四粒目
まあ、いいや。
とりあえず、会社の同僚に仮病を使って休むために連絡を取ろうしたが携帯は圏外になっていた。圏外だと、すぐに電池が無くなってしまうので、バスが来るまでは電源を落としておくことにした。
こんな所でどうやって二、三時間も時間を潰すんだよと呆れながら、バス停の後ろにある分校を見た。どうやら廃校のようだ。本来なら授業中のはずなのに生徒の姿が見当たらないからだ。校庭は地域に開放されているらしく、門は開きっ放しだった。分校にしては大きいグラウンドの向こうに見える二階建てのこじんまりとした木造校舎は愛嬌のある懐かしい佇まいをしていた。僕はその校舎に導かれるように、分校の門をくぐった。グラウンドの端には遊具が置いてあり、運丁や ブランコや 鉄棒や 吊り輪やジャングルジムが緩い風に揺られながら、キーキーと錆付いた音を奏でていた。
僕はその中のブランコに腰掛けて校舎の向こうに見える山々と時折、とおり過ぎる小鳥たちのさえずりを何も考えずぼうっと眺めた。
「かず君!また授業サボって何してるの!」と突然後ろから呼び掛けられ、びくっとして振り返ると小学校三四年生ぐらいの女の子が立っていた。なんでこの子は僕の名前なんて知ってるだろうという思いは、あどけない笑顔でほっぺを膨らまして怒るしぐさにあの山の向こうへ運ばれてしまっていた。
瑞々しい綺麗な髪の毛を一つにゴムで結んでいる奥二重の大きな目の勝ち気な女の子の名札には「四年川上ゆうか」と書いてあった。この学年の子が分かる字だけ漢字にしてある名札は同時にこの分校がクラスが無いくらいの規模だということを教えてくれた。
さっきまで人の気配さえなかったのに、校舎からは授業をするはっきりとした女の先生の声と音読する生徒たちの声が聞こえてきた。
全く状況が飲み込めずぽかんとしていた僕は彼女に引っ張られるがままに木造二階建ての校舎に導かれた。
ちょっと、ちょっと部外者が入ったらまずいでしょと僕は女の子に言ったが、
「また、かず君のホラがはじまった」と女の子はまるで相手にしてくれず、「もうマジメに聞いてよ」と呆れながら
僕の手を引っ張り続ける。
イヤに力が強い女の子だ。と思っていたら、いつのまにか僕の目線と女の子の目線の高さが一緒であることに気付いた。
校舎の板張りの廊下を歩くと木が鳴く音がする。懐かしい音だ。
「遊具にはばいきんがいっぱいついてるんだから」と僕はせかされるがまま、納得がいかないままに洗い場でネットに包まれた石鹸を泡立て手を洗いながら、何気なく洗い場の鏡を見ると、そこには男の子が、嫌々ながら手を洗っている姿が映った。鏡越しの男の子の名札は反対になって読みづらいが、「四年いなばかずのり」と書いてあった。
思わず目を疑った。それは僕の名前だったからだ。