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 にぎやかな人々の声と、明るい笑顔に満ちたここは、この国で一番大きな都市だった。港町としても栄えているため旅人もよく訪れ、物資も豊富なここはどこをとっても綺麗で、煌びやかな空気に満ちた世界だった。

 そんな都市のはずれに佇む大きな屋敷。少女は、そこで暮らしていた。


「あー、やっと終わったぁ」


 大量の洗濯物を干し終えた少女は大きく息をつき、肩を大きく回した。年頃である娘は大して身をこぎれいにすることもなく、くすんだ若草の髪を雑にまとめあげ、頬にはすれた土ぼこりの跡が残されている。彼女が着ているワンピースはどこか薄汚れ、ところどころ何かで縫われたような跡が残されていた。


「あら、ようやく終わったの? 本当にあんたはノロマね」


 そんな彼女を卑下しながら現れた女は少女とは打って変わって綺麗な格好をしていた。ツヤのある髪は綺麗に整えられ、上品とはほど遠い濃い化粧が施され、美しいドレスを身にまとう。

 少女は、かあさま、と彼女を呼んだ。


「まだまだ仕事はあるのよ。わかってる?」

「大丈夫です。お母様たちがご帰宅される前にはすべて終わらせておきますから」


 少女の言葉に女は鼻を鳴らすと、何も言わずにさっさと家を出て行った。門にとまっている一台の馬車。今日もそれに乗って城下へ遊びに行くのだろう。あの中にいるだろう、姉たちと一緒に。


「……さっさと終わらせよう」


 全部投げ捨てたら、痛い目を見るのは自分だ。力のない少女は諦めたようにため息をつくと、洗濯物を入れていた籠を持って家に戻った。



 少女――ルーチェは、この家に住む三番目の娘だ。とはいえ、母親や姉と血のつながりはない。どちらも父親の再婚で一緒になった人間に過ぎない。父親が選んだ人ならば、最初はそう思ったものの、母親とも姉ともうまくいかない。人間的に相性が悪いのだと思った。

 家族だから仲良くしなければいけない理由はない、自分には父がいればそれでいい。母だってきっと、天国から自分を見守ってくれている。

 そう思い続けて暮らしてきた、がしかし、心のよりどころにもなっていた父親を不運な事故で亡くしてしまったのだ。

 そして彼がいなくなってからルーチェはまるで奴隷のような扱いを受け始めた。家事をすべて押し付けられ、金を稼ぐため働かされ、自由な時間は一切与えられず、挙句ついたあだ名は「シンデレラ」――この国の言葉で、「灰かぶり」を意味する言葉だった。

 ここを出て行こうと考えた回数はいざ知らず。しかし今の自分にとってそれは死と同義だ。今のルーチェには一人で生きていく力がない。家出したところで行く当てもない。

 それならば、一人で生きていく力をここで蓄えて出て行ってやろう。その決意がルーチェを支え続け、彼女をどうにか生かし続けた。

 そうしてある日のこと、彼女を支え生かす糧となるものがひとつ増える。


「よ、ルーチェ」

「わっ」


 突然ぴょこんと現れた影にルーチェは体を大きく揺らす。薪をうっかり落とすところだったが、その影に支えられることで事なきを得た。


「コウ、きてたの」

「おう」


 まるで夕日のように真っ赤に燃える髪を持った猫目の少年は唇の端を上げて笑った。黒曜石の瞳が細くなって、つられるようにルーチェも自身の目を細める。


「今日は?」

「仕事休みだからずっと家事」

「ん」


 コウはそれを聞くとルーチェが両手で抱えていた薪を取り上げ、彼女が今まさに持っていこうとしていた場所へ運び始めてしまった。


「あっ」

「こっちだろ?」


 軽く振り向いて首をかしげる彼に、ルーチェは細い息を吐いて、笑った。


「……うん、ありがと。コウ」

「いつものことだ」


 少年は名をコウという。東の国で「紅」という字を書くらしい。その言葉の意味を知って、お前にピッタリだと言ったのは出会って三日ほどが過ぎたときのことだった。

 彼はルーチェの唯一の友人であり、良き理解者であり、そして今のルーチェにとって何よりもの心の支えだ。


「で、またお前一人?」

「うん、まあ」

「……またかよ」


 ルーチェが義理の母たちに強制労働させられている事実にコウはいつも眉を顰めていた。怒らず過ごすルーチェの代わりに、コウはいつだって怒ってくれた。

 それがルーチェにとってどれだけの救いになっているのかきっと彼は知らないだろう。


「出る気は」

「今のところは。一泡吹かせたいし」

「……言うと思った」


 いつもの質問にいつもの回答。コウはあきらめたように肩をすくめた。


「お前がそういうやつだっていうのはもう知ってるから今更どうこうは言わないけど……でも」


 するとコウはルーチェの両肩に両手を置くと、真剣なまなざしで真っ直ぐ彼女を見つめる。その視線をルーチェは、真摯に受け止めた。


「頼むから、無茶だけはするなよ」

「うん、わかってる」


 コウが自分をどれだけ心配してくれて、どれだけ気にかけてくれているか、ルーチェはわかっているつもりだ。自分の負の感情を隠したところで、それは逆にコウの不安をさらに倍増させ、まったくいい結果を生まないことも知っている。

 だから彼女は彼に自身を隠さない。彼はすべてを受け止めてくれると知っているから。


「コウに怒られたくないもんね」


 少しだけ茶化しながら笑って答えれば、コウはまたあきれたように笑い、そしてルーチェの頭に手を乗せた。初めて会ったの日のように、優しく。




 ある日のことだ。仕事を終えて帰ってきたルーチェを待っていたのは、いつにもまして慌ただしい我が家だった。義姉たちはあっちへこっちへと大騒ぎ、義母もどこか落ち着きのない様子で廊下を歩いている。

 

「あら、やっと帰ってきたのね。さっさと支度を手伝いなさい」

「へ? 支度? どこかへお出かけになるのですか?」


 今夜、外出するような話は聞かされていない。前もって聞かされているならば仕事を早々に終えて帰宅している。けれど今日は通常通りの時間だ。

 目を丸くしているルーチェに義姉は顔をしかめた。


「やだ、あんた知らないの? 今日は舞踏会じゃない!」

「そうよ! 王子様がじきじきに開催されるパーティよ!」

「パーティ……あぁ、嫁を探すあれか」


 一ヶ月前のことだろうか。国が突然お触書を出したのだ。この国に住む齢十六を超えたすべての女性の中から王子の花嫁を決めると。

 お触書が出た日は街中はそれはもう大騒ぎだった。一般市民も貴族になれる、玉の輿に乗れる大チャンスなのだから当然のことだろう。


「今回王子様に見初められれば、晴れて王族、大金持ちってわけ!」

「きゃーっ!」


 黄色い声ではしゃぐ義姉たちをルーチェはつい冷めた目で見てしまう。もし王子がこの義姉たちを妃に選んだとしたら、その瞬間自分は失望するに違いないと思った。国を出て行くことも考えるだろう。


「こんな窮屈な暮らしからもおさらばよー!」


 窮屈な暮らしにしているのはお前たちだろう。その言葉は心の中に留め、特に何の相槌もせずにルーチェは自分の部屋である屋根裏部屋へと足を向けた。荷物を置いたらすぐに手伝うようにとの命令が背中から追いかけてきて、気分が一気に重たくなった。




 喚き散らす義姉と、王子のハートを掴めと娘たちに言い聞かせる義母を見送るとルーチェはスプリングの音すらしない、硬いベッドに転がった。

 自分は当然のごとく留守番だった。ルーチェ自身、舞踏会の存在を忘れていた程度には行きたいとは思わなかったので自ら進言する気もなかったが、それが当たり前だと言わんばかりの家族の態度に苛立ったこともまた事実だ。

 醜い顔を隠すように濃い化粧をほどこし、たるんだ体をコルセットで誤魔化す義姉たちはなんだか滑稽だ。


「豚に真珠もいいとこなのにね」

「ずいぶん辛辣だなぁ、お前」

「辛辣? 事実を言ったまでだけど」

「お前って実は結構毒舌だよなー俺よりも」

「どっちかっていうとコウのがきつ、って……え?」


 ついいつもの調子で話しかけられたのでいつもの調子で返してしまったが、これはどう考えてもおかしいとルーチェは声のするほうへ振り返った。そこにあったのは窓の縁に腰をかける、コウの姿。

 神出鬼没とは日ごろから思っていたが、まさかこんな場所に現れるなんて予想外だ。


「コ、コウ?」

「よう。月のいい夜だな」

「た、確かに雲ひとつない夜だけど、っていうか何でお前」

「お前に魔法をかけにきた」

「は?」


 脳みそでもやられたのかこの男は。そう思う前にコウはステッキのようなもと手のひらに出した。その光景に目を見張る。なぜならそのステッキは何もない空間から、まるでコウの手のひらから出てきたように見えたからだ。


「とりあえず外に行くぞー」

「えっ、わあっ!?」


 コウがステッキを振るとルーチェの体はふわりと宙に浮かび上がった。引き寄せられるかのようにコウの元へ行くと、彼のあとを追うようにそのまま外へ出る。窓の外に浮かんだ自分の体はゆっくり、ゆっくりと庭に降り立った。


「じゃあまずは馬車だな。何かない? ウリ科の野菜」

「う、ウリ科?」

「うん。丸っこいのがいい」

「丸っこいの……かぼちゃなら、あるけど」

「じゃあそれ、一個くれ」


 コウが一体これから何をするのかルーチェには皆目見当もつかない。しかし悪巧みを企んでいるようにも思えなかったので、ルーチェは畑から一つ大きなかぼちゃを採った。コウに渡すと、彼は満足そうに笑う。


「おっけ。次はー……ああ、お前らがいたわ」


 すると今度は走り回っていたネズミ、トカゲを数匹掴む。よく庭先で見かける子たちだ。義姉たちがどうにかしろとぎゃんぎゃん騒いでいたのをよく覚えている。言うことを聞くのも癪だったこともあるが、彼らも急に見知らぬ人間に足を踏み入れられさぞかし心狭い思いをしているのだろうと特に何もしていなかった。見かけたらちょっとしたご飯を分け与えてやるくらいだ。

 コウはそれらを門の前まで持ってくると地面に置いた。ネズミやトカゲに動くな、と一言添えれば彼らはぴたりと大人しくなる。

 一体何が始まるのだろう。不安半分、好奇心半分でそれを見つめた。


「じゃあいくぞ。わん、つー、すりー」


 軽くステッキを上から下へ振ると、光の筋が見えた。キラキラと輝くそれに目を奪われていれば、途端に輝く馬車とネズミたち。

 驚きのあまり声も出せずに呆然と見つめていると、やがて光が余韻を残して止んでいく。その中に見えたものに口を閉じることも忘れて驚いた。


「ば、馬車!? それに、人と馬……?」

「さて、あとはお前だけだ」


 緑色のカボチャは豪華絢爛な輝く銀の馬車に、ネズミは立派なタテガミを持つ馬に、トカゲは凛々しいたたずまいの男性に変わった。

 状況についていけないルーチェにはおかまいなしに、コウは笑って彼女に尋ねる。


「……風を想う鮮やかな若草、叡智をつかさどる神秘の宝石」

「え、何? どういうこと?」

「お前は美しいな、ってことだよ」


 学のないルーチェにとってコウの言葉は時々難しく感じられた。そのたびに彼は丁寧に教えてくれるのだが、今日に限っては違うように思えた。ボサボサになっているルーチェの髪を一束とって指先で梳いていく彼は、いつもの様子とどこか違う。


「いくぞ、わん、つー、すりー!」


 困惑する自分を置き去りに彼は同じようにステッキが振る。、瞬間、自分の周りが淡く輝きだした。その光はやがて目を開いていられないほどまでまぶしくなり、ルーチェはとっさに目を閉じる。暖かく優しく、まるで自分を包み込んでくれるようなそれはいつまでも浸っていたくなる温度だ。

 やがてその温度が消え、ゆっくりと目を開けると、今度こそルーチェは声をなくした。


「……は、え」

「やっぱよく似合うわ、うん」


 繕いだらけの古着はふんわりと、ペチコートが大きく広がる淡いグリーンのドレスへ、雑に纏め上げられた髪はツヤのあるストレートに変わり、頭にはティアラが乗せられた。茶色くすれた靴は透明に輝くガラスの靴へ変化している。

 突然訪れた魔法にルーチェは戸惑いを隠せずコウに詰め寄った。


「これ何!? っていうかさっきからコウは何をしてるの!?」

「魔法をかけてるの。お前が舞踏会にいけるように」

「魔法を?」

「魔法を。これで行けるだろ?」


 コウの言うとおり、今の自分なら舞踏会に行くことなどたやすいだろう。コウの言う魔法で足もあるし、この姿ならきっと紛れ込んでもおかしくはない。


「……お前は魔法使いなのか?」

「見てのとおり」


 顔も雰囲気も服装も、何もかもはいつものコウだ。見てのとおりで魔法使いだなんて、一体誰が思うだろう。


「ほら早く乗れよ。舞踏会終わっちまう」

「舞踏会……」

「おう。王子にも会えるし、うまい飯もあるぞ」

「おいしいご飯……」

「……王子はどうでもいいのか、お前は」


 コウは呆れた顔をするがそのとおりなのだから仕方ない。王子の妃になって将来安泰、贅沢な日々なんてルーチェにはこれっぽっちも興味がないのだ。


「ねえ、コウは行かないの?」

「は? 俺?」

「うん」

「何言ってんだ。俺は男だぞ。舞踏会に招待されてるのは女性だけだ。貴族でもない俺が入れるわけないだろ」

「じゃあ魔法でコウも女の子になればいいじゃない。それで一緒に行こうよ。一人はなんとなく心細いし、コウがいたほうが絶対楽しいもん」


 ね、と小首を傾げるルーチェに、コウは思考を一巡させ、やがて軽い息を吐いた。それがまるで参ったと言わんばかりの表情で、ルーチェはさらに首を傾げる。


「……ちょっと待ってろ」


 コウはステッキを大きくかざすと、空に向けてくるりと一周させた。すると光に包まれた彼はみるみるうちにその姿を変えていく。耳が見えるほどまで短かった赤い髪は背中まで伸び、もともと小柄だった背丈はさらに小さくなった。ルーチェより少し低いくらいだろうか。細い体には少しの肉がつき、女性らしい体つきへと変化する。

 どこにでもありふれた白いYシャツと青のパンツは薔薇色のドレスへ、足元は水晶の色をした靴に。


「わあ……コウ可愛い!」

「……褒められても嬉しくないような、そうでもないような」


 複雑そうにルーチェを見るコウの声は普段のテノールではなかった。心地のよいソプラノに、ルーチェはうっとりと目を細める。


「可愛いなぁ……」

「お前のほうが可愛いよ、ルーチェ」

「ふふ、ありがとコウ」


 コウに褒められて悪い気はしない。ルーチェは素直に言葉を受け止めて微笑むと、コウは声を詰まらせてうつむいた。


「コウ?」

「……なんもない。ほら、早く行くぞ」

「はぁい」


 コウに手をとられて馬車の中へ。真っ白なソファに腰を下ろす。こんなにすわり心地のよいソファはこれまでに一度だって座ったことがない。

 その感触を楽しんでいる間に、出発! という凜としたトカゲの声が聞こえてきた。


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