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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ある日の野球用品店での出来事

 乾いた金属のこすれる音とともに店のドアが開いて、細身で落ち着いた雰囲気を纏った七十歳前後の男が入ってきた。

 「へいらっしゃ……おぉ、トオルじゃないか。久しぶりだなあ。元気だったか?」

 店主のタモツは、健康なんてクソくらえと言わんばかりの立派に育った自慢のボディを揺らしながらゆっくり立ち上がると、笑いながらトオルの肩を叩く。

 「あぁ元気だとも。お前さんも相変わらず元気そうで何よりだよ。この歳になってくると同級生がだんだん少なくなってくるから、こうして元気に顔が見られるだけで嬉しいもんだな」

 こんな爺さんの顔でもか? とタモツは眉間にシワを寄せて変な顔をして見せる。いつもは客のいない静かで狭い野球用品店に二人の笑い声が響いた。

 「そういえば、この前話していたトシユキ君の試合はどうだったんだ?」

 「MVPものの大活躍だったそうだよ。お前さんに借りた道具が良かったんだろうなぁ」

 「まさか。どこにでも売ってる安物のバットさ」

 タモツは自分の貸したバットでMVPものの活躍と聞いて、思わず笑みが漏れる。もちろん道具のおかげなんて思わないが、友達の孫の活躍は素直に嬉しかった。

 「それで、どんな大活躍をしたんだ?」

 「なんでも五人もノックアウトしたらしい」

 「へぇ! 大した運動神経じゃないか。さすがにキミの血を引くだけのことはある。ああそうだ、今度の試合の時には、ヘルメットやグローブ、ユニフォームも貸してやろう。スポンサーとして店の名前は入れさせてもらうけどな」

 最近は野球をする若者が減ったせいなのか野球ができる空き地が減ったせいなのかわからないが、店の売上は伸び悩み、一日に一人来るかわからないお客さんのためにテレビを見ながら時間を潰す毎日だった。自分がもっと若ければ少年野球チームでも作って店の売上に貢献するのだが……とか考えた事もあったが、今さら齢のことを言い訳にしても仕方がなく、細々としてではあるがなんとか生計を立てている。

 「いやいや、それには及ばんよ」

 「キミだって、年金族だろう? 孫に道具買い揃えてやるお金だってバカにはならんだろう」

 「そうじゃなくて……どうも最近の少年野球は色々とルールが変わっているようでな……今はもうヘルメットは被らないそうなんだ。被っているとバカにされるとかなんとか言ってたな」

 「なんだって!? それは本当なのか。むしろ頭に直撃したらバカになっちゃうんじゃないか」

 トオルはうーんと腕を組みながら、それもそうだけど……と言い淀んで、「時代が違うんだよなぁ」と続ける。

 「ヘルメットだけじゃあないんだ、ユニフォームだってワシらの頃のようなピッチリとした形じゃなくて燕尾服のような裾の長い、格好のいいものになっているそうだよ」

 「ユニフォームも変わったのか! 燕尾服がユニフォームなんて、ついに野球も紳士のスポーツと認められた訳だ」

 ゴルフだけが紳士のスポーツと呼ばれていることに対して常日頃から不満を持っていたタモツにとって、好きな野球のユニフォームが紳士服になっているという事は嬉しかった。

 「おまけにグローブなんて薄くて指先が出ているし、空気が悪いせいか分からないが、マスクは必需品だって言ってたな」

 タモツは電話機の側においてあるメモ帳にペンを走らせながらトオルの言葉に耳を向ける。

 「指が出ているグローブって……やっぱり二十世紀末頃に騒いだ温暖化の影響がこんなところに……暑くてグローブが指出しになってしまったんだな。まぁエコだ省エネだと言っても、昔ほど空気も綺麗じゃないし、マスクだって必要になるってもんだ」

 「ところで、さっきから何を書いているんだい?」

 「いやなに、話を聞けば今の野球はだいぶ変わってしまっているようだからな、店の商品もそれに合わせて品揃えを変えようと思ってね」

 「そいつはいい。時代に取り残されないよう、繁盛して儲かってくれよ、社長」

 ボーンボーンという懐かしい音をたてて古い掛時計が十八時を針で指す。トオルは慌てて持ってきた袋に手を伸ばすと、タモツから借りていたという木製のバットを取り出して机の上に置いた。

 「すまないが、あまり帰りが遅くなるとウチのもんが心配するから帰ることにするよ。これは借りていたバットだ。ありがとうよ」

 タモツは机に置かれた木製のバットを手にとって訝しげに眺める。なるほど、バットも今と昔では使い方が違うようで、貸した状態から少し様子が変わっている。

 「……あ、そうだ。今度ワシらのようなシニアチームを作らないか? どうせみんな家の中で暇だろうし、うまくなって孫たちとのチームと試合できたら楽しいだろう?」

 トオルの言葉が聞こえると、タモツは慌ててバットを机の上に戻した。

 「はは、そりゃあいい。昔取ったなんとやらだな。じゃあチーム名は任せてくれ。野球の技術じゃお前さんには敵わないが、知識だけなら負けてないぞ」

 「わかった。それじゃあ任せるから格好よくて渋いのを考えておいてくれよ。ちなみに、孫たちのチーム名は『ブリザード』と言うんだ」

 「ブリザードか、まさに今風の名前というやつだな」

 それじゃあまた、と言って金属の軋む音を立てながらトオルは店を出る。タモツはしばらく黙ったまま、腕を組んで返ってきたバットを眺めていた。もう店を閉める時間ではあるものの、教えてもらった『ブリザード』に負けない格好よくて渋い名前を考えるのに夢中だった。

 「そうだ、『ゴッドファーザース』なんていいんじゃないか」

 しばらくして思いついたシニアチームの名前に満足して電話帳横のメモへと書き記す。

 店の品揃えも新しくしなきゃいけないし、チームも作らなければいけない。忙しくなるな……などと考えながら、タモツは入り口のシャッターを閉めて家へと向かった。心なしか足取りが軽く感じた。

  

 誰もいなくなった店内のレジの置かれたカウンター。

 その上には、『喧嘩上等! 鰤座阿怒』と書かれ、釘が打ち込まれたバットがぽつんと佇んでいた。


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