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2.「ワタシの名前はフリージア」

 高い位置で結わえられた、透き通るような水色の髪。度のない眼鏡のフレームを細い指でなぞり、女エルフは微笑む。


「ワタシはフリージア。隣国から来たエルフ。この国で言うところの“自由エルフ”というものネ」


 偽名だ。

 うさぎは直感的にそう思った。



 ◇ ◆ ◇



「自由エルフと私を、ですか?」


 湖畔の侯爵が、薔薇侯爵のために用意した部屋にて。うさぎは主人からの言葉を繰り返した。


「そうだ。うさぎ、お前は他のエルフとほとんど接触したことがないだろう?」


 うさぎにティータイムの世話をさせながら、主人はにこやかに笑う。


「エルフとは滅多に会えないだろう? そもそもの人数が少ないし、彼らは人里に姿を現さないからね。いい機会だと思ってね、湖畔のと話をつけてきた。なんでも、彼女は仕立ての腕がいいそうだ。エスカのドレスをいくつか頼んだから、そのついでだ。なにか話を聞かせてもらいなさい」


 そう言って、主人は少なめに出された茶菓子を、半分ほど残した。


 こうして、うさぎは湖畔の侯爵家食客(しょっかく)の、「自由エルフ」と話をすることになったのである。



 ◇ ◆ ◇



 湖畔の侯爵家のドレスルームは、今や色とりどりの布地などが、乱雑なようでいてしかし秩序立って並べられている。


「もう、本当にステキなレディですこと! 噂通り、バラのように可憐だワ!」


 透き通るような水色の長い髪を、頭の高い位置で、独創的な三つ編みにした女エルフ。うさぎが初めて出会った、隣国出身の「自由エルフ」。まとう衣服や装飾品は、どこか異国を思わせる。話し方や語尾にやや特徴があるのも、隣国の言葉由来だろうか。


 彼女はキラキラと目を輝かせて、お嬢様を四方八方から見て回り、寸法を取り、布地を当て、せわしないことこの上ない。

 湖畔の坊ちゃまは、「付き合ってられるか」と、巨木を呼びつけて早々に立ち去ってしまっている。


 初めはうさぎ同様あっけにとられていたお嬢様は、ものの数分ですっかり慣れたようだ。微妙な生地の色合いや手触り、装飾、刺繍と小物の希望などをさらさらと伝えていく。

 打てば響くとはこのことか。

 うさぎが、目を回しそうになりながらも感心していると、


「ン、とりあえずはこんなところかしラ」


 しゅるりと、女エルフはまるで魔法のように紐定規(メジャー)をまとめた。


「あら、もう終わり?」


 お嬢様はまったく疲れを見せない。宝石のように青い目が、「まだ平気よ!」と語っている。


「ええ、お嬢様。今のところはここまで。それに、そろそろティータイムではなくって?」


 女エルフがぱん! と両手を合わせる。


「あら、もうそんな時間? ならひといき入れるのにちょうどいいわね!」


 お嬢様のひとことを合図に、うさぎを含めた庭園と湖畔の使用人、そして奴隷たちが動く。湖畔のほとりで、素早くテーブルセットやらの準備を始めた。


「そうそう、そこのアナタ」


 女エルフに呼び止められたのはうさぎだ。


「私ですか?」

「そう。ワタシが湖畔の旦那さまと庭園の旦那さまからおおせつかっていること、アナタもご存じネ?」


 にこにこと、人好きのする笑顔で女エルフは言う。

 昨日の夕と今朝、主人が言ってたことだろうか。


「でも、今は……」


 ちらりと、うさぎはティータイムの準備をする仲間たちへと視線を向ける。


「大丈夫ヨ。ねえ、かわいらしいバラのお嬢様!」


 身体に当てた生地の片づけをさせていたお嬢様が、ふたりを見やる。


「アナタのうさぎをお借りしてもよろしくて?」

「うさぎを……。そういえば、お父様がおっしゃっていたわね。わかったわ、このエスカがゆるします! うさぎ、行ってくるのよ!」


 腰に手を当て堂々と胸を張ったお嬢様に、うさぎは送り出されたのだった。




「このあたりがいいかしラ」


 うさぎが連れられてきたのは、お嬢様たちからは少し離れた湖畔のほとり。花を生けた、小さな花瓶のあるテーブルセットだった。

 華美ではないが、年月を経た飴色が美しい一式は、装飾を好まず最小限に留める「坊ちゃま」を思わせる。


「さあ、お話ししまショ」


 影のように現れた湖畔の使用人たちが、音もなく女エルフの椅子を引く。女エルフは自然な所作で腰かける。


「アナタもどうぞ」


 女エルフが対面の椅子を手で示すと、使用人たちはそちらもすっと椅子を引く。うさぎのために。


「いえ、私は……」

「いいのヨ。ワタシがここでこうしているのは頼まれたことだけれど、アナタがそうするのはワタシに対するもてなしのひとつ」


 微笑みながら、女エルフはゆっくりと人差し指で席を示す。無言の圧力があった。


「では、失礼して……」


 うさぎは席に着く。

 いつもは側に控える側なので、どことなく落ち着かない。

 まして、彼女は「自由エルフ」。この国でいえば、貴族相当の身分なのだから。


「そうかたくならないで。ワタシたちは同じエルフ。ネ?」


 女エルフは、どこかいたずらっぽい笑みを見せた。


「そうそう、アナタにはまだ名乗ってなかったわネ。ワタシの名前はフリージア。隣国から来たエルフ。この国で言うところの“自由エルフ”」


 偽名だ。

 うさぎはなぜか、直感的にそう思った。言語化できない違和感がある。


「あら、気づいたの。里のシルシがなくともエルフだワ」

「はあ……」


 どう反応していいものかわからず、うさぎは曖昧に返事をする。


「ワタシの真名はいずれ教えてあげるわネ。アナタは……」

「うさぎ、と呼んでいただければ」

「ふぅん……?」


 フリージアは口許を笑ませたまま、じっとうさぎの顔を見てくる。うさぎには彼女の意図が分からず、正直かなり居心地が悪い。


「まあいいでしょう」


 フリージアはうさぎから軽く視線を外し、柔らかい動作で片手をあげる。

 どこに控えていたのか、湖畔の使用人たちが気配もなく現れた。エルフふたりの前に、ささやかなティータイムの用意がなされる。

 気取りすぎず、かといって地味でもない。ティーセットに菓子、使用人たちの所作。ひとつとっても見事なものだった。

 うさきが感心しつつ参考にしていると、フリージアが、カップに注がれた紅茶に口をつける。


「さ、アナタもどうぞ。人里でしか暮らしたことのない、エルフのうさぎ。ワタシが教えてしんぜましょう、アナタの知らないことを」


 そして、フリージアは形のいい唇を動かす。

 矢継ぎ早に。

 でも、物語るかのように。


「エルフの里のシルシはここにあるの。ほら、ワタシならこれ。霧と幻惑とを生きる者の証」


「ワタシの里のエルフは、みんなこの髪色ヨ。アナタと同郷のエルフはどうかしラね?」


「ううん、アナタの里はワタシにもわからないワ。人里に下りるエルフは(まれ)だし、そもそも出会わないもの」


「そうネ、閉鎖的とも言えるわネ。エルフは里だけで生きていく。長い永い天命を」


「それともうさぎ、アナタはまだ“決まって”いないのかもしれないワ。シルシのない、無銘のエルフ――」



「こんなところにしか寄る辺のない、幼いうさぎ――」



 ◇ ◆ ◇



「ハイ、今日はここまで」


 一方的な、それでいて不思議と聞き入ってしまうフリージアの声音。

 楽しげな笑みを浮かべる口から発せられたひとことで、異国から来た「自由エルフ」のひとり語りは終わった。


「ねえ、うさぎ」


 片付けを手伝おうとしたうさぎの背に、フリージアから声がかけられる。


「アナタ、ワタシと一緒に来てみない?」


 気楽な様子で、


「この国の外へ」


 薄く立ちこめた霧に入り込んだような、ひんやりとした空気。

 うさぎは、そんな幻を見た気がした。

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