三粒目
へぇ、自動改札機がないんだ、と呟く。
初めて降りる終点の駅から見える景色にビルは一つもなかった。陽の匂いとそれを浴びて光合成をする草木の香りが僕を包み、
えらいとこに降りちゃったな、と思わず言葉を漏らした。
駅前にはバス停が一つ、時刻表を見ると二時間に一本しかバスがないらしい。
駅前だというのに、喫茶店の一つもないようだ。サボると決めたので、しょうがなく時間が潰せる所にでも行こうとあと30分程で来るバスを日焼けたベンチに腰掛けて待つ。
この駅はこの街の中心から離れているからね。なんでこんなところに駅を作るかねぇ、とこんな時間にスーツ姿の男がバスを待つのがめずらしいのか、隣に腰掛けたおばあさんが親切に教えてくれた。
おばあさんは時間なんて、この街ではだいたい合っていればいいんだよと、バスが時刻表の時間になってもこないのに少しいらだっている僕の様子に気がついて優しくつけたしてくれた。
僕は営業慣れした相づちを打つ。
でも、それは愛想笑いではないことに気づいて、僕は僕自身に少し驚いていた。
ゆとり教育とかいう名前だけの欺瞞だらけのゆとりより確かな時間がこの街に流れているな、とまだ何も知らないのに納得していた僕がいた。
単純だな。こういう男はすぐ堕ちる。とサタンが見てたらそう言うだろう。
サタンというのは同僚のあだ名だ。
本物の悪魔なんて見たことないし、見たくもない。人間のサタンだけで十分だ。たちの悪さでは両雄引けを取らないが。
ようやくバスが着いた。乗客は今のところ、このおばあさんと僕だけのようだ。
「おはようさん」バスの運転手がおばあさんに声をかける。おばあさんは小さく手を振りながら一番前の席に座って、運転手に世間話をはじめた。
どうやらなじみの客らしい。
僕はバスの乗車口の後ろの席に付いた。ちょうど下にタイヤがある一段盛り上がった席だ。酔いやすいと敬遠されがちな席だが、空いているときはこの席に座るのが僕の癖だ。あまり譲らなくてすむためかいつのまにか僕の中で決まりごとになっていた。
茶色に染まった刈り終わり次の春へと力を溜めている段々畑と、所々に所在無げに寂しく立っているかかしとのんびりとぽつんぽつんと建つ農家がバスの車窓を流れてゆく。車窓を開けて空気も楽しみたいところだが、まだ春が遠い今の時分の寒さと引き換えにする勇気は僕は持ち合わせていない。延々と続く単調ながらも息吹を感じる風景を見ながら、僕はうとうと安らかな眠りに導かれた。
お客さん、終点だよと運転手が僕を揺り起こす。僕はあくび混じりにありがとうございますと瞼を擦る。運賃を支払って降りたバス停には「江田分校前」と書いてあった。時刻表を見ると、午後にならないとバスが来ないらしい。またそのままUターンして街の中心部まで乗せてってもらおうと思い、運転手に声を掛けようとしたが、バスはディーゼルの力のこもった排気音とともに行ってしまった。