-2 - つかれた、のかな?
余
韻章。
――すうう、と。
息を吸う――息を吐く。
じんじんと、全身が酷く傷む。
恐る恐る……目を開ける。
僕はベッドの上に横たわっていて、そんな僕を心配そうに見つめていたのは――
「おはよう、佳苗」
――果たして、お母さんだった。
「……おはよう」
目の下には隈ができていて、たぶん寝てないんだろうなあ。
「お母さん、ずっと起きてたの?」
「どうしても、心配で」
「心配してくれるのは素直に嬉しいけれど、お母さんもちゃんと寝てよね。僕が起きたとき、お母さんが突っ伏してたら僕はどうしていいのかわからないんだから」
「……そうね」
苦笑しつつ、しかしお母さんはナースコールを迷わずに押した。
はて?
「渡来です。佳苗が起きました」
『ありがとうございます。すぐに向かいます』
うん?
「起きたら呼ぶようにって言われてたのよ」
「なるほど」
ここは警察病院。
僕と僕の幼馴染で親友の鶴来洋輔は、四月七日、中学校の入学式から下校するその間に失踪――そして、僕たちが保護されたのはつい先日、四月二十日の事だった。
その間、僕たちがどこで何をしていたのか、それは僕も洋輔も覚えていない。
洋輔が血を流して倒れたこと、そしてそれにショックを受けて僕も倒れたのだということはわかるけど、その間のことがぽっかりと思い出せないのだ。
だからこの身体の傷がどうやってつけられたのかも、十三日間にわたってどこに拉致されていたのかも、そして誰に攫われたのかさえ分からない。
記憶の混乱は、事件に巻き込まれたことに対して、子供過ぎた僕と洋輔が防衛本能的な感じで引き起こしたのだろう……と、刑事さんは言っていた。
尚、僕も洋輔も、怪我の方は全治一か月。実際には三週間ほどで傷はふさがるだろうと、お医者さん。
…………。
うんまあ、実を言えば全部覚えてるんだけどね、僕も洋輔も。
ただ、それがあまりにも現実離れした体験だったから、口裏を合わせて『覚えてない』と言い張ることにしたというだけで。
うそ発見器とかにかけられたら一発でダウトされそうだけど、被害者をいきなりうそ発見器にかけるような警察でもあるまい。たぶん。
尚、その現実離れした体験は、僕にとっては白昼夢のような出来事で、洋輔に言わせれば黒夜夢のような出来事である。
具体的には野良猫によって異世界に飛ばされ、その異世界の人間として産まれてから十三年ほどを過ごし、僕は錬金術を主体に、洋輔は魔法を主体に習得して世界をどうにかしたら地球に帰ってこられた……というのが真相なんだけど、だれがどう信じるよ、これ。よくできた作り話だねで終わるよね。
まあ、魔法とか錬金術とか、その異世界で習得した技術がなんか地球でも使えるから、その辺りも見せれば信じてくれるかもしれないけど……なんかそれ以上にリスクが高い気がするので却下の方針で。
なんて無駄に振り返っていると、お医者さんが看護師さんたちと一緒に入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
うん、とお医者さんは頷き、さらに続けた。
「いくつか質問をします。答えてくださいね」
「はい」
「まず、あなたの自己紹介をしてください。そうだな、名前と年齢、誕生日を」
「渡来佳苗。十二歳。二月七日産まれです」
満足げにお医者さんは頷く。
「次に、お母さんの名前を教えてください」
「塁。お父さんは規純」
「うん。じゃあ、今日は何日かな?」
「カレンダーが正しいなら、四月二十二日のはずですけど」
「よろしい。じゃあ、ちょっと触診をするね」
あんまり傷は触らないでほしいなあ。
一通り診察が終わると、お母さんが器用にも椅子で寝ていた。
起こすのもなんかかわいそうだよな。ずっと起きててくれたわけだし……。
でもなー。結構暇なんだよなー。
なんて思っていると、とんとん、と扉がノックされた。
またお医者さん?
「はい? 誰?」
「佳苗。入っていいか?」
あ、この声。
「なんだ、洋輔か。いいよ」
「ん」
果たして、入ってきたのは洋輔である。
親友で幼馴染。
そんな仲だからこそ、声を聴けば一発でわかる感じだ。
ちなみにその洋輔は、僕よりも身長が十センチほど高いけど、髪の毛は僕よりも短め。
第一印象はいわゆる『男の子』って感じの男子で、運動が得意そうで勉強が苦手そうに見えて、実際その通りだからわかりやすい。
ちなみに身長が僕より十センチ高いといっても、僕が平均より十センチほど低いので、洋輔は特段背が高いわけではないのでより平均的な男子って感じなんだと思う。
運動がさほど得意ではない僕から見ると、ちょっとうらやましい奴だったりするんだよなあ。
で、そんな洋輔は今日も今日とて、からからと点滴がつるされたアレを転がしてきていた。
「って、お前のお母さん寝てるじゃん。悪いことしたな」
「いいよ。お母さん、一度寝ると蹴ったくらいじゃ起きないから」
「そうなのか?」
「うん。おかげで四回くらい、電車を終点まで乗り過ごしたことがある」
「…………」
「大変だったよ。帰るのが」
「……だろうな」
血は争えねえなあ、と洋輔は言った。
どういうことだろう?
「いや、どういうことだろう? みたいに不思議そうな表情をされてもな。お前も大概だろ。一度眠るとなかなか起きない」
「さすがに蹴られたら起きると思うけど……」
「いや起きなかったぞ」
「そっか」
「うん」
洋輔はそう言って、椅子は僕のお母さんが座っていたのであきらめて、ベッドに腰かけてきた。
ので、ガーゼの上から軽く小突いた。
「何故」
「いや、『何故』っていわれてもね。だってさっきの質問へのさっきの回答、つまり寝てる僕を蹴ったことあるってことでしょ?」
「ノーコメント」
「…………」
それは自白に等しいと思う。
……まあ、幼馴染の親友、しかも家が隣にあって、自分の部屋の窓からは相手の部屋の窓から中が丸見えだったりして、しかも距離もそんなに離れていないから、窓から窓に移ることも簡単なのだ。
実際そうやって、洋輔が窓から遊びに来ることが何度もあったし、これからもきっと何度もあるのだろう。危ないからやめてほしいんだけどね。
そして親友というのは何も僕と洋輔の間だけの話ではなく、いわゆる家族ぐるみの付き合いというやつである。
なので、どちらかの親が仕事とかお出かけでどうしても家を留守にするときとかは、もう片方の家にお泊り……なんてこともよくあるし、特に特別な日でなくとも流れでお泊りしたりされたりすることも多い。
回数が多いのだから事故的な感じで蹴られただけかもしれない。そういうことにしておこう。友情のためにも。
尚、窓から相手の部屋が丸見えになるというのは僕と洋輔が小五くらいの頃にさすがにプライバシーが無いのは問題かなという話になって、それ以来、カーテンを閉めているときは部屋を覗こうとしない事、みたいなルールが僕と洋輔の間で作られた。
結局のところ、僕も洋輔もカーテンを閉めることは滅多にないけど、皆無ではないから、やっぱり必要なルールだったんだと思う。
僕だってたまには一人になりたいときがあるのだ。
洋輔だってそれはそうなのだろう。たまによくわからない声が聞こえることがあるけど、たぶん半日かけて作ったものが匠に爆破リフォームされただとか、その辺りだろう。
僕は建築を滅多にしないからなあ。そもそもゾンビと戦うゲームなのに、何が悲しくて建築しなければならないのかと。
閑話休題。
「で、洋輔の方はどう?」
「んー。どうもこうも、怪我は怪我だしな。全治三週間くらいだろう、って」
僕と同じか。案の定だけど。
「そうだ。紙とペンもらったよ」
「へえ。俺も頼めば貰えるかな?」
「大丈夫じゃない?」
ベッド備え付けの、主にご飯を食べるときとかに使うらしい机を引っ張りよせて、すぐ横の棚からペンと紙を取り出すと、洋輔は興味深げにそれに視線を向けてきた。
ぼくはさらさら、と文字を書いてゆく。
『実際のところ、怪我はどうなの?』
と。そしてペンを洋輔に渡すと、
『痛いことは痛いぞ。痛覚はある程度抑えてるから、気にならないだけで』
と書いてきた。
いいな。さすがは魔導師か。使い勝手のいい魔法を覚えてやがる。その点、僕の魔法はつたないからそういう器用な真似はできないし、錬金術はそもそも隠れてやるのが難しいからな……。
そんな感じに僕が羨ましそうにみたからか、
『なんならお前にもかけようか?』
とのこと。ぜひお願いしたいと頷くと、洋輔は僕のこめかみのあたりに手を当ててきた。
その瞬間、身体から痛みがすっと引いてゆく……というか、痛いという感じが減っていく。
減っていくだけで、傷に変化はないようだ。
『痛みを抑える、って効果だけ。一応、抵抗すれば即座に解除できるから、血液検査とかされそうになったらやっといてくれ』
洋輔はそう書いて僕に見せると、ここまでの文字を塗りつぶすようにして芸術的なイラストを描き上げた。
何とも面妖な、羊と言い張れば羊と言えないこともない謎の生き物の絵である。
「うーん。洋輔さ。もうちょっとかわいいの描けない?」
「お前は男子に何を望んでるんだよ」
「それもそうか」
筆談に用いた言葉は、当然日本語ではないし、英語などでもない。
僕たちがいっていた異世界において使われていた言葉で、そちらで使われていた文字だ。
アルファベットに似てると言えば似てるけど別物だし、地球では暗号として使えそうである。
僕と洋輔以外には、理解できないだろうし。
「結局、俺もお前も、いつごろ退院できるんだろうな。まさか三週間ってことはねーだろうけど」
「僕も洋輔も、全身怪我してるけど、それだけだからね……感染症とかの確認はあるだろうから、その分だけ入院は必要かも?」
「あー」
血液検査の結果が出るのがいつかは知らないけど、まあ、ちょっとはかかるだろう。
それを考えると……まあ、お医者さんも二十四日が目安とか言ってたな。
「早いところ退院したいぜ。で、さっさと学校行きたい」
「本当にね。…………。一か月も出遅れると、かなりハンデになっちゃうし」
「全くだ」
はあ、と僕と洋輔のため息が重なった。
実際には退院してもすぐに復学とはいかないんだろうなあ。警察の人たちが話を聞きに来るだろうし、いろいろと確認もしないといけないし。
「制服とかどうするんだろ」
「さあ。俺たちが着てたのは、まあ、ぼろぼろになっちまったからな」
「うん……」
錬金術で作り直しちゃえば実は即座に直せるんだけど身もふたもないし、説明ができないもんなあ。
新しいものを買ってもらう、しかないか。
「鞄もどうなるんだろ。返してくれるのかな?」
「しょーこひんってやつだろ。そうそう返してくれねえと思うぜ」
それに、と洋輔はさらに続ける。
「写真見せてもらったんだけど、なんつーか、血で染まっちゃってて、使えるかどうか……」
「あー……」
クリーニングにも限度はあるよなあ、そりゃあ。
てことは一式買い替えか。
…………。
「……僕たちにできることは、あんまりないね」
「……だな」
バレない程度に、ちょっとずつ親を助けることができればいいんだけけれども。
ちくり、と。
なんだか奇妙な感覚が、心に残ったような気がした。