第8話 関西弁? いいえ、エセ関西弁です
師匠と初めて闘い、こてんぱんにやられた日から半年ほどが過ぎた。
あれから俺は強くなるために厳しい修行をしてきた。
とはいえ魔法を発現させられるようにしなければ何にも始まらなかったので、最初の頃はそれだけに集中していたため厳しいかはわからないが。
詠唱して成功した時の魔法の感覚を何度も思い返しては発現を試みたものの、全く上手くいかず失敗だけが積もり重なっていく。一日の半分以上を費やしてもただただ時間だけが空しく流れていく日々で、成功の兆しは一切見られなかった。
“詠唱破棄”は普通、魔法も碌に使ったことがない奴が簡単に出来るほど安い技術ではない。他者から認められるような高位の魔法使いですらその技術を持っているのは少なく、持っていたら持っていたらでそれはそれは素晴らしい賛美を受けるというくらいだ。
当然俺にとっても会得が困難であることに変わりはなく、実は天才でやってみたらすぐできたなんてこともなかった。
何でそんな無謀を冒してまで詠唱破棄の成功を目指すのかと問われれば、それはひとえに俺が正真正銘の魔法ド素人で成功の可能性が高かったからといえよう。
魔法を知らなければ使ったこともない。
それは裏を返せば常識に囚われていないということだ。
魔法がなく逆に科学が発展した世界の人間だからこそ、魔法の高等技術を使えるかもしれないという。何とまあ皮肉なものだ。
朝から晩まで失敗を繰り返す日々が一ヶ月を過ぎようかと思われたある日、俺は遂に詠唱破棄での“暖熱”を成功させた。
あれは感動したね。一ヶ月の苦労が報われた瞬間だった。
というか一ヶ月ってだけでも十分早い――いや、ありえない早さではあるのだが。
こうして詠唱破棄を簡単な魔法ではあるが実現させた俺は、段々と扱える魔法の幅を増やしていった。コツを掴んだ後の上達は早かったと思う。
そんなこんなで魔法の上達や師匠に色々教えを受けながら半年はあっという間に過ぎていき、森での生活にもだいぶ慣れてきた。
凶悪な魔物がうようよいるが既に俺一人で対処できている。
それに小屋の周囲には師匠が結界を張っているらしく、一定距離を離れなければ安全なのでもし危ないと思ったらその中に逃げればいいだけだ。
現在俺は件の結界を通りこの森唯一の安全地帯である小屋への家路を急いでいた。いつもより遅れてしまったのには、修行に夢中になっていて時間を忘れていたのもあるが理由はもう一つ。
「こりゃあ今夜は降るな〜」
上を見上げれば今にも落ちてきそうな鉛色の曇天の空。いつ雨に変わってもおかしくないくらいで、普段から見通しの悪い森の中を一層薄暗くしている。
雨に降られて余計な手間を掛けさせられる前に帰らないと。飯の準備もしなきゃいけないし。
今では当たり前になっている習慣に気づき苦笑しながらも、俺は足を速めた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
その日の夕食は昼間に狩ってきた兎型の魔物の肉と森で採ってきた野草を使った料理だ。
当初は魔物って食べられるのか?なんて思っていたが食べてみると案外いけた。
「食べられなくはないが進んで食べようとは思えないくらいに不味い」というのが一般の認識らしいが、実際は少し違う。
人々から忌避される肉を持つのは弱い魔物だけで、この世界の普通の動物の高級肉に勝るとも劣らない極上の肉を持つのが強い魔物になる。
もちろん希少価値は強い奴ほど高くなるため、必然庶民が食べられる魔物の肉は弱い奴の不味い肉になってしまう。それ故魔物の肉は不味いという認識が広まったのだろう。
この世界で生活する中で前の世界との優劣を感じる場面が多々あったが、この森で取れる肉は格別だ。前の世界の高級肉に匹敵するかあるいはそれ以上かもしれない――――そんな高い肉食べたことないが。
窓を見やれば予想通りの大雨。雫が地面に叩きつけられる音が、夜の森やこの静かな小屋に伝播している。
『バケツをひっくり返したような大雨』という表現は、まさにこういう光景に使われるのだろうと納得できるくらいの雨足に物珍しさを覚え、暫しの間ぼうっと眺める。
二人きりの食卓に響く声はない。カチャカチャと食器の奏でる音が雨音と混ざりあうだけだ。
特にこの静けさが気まずいわけではなかったが、ふとあることを思い出し口に出す。
「そういえば師匠、昼間どこ行ってたんですか? またどっか出掛けてましたよね」
「んー? んー、まあーね。ちょっとやることがあっただけ」
「……そすか」
訊いたはいいものの答えを期待した問いかけじゃなかったため、いつものことかと幾分割り切った心情が含まれた声色ではぐらかされた返答に応える。
師匠は俺に付きっきりで指南してはいない。どこかに出掛け家を留守にしている日は度々あるし、何日か帰ってこない時もあったりする。
何をしているのかは未だに教えてもらえてない。いつもさっきのような調子ではぐらかされる。
教える必要が無いというのならそれに甘んじよう。必要なら教えるはずだし、その時が来るまで無闇に問いただすこともないだろう。
ずっと続いてきた不毛な問答に最近そう思うようになってきた。
「まあそれはそうとして、修行を始めて半年ほどですが、俺って結構魔法扱えるようになりましたかね。つい先日クエルノベアーも斃したし」
「ん、いい線いってるんじゃない? 詠唱破棄もできてきたしね。
――――身体強化魔法使えるようになってからかしら、キョウヤが魔物倒せるようになってきたのは」
「あー確かにそうかもしれませんね、あの魔法があるの知ってからのやる気の満ち具合は我ながら凄いと思います」
「そうね、あれは引いた」
「っ……言わないでください」
自分から振った話に後悔した。
あれはちょっと舞い上がっちゃったとかテンション高くなっちゃったとか、そんな感じの一過性のものだ。でも仕方ない、やっと自分の力をモロに活かせる魔法だったんだから。
「でもこれだけで満足しちゃダメよ。今までは魔法を使えるようになるためだけに集中してきたけど、これからはまた違う――」
「…………? どうかしましたか、師匠?」
突然会話が不自然に切られ、不審に思った俺は食事を中断し師匠に視線を向ける。
師匠は目を眇め、横目で出入口の方を見ていた。
それが何を意味するのか理解する前に状況は変化した。
コンコン、と。
扉をノックする音が二人だけの小屋に響き渡った。
「…………人?」
こんな夜も遅い時に一体誰なんだろうか。……人……いやこんな危険なところに来るわけないか。……じゃあまさか魔物? でも……ノックをする魔物なんて聞いたこともない。
……………………。
今までこんなことはなかったため、どんどん心に不安が降り積もっていくのを感じる。
そんな心境から零れた呟きに応えるように、師匠が慎重に扉へ近づく。
ギシギシと木が軋む音が耳朶を震わせ緊張感を徐々に高めていく。
俺はどんなことがあってもいいように席を立ち、魔法を即座に使える準備をしておく。
扉の前に立ちゆっくりと取っ手を掴む。緊張がピークに達しようかという中、張り詰めた空気を破るかのように師匠は勢いよく扉を開け放った。
すると聞こえてきたのは何かがぶつかった音、それに次いで何かが倒れ込む音。
訝しく思った俺は音の正体を確かめるべく扉の先をそっと覗く。果たしてそこにはどんな魑魅魍魎がいるのか…………。
しかし想像に反して目に飛び込んできたのはただの人間、一人の男の姿だった。
その男は仰向けに倒れた格好で震えながら上体を必死に起き上がらせ、助けを求めるように手を伸ばす。
「これは……ひどない……?」
弱々しく情けない声を発すると体から力が抜け、がくりと意識を失ってしまった。
「「……………………」」
謎の訪問者のマヌケな醜態を前に、なんともいえない気持ちになったのは言うまでもなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「いや〜助かりました。お陰で命拾いしましたわ、ほんまありがとうございます」
朗らかな顔をしながら聞いたことのある方言臭い口調でお礼の言葉を述べるのは、先程師匠がフルスイングドアアタックを食らわせ気絶させた男。
大きく丸々と膨らんだバックパックを背負い込んでいたが、今は部屋の隅に置いてあり身軽になっている。体つきは筋肉質ではなく背も高くなければ低くもないよくいるような身長をしている。
よくこんな体であんなでかいものを背負えたなと思う。
パッと見でも商人をしているとわかる風貌だった。
顔立ちは至って平凡。雑踏の中にいればすぐに紛れてしまうだろうと思われるくらいの目立った特徴のない顔だ。あえて特徴を言うのならば糸のように細い目、それくらい。髪は俺と同じ黒色をしているだけで、奇抜な髪型をしているとかは当然のようにない。
THE・平凡。
それが俺が下したこの男の評価だった。
その男は現在床に座っており俺達二人――特に師匠――に懐疑的な目で見つめられていた。
床に直で座っている男と対照的に俺達は椅子に座っている。
床ってどうなのって思ったりしたがこんな夜に来るような人だ、きっと警戒しているのだろう。それでもさすがにこの対応は不憫に感じるが。
足を組み、憮然とした面持ちで睥睨していた師匠が遂に口を開く。
「説明しなさい」
色々と省かれた言葉だったが、商人風の男は即座に何を問われているのかを理解したようだ。ちらっと俺の方を見ると。
「えーそれでは自己紹介から始めさせていただきます。私バウドゆうもんでして、しがない行商人をやらせてもろてます。しっかしやらせてもろてんのはええんやけど、これが鳴かず飛ばずの毎日でしてなかなか商品が売れんのですわ。で、その状況をどーにかせんといかんと思てな? ちょ〜っと欲出してしもうて、珍しいもんが沢山あると言われとるこの森に近づいてしまいましてなぁ。案の定魔物に襲われつい森の中に逃げ込んだのが運の尽き、襲われては命からがら逃げ出してを繰り返して、ようやくここを見つけたんですわ」
大袈裟な身振り手振りを交えながら、ここまでの経緯を簡単に説明するバウドという名の行商人。
特に悪い人とは思えないが良い人というのもなんかちょっと違う。胡散臭さみたいな印象が言動から滲み出ているような気がする。
怪しい商品を売る訪問販売のセールスマン、という感じが一番しっくりくるかもしれない。
極めつけはそのエセ関西弁。それが他の要素と見事にマッチしていて胡散臭さをさらに増大させている。
「………………あっそ。あんたの事情はよくわかったわ。で? いつここから出てく気なの? 言っておくけど誰も助けるとは言ってないからね」
「え!? ちょっ待ってください! 助けてくれはったんじゃないんですか?」
「ないわね。ただ単に不審者を尋問するために入れただけよ」
「そんな〜。私怪しいもんじゃないです、信じてください〜」
えげつねェー。初対面の人に対してもこの態度かよ。何だろう、段々バウドさんが可哀想になってきたな。
「せ、せや! 助けてくれはったお礼に私の商品見てみいひんか? 欲しいもんあるかもしれないやないか!」
「…………どうします?」
「………………私、絶っ対買わないから。キョウヤ勝手に見れば?」
「――? じゃ、じゃあ見させてもらってもいいですか、バウドさん」
師匠の強情さに若干の違和感を感じつつも、それより今は、と振り返りバウドさんの苦し紛れの提案にとりあえず買わないでも見るだけくらいならと思い、それに乗る。
俺の返事にわかりやすく顔に喜色を浮かべ、「ほんまか!?」と言うとすぐさま持ってきた荷物の元へ向かって行った。
バウドさんが準備をしているのをぼうっと眺めながら、「何で関西弁?」とあの人の喋り方にふと疑問を覚える。
こっちにも方言があるのだろうか?
というかそもそもの問題、何で言葉が通じているのだろうか?
最初は色々ありすぎて気にしている余裕はなかったが、徐々に余裕を取り戻していくうちにその疑問について考えてきた。
そうして今まで幾度となく繰り返してきた思考が辿りついた結論は――
――わからないから諦めよう。
これだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆
床に敷かれた布の上に所狭しと陳列された商品を見て思う。
何だこれは、と。
今俺の目の前に並んでいるバウドさんの商品は妙、奇妙、珍妙と名の付くようなものばかりで俺から全ての言葉を奪っていた。
何かの魔物の手らしきもの、爪、牙などなど。あと目玉が見えた気がする。それによくわからない色をした謎の液体も数多くあり、品揃えはバッチリだ。
「えーでは最初にご紹介したいのはですね、これやっ!」
そう言って手に持ったのは掌より大きい真っ黒で円形のもの。
「……それは、何ですか……?」
「これはかの有名な邪竜の鱗なんですわ! 持っとるだけで力が漲るといわれ、武具の素材としても一級品の代物っちゅーめっちゃ珍しいもんなんですわ!」
「…………」
怪しいなー。すげー怪しいなー。
何が怪しいって、まず、しがない一商人がどうして邪竜の鱗なんて持っているのか。それにどうやって手に入れた?
有名になってるほどの邪竜なんだからとんでもない存在なのは間違いないはずだ。
この時点で本物かどうかはだいぶ怪しくなってきている。
初っ端からとんでもないもの出してきたこの商人は、俺の視線に乗せられた不信感に気づく様子もなく、ベラベラとセールストークを続けながら次々と商品を紹介していく。
「ほい、次はこれや! この水は聖水ゆうてな、ミリアス法国にあるソラン教の総本山である大聖堂から取れるっちゅー、どんな病気や怪我も一発で治せたり邪な存在にも効く万能アイテムなんやで! どや、凄いやろ!」
「へー、そーなんですかー。凄いですねー」
「せやろせやろ? ほんならこれ、欲しゅうなったんちゃうか!?」
ならないな。
「ちなみにお値段は?」
「そうやなー。――大金貨一枚でどうでしょ?」
「……えっと、俺お金の価値とかよくわかってなくて。それ高いんですか?」
「いえいえ! そんなことあるわけないやないですか。あの聖水ですよ? これはめっちゃお買い得ですわ! 二度とこんな値段では買えんと思いますよ? あっちなみにびた一文もまけません」
話だけ聞いてれば凄い効能を持つ水なんだろうけど、それも本当ならという話だ。それに大金貨という単語が不穏過ぎる。“大”なんて付いているんだからその下に金貨があるはずだが、金貨すっ飛ばしてるからなぁ。
あとまけてくれないのか。
ていうか、こっちにゃ買い物以前の問題があるんだよ。
「バウドさん、色々紹介してもらって悪いんですが、俺お金持ってないので買えないんですよ」
「ええっ!? ……そうですかぁ、そらぁ残念ですな。――でもっ!」
買えないと知るとこれまでの勢いが嘘のように意気消沈した――――と思ったらすぐさまさっと俺に近寄り、口元に手をあて師匠に聞かれないような声で商魂たくましい提案をした。
「お金持っとらんのなら…………坊ちゃんのお師匠様におねだりしたらええんとちゃう?」
「いや無理ですね。天地がひっくり返っても説得なんて不可能です。そもそも俺が要らないので」
即答した。
ここははっきりと断っておくべきだろう。こういう場合は明確に拒絶の意思を示した方が良いのだ。
拒否されたバウドさんは落胆した様子で「そっか〜」と悲しげなため息混じりの声で言うと、そのまま商品をしまい始めた。
「あっ、そうや。お師匠さんも今の見て欲しいもんあった?」
「ない」
見よ、これが商人に立ちはだかる絶壁の壁だ。難攻不落のこの壁を崩せる者は恐らくいないだろう。
取り付く島もないこの一瞬のやり取りに素直にそう思ったのだった。
バウドのエセ関西弁についてはただのキャラとしてもので、関西弁及び関西の方々を貶める意図はありませんことをご了承ください。