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一粒目

 ふぅっと息が洩れる。


 朝六時に起きてから何回目の便意だろうか。固形状のモノはもう出尽くし、やや黄身混じった液体が唯一自律神経の意思によってのみ放出される。スケージュールも僕自身もそんなものを望んじゃいないのに。


 いつの頃だろうか。小便の回数を上回りはじめたのは。


 止めよう。思い出すのは。ただでさえ無駄に消費される時間がまた圧迫するだけだ。と中学生時分まで思い出し始めた記憶を振り払う。同時に、またふぅと息を漏らした。


 その日の主要な記事を読み終わった新聞をたたみ、ウォシュレットのスイッチを入れ水を流す。


 一日の大半をモニターを見て過ごす僕にとって、インクの匂いのする新聞という存在はインターネットの迅速性、テレビのエンターテイメント性から見ると激しく劣るが、その新聞会社によって色分けされたポリシーによる情報の選択、肉付け、有用性という点において新聞というメディアは存在意義を成していた。


 トイレの次は鏡の前と相場は決まっている。手を洗う所に鏡があるのだから合理的な展開だ。


 鏡の向かい側に年々後退していく髪の生え際を拝む。

 自分の額の広さが最近気になってしょうがない。


 ということは僕の見る対象の生え際も気になるということだ。


 今日もすでに新聞の記事で三人程、偽毛をみつけた。


 うちの職場の上司の愛用のカツラと思い比べながら、新聞の広告の写真にほとんど勝ったことのない精巧とは言い難いカツラを被る上司の真意を計りかねる。


 隠したいのか。話の種にされたいのか。単に予算がないのか。中年の独り暮らしなら金がないわけでもなかろうにと訝る。


 他人のことを気遣っている暇があれば、今日、寿命の尽きる毛根の数を少なくしてくれと神様に祈ったほうがいいだろうにと。自嘲気味に髪をワックスで整えながら、苦笑いする自分が鏡に映る。


 ひねくれてきたな。


 年齢とともに見えてくる景色は広がるが、知らなければ傷つくこともない光景ばかりが見えてくるのを大人と称するらしい。


 ワックスで整えながら、それなりにまとまり始めた髪型を見ながらも気分が良くなることは無い。これから始まるつまらない一日が憂鬱のいくつかの要素の一つではあるけれども、そんなことより、普段使わないワックスが毛先をベタベタさせていること。そんなひとから見れば些細なことが、気分を燻らせる。


 いつだってそうだ。ヒトから見れば些細なことが重大な何かを決めるのを妨げたりするんだ。


 あのときだってそうだった。


 カツラの上司は、これからはズラ之宮殿下とでもしておこう。僕のレポートの方が、同僚のレポートより本質を捉えていたのに、昨晩、ズラ之宮の飲みを断ったのが気分に障ったらしく、ズラ之宮は出来の悪い方のレポートを採用しやがった。そこまでならいいが、取引先は案の定、それを指摘してきて、それを取り繕うための説明を今日、僕がするはめになった。


 くそっ、なんでズラ乃宮の尻拭いをしなきゃいけないんだ。いい迷惑だ。感情で行動するやつを呪いながらも、いつものことだとたしなめる僕がもう一人いる。一々気にしていたら、僕は今頃脳梗塞かなんかで死んでるところだろう。ヤツのカツラを外した死に顔を見るまでは死なないと、それだけは心に誓っているのに。


 そう、他人から見れば些細なことがいつも簡単なことを難しくするんだ。


 そんなことを思いながら、冷蔵庫の中から取り出したゼリー状のカロリーメイトを飲む。朝食はこれぐらいがちょうどいい。


 カロリーメイトをくわえながら、山積みされたクリーニング屋のビニールに入ったYシャツを取り出し、レパートリーの少ない中からネクタイを合わせる。


 同じく山積みされたまだ開けてないデパートの袋に入った私服は週に一、二度しかこない出番を心待ちにしていると言うよりは半ば諦めがちに僕の着替えを見ている。独り者のストレスを発散するためだけに買われた私服は、金は有効的に使えと悪態をつくかのように散らかった部屋の隅で固まっていた


 そうこうしているうちに時間は淡々と過ぎてゆき、テレビが遅刻ギリギリの電車に乗るための時間が来たと告げる。


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