第11話 また
一章はこれで終わりですよー
グレイスは一分と経たないうちに戻ってきた。彼女の手には小さな箱が乗っている。これを見せるために部屋を出たのだろう。
「? 何やそれ、姐さんの宝物ですか?」
「違うわ。これはキョウヤが着ていた服のポケットに入っていた、向こうの世界の物よ」
中身を明かすと小箱をテーブルの上に置く。腰を下ろすと、掛けられていた施錠の魔法を解除し蓋を開け、中身を露わにする。
出てきたのは光沢のある黒く滑らかな表面をした物体――スマホだ。しかし状態は酷い。液晶は粉々に割れ、本体自体にもヒビが大きく入っており、所々欠損している箇所もある。
京鵺がトラックに撥ねられた時の衝撃のせいだろう、修理は不可能なほど破壊されていた。
バウドは身を乗り出しながらこれを興味深げに見つめていると、彼女から追加の説明がなされた。
「キョウヤのいた世界には魔法がないらしいわ。代わりに“カガク”という力が発達しているそうだけど」
「ほぉ〜、こらたまげましたな。見たこともないもんやないですか。形状もこの世界のもんとは全く違うしなぁ、これが魔法あらざる力の産物っちゅうわけや。ははあ、こんなん見せられたら信じないわけにはいきまへんやないですか」
まじまじと破壊されたスマホを見つめていたバウドは、心底感嘆したような声を上げる。
彼が造形や材料である金属の加工技術の素晴らしさに目を惹かれていると、次第にこれがどのような用途の物なのか興味が湧いてきた。
なのでグレイスに使い道を知っているか訊いてみることにした。
「これは主に連絡に使うものだって聞いているわ。離れた場所にいる相手の声をこれに転送して会話することができる。逆にこちらの声も送れる……ていう感じだったけど、イマイチ理解できなかったのよね……」
京鵺に聞いたスマホの概要をグレイスなりに説明していたが、当時を思い出したのか最後には決まり悪げに、自信無さげにしていた。
しかしそんな珍しい様子のグレイスが気にならないくらいに、彼が受けた衝撃は大きかった。
遠くの者と連絡を取り合える道具など、この世界には存在しない。仮にあるとすればそれは神器くらいのものだろう。
「…………へぇ〜。向こうの世界はそんな風になっとるんやな……」
こちらの世界よりも遥かに進んだ技術を誇る京鵺のいた世界に驚きを隠せない様子。珍しく静かになったバウドを視界に収めながら、もう一つの世界の存在を信じてくれたようでグレイスは内心ほっと一息つく。
普通もう一つ世界があるから信じろと言われてそう易々《やすやす》と信じる者はいない。頭のおかしな奴だと思われるのがオチだろう。ただし、確かな証拠があれば相当に強情な人間でない限り、大多数の人間は信じざるを得ない。故に証明できる物が必要だったわけだが、上手くいったようだ。
「これでわかったかしら? あの子はこの世界の住人じゃない。私もこんなイレギュラーな事態は初めてだしね、とりあえず様子を見るためにも保護することにしたのよ」
グレイスはそう締めくくるように言うと、スマホを仕舞うために小箱に手を伸ばした。
「なるほどなるほど。ようわかりました。……でも、今言ったんは姐さんが弟子取った理由にはなってへんと思いますけど?」
「…………何が言いたいのよ?」
グレイスの手が止まる。バウドを睨みつけると、唐突に発せられた彼の余計な一言に対して、憤りを感じさせる語調で答えた。
「言ったやないですか。姐さんがどうして弟子取ったんか、知りたいって」
ギシギシと椅子の鳴る音が静寂に響き渡る。
「……残念ながらそれは交渉内容に入ってないわ。それ以前にあんたに話す必要もなければ義理もないしね」
止まっていた手を再び動かしスマホを仕舞うと、小箱に魔法を掛け、開けられないようにする。
この件について彼女は他人に話すつもりはない。
グレイスの強硬な姿勢にこれ以上は無駄だと判断したバウドは、特に残念がる様子を見せずに話を締めくくる。
「そんならしゃーないですな。また別の機会にでも伺いますよっと。それでは話はもうお終いのようですので、私、もう行きますわ。売れ残っとる商品捌かんといけないので」
彼は席を立つとすっきりとした調子で出発の準備をする。
元から彼にこの小屋に泊まる予定はない。彼がここに泊まると言い出したのは、グレイスと二人になる時間を京鵺に不自然に思われないためだ。
「ねえ」
つつがなく帰り支度を進めていたバウドを、グレイスはチラッと見やり呼び止める。
彼は振り返り、今日一番裏が無さそうな笑みを彼女に向ける。
「何ですか?」
「……あんた、何であの子の前で正体隠してたの? 下手な芝居までして」
「ん? そらぁこれからもいいお客さんとして付き合いを続けていきたいんですよ、当然やないですか。怪しい人と思われた無いですから」
(……既に怪しい人物と見られている気がするけど)
と思ったが彼女は口に出す真似はしない。向こうもそれを承知した上での発言だと知っていたからだ。
「っちゅうか、下手な芝居て何です? 私としては上出来やったと思うんですけど」
「ったく、自分でもわかってるでしょうが。魔物から逃げてきたって設定ならあんな静かにノックはしないわよ。他にも言葉の端々にあったわね。まあ、そのどれもあの子は気づいてなかったみたいだけど」
横目でバウドを見ながら億劫そうに指摘をする。
全くもって意味の無いやりとりだ。無駄である。彼女は指摘しながらそう思った。
でもやらなければ彼はいつまでもすっとぼけているだろう。彼の性質をそれなりに理解しているグレイスにはわかる。
そういう意味では無駄ではなかったのかもしれないが、彼女にとってみれば不要な手間がかかるので、やってられないという気持ちになるのも無理はない。
「そんなにボロ出してました? こーゆうのは自分じゃようわからんもんですなぁ」
「…………」
「そんな目で見んといてくださいよ。ホンマにわかってなかったんですって」
「…………」
「……ちょっと姐さん……そんな熱っつい眼差しで見つめられると照れるやないですか〜」
ブチッ。
何かがブチ切れる音がした。とてつもなく不吉な音だ。
これの発生源がグレイスであることは言うまでもない。そして彼女が熱い眼差しでバウドを見つめてなどいないということも言うまでもない。どちらかというと冷たかった。極寒だった。
ゆらりと立ち上がった彼女の顔は前髪で隠れていて窺うことはできない。だが血が出るのではないかと思うほど強く握られた拳を見れば、その心情を推し量るのは容易い。
「あの〜……姐さん? 冗談ですよ? せやからそんな怖い顔せんといてください……」
「あ゛?」
綺麗な女性が出してはいけない類の声である。
恐ろしくドスの効いた声でビクリと肩を揺らしたバウドは、冷や汗を掻きながら引き攣った笑みになってしまう。
「お、落ち着きましょうて。ほらっ、折角の私の新たな旅立ちやっちゅうのにそないな態度取らんでください」
本気なのかふざけているのか判然としない宥めであった。
「あんたの旅立ちなんてどうでもいいわ。ゴミ以下よ」
恐らく反射的に言ったであろう吐き捨てるような彼女の返答。
「え…………。ま、まあ照れ隠しする気持ちもわかっ――あっいえなんでないです。……あ、あぁああ!! そうやった、そうやった! 忘れとったわ〜姐さんからの頼み事」
また余計な一言を言いそうになって途中で訂正。何故なのかは想像におまかせする。
バウドは誤魔化す意図が見え見えの空々しい様子で懐をまさぐり、何かのメモらしき紙を取り出すと、グレイスに向かって投げつける。
彼女はそれを難なく受け取り、さっと目を通した。
そこに書いてあるのは一つの地名だ。それ以外は何も書いていない。
バウドから渡されたメモを見て、グレイスは纏う怒りを多少ではあるが霧散させた。
それに安堵したバウドは、ここぞとばかりに怒りの矛先を少しでも逸らそうと、“グレイスの頼み事”という彼が以前請け負った仕事の結果に言及した。
「そこにいると思いますよ。実際に確かめたわけではありませんが」
「ふーん、そう。まさか本当にやってくれるとは思わなかったわ」
メモからバウドに視線を上げる。
彼女にとってみればこの依頼は正式なものではなかった。
やってくれて僥倖。結果が出れば御の字だ。
そんな風に考えていたため、バウドが本当にやってくれるとは思っていなかったのだ。実に嬉しい誤算である。
「一人だけなのは勘弁してください。姐さんでも手を焼いている連中なんですから。私如きができるのはこんくらいがせいぜいですわ」
「居場所がわかっただけでも十分すぎるくらいよ。ここは素直に礼を言っとくわ」
「そうですか。こちらでも引き続き情報は集めときます。また何かあったらお伝えしましょう。
――では今度こそ行きますわ。あっ坊ちゃんにもよろしく言っといてください」
バウドはバックパックを背負うと出口のドアを開け外に出た。
外は真っ暗闇だ。雨の勢いは先程より随分と弱くなっているが霧雨までいかないくらい。このまま行けば濡れてしまうわけだが、彼は気にした様子も見せない。
彼はニヤリとした笑みを浮かべ振り返る。
「これからも情報屋バウドをご贔屓に」
◆◆◆◆◆◆◆◆
朝起きたらバウドさんはもういなかった。
師匠に尋ねたら「帰った」とのこと。
多分朝早くに出発したのだろう。何か重要なことを見落としている気がしないでもなかったが、結局わからなかったのでさして重要なことじゃなかったのかもしれない。
騒がしかったが少し寂しい気がするのは、久し振りの師匠以外の人との交流だったからだと思う。色々と胡散臭くもあったが楽しい時間だったのは間違いなかったのだ。別れを言えなかったのが残念だ。
ところが師匠の台詞によりそんな風に感傷をしている場合ではなくなった。
「キョウヤ、明日ここを出るから準備しておきなさい。もうここには戻ってこないかもしれないから」
まさかの宣言。
突然も突然、いきなりだった。そのようなことを知らせたこともなければ匂わせたこともなかった。
当然驚く。マジでびっくりしたよ。
唐突だったのもあるが、ここには半年くらい住んでいるし、愛着もある。ずっとまではいかなくてももう暫くはここにいられると思っていたから。
ようやく衝撃から目を覚ました俺は、師匠に出立する理由を訊いてみた。
「理由? ただの人探しよ。元々ここにいるのはそれが目的だったわけだし。急な出発になったのは予定が早まっただけだから」
師匠はこの小屋に定住していなくて、ただ単に人探しの拠点として使っていた。しかしながらアテが外れたらしく虚の森に目当ての人はいなかった。そこに俺が現れ師弟関係になったので暫くこの森に留まることにしたのだそうだ。
まあそんなこんなで出立のための支度を整えたのが昨日。
現在俺は居間を見回している。
背中にはちょっと大きめのバックパック。俺の荷物は多くない。というか寧ろ少ない。バックパックの中の荷物の割合は私物より日用品の方が大きかった。
ここで暮らしていたのは半年ほどであったが思い入れはある。思い出もある。別の世界であってもそれは変わらなかった。
「キョウヤ、行くわよ。さっさと来なさい」
「……はい、すぐ行きます!」
外から投げ掛けられた声に答え、名残惜しさを振り切り待っている師匠の下へ行く。
この危険な森を抜ければ、俺の知らない世界が広がっているのだろう。危険なだけじゃなく平和な一面も見てみたい。
そんな願望を胸に、俺は今まで過ごしてきた小屋に別れを告げる。
また帰ってきたい。
師匠はああ言っていたが俺一人でもここに来れる。
――今度来る時はもっと成長した時だ。
そんな未来を思い浮かべながら、俺は新たな門出に胸を踊らせた。




