しかし、何も起こらなかった
鮮烈な色。
モノクロに、赤や青や黄やむらさきが急に降り立ち世界が強烈な色にさらされるのを見ていたような。それは無垢な僕の心を侵してくるように広がっていった。
僕はその強烈な濁流の前になすすべがない。すぐに呑まれてもうどこにも見当たらない。
流れに、もまれてもまれて。
鮮やかな色彩は次々と僕を押し流してゆく。そこはドーナツ状の虹の中が一面トランポリンになっているようで、目がくらむような色合いにはねてはね返されてぐるぐるちかちかと気持ちが悪い。
色の濁流は止む様子がなかった。次から次へと押し寄せてくる。
辛抱も気力も一波寄せるごとにごっそり削られてしまう。
もうどうしようもなかった。
僕は濁流に身を任せて、抗おうなんて気持ちを一分も残さず放り投げてやると色がそれを飲み込み流しさっていった。
瞬間体が投げ捨てた分だけ軽くなってふわっと浮かび上がった気がした、心も落ち着き始めていた。
色の濁流は幾分かよくなったと見えて、流動的に漂っていただけの色合いがだんだんと形を成してギターだとか夕焼けだとかそんなものがまるで世界を作り上げるように積み上がってゆく。
その世界の中でぼくはふわふわと飛び回ってどこへでも行けてしまうような心持さえした。
どうせなら実際にどこか遠くへ行ってしまいたかった。
ともすれば先程までギターだとか夕焼けだとか断片的なものしかない小さな色の集まりだったのに、いつの間にやら一つの街が出来上がっている。人も俄然とした姿勢でぽつぽつと歩いているのが見える。
さて、ここはどこなのだろうと思い街中を通っていた線路をたどってみると奈良の天理駅に着いた。
隣には大きなイオンモールがそびえている。
あまりにも大きくて壮大な様子なので、小さい頃はこの世のすべてがイオンに集まっていると思ったものだ。
しかし大阪の摩天楼群を見た時は茫然と自分の中にあった常識が塗り替わり、その高さと吹き抜けてくるような圧に感動を覚えた。そこで初めて世界の広さを知ったのだ。
今の僕にとってここは憧れというよりも懐かしさを感じる場所になっている。
イオンの中を歩いてみる。やっぱりというか、昔と変わらないなじみ深い光景だった。エスカレーターを昇れば上階にある映画館で映画を見る前のわくわくを思い出せるし、フードコートの席を見れば初恋の人とのいじらしい思い出が背筋を走り、なんだか少し恥ずかしくなってしまう。
はっと気づくと世界が変化を起こしていた。
何の前触れもなくあらゆる色合いが崩れ始めている。あんなに鮮明だったイオンモールもぽろぽろと色が落ちてしまってモノクロの線枠しか残っていない。思い出の席も色がなくなるにつれて幸せだった記憶すら褪せてしまうような気がした。胸が締め付けられる。心が拒絶を求めている。
僕はすがるように手を伸ばして、どうしても何かをつかもうとした。
それに触れた。
確かに触った、と思った。
瞬間世界の激情に触れたことを理解した。そして怒りの噴火が僕を襲った。
崩れ落ちていた色合いは再び濁流になってモノクロの線枠すらも飲み込む、酷い勢いだ。
イオンモール、だったものは見る形もない。
色の濁流が強烈な勢いで襲ってきたように今度はむしろ更なる勢いで引いてゆく。色も光も何もかも、ただ一人僕だけを置いて皆連れ去ってしまう。
ほんの前まで鮮やかさで目がくらむような世界だったのに、ここにはもう何もない。空虚さ。
いや、むしろ何でもある、真っ黒だった。深い深い黒が渦巻いてぐちゃぐちゃで吐き気を催す。身の内を焦がしてうずいて苦しくて。
いっそ吐いてしまいたいのにうまく吐き出せなくてひどくもどかしい。もどかしさが不協和音に体をめぐってあちらこちらを串刺しにしてゆく。辛くて限界だ。
僕の心の一部は濁流にのまれたきり帰ってこなかった。というより、苦しみだけを残してそれ以外の全部流されて持っていかれてしまった。
あの鮮烈な色はしみになったように心の奥に残り決して落ちなかった。
僕は髪をむしるように掴み、かき乱す。歯を食いしばり全身に力を入れる。僕は何を期待していたのだろうか。しかし、何も起こらなかった。




