幕間 残された者一人
有原修二が異変に気づいたのは下校してすぐだった。
何やら町が騒がしい。サイレンの音が町中に轟き、何かが起きたのだと知らせていた。
事故か事件か。
そう判断した修二はそれ以上のことは考えなかった。別に珍しくもなんともないものであったし、尚且つ自分には関係ないと思っていたためだ。
まっすぐ自宅へ向かい歩いていると、すれ違う人たちがちらほらと噂しているのを耳にした。
曰く、交通事故が起きた。
曰く、人死にが出た。
曰く、死んだのは学生だった。
加えてその後耳に入ってきた断片的な情報を組み合わせると、どうもその事故の被害者というのが修二の学校の生徒らしいことがわかった。
「……うちの生徒か……。誰だろな?」
軽い興味を覚え、先に下校していた京鵺なら何かしら知っているのではないかと思い、一度足を止めて電話をかけてみた。
呼び出し音が幾度か繰り返されたのちに、相手が電話に出られない時の決まり文句が流れ、結局京鵺は出なかった。
「……? 珍しいな、あいつが出ないなんて」
恐らくはまだ帰宅途中であろうと予想して京鵺に電話してみたのだが、アテが外れたようだ。
修二は首を傾げ訝しげに携帯を見つめる。
サイレンの音が聞こえる。
「…………まさかね」
一瞬よぎった馬鹿らしい考えを一笑すると再び歩き出す。
彼は自分が顔に汗を掻いていることに気づいていなかった。
大した距離も歩かないうちに修二はもう一度足を止める。
「…………一応、な」
そう呟くと携帯を取り出し電話をかける。何となく気味の悪い嫌な予感がしたのだ。
今度の相手は蒼月美鈴だ。彼女は普段京鵺と一緒にいることが多く、さらに登下校は二人で帰っていることを修二は知っていたので、彼女に訊けば京鵺が何をしているのかもわかると考えたのだ。
呼び出し音が何度も繰り返され、こっちも出ないかと諦めかけたその時、ついに電話が繋がった。
「……修二くん……? ……うぅ……どうしよぅ……ぁぁぁ……」
「ッ……」
修二は自身の考えが当たってしまったことを悟った。明らかに取り乱している様子の美鈴。電話に出ない京鵺。そして修二の学校の生徒の死亡。
聡明な修二でなくとも勘の良い者なら一つの答えに辿り着くだろう。
狭間京鵺が……死んだ……?
修二は鈍器で殴られるような衝撃を受けた。
彼の知っている狭間京鵺は交通事故などに遭うはずがない。簡単に死んでいいはずがない。
修二が衝撃から立ち直れずにいると、携帯から聞こえた美鈴の声にはっとする。
「……どうすればいいの、私…………うぅぁぁぁ……」
「……落ち着いて。今どこにいる? すぐにそっちへ向かうから」
情緒不安定な今の美鈴を放っておけば何をするかわからない。
美鈴のいる場所を聞き出し電話を切ると、修二はすぐさま駆け出した。
「………っクソぅ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日。
教室の中を見渡せばやはりと言うべきか、彼女が来ていない。恐らく小学生の京鵺の妹も。
そしてその教室の中は異様な雰囲気に包まれていた。大きな声で喋っている者こそいないが囁き声が目立つ。
こんなことになっている原因は一つ、クラスメイトの死だ。昨日クラスメイトの一人、狭間京鵺が交通事故に遭って死亡した。そしてその訃報は既にクラス全員、いや学校全体に広がっているのだということを修二は内心忌々しげに実感する。
今も修二が教室へ入ってきたのを目にとめた者たちの視線が彼に集まっている。普段から京鵺と仲が良いことは皆知っていたし、今日は京鵺と一番近しい彼女――蒼月美鈴が来ていなかったため、興味の対象が修二に移るのは道理であった。
すると、彼らのうちの一人が修二に近づいてきた。
「な、なあ有原、狭間が死んだってマジ?」
……………………。
「みたいだな。言っとくけど、俺もお前ら以上のことは知らねえよ? 俺はあいつと仲良いってだけだぜ?」
「え? あ、ああそうだったな、わりぃ」
困ったように答える修二の思ったより軽い反応を前に、話しかけた生徒が肩透かしを食らったような顔をした。もっと沈痛な態度を予想していたためだ。
もっともそれを見越して敢えて訊いてきたのは、純粋な興味からかまだ抜け切っていない子供の無邪気さ故か。どちらにしろ修二を不快にさせるのには十分であったが。
(来るんじゃなかったな……)
今なお向けられる不躾で思慮の足りない視線の数々に、また何か聞かれるのだろうと思いうんざりしてきた修二は、登校してきたことを後悔する。だがもう遅い。後の祭りである。
◆◇◆◇◆◇◆◇
校舎裏。日陰になっており日中でも薄暗い場所であるそこに修二はいた。校舎の壁に背を預け、静かに佇んでいる。
今はもう一時間目の授業が始まっている頃だろう。それなのに何故未だにここにいるのかというと、勿論同級生たちの対応が面倒で鬱陶しいのもあるが、昨日のことが気になって授業などまともに受けられる気がしなかったからである。
「………………」
昨日、件の事故現場へ向かった際に目にしたのは悲惨な光景だった。歩道を跨り建物に激突したと思われるトラックは、相当なスピードだったのだろう、前部分がひしゃげていて原型がかろうじてわかるくらいであった。それにブレーキ痕がない。それを認めると修二は吐き捨てるように舌打ちをした。
辺りには到着したばかりの救急車やパトカーが見え、警察官が現場を立ち入り禁止にし始めている。
修二は周辺に群がってきている野次馬をすり抜け、奥のほうにいる美鈴の姿を見つけると急いで彼女の下へ走った。
「あっ! おいっ君! ここは立ち入り禁止だぞ、止まりなさい!」
いきなり現場に侵入してきた修二に焦った警官の制止の声が聞こえるが無視だ。とにかく今は美鈴の下へ行かなくては。
捕まる前に座り込んでいる美鈴の下に到着した修二は、息を多少切らしながら彼女に声をかける。
「はあ……はぁ。――……美鈴、何があった?」
いつからか彼が呼ばなくなった彼女の名前。それに気づかず呼んでしまっていることから、彼が冷静でいるようで冷静になりきれていない現状が窺える。
しゃがみ込み美鈴の肩を優しく掴んで落ち着かせ、取り乱している彼女が経緯を話せるように計らう。
修二を追いかけてきた警官たちは、美鈴の知り合いで尚且つこうして状況を話せるよう取り計らった修二に感心し、ひとまず彼女のためにもここに居させることにした。
そして美鈴はゆっくりと、途中嗚咽混じりにこの場所で何があったのかを説明する。
内容は修二が予想していたのとあらかた同じであった。話を聞き眉根を寄せていた修二は、京鵺の遺体はどこにあるのか気になったので近くの警官――傷ついている美鈴にこれ以上は憚られたため――に尋ねてみることにした。
拒否されると思っていたが、修二の予想に反して答えてくれた。だがしかし、何やら様子がおかしい。答えてくれた警官は困り果てている、あるいは何か薄気味悪いものを見たかのような面持ちだったのだ。
修二が不審に思っていると一人の男性がやって来た。
「駄目だな、どうなってるんだかさっぱりだ」
「……京鵺が……被害者がどうかしたのですか?」
尋ねられた男性――恐らく刑事であろう――は修二を見やると、厳しい表情で口を開く。
「君は被害者とはどのような関係で?」
「親友です。幼馴染みでもあります」
そして修二は少し離れた場所にいる美鈴に視線を送り、ここに来た経緯を説明する。
「ふむ……なるほどな。強引にここへ入ってきたのは不問にしよう。――ところで、状況判断といい先ほどの対応といい、どうやら君は人より聡明なようだな。それに被害者と親密な間柄か………………少し話がしたい。来てくれるかな?」
少し考える素振りを見せた刑事の申し出に、修二は一も二もなく返事をすると刑事のあとに続いた。
周りから見えないよう施された場所に近づくと、彼の鼻腔に血の臭いが触れ、ほんの僅かであったが顔を顰める。
その中学生の割にやけに平静を保っている修二を肩越しにそっと観察していた刑事だったが、視線を前方に戻すとふいに立ち止まった。
「まだ警察は彼の遺体を動かしていない、とだけ言っておこう」
「……これは」
目の前の光景に修二は眉を顰めた。
あまりに凄惨な光景だったから、ではない。刑事の補足を聞いた上で見ると、その光景はあまりに不気味で不可解なものであったからだ。
そこにあるのは大量の血。未だ乾き切っていない赤黒い水溜まりは、僅かに吹く風に揺られ波紋が広がっている。だがそれだけだ。そこにあるはずの、肝心の狭間京鵺の死体はなかったのだ。
修二は訳がわからなかった。おかしいではないか。人が死ぬならそこに死体が残るのは当然だろう。だが今回はそれが当てはまらないのだ。
加えて今回は事故だ。死体が持ち去られた可能性は皆無である。
「何がどうなってるんですか……?」
「詳細を話すことはできない。と言いたいところだがその詳細がわかっていないというのが現状だな」
「……遺体は?」
「ない」
「――髪の毛は? それに、っ……体の一部とかは?」
言いにくそうに問う。
親友の体の一部の所在を尋ねるなどという恐ろしいことはしたくなかったのである。
「ない。調べている最中ではあるが、今のところ血液以外にめぼしいものは何もない」
「美鈴を疑っているわけではないのですが、本当に京鵺は死んだのですか?」
「それは間違いないだろう。それに彼以外にも目撃者がいるしな」
修二は先ほどの美鈴の説明から、すぐにそれが誰なのか見当がついた。
「…………助けられた少年ですか」
「ああ、彼にもまた別個に事情を聴いている。後ほど署の方でもう一度事情聴取を行うが。勿論彼女にも」
「…………」
「君ならわかっていると思うが、このことは他言無用で頼む。人が消えたなんて知られたら無用な混乱を招きかねない。私が君をここに連れてきたのはそういうのを守れる人間だと判断したからなのと、――一つ、訊きたいことがあったからだ」
「そうですか。それで……一体何を?」
修二は刑事の説明に納得した様子で続きを催促する。
「君は……被害者に何か特別な事情があるというのは聞いたことあるかい?」
「……は? いえ、そのようなことは寡聞にして」
「…………そうか。いや何でもないんだ。ご苦労だった。君はもう彼女の下についていてあげなさい」
刑事の意図の読めない問いかけに場違いにも間の抜けた声が出てしまった修二は、すぐに姿勢を正し返答する。
言葉通り彼は今まで共にいて京鵺に何かあるなんて聞いたこともない。故に何故そんなことを訊くのか疑念を抱いたが、話を逸らされたため答えてくれないだろうと推察したので素直に従うことにした。
その後、美鈴は刑事たちに連れられ警察署に向かった。
いくら現場にいることを特別に許された修二といえども、事故に直接関係ない人間がついていくことはできなかった。なので仕方なくであるが帰路につくことにした。
帰り道の彼の足取りは重い。まるで沼の中に足を突っ込んでいるように。
長年共にいた人間が死んだのだ。与える影響は大きいはずだ。
道中の彼の表情はなんと形容したら良いのかわからなかった。
ただ、普段の彼の軽薄さとはかけ離れたものであったのは確かである。
昨日の出来事を思い返していた修二はやがて耐えられなくなり、いつの間にか握り締めていた拳を横に振りかぶり後ろの壁に叩きつけた。
「………………ちっくしょう……」
冷静な態度を見せていた修二が悲しんでいないなど誰が言えよう。
様々な感情が織り交ざった悲痛な声が、薄暗い闇に染み込んでいった。
もう一つ幕間入って一章は完全に終わりです。




