五粒目
そう。そして、鏡に映る少年はまぎれもなく小学校四年生の僕自身だった。
ということは……頭がフリーズしている。
この「川上ゆうか」という女の子は四年の頃一番仲良かった「ゆうちゃん」なんだろうか。すぐに「そんなわけない」と理性が反応して余計に混乱する。
頭の整理ができずに、鏡の前の少年もぽかんと泡のついた手のまま立ち尽くしていた。
「もう、手あらいぐらい自分でしてよ。かず君」と女の子は、僕の手の石鹸を水で洗い落としてくれた。
そういえば、ゆうちゃんが世話を焼くの好きだったっけ。押しかけ女房とからかわれたりしたな。次から次へと思い出が溢れてきた。
紛れもなく僕は何でか知らないけど10歳の頃の世界にいる。そして此処が、親の転勤で四年生の頃、転校してきた「江田分校」だったんだ。
「今日ぐらいしっかりしてよ。かず君とは今日でお別れなんだから」と少しいじけたような声で僕に言う。
僕は「ごめん、ゆうちゃん」とばつが悪そうに返した。
「ほら、もう、おかお先生に怒られるよ」とゆうちゃんがせきたてる。
僕は洗い終わった手をハンカチが無いことに気付いてズボンで拭こうとした。もう、いつも忘れるんだからとゆうちゃんは僕にハンカチを貸してくれた。ありがとうとハンカチで手を拭いて返そうとしようと思ったが、
「かず君!!」と、おかお先生が教室の引き戸を開けて顔を出して怒っていたので慌てて、そのハンカチをズボンのポケットにしまって、教室へと入って自分の席に着いた。
なんで席なんて覚えてるんだろうと思っていると、「ゆうかってなんでそんなにかずに世話焼くんだよう」とからかっている同級生にゆうちゃんは消しゴムを投げて、あっかんべぇとしてみせる。教室のみんなはまたそれをからかう。
「はーい!!授業中ですよ!!」と、おかお先生が黒板を叩いて、みんなの背筋がぴしっとなる。僕も姿勢を正しながら、怒り始めると手がつけられなかったと、おかお先生のことを思い出してくすりと笑ってしまった。先生はそれを聞き漏らさず、「かず君!!次の段落を音読して」と畳み掛けた。「はいっ」と飛び上がって起立し、僕は机の上に置いてあった教科書の「だいぞうじいさんと雁」を音読した。
どうやら、ゆうちゃんがこっそりページを開いていてくれたみたいだ。段落を読み終えると、「かず君、もしかして音読の練習した?」と先生が聞いてきたので、僕は「してないです」と正直に答えた。おかお先生は首をかしげながら、「おかしいわねぇ。いつも漢字でつまずくのにね。今日は良く出来てるわ」と褒めてくれた。「当たり前だよ。大の大人が漢字読めなくてつまづいてたら目も当てられない」と思いながら、おかお先生は怖いけど、何か頑張ると必ずみつけて、人よりどんなに下手でも褒めてくれる先生だったということを思い出した。大学で赤点をよこしやがった教授と偉い違いだ。先生と名がつく者、全てが偉くは無いんだといつごろから知ってたっけなどと他愛もないことを考えていると授業の終わるベルが鳴った。