第18話 “助けに来たぜ”
個人的に一番好きな回になりました。
蒼然とした闇がその部屋に満ちていた。月明かりが窓際を照らし出し、部屋を目が慣れれば普通に行動できるくらいの明度にしている。
人影は一人。
静かに、されど迅速で丁寧に準備を進める。
準備……とは、誘拐されたルシア・アークライトを助け出すための準備だ。
床に置かれたバッグから必要な物を次々と取り出していく。
掌に乗るほどの大きさの方位磁針のような物。日本にいた頃を想起させるパリッとした印象を持たせるダークスーツ。薄暗闇の中で鈍く刀身を光らせる大量のナイフ、などなど。
今回の救出作戦において戦闘は必定。
向こうの戦力が未知数である以上、万全の装備を整えることこそ本作戦の遂行をより確実なものとする。
京鵺は自惚れている訳ではないが己の実力には自信がある。単独でルシアを助けることは彼にとって無謀ではなく、実力に見合った当然の責務と考える事柄であるのだ。
故に京鵺の瞳に不安、緊張などといった負の感情らしきものは微塵も見当たらず、あるのは絶対にルシアを救ってみせるという静かな決意と闘志のみ。
粛々と手を動かし装備を整えていく京鵺。
程なくして京鵺はその動きを止めた。
――準備完了。
今の京鵺の装いは一言で表すなら黒、そう言えるだろう。
白いワイシャツの上に漆黒のダークスーツ。首元にはこれまた黒いネクタイが付けられている。
異世界に来てからの二年半ほどで身長も以前にも増して伸び、比較的高身長を獲得した京鵺にとても似合っており、普段とは異なる大人びた雰囲気を与えていた。
これらの装備は旅の最中に出会ったグレイスの仲間に作ってもらった物である。
と言ってもこれは京鵺が希望した物ではない。
彼が異世界からの来訪者だと知り地球の服にはどんなデザインの服装があるのかと、京鵺がドン引きするくらいに食いついてきた変人にタジタジとしながらも話した中の一つがこれだったというだけである。
何故仕事着であるダークスーツを戦闘服に採用したのか、彼女曰く。
『なんかおもしろそうだから(笑)』
だそうだ。
しかしながらデザインの採用基準はテキトーであるものの、これらの服装は決して飾りではない。
素材までオリジナルと同様にするのは技術的に不可能だったため別の素材を代用。それ故に本来より動きやすくなり、さらには各々に魔法的な補助が組み込まれている。彼女の腕は超がつくほどの凄腕であるため、戦いに身を置く者にとっては垂涎物の一級品なのだ。
そんな訳でなんとなくコスプレ感がある(と思っている)この装いを素直に受け入れられない京鵺だったが、性能だけは良いので黙って着るほかない。
とはいえ本来仕事着として使う衣服。気を引き締めるという意味ではこれ以上ない効果を発揮していた。
次に京鵺はバッグから取り出していた方位磁針のような物を手に取った。
ルシアの居場所を特定するのに必要なそれに視線を落とす。
「………………よし」
◆◇◆◇◆◇◆◇
時は少し遡る。
左右に本校舎を挟んだ位置にある二つの建物――学生寮。
エストクル魔法学園の学生寮は男子寮と女子寮に分かれている。その片側、女子寮の部屋の一室に相部屋であるラウラとアリスが夕食を摂り終え、寛ぎの時間を過ごしていた。そろそろお風呂にでも入ろうかと思った矢先、不意に彼女達に来客を知らせるベルが鳴った。
「…………こんな時間に? 誰だろう」
アリスが疑問を口にする。
ベッドに寝っ転がっていたラウラは、黙って立ち上がると「行こ」と短くアリスを促した。
時間帯は既に夜。
そんな頃合に用があるのは一体どのような人物なのか。
ここ女子寮において、寮の外へ出ることを禁じる刻限まで恋人と語らいたいという男子生徒に呼び出しを受けることはままあるが、残念ながら二人にそんな羨ましいことができる相手はいない。基本的には女子寮は男子禁制であるので――その逆も然りである――彼女等を呼び出すというのは必然男子であることを意味している。そのことからラウラの脳裏に、最近知り合った転入生と以前にも増して交流が増えた二人の男子生徒の姿がよぎった。
男子が足を踏み入れられる唯一の場であるエントランスに向かうと、果たしてラウラの思い浮かべたうちの一人の姿が見えた。
「あれっ、キョウヤさん?」
「…………?」
思いもよらない人物に意表を突かれたアリス。
反対に予想していたため驚きはさほどであったラウラ。そしてその余裕は京鵺が醸し出している雰囲気がいつもと異質であることに気づかせた。
「悪い、こんな時間に呼び出して」
「いや、いい。それでどうしたの?」
申し訳なさそうに謝罪する京鵺。
それに構わないと首を振るラウラは、何の用向きで来たのか、その眠たげに半分瞼が下ろされた双眸で京鵺を見つめる。
「ルシアの部屋は知ってるか?」
「……? 知ってるけど」
「なら話は早い。悪いけどそこに行ってくれないか?」
意図の掴めない京鵺の不思議な依頼に首を傾げる。
「いいけど……たぶん、鍵かかってる」
「これを使ってくれ」
そう言われて手渡されたのは一つのカードだった。しかしラウラは勿論脇から覗いているアリスにも見慣れない物だ。
「……なにこれ?」
「マスターキーだ。鍵穴に押し当ててくれれば、中に組まれた術式が鍵を差し込まなくても勝手に開錠してくれる」
「……え……なんで京鵺さんがそんなものを?」
「あーちょっとしたおつかいかな。でもあんまり時間がなくてね、なるべく急いで欲しい」
「わかった。なにをすればいい?」
「アイツの部屋に行ってブレスレットを取って来てくれ。前にみんなで買い物した時に買ったやつだ。覚えてるか?」
「あっ、あの赤く光ってるのですよね?」
「ああ。きっとある筈なんだ」
「ん、すぐに行く。待ってて」
何故そんな物が必要なのか、こんな時間に何をするというのか、ルシアが今日欠席したことと関係あるのか。疑問は尽きなかったが、今は急いでいるという京鵺の言に従って素直に頷くと、ラウラはアリスに声を掛け、踵を返した。
かくしてアリスを伴ったラウラはルシアの部屋に駆け足で向かったのだった。
時折通る女生徒の胡乱な視線や怯えの混じった視線に晒されながらも、そんなもの眼中にないとばかりに堂々とエントランスでラウラとアリスを待つ京鵺。現況に危機感を募らせているが故に、その相貌は厳しさを湛えている。
普段近づき難い存在である京鵺をさらに近づき難くしてしまっているのは、状況が状況とはいえ、ある意味悲しい事実である。
と、ちらほらと遠巻きに窺う女生徒が増えて来たなと頭の片隅に感じ始めたその時、待ち望んでいた二つの人影が見えた。
急いで駆け寄って来たラウラとアリスに声を掛ける。
「面倒かけて悪いな。それで、あったか?」
「はあ、はあ……あの、あったはあったんですけど……」
呼吸を整えてから、言いづらそうに茶を濁すアリス。その視線はラウラの手に向けられている。
「……これ。……ゴミ箱に捨ててあった……」
感情が読み取りづらい無表情が常のラウラだが、この時だけはその心情を推し量ることは容易かった。
京鵺は黙って煌々と赤光を放つブレスレットを受け取る。
「……あの、何かあったんですか……?」
おずおずといった具合にそれが普通ではありえない場所にあった理由を尋ねる。
これを受けて困ったような笑みを湛える京鵺は、目を伏せて頬をポリポリと掻きながら答えた。
「……ちょっと、喧嘩しちゃってね……」
「今朝、火傷のこと、魔法に失敗したって言ってた」
「……済まない。嘘ついてた」
「……いや、いい。意味なく嘘ついたわけじゃないのは、なんとなく、わかる」
「詳しく聞かないのか?」
ラウラがムッとした顔をする。
「急いでるって言ってた。なら早く行く」
「そうですよ。喧嘩しちゃったのなら、謝ればいいんです。それで元通りです」
二人の言葉に京鵺は目を見張る。
詳しい事情を聞かなくてもこうして信じてくれている。知り合って間もないというのに無条件に自分の背を押してくれている。
それがどんなに難しいことか。
“魔人”と侮蔑され、煙たがられてきた京鵺にとって、こんなにも嬉しい無償の優しさはない。
そして、自らの口端が上がっていることに京鵺は気づいていなかった。
やはり来てよかった。
初めて京鵺はここ、エストクル魔法学園に来たことを素直に良いと実感できたのだった。
「ありがとう。絶対、仲直りしてルシアを連れてくるよ」
「うん」
「はいっ」
「じゃあ……また明日」
◆◇◆◇◆◇◆◇
手の内に収まっている方位磁針に似た道具。
これは特定の魔力の持ち主のいる方向を指し示す魔道具だ。
京鵺が学園に来た目的に必要になるのではと持ってきた代物だ。
この魔道具は対象の魔力を吸わせることで、対象を探し出すことができる。
と、非常に便利な物なのだが難点が一つ。
前述の通りこれを使用するには対象の魔力が必要になる。故に何らかの形で魔力が手元にないと起動できないのだ。
とまあ、あまり使い勝手が良いと言えない魔道具であるが、魔力さえあればこの王都くらいの範囲ならルシアの居場所の特定も可能なのだ。
だから彼女の魔力が入ったあのブレスレットを欲した。
ルシアが京鵺と交戦した後、部屋にブレスレットを捨てていったと考えるのは一種の賭けであったと言っていい。
ルシアが部屋に捨てず、どこか別の場所に捨てたかもしれない。
ルシアがブレスレットを身に付けたままであるかもしれない。
様々な憶測が脳裏をよぎる中、京鵺は自分が彼女に買ってあげたブレスレットを捨てていくくらい嫌悪されているという悲しい可能性に賭けたのだ。
そして京鵺は賭けに勝った。
京鵺は賭けの戦利品であるブレスレットを魔道具に近づける。
すると方向を指し示す針がぼうっと青白く発光し出した。次に指針はひとりでにその身を回転させ、とある一方向を指す。
その様子を確かめると、京鵺はブレスレットをスーツの内ポケットに仕舞い込む。次いで、月明かりが差し込む窓を開け放った。
魔法を発動。
目的地に最速で辿り着くために必要な魔法である。
躊躇なくベランダから飛ぶと、今もどこかで助けを求めている少女のために、京鵺は密かに行動を開始した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
何でこんなことになっちゃったんだろう……。
ルシアは口の中で小さく呟いた。
幾度繰り返されたとも知れぬその自問に未だ答えは出ず。
ただ静かに、己の破滅の時を待つのみであった。
今の自分の立場は非常に危うい。ルシアの今までの人生でここまで危機的な状況に直面したことは一度たりともなかった。
自身の暗澹たる未来を想像すると、一気に不安が押し寄せて来た。
「何とか上手くいきやしたね」
「ああ。オマケに超大物まで釣れたしな」
聞こえてきたのは自身に狼藉を働いた人攫い達の声。周囲に彼等の仲間が大勢居て、向けられた視線に顔を顰めた。
「おいおいそんな顔すんなよオジョーサマ。お前さんの未来はそりゃあもう輝かしいものになるんだぜ? お前さんはこれからこの国じゃないどこかで変態貴族の奴隷になるんだ。帝国にでもしようか? あそこはお手本のような奴隷の扱い方をしてくれるからな」
「――――!」
「そんな怖い目すんなよ。むしろ感謝してほしいぜ。馬鹿な同業者だったら、お前さんのように容姿がイイ奴は商品として売っぱらっちまう前に犯されちまうモンなんだから。まっ、俺達は商品の値が下がるからやんねえけどな!」
場が哄笑に包まれる。
下卑た視線や嗜虐的な笑みがルシアに向けられ、おぞましさで総毛立った。
ルシアは現在囚われの身となっている。
後ろ手に縛られ無造作に転がされた体。注意深くルシアの首を見れば、そこには魔法の行使を封じる奴隷用の首輪が嵌められているのが確認できた。
自由に体を動かすことは叶わない。可能なのは身じろぎしたり転がったりする程度。脱出なんてのはもってのほかだった。
彼等の目的は連れてこられた時に聞かされていた。
何でもルシアが持つペンダントが狙いのようだった。ところが当初の予定が狂い、紆余曲折ののちにルシア自身もペンダントごと奪う算段になったらしい。
色々な要素がいくつも組み合わさり自分は攫われてしまったのだろう、というのがルシアの思考の末の結論だった。
けれど。
こんなにも事態を重くしたのは自分の軽率な行動が全ての原因なのでは、とも思っているのだ。
あの時、ペンダントを取り戻してすぐに家に帰ろうとしなければ。
そもそもペンダントを盗取されなければ。
自分は攫われなかったかもしれない。
だがしかし、再三過去を振り返ってあの時どうするべきだったと悩み悔やんでも、その思考の帰するところは虚しい仮定にすぎないのだ。
自業自得。
そんな言葉がルシアの頭に浮かんだ。
大切な母の形見を盗まれ、その奪回だけに気を取られて不用意に夜間の外出を敢行した。しかもペンダントの捜索を命じた家の者にも(幾人かを除いて)内緒で。挙句の果てにはペンダントを取り返してくれたらしい少年に犯人と思しき者の特徴と合致していたというだけで糾弾し襲いかかった。
最悪だ。
最低だ。
自分が心底嫌になる。
いくら余裕を失い、気が急いていたとはいえ、情報の精査もしないうちに犯人と決めつけるのは馬鹿らしいくらいに早計な行いであった。
自己嫌悪に陥る少女の頭に、黒髪黒眼の少年の姿が思い起こされる。
第一印象は最悪だった。
貴族である自分にいきなり暴言とも取れる言葉をを吐いたり、“四峰”の家々に連なる自分を何もできない怯懦な少女のように扱う彼の言動に、まるで良い気分はしなかった。
それでも少しずつ京鵺と接していくうちにそんな印象も薄れていった。
なのに、ルシアは自らこの関係をぶち壊した。
壊して、しまったのだ。
もう取り返せない。
自分はもうすぐ奴隷として売られてしまう。
だから京鵺にもう一度会うことも、謝ることも、学園で一緒に過ごすこともできない。
全て…………遅すぎたのだ。
目をギュッと瞑り、目の奥から溢れ出してきそうなモノを必死に抑える。
「お前ら、そろそろコイツを運び出すぞ」
無情な宣告がルシアの耳に届く。救いはなかった。
破滅の足音は、もうすぐそこまで迫って来ていた。
自分の人生はこんな奴等によって踏みにじられてしまうのかと思うと、やるせない気持ちでいっぱいになる。ルシアを運び出そうとする手が触れると、恐怖と悔恨と諦念がいっぺんにルシアの胸に去来した。
ルシアの前には人として扱われない奴隷の道しかないのだ。いろいろな感情が綯い交ぜになり、どうしようもなく身体が震えた。
ルシア・アークライトはここで終わるのだろう。
こんな後悔に塗れた結末を迎え、後は希望の欠けらも無い余生を過ごしていく。
(でも……)
最後の瞬間。
(それでも……)
少女は儚き願いを希う。
(叶うことなら…………もういちど――)
――会いたい。
突如大音が雷鳴の如く轟いた。
耳を聾する破壊音に倉庫の中にいた誰も彼もが音の発生源へと振り向く。
「見つけた」
大音の後の奇妙な静寂を、聞き覚えのある声が伝播する。
伏せた状態で見上げているルシアの紅眼がいる筈のない人物を映し出した。
「――な……なんで……?」
ルシアの目が驚愕に見開かれる。
こぼれた呟きは小さなものだったが、それはしっかりと少年に届いたようだ。少年は微かに笑みを浮かべた。
「決まってんだろ」
黒眼と紅眼が結ばれる。
「助けに来たぜ――――ルシア」
涙が落ちる、音がした。
ピンチに陥っている女の子を助けに来る主人公。
こういうのベタだと思うかも知れませんが、私が小説を書きたいと思った当初、いつかやりたいと思ったシーンの一つだったのです。
だからこそ手が抜けず、ルシアの話のところは4回ほど書き直したりもしました。難産でした。
自分が納得できるものを、という思いが強く出た回だったと感じております。
これを糧にこれからも頑張っていきます。
やっぱピンチに駆けつけるヒーロー、良いですね……




