【第一章】第六話~解禁~
モカは瞬く間にクラスに馴染んでいった。けれど夏希には特別ベタベタしてくるし、よく抱き着いてくる。
快く思わない涼香は夏希を非難し、私だってしたいのにと拗ねる。夏希もこのままだと涼香の心が離れ、不幸な未来になるかもと思い、涼香がハグするのを解禁する。
すると涼香の歯止めが利かなくなり……。
持ち前の明るさと気さくさでモカは瞬く間に人気者になった。色んな人に遊びに行こうとか色々誘われているみたいで、上手くやっている。それは私にとっても喜ばしい。変に孤立してしまったら、良くない未来がすぐに訪れそうな気がするから。
それでもモカは何と言うか、私にベッタリだった。
お昼はもちろん、授業の合間や休み時間になれば私に他愛も無い話をしてくる。流行り、音楽、ファッション、化粧、面白い動画の紹介など。それはもちろん悪い気はしないのだが、問題はその距離感だった。
彼女自身があまり気にしないのか、やたら身体を寄せてくるのだ。パーソナルスペースという概念がほとんど無いみたいで、スマホで動画を見せてくる時も肩をくっつけてくる。そういうのはちょっと恥ずかしいからとやんわり言ったものの、モカは仲良しならこのくらい当たり前だよとあまり聞く耳を持っていない。
「ねぇ夏希、最近モカとベッタリだね」
登校中、涼香と合流するなり突然そう言われた。私は心当たりがあり過ぎるので、苦笑いしか出てこない。
「一応、あまりくっつくのは恥ずかしいからって言ってるんだけどね」
「私にはそういうのしないくせに」
ちょっとだけ唇を突き出し、面白くなさそうに呟く涼香に私は慌てて弁解をする。
「いやいや、だって涼香はほら、そういうのあったらみんなに何言われるかわからないから。それに私も」
「わかってる。言っただけ」
まぁ、確かに涼香も同じような事をしようとしていたのを私は散々止めてきた。モカは転校したばかりで、心細いからこうしてるのかなという多少の同情で許してきたのは否めない。だから既成事実みたくなってしまった。
「夏希とは小学生の時からの付き合いなのにさ」
「それはもちろんそう。他の子と歴史が違うじゃない。そんなの当たり前でしょ」
「だったらさ、私もちょっとくらいしてもいい?」
とは言っても、ここは通学路で周りには同じ制服の人達がたくさんいる。それに混じって他の住人達も。そんな中、抱きつかれでもしたら目立って仕方ない。それに恥ずかしい。
「いやでも、さすがにここでは」
「えー、やっぱり駄目なんじゃない。それにあれだよ、逆に人気のないとこでしたらそれこそ変じゃないの?」
不満気な涼香はなお引き下がらない。いつもなら諦めるのに、どうしてだろう。
「それはまぁ、そうかもだけど」
不意にもしかしてこういう言動こそ、未来を変えるのかもしれないと気付いた。私がモカにばかり許し、涼香を拒否していると心の距離が離れていき、最終的に失踪へと繋がってしまうんじゃないだろうかと。
だとしたら……。
「でもまぁ、そうだよね。別に変な意味じゃないんだから、友達としてそういうのはありだよね」
「だよねだよね。やった、夏希大好き」
そう言って涼香が私に抱き着いてきた。私はもう気が気じゃなくて、こっそりと周囲を見回す。けれど別にみんな興味を示さず、何気ない顔で歩き続けている。私が心配し過ぎだったんだろうか。
「あー、やっとできた。ねぇ、しばらくこのままでいい?」
「いやそれは歩きにくいから勘弁して。これが最初で最後ってわけじゃないんだし」
「そっか、そうだよね。もう夏希にこうしてもいいんだもんね」
「まぁ、あまりこういうとこではやらないで欲しいかな」
それでも涼香は本当に嬉しそうな顔をしながらうなずき、でも名残惜しそうに離れた。私はこれで少し良い未来へと近付けたかなと思いつつも、熱心な涼香のファンに見られてないだろうか心配の方が勝っていた。
「おはよー。ってあれ、涼香なんか嬉しそうだね」
「おはよ、モカ。そうなの、良い事あったんだ」
教室に入るとすぐにモカがそう声をかけてきた。涼香はハイテンションで答えると、また私に抱き着いてきた。
「夏希がさ、やっと抱きつきの許可出してくれたの」
「えー、そうなんだ。今までしなかったの?」
驚くモカに私は状況が状況だけに照れ笑いを浮かべながらうなずく。
「だってほら、涼香って有名でしょ。そういうの許したら熱心なファンとかに妬まれたり恨まれたりするのが怖くてさ」
「まぁ、そういうのはあるか。でもさ、小学校の時からの友達なんでしょ。別に変な事じゃないんじゃないの?」
「だよねだよね。ほら夏希、モカの言う通りだよ。普通の事なんだってば」
私に抱き着きながらぴょんぴょんと跳ねる涼香が可愛いけど、でもやっぱりまだ怖い。教室なら通学路よりはまだマシとはいえ、実際クラスの中でも涼香の根強いファンはいるからだ。
「だから私も、こうしたって別に変じゃないでしょ」
そう言うなりモカも私に抱き着いてきた。そうして私の後頭部辺りに頭をすりつけてくる。
「いやちょっと、二人とも」
「ねぇ涼香、夏希って良い匂いするし抱き心地良いよね」
「わかる、ほんとそう。私、モカと初めて全ての意見が一致した気がする」
なんか嗅がれてるし、暑いし恥ずかしいし。でも左右から抱き締められていて、私の力じゃどうしようもない。
「夏希、モテモテだね」
気付けば凪が近くまで来ていた。教室に入ったばかりなのだろう、まだカバンを手にしている。私は凪に助けを求めるように視線を送るけど、凪は苦笑いしながら小さく首を左右に振った。
「でもモカはともかく、涼香がそうするのは初めて見たかも」
「今日ね、やっと夏希が許可出してくれたんだ」
あぁ、なるほどとばかりに凪がうなずいて納得している様子だったけど、そろそろ本当に助けて欲しい。
「あの、本当にそろそろ離れてもらってもいいかな」
私の懇願に二人は同時に擦り付けるように首を横に振る。
「やだ」
「もう少し」
さすがにこの状況、変に思われそうで嫌なんだけどなぁ……。
「凪、助けて」
「しょうがないよ。夏希可愛いんだから」
駄目だ、助ける気が無い。
この状況はチャイムが鳴るまで続いたのだった。
放課後、私と涼香は部活のため音楽室にいた。吹奏楽部としての活動は私も涼香も中学生の頃からやっているし、楽しいので嫌な事も気が晴れる。もちろん楽しいばかりじゃないけど、今は後輩も出来たので一年の時とはまた別のモチベーションがある。
私の担当楽器はトロンボーン。さすがに楽器は買えないので、家でマウスピースを使った練習をしたり、部活の間にひたすら吹いている。だからこそ、その間は変な記憶が浮かばない。
「夏希、今日はいつにも増してすごい集中してたね」
空が茜色に染まった頃、先生が部活の終わりを告げた。私がマウスピースや楽器を拭いていると、涼香が近くにやってきてそう褒めてくれた。
「やっぱりさ、楽器吹いてる時って楽しいもんね。色んな事を忘れられるし」
「うん、わかる」
嬉しそうに同意する涼香に私も自然と笑顔になる。けれどすぐ、涼香が私の耳元にそっと顔を寄せてきた。
「でも、本当に何か悩んでいる事があるなら教えて」
その心遣いが嬉しい。私が涼香を大好きな部分がこれなのだ。世間的にはすごく有名なのに、私に対してはいたって普通の親友として接してくれる。おごらず、偉ぶらず、同じ目線でいてくれる。
私が一番大事にしたい人。だからこそ、守りたい。
「……わかった。でも、大した話じゃないよ」
「いいよ、何でも聞くから」
嬉しそうに声をあげた涼香は私を突然抱き締めてきた。その途端、音楽室におぉっと歓声が上がる。私がそっちへ目を向けると、部員のほとんどが私達を注目していた。
「ちょっと涼香、離れて」
恥ずかしくなった私は涼香を引き剥がそうとするけど、案外力が強い涼香は更に強く抱き締めてくる。
「えー、いいじゃない。仲良しなんだからさ。みんなもするよね」
同意の声が盛り上がる。私も別に涼香にされるのは嫌じゃないんだけど、こういうのって見る人が見たら危ないんじゃないかという可能性が拭いきれない。あとはまぁ、単純にこういう行為を見られたくないんだけどなぁ……。
「ねぇ、ごめんてば夏希」
部活帰りの道すがら、私はやや早足で歩いていた。涼香がさっきからひたすら謝っているけど、簡単には許す気になれない。
「夏希とハグできるのは嬉しすぎて、つい調子に乗っちゃったのは謝るから」
「恥ずかしかったんだよ、ずうっとするんだから。してもいいって言ったけど、あんなに人の目があるとこで見せつけるようにするのは本当にやめて。もう禁止にしちゃうよ」
「ねぇ、ごめんて。それは本当に困るし嫌だから。もうあんな人前ではしないから。約束するよ」
約束、それは涼香の中で最も重い言葉。出会ってから今まで、涼香は約束を破ったことが無い。どんな小さな事だって、約束だと涼香が言えば実行してきた。それは例えば涼香との約束の日にテレビの仕事があったとしても、だ。
「まぁ、そこまで言うならもうしないでよね」
心にまだ少し残っていたモヤを吐き出すように溜息をつくと、空を見る。茜色だった空はゆっくりと墨に染まるかのように暗くなっていた。最近は段々と日が長くなっていると思っていたけど、やっぱりこの時間だと仕方ない。
「うん、わかった。ところで夏希、部活の時に言ってた話の続きを聞きたいんだけど」
部活の時に言ってた話の続き……?
最初は何の事かわからなかったけど、すぐに悩み事があるなら相談してと言った涼香に私が話してもいいとか答えた気がするのを思い出した。
「あぁ、あれね。いやほんとに大した話じゃないんだけどさ」
私は一呼吸置く間に、どう言おうかどんな言い訳をしようかどうやって言いたい事をオブラートに包もうかと考えた。でも、出ない。
真実はとても話せる気がしなかった。だから、ありきたりな話に逃げる。
「何と言うか、二年生になって高校の終わりがなんかちょっと見えてきちゃってさ。いやまだ始まって間もないのに何言ってるのって感じなんだけどさ」
「でもそれ、少しわかるかも」
もしかしたら涼香も涼香で思う事があるのか、神妙にうなずいてきた。
「今のグループとかも、高校卒業したらバラバラになるでしょ。涼香だってどうなるかわからないし、私だってもしかしたら少し遠い大学に通うから一人暮らしするかもしれない。なんて事を考えたらさ、怖くなっちゃって」
「あー、そうだよね。高校卒業したら地元に縛られるとか無いもんね」
肩を落とし声のトーンも低くなる涼香に私はうなずきながらまたゆっくりと口を開いた。
「だから今、こうして仲良くできるのって人生であと一年か二年だって思ったら寂しいと言うか、怖くなっちゃって。今までそんな事無かったから、何か考えちゃうんだよね」
「夏希……」
そっと涼香が抱きつこうとしてきたのがわかった。でもすぐに涼香は天を見上げ大きく深呼吸をすると、今度は遠慮がちに手を繋いできた。
「でも私、夏希とはずっと仲良くしていたいな。もし離れ離れになっても、連絡は取り合いたい。繋がっていたい。いいよね?」
「それはもちろん。だって涼香は私にとって特別なんだからさ」
繋いだ手の力が強まる、痛いくらいに。けれど私にはそれが心地良かった。絶対に壊れない絆、離れない心の距離というものを感じたから。
「私だって。夏希がいないと駄目なんだから」
見詰め合い、照れ臭く笑顔を交わせば少しだけ怖くなくなった。こうした帰り道がずっと続けばいいのに。こんな風に仲が良ければ、あんな未来にはならないはずなのだから。




