第3話 シルヴェスター・ギルグッド
硬い石畳の上に身を投げ出しているのは、俺の財布を盗んだスリ師。ぐったりとしていて意識を失っている。
そんな様子を俺は無感情に眺めていた。
……別に無抵抗のヤツをぶっ飛ばした訳じゃない。
気が動転していたようで、俺の財布を持ったまま逃げ出したこいつを捕まえようと目の前に回り込んだら、ナイフを取り出して俺に突っ込んできたんだ。完全なる正当防衛。俺に非はない。
「ふぅ〜終わった終わった。折角の王都だってんのにとんだトラブルに巻き込まれたもんだ。こんなことじゃいつまで経っても学園に行ける気がしねぇよ。…………もう寄り道しないでさっさと行けってか」
元々は寄り道をしていた時にスられたんだ。真っ直ぐ向かってりゃこんな面倒なことにはならなかったのかもしれない。
だが串焼きは美味かった。後悔はしてない。
スリ師の懐をゴソゴソと探り自分の財布を取り出すと、俺は気持ちも新たに学園を目指した。
◆◆◆◆◆◆◆◆
ドンッという効果音が付きそうな威風堂々とした巨大な門。眼前に広がるそれは、見る者全てを感嘆させる複雑な紋様や装飾が施されており、もはや芸術品の域にまで達している。
その奥に見えるのは横に長いこれまた立派な建造物。三階建てで至る所に等間隔で取り付けられている窓の配置は、計算された美しさを感じ取ることができる。
正門と建物。その二つが合わさった光景は壮観以外の何物でもないだろう。
「……こりゃあ……すげえな……」
今まで見たことの無い外観に言葉を失う。
俺が今いるのはエストクル魔法学園正門前。
たった今、露店の店主に教えてもらった道を辿り到着したばかりだ。
暫くの間圧倒されていた俺だったが、はっと我に返り、門に近づいていき――
「止まれ」
静かで重みのある声に遮られた。
命令通りに立ち止まりその声がした方を向くと、俺に声を掛けてきたのは学校の警備を任されていると推測できる守衛さんがいた。
「ここは生徒以外立ち入り禁止だ。見たところお前はここの生徒ではないな? 一体何の用だ」
「ここの学園長に会いに来たんだけど」
「何? 学園長にだと?」
守衛は訝しげな目を向け俺の容姿を確認する。
「……お前は学園長との面会に相応しい服装をしているとは思えないのだが……」
言外に「学園長と会うほどの身分ではないのでは?」と告げている。
確かに俺の服装は平民が着ているようなものだし貴族でもない。だが本当に用があるのも事実。
とにかく、不審者の疑いを晴らすため俺は事前に用意されたあるモノを渡した。
「ほら、これ。これ見せりゃ問題ないって言われてるんだ。どう?」
「これは……」
俺が渡したのは一枚の紙。
そこにはこれを所持している者の通行を許可する旨と学園長の署名が書かれている。
通行許可書を読んでいる守衛は、驚きを隠せないようで紙を持つ手が震えている。
「うーむ…………どうやら本物のようだな。どのような者であろうと学園長直筆の署名があるのだ。通さない訳には行かないな」
何とか現実を呑み込んだらしい守衛は俺の通行を許可してくれた。
「どーも。お仕事ご苦労さん」
俺は守衛に労いの言葉をかけると、今度こそ門をくぐり学園内に足を踏み入れた。
広大な敷地面積を誇るこの学園は、主にナンバーマジックを扱う術やその能力を高めるために、十代の少年少女達が世界各地から集う世界に三つしかない魔法使い育成機関。
そのため歩いている最中に見かけるのは活力溢れる若い子供が多い。だが純粋な子供が多いかと言われればそうではなく。
身のこなしやちょっとした仕草からわかるが、話に聞いた通りここは高位の身分――貴族の生徒が多いようだ。
勿論平民の生徒もいるとは思うが、見渡す限りそのような者は見当たらない。
ていうかそもそも人が少ない。恐らくは授業中だったりで大半は校内にいるんだろう。
少ない視線に乗せられた感情に気づきながら、俺は正門から校舎にかけての長い一本道を進んでいった。
校内に入り、学園長に会うためにおそらくあるであろう学園長室を、授業中の生徒の迷惑にならないように探した。
学園長室探索中、生徒に見られないようにしていたが誰一人、という訳にはいかず、何人かに好悪の目を向けられたりしながらやっとこさ学園長室を発見。
教師になら場所を訊いても問題ないと思ったのだが、あいにく見当たらなかったので予想以上に時間がかかった。
「はあ〜〜」
疲れた。
この学園の生徒は制服を着ている。そして俺は今のところまだ部外者であるため、その制服を着ていない。
そんな訳で物珍しさから来る好奇の目やその他諸々の視線に気疲れしたのだ。
出入口の扉をノックする。
幾許かの時の後、「どうぞ」という男性の声が聞こえた。
扉を開け入室すると、そこには俺の姿を見て目を丸くする学園長と思しき壮年の男性が、高価そうな革製の椅子に腰掛けていた。
そんな学園長に対して、自己紹介も兼ねる挨拶をする。
「初めまして。師、グレイス・クレヴァリーの命により参上しました、弟子の狭間京鵺です」
「お、おお……君か、グレイスが言っていた弟子というのは」
俺の挨拶で正気に返った学園長は一転、俺の正体に得心が行ったようで笑顔で迎え入れてくれた。
「初めまして、学園長のシルヴェスター・ギルグッドだ。遠路はるばる来てくれたんだ、とりあえず座って。話はそれからだ」
「……失礼します」
学園長というからには固い態度の人物だと思っていため、存外の物腰の柔らかさに戸惑いつつも、学園長の机に対して縦に向かい合っている椅子と同じ革製のソファに座った。
「キョウヤ君は何を飲むかな? お茶や紅茶、コーヒーなんかもあるよ」
「……学園長自らですか?」
「まあね、ほら遠慮しなくていいから」
「……お手数お掛けします。ではコーヒーで。砂糖は結構です」
学園長は了解の返事をして飲み物の準備を始めた。
……この気さくそうな人があのシルヴェスター・ギルグッド……。
シルヴェスター・ギルグッド。
若年の頃から高い魔法の素地を持っており、齢十九で五重冒険者に昇格。二十三の時には既に最高位の七重冒険者になっていたという異例の経歴を持つ、まさに別次元の実力者だ。今後とも彼のような魔法使いが現れることはないだろうといわれているほどで、その多大な功績から“全属性の覇者”の異名で広く知られている。
その後、冒険者稼業を暫く続け、紆余曲折を経てエストクル魔法学園の学園長に就任。魔法だけでなく指導力も高いと評判で、名実ともに魔法界の先導者である――というのが俺が知っていることだ。
学園長の略歴から見える姿と目の前の姿との相違に意外感を抱いた。
もし彼のことを知らない者が見れば、まさかこの給仕をしている人がそんな偉大な人物だとは思いもしないだろう。
想像との違いに衝撃を受けて唖然としていた俺は衝撃から立ち直る意味も含めて、少し気になっていたこの普通より広い上質な部屋を見回すことにした。
配置されている物は全てひと目で高価とわかる代物ばかりで、“学園長”という地位の高さを窺い知ることができる。
「気になるかい?」
そんな俺の様子を見ていたのか、学園長が気さくな口調で訊ねてきた。
「えっ、あ……まぁ……そうですね。ここまでの物は普通に生活していて見る物ではないので」
「ははっ、確かにそうだ。だがこれらは私の趣味ではなくてね。……うちの教師達がうるさいんだ。学園長としての威厳を保つためにも物くらい立派にしろって」
「……好かれているんですね」
学園長は両手にカップを持ちながらそう言うと、二つのソファの間にあるテーブルにカップをコトリと置いた。
俺の対面に座った学園長は返された反応に苦笑気味だ。
「すみません、わざわざ俺のためにありがとうございます」
学園のトップ自ら給仕してくれた事に礼を言い、コーヒーが入ったカップに手を伸ばす。
「……君はグレイスの弟子なのに礼儀正しいね。驚いたよ」
「逆ですよ。あの人の“弟子”だからこそ礼儀正しくなったんです」
意外感を露わにして賞賛の言葉を送る学園長。
今度はこちらが苦笑する番だった。
元々日本にいた頃から人並みに礼儀作法は出来ていたが、師匠と共に過ごす上で色々な場面において、その傍若無人な態度のせいで何度も肝を冷やされてきた。そこを俺がカバーしているうちに人との礼儀に磨きがかかっていったのだ。
この成長を喜ぶべきか否か。
「ははっそうかそうか。確かに言われてみればそうかもしれないね。――それにしても彼女の弟子はさぞかし大変だろう? とてもよくわかるよ、私も昔一緒にいた時、大変だった」
師匠に対する気苦労を共にしていた者同士。同時に「はあ〜」と盛大に溜息を一つ。
この人とは良い関係を築けそうだ。
「――では改めて。私はエストクル魔法学園学園長のシルヴェスター・ギルグッドだ。君のことはグレイスから聞いているよ。これからよろしく、ハザマ・キョウヤ君」
「こちらこそよろしくお願いします」
「うん、では早速だが始めてしまおう」
今までの優しげな表情が嘘のように鋭い表情へと変貌する。
「彼女から話は聞いていると思うがちゃんと説明しているか不安でね、一応キョウヤ君が聞いた話とすり合わせていきたい」
「是非お願いします」
流石師匠の友人。よくわかっていらっしゃる。
「君にはここに転入生として来てもらった。目的は生徒の立場から学園に入り込んだ賊を見つけ出すこと。賊の発見時においてはその場で臨機応変に対応してくれ。――――ここまでは大丈夫かな?」
「ええ、問題ありません」
「そうか、それでは今の状況も?」
「そうですね。今のところ被害はゼロ。ですが尻尾を出さない代わりになかなか賊の正体にまで辿り着けていないとも」
俺が知っているのはこのくらいだ。
学園長は俺の返答に頷き。
「その通りだ。このままでは進展が見込めないと思ってね、君の師匠であるグレイスを頼ることにした訳だが……まさか弟子を寄越してくるとはね。彼女が弟子を取っているなんて思わなかったものだから、知った時はそれはもう驚いたよ」
優しげな表情に再び戻った学園長が俺を見つめる。
「……皆さんそう言いますね。師匠は弟子を取らなかった筈だと」
「…………まあね」
少しトーンを落とした声で、眉根を下げ曖昧な答えを口にする学園長。目線を下げた彼の面持ちは笑みを湛えつつもどこか悲しげだ。
沈黙が流れる。
この件について俺は詮索しないと決めている。何となく、この話をする時の彼らの雰囲気に憚られるからだ。
暫くの間誰も言葉を発さない時間が過ぎて、それを破ったのは学園長だった。
「――――……彼女の主義を変えたのはもしかしたら、彼女に弟子を取らせるほどの魅力が君にあったのかもしれないね」
「……はあ」
それまでの表情から一転してその顔に明るい笑みを浮かべる学園長に対し、なんと言えば良いかわからず曖昧な返事になってしまう。
そんな俺を見て学園長は一回膝を叩くと、沈んでいた雰囲気を払拭するかのように弾んだ口調で話を再開させた。
「いや、すまないね、少し湿っぽくなってしまった。仕事の話をしようと言ったのは私なのにね。――話を戻そうか」




