桜色
「俺、お前のこと好きだったわ」
それは突然だった。陽佑は目の前で照れたように頬をかく俊樹を呆然と見つめた。
俊樹は高校の頃の親友だった。高校を卒業してからは一度も会っておらず、今回久しぶりに “出会って” 思い出話に花が咲いていたところだった。
俊樹の発言に驚いて返事もできない陽佑を見て、俊樹は俯きながら話し出した。
「まあ、こんなこといきなり言われても気持ち悪いよな。忘れてくれ」
「えっ、忘れろって……」
「別に困らせたくて言ったわけじゃねえんだよ。ほんと悪かった」
「っ、ちょっと待て、勝手に決めつけんな」
「決めつけんなって……お前引いてたじゃねえかよ」
「違う……びっくりしちまって……」
そうなのだ。陽佑は驚いただけであって、決して俊樹の言葉を不快に思ったりなどはしていなかった。いや、むしろ心のどこかで喜んでさえいた。
「……なんだよ、テメェもだったのかよ」
「え?」
「……俺も、お前のことが好きだった」
そう、陽佑もまた俊樹のことが好きだった。自身の気持ちに気づいたのは高校を卒業してからの事だったが、それは確かに、恋愛感情としての “好き” だった。男相手に好意を抱くのは、世間ではあまり良いようには思われないだろう。陽佑はそんな思いを拭いきれずにいた。しかし今、自分だけでなく俊樹も同じ気持ちを抱いていたと知り、陽佑は許されたような気がしてひどく安心した。
「ハァ、何なら早く言っときゃ良かった」
「なんだ。俺達、お互いに遠慮して言えなかったって訳か」
「まあ昔のことなんて今更どうしようもねえだろ」
「まあな、後悔は……してない」
「……だな」
陽佑と俊樹は互いに顔を見合わせ、困ったように笑った。
確かに、高校の時にどちらかが告白していれば今とは違った関係になっていたかもしれない。だがしかし、後悔していないのは本当だった。こうして互いの思いを打ち明けられただけでも良かったに違いない。これまでの気持ちに区切りをつけるためにも、そしてこれからの気持ちのためにも。
「お前、今何してんの」
陽佑の背中にもたれるようにして座った俊樹が尋ねてきた。
「俺か、普通にリーマンやってる」
「あ?お前あん時は画家になりてえとか言ってたじゃねえかよ」
「まあ現実はそう甘くねぇ、って事だけ言っとくわ」
小さい頃から趣味で絵を描いていた陽佑は、高校の時に絵のコンテストで入賞するほどの実力を持っていた。先生には美大を勧められたこともあったが、陽佑はそれを断って普通の大学へと進学したのだった。今でも絵を描こうかとは思うが、高校の時ほど時間は取れなくなってしまった。いつも陽佑の絵を見ては目を輝かせて興奮していた俊樹を思い出し、くすりと笑みがこぼれる。
「……諦めたのかよ」
ふと、背後で不機嫌そうな俊樹の声があがった。おそらく、陽佑がもう絵を描かないのだと思っているのだろう。誰よりも陽佑の絵を見るのを楽しみにしていた俊樹のことだ、そうに違いなかった。陽佑はしばらくして口を開いた。
「……いや、ちょっと寄り道って感じか?」
「寄り道?」
「おう、絵を描くのは今じゃねえんだ」
「……そんなもんなのか」
「そんなもんだって。お前こそ最近どうなんだよ」
陽佑はそれとなく話題をそらした。俊樹もこれ以上聞いても無駄だと思ったのか、追及してくることはなかった。
「俺はなー、まあ、ゆっくりしてるかな」
「なんだよそれ」
いまいちはっきりしない答え方に、陽佑はあきれたように笑った。それにつられたように俊樹も笑いだし、陽佑の背にもたれた俊樹の体がかすかに揺れた。
「だってよ、時間が余るほどあって仕方ねえんだ。やりたいこともできねえし」
「なんでだよ、すればいいじゃねえか」
「まあ、もうちょっとしたら自由にできるっぽいから、それまでは我慢だな」
「お互い、今は時期じゃねえって感じか」
「確かにな」
高校の時に戻ったかのような懐かしさの中、陽佑と俊樹は様々な話をした。大学の話、家族の話、会社の話、話題は尽きなかった。お互いにまだ独身だというのには思わず笑ってしまったが。
ひとしきり思い出話をした後、陽佑はあることを提案した。
「なあ、来年の春に久々に会ってみねえ?」
「え?」
俊樹が驚いたような声をあげた。その後黙ってしまった俊樹を不思議に思いつつ、陽佑は楽しそうに話し出した。
「まあプチ同窓会みたいなもんだ。酒でも飲みながら思い出話でもしようぜ」
酒が飲めるような年齢になってからしばらく経つが、改めて歳をとったことを実感してしまう。剃り残した顎のひげを擦りながら、陽佑はしみじみと思った。
「……そうだな、会おうか」
俊樹の返事は予想していたよりもずっと控えめなものだった。なんだか肩透かしをくらってしまった陽佑は不貞腐れたように口を尖らせた。
「なんだよテメェ、乗り気じゃねえな」
「いや、本当に楽しみだって!ほんと!」
陽佑の機嫌が悪くなったのを感じ取ったのだろうか、背中から離れて前に回り込んできた俊樹は慌てたようにそう答えた。必死なその姿に思わず笑ってしまうと、俊樹が恥ずかしそうに睨んできた。さすがにからかいすぎたかと謝ると、俊樹はため息をついて隣に座った。
「それにしても来年の春かぁ、桜の季節だな」
しみじみといった風に呟く俊樹は桜を思い浮かべているのか、微笑んでいた。
「おう、花見もするか?」
「うん、やろう」
「じゃあまた予定決めたら連絡するわ」
そう言って陽佑は立ち上がろうとしたが、咄嗟に俊樹が腕を掴んだために動くことができなかった。どうしたのかと俊樹の方を見ると、真剣な目が陽佑を見つめていた。
「……絶対来いよ」
「ハァ?当たり前だろ」
陽佑が約束を破るような人間ではないことなどよく分かっているはずだというのに、俊樹はそう言ってきた。あきれたように陽佑は答えたが、それでもやはり俊樹の目はまっすぐに陽佑を捉えていた。有無を言わさぬような鋭さをたたえたその瞳に、陽佑も真面目に正面から向かい合った。
「俺は必ず行く、だからお前も絶対に来い。いいな?」
語調は強気だが、どこか不安な気持ちが見え隠れする俊樹の瞳を見て、陽佑は安心させるように頭を撫でた。
「絶対行くから安心しろって」
「……うん」
しばらく陽佑に撫でられていた俊樹だったが、ようやく笑顔を見せた。
「……じゃあ、また来年の春に」
「じゃあな」
陽佑はようやく立ち上がって、俊樹に背を向けて歩き出した。俊樹はいつまでも、手を振り続けていた。
夜になるとまだ肌寒い春先のある日、ライトアップされた桜並木の下、大勢の花見客にまざって一人でいる男がいた。
「あとは、桜の花びらを足して、っと」
男の周りにはパレットや絵の具といった様々な画材が広げられていた。地面に落ちる前に布で受けた桜の花びらを丁寧に一枚ずつキャンバスへと貼り付けていく。
「……完成。やっと出来た」
そう言った男の手元には、淡いピンク色に彩られた桜の木の下で一人の男が嬉しそうに笑っている絵があった。本物の桜の花びらを使ったその絵は、今にも桜の花びらが舞いそうなほど生き生きとしていた。男は絵を静かに自分の傍らへと置くと、目の前に並ぶ桜の木々を見上げて小さくため息をついた。
「ったく、せっかく出来たってのにテメェは何やってんだか。男一人で花見すること程虚しいもんねえぞ」
一人でボヤいて酒を煽るその姿は、お世辞にも格好がいいとは言えず、いかにもサラリーマンといった感じだった。よく見ると、男以外に誰かが来る様子はないにも関わらず、男の手元の酒とは別に蓋の開いた缶ビールが置いてあった。
「お前のために、こっそり絵を描いてたのによ」
ぽつりと呟いた男の声には、寂しさが滲んでいた。ゆっくりと視線をキャンバスへ向け、指先で撫でるようにして触れる。描かれた男をじっと見つめ、男は再び呟いた。
「……あの夢を見た時、本当はなんとなく気づいてたんだ。お前がもうじき死ぬんじゃないかって」
男の脳裏に浮かぶのは、必死になって自分との約束を守るように言ってきたあの時の男だった。
「なんで言わなかったんだ、俊樹」
陽佑はキャンバスに描かれた俊樹から目をそらすことなくそう呟いた。
陽佑が夢の中で俊樹と出会った時、はじめはただの夢だと思っていたが、会話をしているうちにそうではないという考えに至った。俊樹もまた陽佑と同様、夢を見ているのだと思った。夢殿、というものがあるように、偶然二人は夢の中で出会った。そうでなければ、高校卒業以来一度も会っていない俊樹の姿など、分かりっこない筈なのだ。
そう解釈した陽佑は相手が俊樹本人であることを信じ、次に出会う約束をした。それは、陽佑のとある計画のためでもあった。
「お前が死んだっていう報せを聞いたとき、正直ふざけんなって思った。絵もやめようと思った。でも、お前が絶対に来いって言うから、俺はお前に会うために、お前に会った時のために絵を描き続けた。」
いつの間にか花見客は少なくなり、静かな風に揺れる木々の葉が音を立てていた。
「お前に渡すために描いた絵。それがやっと、今日完成したんだ。花見で一緒に酒飲みながら、絵を渡して、告白するつもりだった。俺にしては凝った演出だろ」
男はどこか威張ったように言い放った。遠くで鳥が鳴く声が聞こえてきた。
「覚えてるか、俺達が初めて出会ったのは桜の木の下だったって事」
「桜の花びら必死に掴もうとしてる変な奴、それがお前の第一印象だった」
「卒業式、お前に大量の桜の花びらぶちまけられたのも今となってはいい思い出だ」
次々と蘇る俊樹との思い出。そのどれを振り返っても、いつも傍には桜の木があった。
「気づいたら、桜がお前との大切な思い出のありかになってた。だから、桜の咲く春にお前に会って言いたかったんだ」
「……好きだ」
陽佑は、目を閉じて小さくそう呟いた。高校時代言えなかった言葉、伝えられなかった思い。確かに後悔はなかった。だがしかし、諦めたわけではなかった。大学を卒業して会社に勤めだしても、ふと思い出すのは俊樹のことだった。忘れられなかった。そんな中、俊樹の思いを知ったときはとても嬉しかった。それでようやく決心がついたのだ。俊樹に告白しようと。
「好き、好きなんだ、俊樹。お前のことが」
何度も何度も陽佑は声に出した。好き “だった” ではなく、好き “だ” という言葉。今までも、これからも、俊樹のことを愛している。そんな自分の思いが俊樹に伝わるように、陽佑は何回も俊樹の名を呼んだ。
「ちゃんと聞いてたか?もう言わねえからな」
閉じていた目を開いて桜の木を見上げる陽佑。もちろん誰からの返事もなかった。
「ハァ……せっかく桜が綺麗なのによ、一人酒とかほんとないわ……」
再び酒を煽る。若干酔いが回ってきたのか、体が温かくなってきた気がする。
陽佑はキャンバスに目をおとした。陽佑の好きだった、俊樹の花が咲いたような笑顔。俊樹を包むように舞い散る桜の花びら。陽佑の頭上から散った桜の花びらが落ちてきて、キャンバスを埋め尽くしていく。
桜の花びらは本物を使用しただけあって、生命力にあふれたものとなっていた。
けれど、彼は。
「……桜の花はあるのに、なんでお前はいねえんだろうなぁ」
陽佑の目からこぼれ落ちた雫が、キャンバスを滲ませた。
Fin.