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1.「巨木、いすになれ」「は、直ちに!」

「あいわらず落ち着きがないな、エスカ」


 身なりの良い少年は、ふてぶてしくお嬢様を呼び捨てにする。


「まあ! ミハエルはいつも口さがないわね!」


 お嬢様も、機嫌の悪さを隠そうともしない。しかしギリギリ、態度は令嬢らしく。

 このふたりが顔を合わせるといつもこうだ。

 うさぎはお嬢様の隣で微笑みながら、内心ハラハラしていた。



 ◇ ◆ ◇



 主人とお嬢様は、うさぎを含めた使用人と奴隷を連れて、ある館を訪れていた。

 ここ西の湖畔をはじめとした一帯を治める、「湖畔の侯爵」に招かれてのことである。


 湖畔の侯爵家と、うさぎの仕える薔薇侯爵家は、ふるくから交流があるそうだ。

 時折、こうしてお互いの屋敷を行き来して親交を深めているのだと、うさぎは以前主人から聞いていた。


「だいたいなんだ、おまえがいつも連れているそいつは。ひょろっこくて弱そうだな?」

「うさぎはわたくしのどれいよ! あなたが良しとする強さとはちがった、いいところがあるの!」


 先ほどから、お嬢様とあれやこれやと言い合っているのは、湖畔の侯爵家五男のミハエル様。

 うさぎたち奴隷や使用人が「湖畔の坊ちゃま」と呼ぶ、お嬢様のフィアンセだ。


 子だくさんの湖畔の侯爵に対して、薔薇侯爵夫妻――うさぎの主人たちは、子宝に恵まれなかったという。

 そして、薔薇侯爵家にようやく授かったお嬢様。お嬢様が生まれた日は、侯爵夫婦はもちろん、使用人から奴隷から庭園のバラたちまで、大変な喜びようだったそうだ。


 そのお嬢様と、同じ年に生まれたのが坊ちゃまだ。

 薔薇侯爵と湖畔の侯爵の親しさ。そして、同い年のよしみで、坊っちゃまはお嬢様のフィアンセとして、薔薇侯爵家に婿入りすることが決められた。


 というのが、ことの顛末だという。


 当のお嬢様と坊ちゃまはしかし、そんな期待を裏切って(と言っていいのかはわからないが)、ソリが合わないのだ。


「うさぎ? ああ、耳が長いからだったか。それにしても、男とも女とも……。エスカ、こいつはどっちだ?」

「失礼なミハエルには教えないわ!」


 お嬢様はぷいとそっぽを向く。


「のどがかわいたわ! お茶をいれてちょうだい!」


 そしてそのまま背を向けて振り返らず、湖畔のほとりにあるテーブルセットへと向かう。

 薔薇侯爵家の使用人と奴隷を取りまとめる女がすぐにそのあとを追い、目線や手振りで周りに指示を飛ばす。お嬢様が席に着く頃には、ほぼ全ての準備が整えられていた。

 うさぎも向かおうとしたのだが、彼女は軽く首を振ってそれをとどめる。


「おい、うさぎ。お前は僕をほったらかしにするつもりか」


 どうやら、ふたりを落ち着かせる時間を稼ぐために、坊ちゃまのご機嫌を取る役目を与えられたらしい。

 うさぎは胸の中で苦い息を吐きながら、坊ちゃまに穏やかな笑みを向ける。


「いいえ、坊ちゃま。このうさぎになんなりと」


 少々の不安を押し込めて、うさぎは坊ちゃまを見る。

 艶のある栗色の髪、年相応に子供らしい肉付きの身体。上質な布地を使った仕立てのよい服に身を包み、しかし装飾品は少なめ。今まで見かけた際もそうだったので、飾りがあまり好きではないのかもしれない。


 そのままたたずんでいれば、静かな湖畔が似合う少年だ。しかし、お嬢様と口をきいたあとは今のように不機嫌な様子を隠さないし、粗暴な態度を取ることもある。

 だから、お嬢様を愛する薔薇侯爵家の奴隷や使用人たちからは、あまり評判がよろしくない。それが、湖畔のミハエル様だ。

 はたして、今日はどうだろうか。


「うさぎ、お前はどれいだろう。僕のいすになれ」


 坊ちゃまがとんでもないことを言い出した。

 引きつりそうになった口元を、なんとか笑顔のまま留めたうさぎは褒められていいはずだ。


「私はお嬢様のうさぎですので……」


 嬉しくない懐かしさを感じながら、うさぎはやんわりと言葉を濁す。

 坊ちゃまも期待などしていなかったようで、


「ふん、まあ巨木にくらべて軟弱だしな。座ってくずれられてはたまらない」


 鼻を鳴らして、視線をよそへやる。

 その先には、ほとりで談笑するうさぎの主人と、湖畔の侯爵がいた。そして、遠くからでもよくわかる巨躯の大男がひとり。


「父上!」


 坊ちゃまは声を張り上げる。

 侯爵ふたりはそれに気づき、こちらを向いた。


「お話し中のところすみませんが、巨木を貸していただけますか!」


 湖畔の侯爵は「おや」という顔をした。うさぎの主人と二、三言交わし、そして大男に何かを伝えているようだ。

 大男はゆっくりと頷き、こちらを向いて片足を後ろに一歩下げる。そのままわずかに身を低くし、


 ぼこり。

 と、大男の足元の地面がすり鉢状に窪んだように見えた。


 下げた足を前に勢いよく踏み出し、「ずどどど」と地響きをともないながら、大男はこちらに突進してくる。

 近づくにつれ、地面を踏みしめる音と振動が、徐々に大きく。うさぎは内心ぎょっとする。


「この巨木めをお呼びですかな、坊ちゃま!」


 大男は土埃を上げながらも減速、坊ちゃまの一歩前で危なげなく停止し、ひさまずいた。そよりと、うさぎと坊ちゃまの前髪が揺れる。

 跪いたままでも、その巨躯は、長身であるうさぎの胸まで高さがある。丸太のように太い手足と筋肉質な肉体は、質素ながら清潔かつ作りが丈夫そうな服の上からでも、十分に存在を主張していた。

 そして、胸には金色に輝くメダルのネックレス。「湖畔の紋章」が刻印されている。


「エスカのどれいに、お前のことを紹介してやろうと思ってな」


 坊ちゃまは大男に立つよう促すと、どこか自慢げな光を目に宿してうさぎを見る。


「うさぎ、紹介してやる。こいつは湖畔の侯爵家のどれい、巨木だ」

「こうしてお目にかかるのは初めてであるな。巨木と申す」


 見上げるほどの大男――巨木は、上腕の筋肉を強調するようにポーズを取り、白い歯を輝かせた。


「はあ……私はうさぎと申します」


 うさぎは思わず、半歩引いてしまう。


「どうだ、強そうだろう? 巨木、いすになれ」

「はっ、直ちに!」


 巨木は、大きくたくましい両手と両膝を地面につき、四つん這いの姿勢をとる。坊ちゃまは満足そうに頷くと、その背中によじ登り、腕を組んで座った。


「これが“どれいのいす”だ」


 誇らしげな両者を前に、うさぎはただ、「……はあ」と、気の抜けた相槌を打つことしかできなかった。




「父上がお呼びだ。僕は行ってくる」

「では、わたしも」

「いや、いい」


 坊ちゃまはついてこようとする巨木を軽く制し、


「どれい同士で、かるく話でもしていろ。これから長いつきあいになるだろうかな」


 父上がそうおのぞみだ。

 と、坊ちゃまはうさぎを「ふん」と一瞥し、侯爵たちが談笑するほとりへと歩いて行く。

 代わりに、うさぎの先輩奴隷である小人族の青年が、素早く坊ちゃまの側に付いた。


「うさぎ殿」


 坊ちゃまの背中を見送っていると、巨木がうさぎに声をかけてきた。


「ただのうさぎで結構ですよ、巨木さん」

「わたしも巨木で結構だ」


 巨木が鷹揚に頷く。

 巨人族である巨木と並ぶと「圧」を感じるなと、うさぎはぼんやり考えた。


「いきなり呼ぶのも抵抗がありますね」

「ならばお互い好きにするとしよう、うさぎ殿。貴殿……いや、貴女か?」

「どちらでも構いません。みなさんよく間違われますので」


 年若いエルフであるうさぎの外見は、中性的だ。

 白に近い金髪は束ねてなお背中までの長さがあるし、すらりと細い体型も、どちらか判別しづらい。声だって、低めの女声じょせいで通せてしまう。

 本日の装いも、薔薇侯爵家の者でなければ、女性と見間違えても無理はない。

 思えば、坊ちゃまの「巨木」に対する、お嬢様の意趣返しだったのかもしれないが。


「そうか。うさぎ殿は椅子にはならぬのか?」


 まるで不意打ちだ。

 とっさに平静を装ったうさぎは、自分を褒めることにする。


 薔薇侯爵家といい湖畔の侯爵家といい、なぜ彼らは「どれいのいす」にこだわるのか。

 うさぎが今まで知らなかっただけで、奴隷と言えば椅子なのだろうか?


「庭園のご令嬢ならば、うさぎ殿でも支えられるだろう」


 庭園の、とは、薔薇侯爵家の別名だ。「バラが見事に咲き誇る庭園」からきている。

 それはそれとして。

 椅子うんぬんについては、うさぎが負荷に耐えられるかどうか、という問題ではない。


淑女レディに関することですので、お答えできかねます。どうかご容赦を」


 やんわりとうさぎはかわす。

 まさか、「うさぎのいす」について話すわけにもいかない。

 いつの間にか八歳になっていたお嬢様はもう、とうに卒業したのだ。

 あの日のことは、涙なしには語れない。


「そうか。これは失礼した」


 巨木は深追いせずかわされてくれた。

 うさぎはほっと小さく息を吐く。


「ところで。うさぎ殿はエルフであったな」

「はい。この耳のとおり」


 うさぎは、長く、先の尖った自分の耳を指す。


「ふむ……ならば、あの方と話が合うやもしれぬ」

「ええと……あの方、とは」


 顎に手をやり、しげしげと見てくる巨木の視線に困惑し、うさぎはさらに半歩下がる。


「おお、失礼した。なに、湖畔の旦那様のことろにお客人がいらしていてな。そのお方がエルフであるのだ。国外からの」

「国外のエルフ……」


 うさぎは、反芻はんすうするように口を動かす。


 この国は人間至上主義を掲げている。それゆえ、国に住む「人間以外の種族」は、すべて奴隷だ。

 ただし、例外はある。

 外国出身だとか、なにか身を立てることができれば、人間と対等に渡り合う身分を手に入れることができるのだ。


「自由種族、ですか」

「ああ。自由エルフだとおっしゃっていた」



「湖畔のところに来ている自由エルフと会ってみるかね?」と主人に誘われたのは、夕方のことだった。

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