第8話 模擬戦
校内に終業を知らせるベルが鳴り響いた。
どこにあるか分からないものの、時計塔が学園の敷地内にあるらしい。
次の授業までの休み時間に教室から出る。デルフィーヌが来て起こる面倒を避けるためだ。
そして人目のつかないところに行って、ルシアにさっきの話の続きを聞かせてもらったところ、デルフィーヌという生徒はどうやらかなりのご身分とのこと。
ルシアの話を要約するとこんな感じだ。
デルフィーヌ・ストランド。
エストクル王国の貴族で、ストランド家の爵位は公爵。この国の貴族の最高位にあたる。
嫡男である兄と妹が一人ずついて、彼女自身はストランド家の長女だ。
幼少時から魔法における類稀なる才能を発揮し、『2』系統魔法の中でも特に水属性に秀でる。
彼女の水属性の適性は卓越しており、他の追随を許さないほどらしい。
それほどまでに突出した能力の所以は一体何か。それは彼女の家――血筋にある。
ストランド家の水属性適性の高さは、国内のみならず他国と比べても遜色ない。さらにはデルフィーヌ自身の才能も相まって、ストランド家内でもかなりの実力者として認知されているらしい。
ストランド家……どこかで聞いたことがあると思ったら、そういえばあの“四峰”の一家だったか。
性格に多少難はありそうだが、それを除けば非常に優秀な魔法使いであり、貴族としての評価もストランド家の長女として恥ずかしくないものだそうだ。
――そう口にしていたルシアは苦々しげな表情を浮かべていたが。
好意的には思っていないものの、デルフィーヌの能力を認めている証拠だろう。
デルフィーヌという人間についてあらかた知れたところで、一つ問題がある。
「デルフィーヌが旧貴族的な考え方の持ち主であるということか」
旧貴族的な考えとは、端的に言ってしまえば、身分の下のものを見下す差別意識のことだ。
いつの時代でもどこの世界でもこういうものは存在するのだ。
「あいつの場合はもっと質悪いわよ」
「何となく察しがつくけど、聞いても?」
「……まあさっきの態度でデルフィーヌがどういう人間かわかるわよね。
――デルフィーヌの蔑視の対象は平民だけに留まらず、人間と同等の種族と認められている獣人も例外じゃないわ」
「え? 獣人もか?」
「ええ、あいつは人間主義者でもあるから。基本的に人間以外の種族を低く見ているのよ。あまつさえ獣人のことを“亜人”なんて呼んでるし、比較的差別を受けていないエルフでさえもあまり良く思ってないみたい」
それは……随分と深いところまで行ってるな。
エルフは日本における認識と同じように、美男美女が揃う長命の種族だ。
そんな彼らすらも差別の対象とするデルフィーヌの差別意識の高さは、普通の旧貴族の中でも群を抜いているのではないだろうか。
これは思っていた以上にここでの生活に苦労しそうだ。
「それに……その…………っ、魔――」
「“魔人”だろ?」
「っ!」
急に歯切れが悪くなったルシアの不自然に、俺はその先に何を言おうとしているのかすぐに察せられた。その言葉を発することに酷く抵抗があるように感じられ、その様子を嬉しく思う。
だからこそ、彼女の口から言わせてはいけないと思った。
「大丈夫だ、そんなに気にすることじゃない。もう慣れてる」
「でも……あいつはきっとまた言うわ。もしかしたら口だけで終わらないかもしれない……」
不安で揺れ動く紅い瞳を下に向け悄然としている。
……本当に、貴族らしくない。
「ルシアは優しいな」
「え?」
俯いていた顔を上げ、きょとんとするルシア。
何を言われたかわからないといった様子だ。
「他人に、しかも昨日会ったばかりの奴にこんなにも親身になってくれるんだ。それはすごく嬉しい」
「えっ!? あっ、えっと、別にそんなことないわよっ?」
慌てた様子で手を振り否定しているが、それは気恥しいからなのだろう。ルシアはどこか見栄を張っているところがあると思うから。
「取り繕わなくったっていいさ。ルシアは人を思いやる優しい心を持ってる。
――でもさ、だからこそ」
そこで一旦言葉を切る。
ルシアと目を合わせて静かに、はっきりと告げる。
「俺と関わらない方がいい」
「――――」
宣告された拒絶の言葉。
唐突過ぎる俺の物言いにルシアは言葉を失っていた。
俺はその脇をただ前だけを向いて通り抜けた。
ルシアと目を合わせることなく、次の授業が待つ教室へと歩みを進める。
「…………悪いな」
薄暗い廊下に、小さく微かな贖いの声は、誰にも伝わることなく霧散していった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
その日の午後、問題が起きた。
問題……いや、厄介事と言ってもいいかもしれない。
座学は午前中、午後は魔法の実習がメイン。
そんなカリキュラムに則って俺達のクラスは広大な学園の敷地の一画、屋外魔法修錬場に来ていた。
魔法を扱う場として不自由のないよう、周囲には障害となるものは何一つなく、且つ十分な広さを誇っている。
そんな動き回るには丁度いい場所に俺は数多の視線に晒されながら立っていた。
相対するは今日一日嫌味や侮蔑を向けてきたストランド家の長女、デルフィーヌ。
薔薇の棘のように鋭く尖った印象を相手に与えながらも整った相貌は、今は弱者をいたぶる愉悦によって色を変えていた。
周囲には俺達を固唾を呑んで見守るクラスメイト、デルフィーヌに声援を投げかけている取り巻き達がいた。
勿論彼等の中にルシアもいた。
事の始まりは俺の在籍するクラスを受け持つ教官が、魔法実習で模擬戦を行うと発言したところからだ。
元々将来に軍の魔法師団に入団を希望する者、冒険者になる者などが多い学園だ。実戦を見据えてこうした模擬戦はよく行われるらしい。
ただ今日に限っては俺の実力を知ろうとする教官の意図が含まれるようだが。
学園側の人間も全員が全員、学園長の意向に納得した訳ではないということだ。ただ表向きに反対しなかっただけで。
ならば納得させる必要があるだろう。無論教師だけでなく、こちらを窺っているクラスメイト達にも。
とはいえ今のこの模擬戦の構図が教官の企図した結果、というのは間違いだ。あくまで模擬戦を行うと言っただけ。わざわざ“四峰”であるデルフィーヌと戦わせるなんて思っていなかったのだろう。教官の目を見れば、転入生に対する憂心が滲み出ていた。
俺と“四峰”が戦うなんて状況をお膳立てしたのは他でもない、デルフィーヌ自身だ。
俺の飄々とした受け答えに業を煮やしたのだろう、模擬戦をやるとわかった途端にこの勝負を叩きつけてきたのだ。
“四峰”であることに裏打ちされた圧倒的な自信がこの勝負を成り立たせた。
難関ということで有名なエストクル魔法学園の転入試験。それを突破した転入生はそれ相当の実力を持っていると、この学園に在籍している者なら自ずとわかる。
それ故に普通の学生なら俺に模擬戦をけしかける前に躊躇する筈だ。相手の力量がどれほどのものなのかわからないのだから、当然だ。
だがデルフィーヌにはそれがなかった。
デルフィーヌに流れる血による才。
デルフィーヌ個人が持つ天賦の才。
それら二つによって引き伸ばされた能力は恐らく、一介の生徒の枠を超えている。
飛び抜けた実力を持つが故に負けることなど一抹も考えていない。
たかが学園の模擬戦と侮れば手痛い目に遭うのは必至。
「一応訊く。どうしてこんな勝負を持ち掛けた?」
十五メートルほど離れた位置に立っているデルフィーヌに、この勝負の真意を問う。
それを受けてデルフィーヌは傍から見ればホッと息をつかずにはいられない悪魔的な微笑を湛えた。その笑みを一身に受けた俺には文字通り悪魔的に見えたが。
「簡単な理由ですのよ。難関であるこの学園の転入試験を突破した貴方の実力をこの身で感じてみたいと思ったからですわ」
「随分と買っているようで。とはいえ、俺が“四峰”の人間のお眼鏡にかなうかどうかわからないけどな」
「フフッ、それはやってみてからのお楽しみにしましょう」
猫被りの上手いお嬢様だ。
教官が見ている手前、迂闊に態度には出せないという訳か。
模擬戦のルールは簡単だ。
・相手を死なせるような危険な魔法は禁止。
・周囲を巻き込まないよう注意する。
・教官が戦闘続行不可能と判断した場合、もしくはこれ以上は危険であると判断した場合、模擬戦終了となる。
至極単純である。
相手を死なせるような魔法の禁止は当たり前なのだが、それは裏を返せば多少の怪我なら許容するという意味を含んでいる。
これは学園に日本の学校における保健の先生と同じ役割を果たす呪属性を使える魔法使いがいるために、このように怪我に関して曖昧なルールなのだろう。
さて、相手はこの国において随一の水属性適性を持つストランド家のご令嬢だ。
この学園は貴族や平民は平等であると謳っているため、俺が勝ったからといって実家の権力が振るわれる心配はないが、相手の力量を知らないのは俺も同じだ。
しかし負けるつもりはない。
勝ったからデルフィーヌの俺への態度が変わるなどとは思っていないが、学園長との約束もある。
“……私はね、期待しているんだ。君のような体質の持ち主でもここまでやれるんだって”
“打ち壊してくれ、偏見を。皆がキョウヤ君を認めれば……きっと変わる筈だ”
これから皆は俺の体質のことを知るだろう。
魔法使いとして致命的な欠点を知るだろう。
それがどのような結果になるかわからない。
外側だけでなく内側も差別の対象だと知ったら、もしかしたら今より居心地が悪くなるかもしれない。
それもいいかもしれない――そう思ってしまうのは俺がおかしいからだろうか。
俺に関わる人がいなくなる。それはとてもいいことだ。
それなのに、何故かどこかの誰かに悪い気がした。
――――……勝とうか。
あとのことは後で考えればいい。今、余計な気持ちは必要ない。
「お手柔らかに頼むよ」
「ええ、勿論」
俺達は互いの視線を交差させ、高まる緊張感の中、勢いある教官の合図とともに戦いの火蓋が切って落とされた。
「ふっ!」
最初に動き出したのは当然俺。
俺に遠距離魔法は使えない。従って接近戦に持ち込むしか勝利に繋がらない。
ただ俺のこの戦い方は魔法使いとしては異端だ。
普通は最初に牽制として長距離の魔法を使う。
つまり、定石を無視した俺の戦闘スタイルは――。
「!? 一体何を!」
初見の相手に限り、動揺を誘う一手となる。
しかし俺はただデルフィーヌに向かって走っているだけ。
まだ何もしていない。
意表を突かれたデルフィーヌだったが、流石は“四峰”。すぐに動揺を消すと、魔法の基本である詠唱を開始する。
「“流れ出でよ、高貴なる水聖”」
詠唱による魔法発現までに掛かる時間は、戦闘において時には致命的なものになる。
デルフィーヌは最初に驚愕の声を上げたことで、詠唱までに本来よりも僅かに時間が掛かった筈だ。
そこを突――。
「“水弾”」
思考を遮った詠唱の最後の節を指し示す魔法名の呼名。
無数の水製の弾丸がデルフィーヌの周囲に顕現する。
「チィ! 簡約詠唱か!」
俺は予期せぬデルフィーヌの簡約詠唱の完成度に驚嘆しつつも、走る速度を緩めはしなかった。
ただし、作戦の変更を余儀なくされた。
「さあ、この魔法を前に貴方はどうするのかしら」
「こうするっ!」
余裕の笑みを浮かべるデルフィーヌが水弾を撃ち込んでくる。迫り来る弾丸のひとつひとつは、生身で食らえば容赦なく人一人吹っ飛ばせるほどの威力。
けれど当たらなければそれ等は意味を為さない。どれほどの攻撃力だろうが関係ない。
対処は容易。
それを成すためには。
「“身体強化”」
人間の身体能力を底上げする魔法。
俺にとっては息をするように発現できる魔法だ。
なにせ俺の戦いの基幹となるものだから。
そして俺はデルフィーヌの前から――。
「消えたっ!?」
否、格段に上がった脚力を使いデルフィーヌの背後へと回ったのだ。
「えっ今詠唱したかっ?」
「した……と思うけど魔法名しか唱えてない……」
「なんだあの速さ!」
「消えたように見えたぞ……」
初めに純粋な脚力だけの速度。次いで身体強化による速度への急な転換。
これら二つによって生み出された差は、相手に俺が消えたように錯覚させる。
クラスメイト達の驚愕の声を聞き流しながら、突然消えたように見えた俺を探すデルフィーヌに好機と捉え疾走する。
「っ、後ろっ!?」
背後にいる俺の気配に気づいたのか、バッと振り返り焦りの表情を見せるデルフィーヌ。既にそこに余裕の色はない。
振り向いた時、俺はもうデルフィーヌのすぐ後ろにいた。
この近距離では『水弾』を打ち込みにくいだろう。誰だって自らの魔法に巻き込まれるなんて恥をかきたくない。このお嬢様は見るからにプライドが高そうだし。ルシアといい勝負かもしれん。
「残念だったな。これで終わりだ」
そう言うと、俺はデルフィーヌの足を払い転倒させる。
仰向けに倒れ込みガラ空きになった首元にちょんと指先を触れ、審判を務めている教官に目で合図を送る。
「――模擬戦終了! 勝者、キョウヤ・ハザマ!」
予想外の結末を告げた声に、どよめきがクラスメイトに広がった。




