3.「あいつの目か、この色は」
「おい、うさぎ」
坊っちゃまはぶっきらぼうにうさぎを呼ぶ。
「これはおまえにやる」
返事も聞かずに、坊ちゃまはそれを放る。
うさぎが、何度か手の上で跳ねさせたのは鉱石。
青く澄み、「羽根」を内包したかけらだった。
◇ ◆ ◇
今回の滞在は少々長い。
薔薇侯爵一行は、湖畔の館で五日目の朝を迎えていた。
「狩り、ですか?」
半分ほど料理が残った皿を下げながら、うさぎは主人を振り返る。
「ああ。湖畔のと行くことになってね。うさぎ、お前も来なさい」
主人はにこやかに、ナプキンで口元を拭く。そして軽く咳き込んだ。
「ああ! 旦那さま大丈夫ですか!?」
うさぎの先輩奴隷である小人族の青年が、ゴブレットと薬の包みを載せたトレイを持って飛んできた。
主人は、受け取ったゴブレットからひと口水を飲み、浅く息を吐く。
「すまないね、駒鳥」
「ここのところお身体のご様子がすぐれないんですから、ムリしちゃいけませんぜ? 今日だって……」
小人族の青年――駒鳥は、うさぎが片付けた皿を見やる。
「お前が運んでくれるときは、とても美味しそうに見えるのだがね。次からは、少し量を減らしてくれないか」
「旦那さまがそうおっしゃるなら……」
駒鳥は、しぶしぶといった様子で引きさがる。
「旦那様、狩りもおやめになったほうがよろしいのでは……」
「いや」
主人は、軽く手を振ってうさぎの言葉を遮る。
「たまの気分転換は必要だ。お前を狩りに誘うのも同じだよ、うさぎ。それに、お前の魔法がどれくらい上達したのか、楽しみでね」
「フリージア様はとても良い先生です」
うさぎの言葉に、主人は穏やかに笑んだ。
うさぎは、主人の勧めと自由エルフ――フリージアからの誘いで、エルフの魔法を習っている。
元より簡単な(しかし、エルフの特性としての高い魔力で)魔法を扱うことはできた。
ところが、実際に本物の魔法に触れてみると、何から何まで違うのだ。発音や詠唱はもちろんのこと、世界の捉え方などが。
『言語は思想。魔法は目。エルフの魔法で、世界を覗いてごらんなさいナ』
意識してみると、世界、特に自然の色鮮やかさがまったく違う。
魔法を意識しながら目をやれば。森林には妖精たちが棲み、湖にも長い身体を持った、美しい精がいた。空にも、しかり。
覗けば覗くほど、うさぎは世界に魅せられた。
それからうさぎは、何度もフリージアの言葉を思い出している。
「エルフの魔法には、狩りをするためのものもあると聞いたが」
「はい。エルフも狩りをするそうで、いくつか教えていただきました。先生は霧と幻の民ですから、そのようなものなどを」
フリージアは、隣国出身の自由エルフだ。彼女の言葉を借りれば、「エルフは国より里につく」という。だから、正確には「霧と幻の民のフリージア」なのだそうだ。
もっとも、「フリージア」は偽名だ。これは、同じエルフのうさぎだけが感じ取ったことである。
「お父さま、お食事はもうおわりかしら?」
部屋の入口から、使用人を従えたお嬢様が歩いてくる。バラにたとえられる笑顔に、気遣わしげな色を乗せて。
「またのこされたのね……。わたくしは心配です」
「なに、少し疲れが残っていただけだ。エスカ、お前は心配性だね」
主人は、お嬢様の頭を優しくなでる。
「これから狩りに出られると聞きました。おつかれなら……」
「ははは、お前にも言われてしまったか。でも、大丈夫だよ」
主人は柔和な笑顔を向ける。
「湖畔の友に、ミハエル。巨木もいる。うさぎもね」
「はい。私もご一緒いたします」
「まあ、うさぎまで?」
お嬢様は、宝石のような青い目を丸くした。
「お前のうさぎを借りるよ、エスカ」
「それは……うさぎは、お父さまのどれいでもありますし……」
そして視線をさまよわせたあと、意を決したように、
「お父さま。わたくしも連れていってくださいませんか?」
今度は、主人とうさぎが目を丸くする番だった。
「わたくしがいれば、お父さまは無茶をなさらないでしょう? だから」
「エスカ」
優しく、よく通る主人の声。お嬢様をはじめ、その場のみなが口を閉じる。
「お前の気持ちは嬉しい。でも、今日はフリージア殿とドレスの仕上げがあるんだろう?」
「でも……」
お嬢様は小さな動きで口元を隠す。
「湖畔のお客人を待たせてはいけないし、私は、お前の素敵なドレス姿を楽しみにしているよ」
「お父さま……」
お嬢様がなおもと口を開いたところで、
「ハーイ、バラのお嬢様! 今日はドレスがひとつ仕上がりますわヨ! さあさ、さあさ!」
嵐のように現れたフリージアによってお嬢様が連れ去られ(そう言ってしまってさしつかえない騒がしさだった)、場の空気はうやむやになったのだった。
◇ ◆ ◇
『おいで、おいで、こちらへおいで。お前の目には、とても素敵なものが見えているだろう?』
うさぎは囁くように言葉を紡ぎ、風に乗せる。口にしているのは、エルフが魔法詠唱に用いる魔法言語だ。
狩場に、うさぎたち四人の前方に色の付いた靄がかかり、
とん。と、音がしたように思えた。
前方のウサギが、矢を受けてぱたりと倒れる。
「お見事」
湖畔の侯爵が、ゆったりと手を叩いく。
「なに、ウサギ狩りは得意な方でね。……うさぎ、お前のことではないのだよ」
曖昧な笑顔を浮かべていたうさぎに、今しがた矢を放った馬上の主人が苦笑しながら声をかける。
薔薇侯爵家の奴隷は「ならわし」として動物の名前をつけられる。よって、「こういうこと」が少なくない。
慣れてしまえばいいとは先輩奴隷たちの弁だが、うさぎはまだそこまでの境地に至っていない。
「いえ、ウサギの肉は好物ですので、お気になさらずに……」
「へんなことを言うやつだな、お前」
巨木に馬を引かせた坊ちゃまが、すれ違いざまに怪訝な視線を投げかけてくる。うさぎは微妙な笑顔を浮かべたまま、何も言えない。
坊ちゃまと反対側から、湖畔の侯爵もうさぎに馬を寄せた。
「見事な幻術だった。ウサギ……失礼、獲物が吸い寄せられるように我々の前に現れた。フリージアからの教えかな、これは」
「はい。私が使えるのはまだ、ほんの短い間ですが」
「良い、良い。吾輩としても鼻が高い」
湖畔の侯爵は、先をくるりと整えた口髭を撫でて、満足そうに頷いている。
「さて、庭園の友よ。今日はなかなかの成果だったとは思わないか」
「ああ、その通りだ、湖畔の友よ。ウサギ十羽にカモが六羽。逃してしまったキツネが惜しいが、贅沢は言うまい」
「はっはっは、欲がないな。しかしまあ、これだけあれば十分かね。血抜きは我が巨木が済ませてくれたしな」
「はっ、この巨木、しっかりと仕事をこなしましたとも」
巨木は、縄でまとめた獲物たちを高く掲げる。
今夜は豪華なディナーになることだろう。お嬢様もきっと、喜ぶはずだ。
うさぎがそう考えていると、
「父上、薔薇侯爵様。お帰りになるまえに、あたりをさんさくしてもいいでしょうか」
坊ちゃまが、談笑する侯爵ふたりに馬を寄せる。
「どうした、ミハエル。もう少し狩りたいのか?」
「いえ、僕にしてはウサギ二羽はじょうできです」
「このあたりは何かあるのかね?」
「はい、石の原、というものが。ほかのエルフに見せてやりたいと、いぜんフリージアが言っていたので」
「ほう」
急に貴族三人の視線が集まり、うさぎは少したじろいでしまった。
「というわけだ。うさぎ、ついてこい。魔法はまだ使えるな?」
「はい。いざというときは、目くらましにも」
「ふん、じゅうぶんだ」
「何かありましたら、この巨木めをお呼びください、坊ちゃま!」
坊ちゃまは、片手をあげて返事とした。
湖畔にほど近く、針葉樹に囲まれて外からは見えず。
目に優しい緑が広がる、自然のままの花畑。
小さな花の合間をこれまた小さな妖精や精が遊んでいて、そしてときおり光るものが目に入る。
うさぎが魔法を使うようになってから、いちばんにぎやかな光景だ。魔力が満ちている場所でもあるのだろう。
「石の原だ。見てのとおり、原石がころがっている。僕ら貴族が身に着けられるようなものも、ときどき見つかる」
草花の間に、いくつかの石が見える。宝石の原石だ。
だいたいは小さく色も良くないが、
「こういうものとかな」
馬から下りた坊ちゃまが、親指の先くらいの石を拾い上げる。
青い原石だ。
「この原石……なにか見おぼえがある気がするんだが」
それは青い蒼い、サファイアの原石だった。
「あいつの……エスカの目か、この色は」
坊ちゃまがぽつりと呟くのを、
「たしかに。澄んだ青が美しいですね」
うさぎは拾ってしまった。うっかりと。
坊ちゃまがすごい勢いで顔を上げる。うさぎはびくりと身体を震わせた。
「お前っ、聞いていたのかうさぎ!? いや、ちがうよな、お前の聞きちがいだな!?」
「え、ええ」
「ならいい。お前はなにも聞いていない。いいな!」
「はい、その通りです」
「まあいい……これはお前にやる!」
坊ちゃまはうさぎの返事も待たず、原石を放ってよこした。
うさぎはとっさに両手を出し、何度かてのひらの上で跳ねさせながらもそれを受け取る。
「よろしいのですか?」
「よく見るとクラックがある。フェザーと言えなくもないが、貴族が身に着けるものとしては、びみょうなところだ」
それを引き立たせる細工ができるやつがいれば話は別だけどな。と、坊ちゃまはさして興味もなさそうに言う。
「まあ、湖畔の領内にあるというだけで、ぜんぶがぜんぶ、人のものではないわけだしな」と、そう付け加えて。
坊ちゃまの言うとおり、原石には、白く反射する羽根のような、大きな罅が見て取れた。だけれど、特筆すべきはその澄んだ青――蒼の美しさ。むしろ原石のまま、フェザーが入った状態でこそ。
「翼を広げる蒼い天……。お嬢様は、空色の目をお持ちなのですね」
その青は、大地に住まう者たちを惹きつけよう。