vol.1
1
朝のショートホームルーム前、教室でクラスメイトとだべっているところへ、入ってくるなりずかずかずかと歩み寄ってきた女生徒に、
「この変態ッ」
という怒声とともに側頭部に廻し蹴りを喰らい、水色のショーツの残像を目に焼きつけつつ薙ぎ倒される、などというのはまあ日本の平均的な男子高校生の生活とはかけ離れているだろう。
「何しやがる!」
巻き込まれた友人二人を下敷きにしつつ身を起こし、加害者を睨みつけると、彼女――有原春香は蹴り終えた姿勢から腰に手を当てた仁王立ちになって傲然と僕を見下ろし、
「妹のいる兄はすべからく死ぬべきよ!」
と、意味不明極まりない文句を吐いた。春香の言語明瞭・意味不明瞭発言には不本意ながら慣れているが、これはかなりハイレヴェルだ。
「えーと……十秒やるから落ち着け。それから言いたいことをもう一度整理しろ」
頭をさすりつつ、友人たちを助け起こし、ついでに椅子も助け起こして座りなおす。春香はなおも肩で息をしつつ僕を見据えていたが、律儀に十秒後、
「妹は兄によって有形無形の苦痛を受けているのよッ」
十秒では足りなかったらしい。だが僕は対話を試みる。
「その妹というのは俺の妹か、それともお前のことか?」
僕には四つ下の妹がいて、春香には五つ上の兄がいる。
「両方」
少し落ち着いてきた春香、
「ウチの兄貴がああってことは、同類項のアンタもそうに違いないんだわ」
落ち着いてこのレベルなのだ。もうクラス中がこちらを見ている。
「だから何がどうなんだよ」
「……由紀ちゃんって、お風呂上がりにその……し、下着姿で歩き回ったりする?」
「……昨夜はパンツ一枚で肩にタオル巻いて腰に手当てて牛乳飲んでたな」
妹――由紀の、あられもないというよりは目も当てられない姿を思い出しつつ答えると、春香の表情がまた少し険しくなり、
「それを見てアンタはどう思ったり何をしたりしたのかしら」
「育たねえなあ、と言ってや」
言いかけて、三種類くらいの視線を浴びて沈黙する。先ほど僕と一緒に倒されたロリコンの伊瀬の嫉ましそうなそれと、春香の殺気をはらんだそれ、そして春香の傍に寄ってきた学級委員兼保健委員・高村麻美の眼鏡越しの冷え冷えとしたそれ。
「つまりアンタは由紀ちゃんの……胸とパンツを眺め回して、あまつさえドセクハラ発言に及んだと。ほほう」
春香の声が三音くらい低くなり、
「そして部屋に戻ってアレやコレやッ」
一気に一オクターヴ跳ね上がって咆哮した。
「アレやコレやって何だよ!」
負けじと怒鳴り返すと、春香はやにわに頬を紅潮させ、
「だっ……だからその、胸とかパンツとかを……思い浮かべて……あ、う、」
湿り気を帯びた声で言いよどみ、ついには黙りこくって俯く。ここに至ってようやく事態を把握した。つまり、
「お前の兄ちゃんがお前のパンツ姿で抜いてたのか。さすがひきこもりニート」
先刻の被害者のもう一人、黒木が重々しく告げる。直後、壮絶な平手打ちが飛んだ。
「マジ最低ッ」
春香が半泣き顔でわめく。僕は彼女の兄――祐介さんのよどんだ目を思い出し、
「だからって俺に八つ当たりするな! ていうか俺は断じてそんな変態じゃねえッ」
憤然と抗議した。後半は高村とともに非難がましいまなざしを僕に向けつつあったクラスの女子たちへの宣言でもある。
「どういう頭の構造してたら兄貴にオカズにされた次の日にクラスメイトを蹴り倒すことになるんだよ! どこまでバカなんだお前は!」
「うるさい! アンタの頭の中なんて大体お見通しよ!」
「見通せてねえだろ! 俺にもお前の頭の中が見通せん、むしろカラッポで向こう側が見通せそうだ!」
「なんですってこのバカッ」
「バカはお前だッ」
直後、春香の右足が一閃。再び水色のショーツを拝みつつかろうじてかわす。
「避けるなバカ!」
「避けなきゃ当たるだろうが短気バカ!」
「当たり死ねバカ!」
「ヘンな日本語作るな水色バカ!」
「みず……?」
一瞬呆けた表情になった春香、直ちに真っ赤になり、
「見るなッ、バカ哲哉ーッ!」
脇の机に置いていたカバンを僕の顔面にぶちこんだ。置き勉はしない彼女の、教科書とノートとペンケースと、一日三冊は図書室で借りる本の重みがひとかたまりの凶器になってクリーンヒット。
昏倒する直前、
「まさにバカップルだな」「うむ」
という、伊瀬と黒木の声が耳に届いた――。
2
「あんまり仕事増やさないでもらいたいんだけど」
保健室で、ベッドに寝かされた僕の額にオキシドールを塗りながら高村が言う。情けなくもノビてしまった僕を一人で担いで連れてきたのは、身長一七五センチの堂々たる体躯でバレーボール部キャプテンも務める彼女だ。ちなみに僕は一六三センチで春香は一五五センチ。
「俺にいてッ、言うなよ。どう考えてッ、ても悪いのはあいつだろ」
抗議しつつ、視界を横切る脱脂綿が赤く染まっているのを見て取って渋面を作る。こりゃ重傷だ。
「わたしはフェミニストなので痴話喧嘩のときは女の子の味方です」
イソジンを摘みつつ高村。そういえば上野千鶴子なんか読んでたっけ。
「アレが痴話喧嘩に見えたのか、高村には」
「二人でアレだけ仲良くバカバカ言い合ってれば誰だってそう思うわよ。おまけにパンツ覗いて」「いててててて」「カバンで殴られて失神なんて、犬どころか金魚も食べないわね」
パンツ覗いて、のくだりでぐりぐりとイソジンを押し付けられ、悲鳴を上げる僕。
「不可抗力だッ! ていうか、常識的に考えて校則違反スレスレのスカートで廻し蹴り喰らわす女なんかいるかよ」
「そういえば、パンツ見えたら困るから何とかしろっていつか説教してたわね、草薙君」
「そんでモップの柄で殴られたよ高村さん」
「どうして困るのかしら?」
女教師のような口調で訊いてくる。
「どうしてって……目の毒だろ。何かの拍子でそんなモノが視界に入ったら」
「そうねえ、他の男子に見られるのはイヤよね」
「おい人の話聞いてるか?」
「はい終わり」
僕の言葉を軽やかにスルーして、高村は額に絆創膏を貼った。そして立ち上がりつつ、
「まさか気絶するとは思わなかったから、少しくらいここで寝ててもいいわよ。先生にはわたしから言っておくから、 草薙哲哉は有原春香のパンツ覗いて保健室送りになりましたって」
「その前の過程をはしょりすぎだ!」
「あんな話を細大漏らさず報告しろなんて言ったら、わたしも怒るわよ」
声のトーンが女教師から生真面目な女子高生になった。
「……言わねえよ」
「わかってるわよ。それじゃ、あとは付き添いに任せるから」
ドアを開け閉めする音。……付き添い?
「出てきていいぞ、そこのバカ」
返事の代わりに、かさりと物音。
「高村一人で運んできたんじゃなかったのか」
「……担いでたのは、麻美だけ。あたしは……ついてきた」
さっきまでの声量はどこへやら、蚊の鳴くような声だ。
「そんなことあいつ一言も言わなかったのに。隠れて様子伺うくらい心に疚しいんだったら最初からするなよ」
「だって、」
ちょっと声が大きくなり、
「……アンタがスケベなんだもん」
「不可抗力だッ! ていうか、常識的に考えて校則違反スレスレのスカートで廻し蹴り喰らわす女なんかいるかよ」
高村に言った台詞を同じ調子で繰り返してやる。そして、
「お前以外にはいてほしくないな」
沈黙。
「なあ」
「……何?」
「お前は風呂上がりに下着姿でうろついたりしてるのか?」
「してない!」
ようやく、視界の端から春香が顔を出した。頬を染め、
「……パンツ一枚じゃ、ない」
「肩にタオルか」
「Tシャツ着てる!」
シド・ヴィシャスのプリントされた祐介さんのお下がりのTシャツに水色のショーツといういでたちで、腰に手を当てて牛乳を飲む春香を想像する。
「見えるか見えないかってのがポイントか」
「何か言った?」
「今度から短パンはけ。由紀にはパジャマ着ろと言っといた」
「……うん」
神妙にうなずく春香。僕は天井を眺める。
「雑誌読んだ。祐介さん、今回も蹴られてたな」
「いつまでラノベ作家なんか目指すつもりなんだろ、あのバカ兄貴」
とげとげしく春香は言う。
「長男のくせに大学やめて働きもしないで、一日中パソコンに向かってて。あげくに妹の………………話考えすぎてとうとう頭イカレたかしら。姥捨て山に捨ててこようかな、あんなひきこもりニート」
「『兄貴は作家目指してるからTrainingはしてる! ニートじゃない!』」
唐突に春香の真似をして声を荒げてみる。
「…………」
「お前が高村に本気で怒ったのを見たの、あの時だけだな」
「……今回、三次選考まで行ったの」
「知ってるよ。ずっとチェックしてたから」
「……知ってる」
「小学生のときにさ、最初に祐介さんの作ったお話読ませてもらってから、ずっとファンなんだ。俺が第二号。第一号は、お前」
少し間をおいて春香、
「昨夜、兄貴蹴り倒してから、」
「ん」
「……一時間くらい部屋で泣いた」
「で、また腹が立ってきたから改めて蹴り倒しに行ったんだろ」
「なんでわかんのよ」
「頭の風穴が大きすぎて、そのへんはよく見通せる」
「バカ」
僕は少し笑った。
「……そしたら、兄貴、泣いてた。僕最低だ、って」
「……そっか」
「あたしもなんか、悲しくなって。蹴れなくて部屋に戻って、でもなんかもやもやして……」
「……それで、寝て起きたら俺を蹴り倒したくなった、と」
「あはは、そう、なるかな」
前言撤回、わけわからん。目を春香に戻す。
「春香」
「何?」
「バーカ」
春香は一瞬で茹でダコみたいになって、
「何よバカ哲哉! バカって言うヤツがバカなのよ! バーカバーカ!」
「今泣いたカラスがもう笑った」
言ってやった。春香、虚をつかれた顔になり、慌てて眼元をぬぐう。
「なッ、泣いてないわよ! バカ!」
「そういうことにしとくか」
「もう! バカ哲哉!」
「バカって言うヤツがバカなんだよ、バカ春香」
笑いながら体を起こす。
「さてと、教室戻るか」
「だ……大丈夫、なの?」
「ダテに十年以上お前に暴力受けてねえよ」
床に降り立ち、大きくひとつ伸び。そして、
「あー……でもお前先に戻ってろ。俺五分くらい暇つぶしてから行く」
「え、なんで?」
「一緒に戻ったら伊瀬だの黒木だのがやかましそうだ。バカップルのご帰還とか言って」
「……そんなの知らないッ! バカ!」
春香は回れ右して、きびきびとぎくしゃくの中間みたいなヘンな俊敏さで保健室を出て行った。僕はポケットに手を突っ込み、なんとなく視力検査の張り紙を見ながら思う。
――今更時間差つけたところで、保健室までついてきた時点でバカップル呼ばわり確定だよなあ。
3
ところで今日は月末の金曜日であり、一般的な高校生ならば、五日間の苦行の終わりだァ早く授業終われ早く授業終われ早く授業終われだらだら喋ってんじゃねえこのクソ教師、などと朝から教壇に向かって念じ続けたりもしようが、僕は現在一刻も早く昼休みが終わってほしい。
「そろそろか」「そろそろね」「そろそろ」「そろそろ」「そろそろ」「そろそろだな」
クラス中のさざめき――実のところ全校規模なのだが――の中、隣で黒木が言う。
「……ああ、そろそろだよ」
プチトマトを噛み潰しつつ苦い顔になる。トマト自体あまり好きではないが約一分後に始まるアレを考えると余計にまずい。
「そんな顔するなよ、アレのおかげで月の最後が潤うんだぞ」
「俺は枯れ果てる」
肉じゃがをつつきつつ黒木に答え、
「おいおいその歳で腎虚かよってッ」
食事時に下品な冗談を飛ばした者に女子から発射されるスカッド消しゴムミサイルを後ろの伊瀬が喰らい、
「水墨画でも描こうかなァ」
母親が執拗に投入する梅干し爆弾を撤去しながらぼやいて、
『ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぱーん! 赤い彗星ハルカのォ! ジェット・ストリーム・アフタヌーン!』
浅倉大介のインスト曲をバックに従えた大音声がスピーカーから轟き、僕は梅干しを取り落とす。
『月の終わりに溜まった疲れをぶっ飛ばす! 名誉放送委員長・有原『赤い彗星』春香がお送りする三十分のウルトラリラクゼーションタイム! 六月水無月ジューンも終わりですね、ろくに雨も降らないうちにもう真夏みたいな暑さでイヤんなります! 校長先生は至急校門から校舎までの無駄な上り坂に動く歩道を設置してくださいッ! 時速三十キロの!』
ドッ、と湧き上がる教室。同時多発的に校舎中から笑い声が起こって共鳴している。
『一年生のみんなにはこの放送は三回目ですね、もう慣れたかしら? 月末の金曜日はあたしが昼休み中DJやります! そこ、受験生がそんなことやってていいのかとか言わない! 最近はがんばって勉強時間延ばしてるんだからね! 前年度比五〇%増の一時間半! ちなみに一年生のころは五分で飽きて本読んでましたッ、くたばれ数学!』
異議なーし、と一部生徒から妙な気勢。全共闘かよ。
『二年生のみんな、そろそろ学生生活ドロップアウトしかけてる人もいるんじゃないかな? ダメよォそんなんじゃ、部屋にこもって2ちゃんねるで顔も名前も知らない相手と馴れ合ってても何も生まれないわ! やっぱりナマのお付き合いをしないとね、ってそこニヤけない! ヘンな意味じゃないわよ!』
「てめえで言ってりゃ世話ねえよ」
なんとなくご飯をザクザク突き刺しながらうめく。伊瀬に対する先制攻撃のトマホーク消しゴムミサイルが飛来するのが見えた。
『そして三年生のみぃんなァ、来月の期末を終えればいよいよ受験の夏日本の夏天王山デザートストームですッ! あたしも勉強時間を一時間四十五分に大出血延長してクーラー当たりながら乗り切ります! 敵は強大ですが正義は我らにありッ! ジーク・ジオン!』
「ジーク・ジオン!」
黒木を筆頭とする三年四組のガンダムオタク『黒い三連星』が唱和して女子の冷たい視線を浴びる。女子のガンダムオタク筆頭はほかならぬ春香なのだが。
『いつも通り、ケータイメールでお便り受け付けます! アドレスは、えいちえるけー・あんだーばー・あかいすいせい・あっとまーく・いーじーうぇぶ・どっと・えぬいー・どっと・じぇーぴー! じゃんじゃん送ってきてね! それでは今日はこの曲から、Iceman『GALAXY GANG』!』
春香のおかげでこの学校に知らぬ者はいなくなってしまったIcemanを聴きつつ、しばし回想する。哲学的頭痛とともに。
外装と裏腹に内部設備があちこちボロいこの高校には二つの自動販売機が存在する。ひとつは一本一二〇円でドクターペッパーが三つも並んでいる悪趣味な代物、通称「アメリカ」。もうひとつは一本一〇〇円でペプシのロング缶が四本並んでいるため前者より圧倒的に人気があるが、時々飲み物が出てこないことがあるこれまた困った代物、通称「ロシア」。元々ロシアン・ルーレットと呼ばれていたらしいが僕たちが入学した頃にはすでにこの名前だった。
ロシアに金を喰われたときは、一定の衝撃を加えると運がよければジュースが転げ落ちてくる。衝撃を加える方法には殴る蹴るバンバン叩くなど各種あるが、成功したあかつきにはすべて「ロシアバスター」と呼ばれ、高確率でこれをこなす者は「ロシアマスター」と称される。
そして春香こそは、一年の四月半ばからロシアマスターに君臨し続ける猛者であった。入学して一週間と経たないある日の昼休み、三年生がロシアの前で困っているのを目にした彼女は渾身の廻し蹴りを敢行、初対決にして見事にウーロン茶をゲットしたのである。それはいいものの、高校デビューといきまいて校則違反ギリギリの短いスカートをはいていた春香は純白のショーツをギャラリー全員に披露することになり、呆れかえる僕の隣で黒木がぼそっと呟いた「連邦の白いヤツ」が人口に膾炙、ロシアマスターよりはむしろ「風野高校の白いヤツ」「風野の白い人」「白い子」「白先輩」という、次第に原形をとどめなくなっていく通り名で呼ばれていた。それだけ出撃回数が多かったわけで、
「白ちゃん白ちゃん、今すぐロシアまで来てください」
などと奇ッ怪な放送が休み時間に流れ、肩を鳴らしながら颯爽と出て行く春香のあとをなんとなくついていく僕と伊瀬と黒木、というのもよくある光景だった。
そして忘れもせぬ今年のヴァレンタインデー。二限目終了後の休み時間、春香がいきなり僕の鼻をつまんでカカオ粉末を口の中に放り込み、むせ返る僕の吹き出した粉を吸い込んで自分も咳き込み、不毛なバカの応酬に発展していたところへ一年生の女の子が、
「あの、ォ、し、白先輩……」
とやってきた。僕と言い争っていたそのままの表情で彼女にガンつけて半泣きにさせた春香、ラッピングされたチョコレートを受け取ると(!)やにわに相好を崩し、そのままぶんぶん腕を回しながらロシアへ向かった。とりあえずついていく僕と伊瀬と黒木。
あいつ女子に人気あったのかよバカのくせにでも外見だけは可愛いしお昼の放送面白いじゃんえーっあいつの百合ルートなんて見たくないぞ、などと僕たちが囁きあう中、いつになく軽快なステップを踏んだ春香は、
「ちぇりあァ!」
と裂帛の掛け声とともに壮烈な廻し蹴りを一発。そのとき僕の目に飛び込んできたのは、闘牛士のマントのような鮮やかな赤。はじめて見る、真っ赤なショーツだった。
異変が起きたのは次の瞬間。がらがらがこんと物騒な音を立てたロシア、三本のペプシロング缶を吐き出したのだ。
「三本……!」
「通常の三倍……赤パンツで……」
「赤い彗星ッ!」
「赤い彗星だ」「赤い彗星よ」「赤い」「赤」
僕と伊瀬が呟き、重々しく宣言する黒木、呼応してざわめくギャラリー。たまたまその場に新聞部の生徒が居合わせたおかげで、午後には校内全域に号外の壁新聞が張り出され――
「風野の白いヤツ」有原春香は「風野の赤い彗星」に生まれ変わったのである。
「スケベだの変態だの言いながら蹴りまくってきたくせに、自分から名乗るとはどういう頭の構造してるんだあの女」
曲が終わり、春香がメールを読み上げるのを聞きながらぼそり。
「まあ布教の成果だな」
黒木がアクエリアスを一口飲んで言う。翌日、赤い彗星って何だッ! と憤る春香に対し、彼は初代ガンダムの劇場版を収録したDVD‐Rを貸与。そのまま春香の家に連行されて一緒に見た僕は、そこでひとりのガンダムオタク女が誕生するさまを目の当たりにしたのだった。
「勢いで種厨になり、TMRにハマり、浅倉大介オタクに超進化、までは予測できなかったけどね」
後ろから何かを噛みつつ伊瀬。頭の中でドラえもんが文字つきで喋った。きみはじつにバカだな。
『次のお便りはー、ロシア! ロシア! ロシア! ちゃん。フリッパーズギター好きなのかな?『春香先輩、今月だけで五百円もロシアに食われました。私に通常の三倍の技を伝授してください! お願いします!』ありゃりゃ、この不況の中五百円は痛いわねー。よろしい! お姉さんが伝授します。まずロシアを前にドンと立ち、腰をぐっと低く構える。ぐぐぐぃッと見定めてから、バアッと足を繰り出して、ガーンと蹴りこむ! これで一撃必殺!』
わっと笑い声があがり、僕は頭を抱える。お前は長嶋茂雄か。
『あっでもひとつ注意! 足を高く上げすぎないように! 男子にパンツ見られます!』
「お前が見せてんだろうがバカ!」
思わずわめく。まさかそれが聴こえたわけでもなかろうが、
『どっかの将来ひきこもりニート決定なバカとか、今朝もあたしのパンツ覗いて保健室送りになったんだから! あんな人間を育てちゃダメです!』
エヴァの演出みたいにクラス中の視線が僕に集まった。こ、こ、これが中世ローマ教皇だったら憤死しているところだ。素早くケータイを取り出し、メールを猛打。
三十秒後、
『あ、お便りが来ましたー……『事実を捻じ曲げるな水色バカ』あんですってえバカ哲哉ッ!』
マイクがハウリングを起こすほどの怒鳴り声が学校中に響きわたる。
『白だの赤だの水色だの、アンタの頭の中にはあたしのパンツの色しかないのかッこのド変態! やっぱりアンタ昨夜風呂上がりの由紀ちゃんの胸とパンツ見てアレやコレややらかしたに違いないわ、そうに決まってるッ』
死にてぇ。
『『くたばれバカ』そっちこそパンツかぶって死んじゃえバーカ! ……『いいから黙れクソバカ』そっちこそ黙れスキンバカ! ……『意味わかってねえだろ貧乳バカ』こここ殺すッぶっ殺す! つつみくきバカ!』
……つつみくき?
『『それは『ほうけい』だ底なしバカ』………………え、えっと、……あの、うわーんッ! 教室帰ったら覚えてなさいよバカ哲哉ーッ!』
「つくづくバカップルだな」「うむ」
という伊瀬と黒木の声を背に、僕は教室を脱出した。
(つづく)
vol.2は明日アップします。