは球体の何かである。
黒い球体、の内側に揺らめく光。青くなったり、赤くなったり。
結構きれいだ。なにで制御してるんだろう……プログラミングしてるのだとしたら、ちょっと困るな。
さすがに錬金術じゃあプログラミングはできないし。
「ちなみにこれは没になったネタで使う、かもしれなかったもので……公演名は、ロミオとジュリエット」
「ベタですね」
「王道あってこその別の道さ」
ふうむ。
「えっと、質問です。ロミオとジュリエットって、僕もあんまり詳しいわけじゃないんですけど、これ、どこでどう使うんですか?」
「さあ」
え?
「みちそー先輩、知ってます?」
「りーりん。私がそんなこと知ってると思う?」
「思いませんけど、らんでん先輩まだ来てないんで」
「それもそうねー。でも、らんでんも知らないんじゃないかな。だってそれ作った先輩、『作ったはいいけど何に使うんだろうこれ。ロミジュリのどこでどう使えばいいのかわからないわ。なんで作ったのかしら私……』って言ってたもの」
なるほど、特に何か物語的要請があって作ったのではなく、手なりで作ったらできちゃった、と。
なんか親近感が沸くな。時折遊びに来るみたいなこといってたし、そのOGな先輩ともいつかは挨拶をしたいものだ。
で、さりげなくらんでんって誰だ。
「あの、らんでん先輩って誰ですか?」
「三年三組、藍沢典人。略して『藍典』、だ。初めまして、新入生」
「あ、初めまして」
ふと気づいたら入り口に新しい人が――二人。
一人は名乗ってくれた。男子生徒、三年生。なるほど、らんでんって男の人だったのか。
愛称だとわかりにくいなあ。
「ああ、自己紹介はもうやった感じ? あたしが一番最後なのねー。いつもそう。まあいいや。私はナタリア。二年一組。よろしくね」
「よろしくお願いします。えっと、渡来佳苗です」
ナタリア?
また愛称だとは思うけど、なんだろう。なた、りあ? それともなたり、にあがついたのか。
「そっちの君は?」
「鶴来洋輔、です」
「そ。二人とも一年生……って、あの一年二人か。ふうん。二人とも入部希望なの?」
「いえ、僕だけです。洋輔にはちょっと、ついてきてもらったんですよね」
「へえ。なるほど」
だとしても嬉しいわ、と言って、ナタリア先輩はつかつかと近づいてくる。
……ん?
この人、眉毛が金色……?
「よろしくね、渡来佳苗くん。えーと、みちそー部長、この子の愛称は?」
「かーくん!」
「…………。それでいいのかしら? 一応みちそー部長、異議を申し立てれば何度でも名前付けてくれるわよ?」
「なんかよりひどくなるくらいならこれでいいかなって思いまして」
「賢明な判断だな」
らんでん先輩がため息をつきながら言った。
「ナタリア、ちゃんと自己紹介しておいた方がいいぞ。たぶん愛称だと思われてるから」
「ああ……そう、そうね。ごめんなさい。もう一度名乗るわね。あたしはナタリア・ニコラエヴナ・ウラノヴァよ。日本人の父親とロシア人の母親で、日露のハーフなんだけど、生まれも育ちも日本だから、ロシア語は全然わからないの。ごめんね?」
「いえ……ああ、なるほど。ハーフさんでしたか。道理で、なんか印象が違う訳だ……。きれいだもん。ね、洋輔」
「え? それ俺のふるのか?」
え、ダメ?
「いやダメじゃねえけど……。確かにきれいだよな。神秘的っていうか」
「お世辞だとしても嬉しいわね」
お世辞ではない。本当にそう思っているのだ、僕も洋輔も。
「……珍しいなー。ナタリアが対処に困ってる」
「普通の子はハーフってだけで距離置いちゃうか、そうでなくても幻想持っちゃうからねー。正直私もそうだったもん」
「おいみちそー部長」
「あ、今は大丈夫よ?」
「今もダメなら大問題でしかねえよ」
呆れたような視線で鹿倉先輩と藍沢先輩が皆方部長を見た。
なかなか複雑なヒエラルキーが形成されているようだ……。
「で、結局あなたたち何してたの?」
「ああ。かーくんは大道具とか小道具、衣装を作る専門で入りたいんですって!」
「へえ……物好きもいるもんねえ」
「だな。物好きってよく言われるだろ?」
「……そう、ですね。この一時間で四人から言われるとは思いませんでした」
「…………」
「……えっと、すまん」
「いえ」
妙な空気になりかけたので、大道具に手を伸ばして切り替える。
「ロミオとジュリエット……か。あらすじは何となく覚えてるんですけど、案外内容までは覚えてませんね」
「そんなものさ。名作って呼ばれるようなものは、『名前だけ知ってる』パターンが案外多い。ストーリーを説明してみろ、といわれると、これがなかなか出てこない……おれも演劇部に入ってやっと知ったくらいだし」
とは鹿倉先輩のフォロー。
うーむ。
……なんか、印象と実際が違うんだよなあ、この人たち。
部長の皆方先輩は、しっかり者、といった印象の女性に見えるけど、口を開けばものすごく天然。
鹿倉先輩は、なんとなく口調が荒いけど、全体的に気配り上手……なのかな。運動が得意そうだ。洋輔に似てる。
藍沢先輩は眼鏡のせいかクールに見えるんだけど、意外と棘があるような……勘ぐりすぎかな? でも勉強は得意そう。
ナタリア先輩はぱっと見た感じでは日本人だけど、よくよくみれば確かにハーフって感じ。遠目に見てもきれいな人だ。髪が黒いからそう見えるのかな?
「ちなみにあなた、ロミオとジュリエットはどんなストーリーって覚えてるの?」
「えっと、むかしむかしあるところに、ロミオとジュリエットという男性と女性が居ました」
「うん?」
「ロミオとジュリエットは戦争中のA国とB国の王子様と王女様で、二人はかなわぬ恋をしてしまいました」
「う、ん……?」
「『ああ、ロミオ! あなたはどうしてロミオなの!? あなたがロミオでなかったならば、私はあなたと恋結ばれていたのに!』的な叫びを突如ジュリエットがすると、…………、どうなるかな。どこで叫んだんだろう。王宮? だったらやっぱり敵国の王子様のことを突然叫んだんだし、内通疑われるよね……。てことは、そのまま内通の疑いでジュリエットが処刑されちゃうな。あれ? あ、でも悲劇だから別に死んでもおかしくないのか。うん。えっと、ジュリエットはそうしてスパイとして処刑されてしまいました。そのことを知ったロミオは、……あれ? いや、なんでそのことをロミオが知れるんだろう。ジュリエットの国としては貴重な情報源だもんな、ジュリエットが死んだことは徹底的に伏せて、偽物、架空のジュリエットを作ってロミオと情報交換する……? ロミオの愛が本物かどうかが試されようとしています。で、ロミオの愛は本物だった! ジュリエットが偽物であることに気づいたロミオは激昂し剣を抜きました。目の前にいるそれが偽物であると、ロミオはそう確信しています。だけど、剣を抜いて、振りかざしても、しかしロミオには切りかかることができなかった。それほどまでに偽物のジュリエットは似ていたんです。本物のジュリエットの面影を重ねてしまい、愛するジュリエットを、たとえ偽物だとしてもこの手で斬り殺すなんてことはできない。ロミオはそう言って剣を落とし、そのばに膝から崩れ落ちました。そんなロミオを見て、偽物のジュリエットは数秒ためらい、しかしロミオに近づくと、ロミオと視線を合わせるように膝をついて、ロミオを優しく抱きしめます。『私は確かに偽物です。だけれど、あなたの愛は本物なのです。私はとても、私の本物が羨ましい――』そういって偽物のジュリエットはさらに強くロミオを優しく抱きしめます。『ああ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの――私はどうして、ジュリエットなの。もし私が偽物でなかったならば、私はあなたに恋い焦がれていたのに!』そう叫び、ジュリエットはさらに強くさらに強くロミオを抱きしめました。『ロミオ。私の恋しいロミオ。ごめんなさい。私はあなたを愛したかった――』偽物のジュリエットはそう小さくつぶやきました。そんな偽物のジュリエットは、ロミオの首を締めあげる手を緩めます。すでにロミオはこと切れていました。その後地面に落ちた剣を拾うと、それでロミオが着ていた服の一部を切り裂き握りしめ、偽物のジュリエットは国へと帰還します。国に帰った偽物のジュリエットはロミオに正体がバレたこと、そしてその場で殺されかけたこと、そして反撃して殺したことを王たちに報告します。当然、王様たちはそんな偽物のジュリエットが生きて帰れる理由がないと疑いました。偽物のジュリエットはその疑いに自信が潔白であることを証明する術を持たず、握りしめたロミオの服の切れ端を心の支えにしつつも投獄されてしまいます。その翌日、ロミオの死が判明するとジュリエット側の国はその事実があったことを認め、しかし偽物のジュリエットの功績を認めるわけにはいきませんでした。それを認めてしまえば、国としてロミオを暗殺した事になってしまうからです。結局、偽物のジュリエットが牢獄から出されたのは、処刑されるその時です。偽物のジュリエットは握りしめたその服の欠片がよれよれになっても離すことはせずに、感傷にひたったまま死んでしまいます。来世はせめて、本物のジュリエットとして産まれたいと願いながら……」
「だいぶ違えよ。でもなんだろうな、それはそれでアリな気がするぜ……」
「かーくん。あなた、大道具小道具衣装と言わず脚本もやってみない?」
「あ、それは興味ないのでお断りします」
「そう……」
結構自身あったんだけど、どうやら外れたらしい。
家に帰ったらお母さんに聞いてみようかな。お母さんなら詳しいだろう。たぶん。
「ま、脚本についてはこれまで通り、りーりんに任せましょ」
え?
「鹿倉先輩が担当してるんですか? てっきり藍沢先輩か、ナタリア先輩かと……」
「ちょっと、私は?」
「皆方先輩は、なんか、違います」
「正直者だなあ……。心配になるくらいに。まあ、なんていうか。ぼくはあまり頭がよくないし、兼部組だからな。脚本には手が回らないのさ」
とは、藍沢先輩。
「ちなみにらんでんはサッカー部のレギュラーもやってるわ」
「……あー。どっかで見たことあるんだよなあ、どこだっけなあ、って思ってたら、サッカー部か……。俺、サッカー部も見てて」
「へえ。じゃあ、鶴来くんだっけ。君はサッカー部に?」
「今のところそのつもりです」
「ならばぼくとは何度か顔を合わせるんじゃないかな。よろしくね」
「こちらこそ」
洋輔もなし崩し的とはいえど、サッカー部に決めたようだ。
ま、この状況だもんな。
いまさらさっきのなし、とは言いにくいだろう。
もちろん、僕も演劇部でほぼ確定である。
「あの、皆さん。もしよかったら、演技を見せてもらってもいいですか?」
「部活紹介でやった演目でいいかな。本当はちゃんと、セットとか衣装も見せてあげたいんだけど、全部使うとなると体育館借りないといけないし……。だから、私たちの部活だけでできる練習版になるけれど、いい?」
「はい。僕も洋輔もそれを見れなかったので、嬉しいです」
演目は『眠り姫』。
グリム童話、絵本などで有名なあの眠り姫を、十分という時間に押し込めた作品で、四人があれこれと巧みな演技と話術で、見事にそれは表現されていた。
それは語りであったり、身振り手振りであったり、歌であったり、時間の使い方であったり。
衣装もセットも無しだったのに、僕はみごとに圧倒されてしまった。
これでちゃんと衣装とかセット、照明に音楽までつけたら……。
なるほど、演劇の大会で金賞というのは伊達じゃないらしい。
見終えて、僕と洋輔は自然と拍手を四人に送っていた。
二人っきりの貸し切り公演、そんな感じだ。すごい贈り物をしてもらった気がする。
「すっげえ……、一つ二つしか違わないのに、こんなに……」
「だよねえ。表現が丁寧で、上手で」
自然と出てきた感想を聞いて、先輩たちは少し照れながらも誇らしげにしている。
すごい人たちなんだなあ、と。
素直に思った。