第2話 恵子さんの恋****
こころが、開いた。
お姉様が顔を上げる。
頬を寄せて、椅子ごと恵子さんを包み込んでいた。
何かをささやいている。
ユリにはお姉様の聞こえなかった。けど、叫び続ける恵子さんの中で、心が壊れていくのが分かって、辛かった。涙が出て、両手でぬぐっても、こぼれてきて困った。
恵子さんの声が嗚咽になった。
やがて、呼吸が落ち着いた。
優華お姉様が恵子さんの右顔を覗くようにして話しかけている。
小さな声、でも、分かりやすく、ひとつひとつの声がこころに届くように、
たとえば花びらを揺する風ほどに、たとえば小鳥のはばたきほどに、声をかけている。
13歳の恵子さんのこころに届くように、話してくれる。
「彼と、大好きだった彼と、とても素敵な時間を過ごてたのね?」
― 恵子さんがうなずく。
「勉強でも、部活でも、毎日一緒だったわね?」
― 恵子さんがうなずく。
「お兄さんとして、彼として、男として、懋さん、あなたを支えてくれたのよね?」
― 恵子さんがうなずく。
わたし、どきっとした。
「キス、した?」
― 恵子さんが小さくうなずいた。
「怖かった?」
― 恵子さんが首を振る。
「嬉しかったのね、そして抱きしめてくれた?」
― 恵子さんがそっとうなずく。
頬が、ほんのりしているように見える。
わたしは、口をあけて、空気を集めていた。
もう、香りが強くて、呼吸が苦しくて、胸がどくどく音立てている。
薔薇、アネモネ、百合、金木犀……とても熱い。
「一緒になりたいといったのは彼?」
― 恵子さん、首を横に振る。
「一緒になりたいといったのは、恵子さんなのね」
― わずかに、ちょっとだけ、うなずいた。
「懋さん、がまんしたのね」
― うなずいた。
「嫌いになった?」
― 恵子さん、首を振る。
「懋さんと、もっと素敵な時間を過ごしたかった。違うかしら?」
― うなずいた。
呼吸するたび、わたしは、苦しくなる。
どきどき、どくどく。音がする。
薔薇、アネモネ、百合、金木犀……花々がわたしをつつんで揺さぶる。
「それで香りを求めた。雑誌で、見たのかしら?」
― うなずく。
「そう?」
― うなずく。
「愛が深まるって、書いてあった。だから買ってみようと思った?」
― うん。言葉になった。
「友だちが知っているお店だった。連れて行ってくれたの?」
― うん。
「ところが、買ったもの、それは薬だった。それ懋さんが怒ったのでしょう」
― しばらくして、うなずいた。
「懋さんが、捨ててくるといって出て行った。でも……帰ってこなかった」
どきどき、どくどく。もう、わたしはいっぱいになっている。
薔薇、アネモネ、百合、金木犀……まるで香りのゆりかごのよう。
お姉様がゆっくり腕を外した。
恵子さんが顔を覆ってしまった。
優華お姉様が立ち上がった。
恵子さんの前にまわると、膝をついた
恵子さんの掌を、優華お姉様がゆっくり開いた。
「ありがとう。あなたのこと。よくわかったわ」優華お姉様が微笑んでいる。
恵子さんが真っ赤な目で、お姉様の声を待っている。
「どうしていいかわからないまま。でも、自分を、懋さんを、お父さんとお母さんを。みんなを、あなたなりに守っていたのね? 泣いて、泣いて、泣いていたのね」
恵子さんが頷いた。
「おばかさん、ね」
優華お姉様が、恵子さんの頬をなでた。
ノックする音がする。
誰かが呼ぶ声がした。
出入り口と異なるドアで音がした。