【第五章】第十話~六人の力~
夏希達は涼香の家に行った。そこから何かが割れる音や叫ぶ声。そして半狂乱の涼香の母親が現れた。
オーディションに落ちた事を告げる母親、そして夏希達を憎々し気な目で見てくる。
それでも涼香は落ち着いてリビングにみんな集めると、これからの事を話し始めたのだった……。
「ただいま。朝言ってた大事な話があるから、みんなを連れてきたよ」
ドアを開け、涼香が玄関に入るなりそう言うと奥で大きな物が割れる音がした。続けて二度三度と鳴り響く。間髪入れず、大きな女性の叫び声。すると涼香が振り返り、私達にごめんねとばかりに苦笑いを浮かべた。
「ただいまってば。お母さん、大事な話があるからリビングに来て」
するとドタドタと大きな足音が迫ってきた。廊下の奥の方から現れたのは血相を変えた涼香のお母さん。普段は物腰柔らかな人だけど、半狂乱になっているのか目は血走り髪は乱れている。
「涼香、あなた落ちたのよ。オーディション落ちたのよ!」
「お母さん、友達が来てるんだから落ち着いてよ。オーディションの結果なんてわかりきっていたでしょ。どうせあの三人で決まるようになってるんだから、今更どうもこうもないよ」
ヒートアップしている涼香のお母さんはその言葉に更に眉根を吊り上げる。
「落ち着く? この結果のどこに落ち着いていられるのよ? このオーディションのために幾らお金使ったと思ってるの? どれだけの事をしたと。それに何? 涼香のお友達がどうしたのよ? 今日はそんな場合じゃないのよ」
「そんな場合なのよ、これからの話し合いは。儲け話なんだから、まずは落ち着いてよ」
きっともっと言いたい事はあったのだろう。けれど儲け話と聞いた途端、涼香の母親は苦虫を噛み潰したように眉根をしかめ、無言でリビングへのドアを開いた。涼香は小さく「ごめんね」と謝りながら先導する。私達は他所の親のあまりにあまりな姿を見て、いつか涼香が言っていた殺されるかもしれないという言葉を間近に感じていた。
リビングに入ると以前来た時よりも豪華な内装になっていた。涼香の家に上るのは中学生以来だろうか。そして凪達は初めてなので、その様子に目を丸くしながらなるべく目立たないように見回している。
「とりあえずみんな座って」
L字のソファに私達が腰を落ろす。革張りのソファは思っていたよりも座り心地が良く、ちょっと緊張してしまう。そして涼香が私の隣に座ると、涼香のお母さんにも座るよう促した。不満気な表情をしながら向かい側に座った涼香のお母さんは完全に愛想を忘れてしまったかのよう。
「で、一体何なのよ。こんなにぞろぞろと。誰なの一体?」
敵意丸出しのその言葉に私達は委縮してしまいそうになるが、愛想笑いを崩さない。涼香が困ったように小首を捻ると、自分のカバンを膝の上に置いた。
「クラスの友達で、これからの事業の仲間だよ」
「事業? 涼香一体何を言ってるの?」
「いいから聞いて」
涼香がそう言って睨みつける。もしかしたら普段からこんなやり取りがあるのかもしれない。けど、涼香は一切ひるんでいなかった。もしかしたら私達がいるからかもしれない。
「私は芸能活動を近いうちに辞める。そして代わりにお母さんにマネジメント会社を立ち上げてもらうつもり」
「冗談なら面白くないわよ。そんな馬鹿な事」
「いいから聞いてって言ってるでしょ。だから、企画書も作ってきたの」
そう言うと涼香が自分のカバンの中から一冊の書類を涼香のお母さんに渡した。
「私は芸能界の表舞台ではもう仕事をしたくないの。だから私の経験を活かし、これからの人にマネジメントをしていこうと思ってる。この六人はその最初のメンバー。まずはここにいる黒岩を芸能人として育て上げて行こうと思ってる」
涼香に視線を向けられた黒岩はすぐに立ち上がり、頭を下げた。
「黒岩新です、よろしくお願いします」
けれど涼香のお母さんは無反応。不躾にその顔を見て、すぐに涼香の方へ目を向ける。
「まったく、何を言い出すかと思えばそんな子供の戯言。いい、涼香が辞めたら事務所にも迷惑がかかるのよ。社長さんと何年の付き合いだと思ってるのよ」
「これ、俳優の関健一さんのお墨付きもあるんだけど」
その名を聞いた途端、涼香のお母さんが目を丸くした。そうして見下したような薄ら笑いが消えていく。
「関さんも応援してくれるって言ってた。可能な限りは力を貸すとも。この企画書は私達が練り上げ、詳しい法律だとか契約面での事は関さんから紹介してもらった専門家の人に作ってもらったの。だからこれは子供の遊びなんかじゃない」
「……一体何をしようとしてるの?」
眉根を寄せ、涼香と企画書の表紙に交互に視線を向けている。私達はただ固唾を飲んで成り行きを見守るしかなかった。
「だから、マネジメント会社をうちで立ち上げるの。お父さんとお母さんで社長をやってもらい、まずは黒岩をサポートする。私が当面の間はタレント兼マネージャーとなり、今までの人脈などを使って仕事をもらう。何も知らない人をマネージャーにするより私がやった方が効果的でしょう」
やがて涼香のお母さんは静かに企画書に目を通し始めた。
「黒岩をデビューさせつつ、今の事務所の後輩を私が売り出していく。そのスケジュール管理と宣伝がメインの仕事になるかな。だから事務所としてもその分の労力や費用が減るから、もっと色んな事が出来る。そもそも今の事務所にいるマネージャーなんか言っちゃ悪いけどよくわかってない人達ばかりだもの」
「涼香がそんなの一人でできるの?」
「一人じゃない、この六人でやるの。マネージャー業務だってここにいる和樹にも覚えてもらい、任せるようにするつもり」
涼香が和樹に目を向けると、すっと勢いよく和樹が立ち上がって頭を下げた。
「白上和樹です。よろしくお願いします」
「和樹は実家の町工場で経理もやってるから数字には強いの。その企画書の具体的な金額も和樹が算出したのよ」
まだ不安そうだけど、先程よりは少し柔らかい眼差しとなってきている。
「宣伝はウェブやSNSももっと活用していく。紙媒体じゃ今の若者は見ない。若い人達の支持を集めるならもっとそういう方へシフトしていかないとならないの。それはこのモカにやってもらおうと思ってる」
「一条モカです、一生懸命頑張ります」
モカも名前を呼ばれると立ち上がり、元気良い笑顔を見せながら頭を下げた。
「うちの事務所はもっと成長できるけど、それができる人がいない。だから私が育てていきたいの。それに会社として立ち上げればうちだってもっとしっかりお金が入るようになるから、お母さんだって安心でしょ」
「それはまぁ、そうだけど」
「各イベントの題字などは凪にやってもらう。凪は書道で全国大会常連で、両親が有名書道家の娘。それ関連のイベントとか出演にも使えるかもね」
「間宮凪です、よろしくお願いします」
凪はすらりと立ち上がると、物腰柔らかく凛としたお辞儀をした。
「そして夏希は全員のパイプ役。この六人は夏希を中心にして回っているの。私だけじゃ連絡を密に出来ないし、抱えきれない」
「頑張りますので、よろしくお願いします」
私も立ち上がり、頭を下げる。以前は夏希ちゃん夏希ちゃんと可愛がられ良く知った間柄だけど、仕事となれば別だ。そういうのを抑え、丁寧な佇まいを心掛ける。
「この六人が実働で動く。最終的な決裁はお父さんやお母さんが社長として決めればいい。そして事務所にはその旨を私から話しに行く」
涼香の言葉と同じくし、企画書は最後のページをめくられた。私ももちろん見たけど、そこには関健一さんが直筆でメッセージとサインを添えてくれている。涼香がこの時のためにお願いしたのだと言っていたが、効果は間違いないだろう。
「……タレントを辞め、裏方に回る。涼香はそれでいいの? 華々しい表舞台から消えるのよ。今までの栄光も応援も消えちゃうのよ」
静かに、でも悲痛な感じが溢れていた。それはお金ではなく、娘の事を思う親の気持ちを確かに感じられた。けれど涼香は静かに、そして優しく笑いながら首を縦に振る。
「私だって色々考えたんだよ。今でも応援してくれてるファンはいるのは知ってる。ファンレターだって毎月もらえてる。テレビに出て色んな人から話しかけられ、楽しい思い出もあるよ。でもそれ以上に、私はこれをやりたいの。それに」
涼香が黒岩の方へ目を向けた。それは優しくバトンを渡すかの様。
「今の私、モチベーションがもう無いの。それよりもそこで活躍したいと思って青春全部捧げようとしてる人の道を切り開いてあげたい。そう言う人が成功できる場を作りたいの。それがみんなの幸せにつながるのなら、私の幸せでもあるんだよ」
「だからって、涼香みたいに成功するかなんてわからないじゃない」
泣き出しそうな顔で涼香のお母さんがそう言うけど、涼香は動じずに微笑む。
「それを言うなら私だって返り咲くかどうかなんかわからないじゃない。それにね、世間じゃもう私は過去の人なの。黒岩はこれからの人なの。みんなね、新しいものを求めているんだよ。それはつまり、この新しいマネジメント会社が伸びる要素でもあるでしょ」
「それでも、お母さんは心配なのよ。上手くいくかわからないじゃない!」
悲痛な叫びは私達のわずかにあった不安を増幅させた。私を含め、凪やモカ、黒岩や和樹が同じように唇を真一文字に結ぶ。けれど涼香だけがじっと柔らかな微笑みのまま見詰め返していた。
「だから六人なの。私も一人じゃ不安で、きっと上手くいかない。でもこの六人ならできる。そうした強さがあるの。だから私も動けたの」
ゆっくりと涼香のお母さんがうなだれた。そして一分ほどそのままだったけど、やがてと小さくうなずく。
「……わかった。そこまで言うのなら、もういい。でも涼香」
そこまで言うと涼香のお母さんが顔を上げた。そして涼香を見詰めるが、そこにはもう敵意も侮蔑も無かった。ただ一人の社会人としての覚悟のようなものを感じる。
「やっぱり駄目でした、甘かったので辞めますなんてのは許されないからね。大人の世界に飛び込むなら、大人としての覚悟と常識で進まないとならないんだからね」
「うん、わかってる。ありがとう」
涼香の返答に、天を見上げ大きく息を吐いた。そして数秒そのままでいると、思い出したように私達の方へと視線を向けてきた。
「ごめんなさい、みっともないとこ見せて。えぇと、今更だけど飲み物を用意するね。コーヒーでいいかな? 飲めない人はオレンジジュースでいいなら」
それは私がお世話になった涼香のお母さんの顔だった。
とりあえず涼香の提案したマネジメント会社設立はまだ本決まりではないものの受け入れられ、私達は涼香の家を後にした。涼香も私達の見送りに外へ出てくれ、ゆっくりと帰り道へと歩き出す。
「いやー、しかしビビった。マジで最初怖くて、固まっちゃったよ」
和樹の言葉に私達はぎこちなくうなずいた。それはもちろんこの場に涼香がいるからなのだが、そこを話題にしないのは不自然過ぎると言うか、黙ってはいられなかった。
「ごめんねー、ほんと。みっともないとこ見せちゃって」
もちろん涼香は申し訳無さそうに頭を下げる。でも、どこか笑顔のまま。そして私達もそう。
「でも良かったよね、私達の提案を受け入れてもらえて」
「それはみんなのおかげだよ。オーディションの結果が今日届くのは知ってたんだけど、私一人じゃどうなってたかわからなかったよ」
「あれはまぁ、マジで何か起きそうだったよね」
安堵する涼香の言葉にモカが言葉をつなぎ、みんな笑う。けれど私だけが知っている。今日この日、涼香のお母さんを説得できなかったら涼香が殺されていたという事実を。だからそれが回避されたのは本当に嬉しかった。
「でもまぁ、これからが本番だよね。ここがゴールじゃない、これからがスタートなんだからさ」
私の言葉にみんな力強い笑みをたたえ、うなずいた。そう、幾らこの企画書で納得させたと言っても、事業が破綻したり継続できなければ意味がない。そうなると結局黒岩はデビューできないし、涼香も芸能界を辞められないのだから。
「黒岩君、がんばろうね。きっと一番大変だよ」
「わかってる。ま、みんないれば何とかなるだろ」
凪の言葉に黒岩が見詰める。どことなく甘い雰囲気が漂いそうになった時、和樹が黒岩の背中を激励するように叩いた。
「そうそう、みんなでやれば怖くないってな。しかし俺も黒岩も覚える事がたくさんあって大変だけど、涼香が一番大変だよな。何たって今まで通り仕事をしながら、俺達に教えていくんだろ?」
「最初は一緒に現場に行き、その空気や流れを知ってもらうのが大事になってくるかな。他のマネージャさん達がどう動いているのか、俳優さん達がどんな意識で仕事に取り組んでいるのか実際に知って欲しいから」
静かに語る涼香だったが、そこには強い覚悟を求めているようだった。
「あまりこんな事は偉そうだから言いたくないんだけど、でも知っていて欲しい。学校での仲良しクラブじゃなく、お金をもらって動くプロの集団としてやっていくんだって。黒岩も魅せ方や自分の色をどうやって出していくのかが大事になるからね」
「自分の色か、そうだな……」
「その辺は私がサポートするから任せてよ。黒岩ってクールな感じでしょ。そういうのを色々調べて宣伝していくのが私の仕事だし」
「あぁ、頼りにしてる」
黒岩も変わったなぁ。以前は近寄りがたい雰囲気があったけど、今じゃ協力して前に進もうとしている。さっきだって涼香にあんな事を言われたら、以前ならキレていたかもしれない。
「凪はあぁ言ったけど、当面は裏方というかたまにサポートって感じになるかな。書道の方を大事にしてもらいたいし。もちろん、前に出て何かするってなら別だけど」
「題字とか書にまつわる演出絡みだよね。私、そんなに楽でいいのかな?」
すると涼香が凪に向かってニヤっと笑う。
「あのね、例えば舞台とかで使うやつは外注すると結構な金額がかかるんだよ。その経費を抑えたり、儲けに繋がるなら凄くありがたいの。それこそ、それを押し出してちょっと商売にだってできるくらいなんだよ」
「うーん、私の親もきっとやってるだろうけど、幾らなのかは知らないんだよね」
「私がやってる舞台のタイトルロゴだと、確か十万くらいだったかな。看板で三万くらいはかかってるってのは聞いたんだよね」
涼香の発言に私達は目を丸くする。それは確かに自前で出来るならば大きいだろう。
「いやー、みんな大変だね。頑張ってよ」
私がみんなのプレッシャーを和らげようとそう言った時、涼香が静かに首を横に振った。
「一番大変なのは夏希だよ。さっきも言ったけど、私達五人をまとめるんだから。夏希はこの企画のリーダーみたいなものなんだからさ」
「そうそう、俺らは専門的な事を頑張るから、それをまとめてもらわないと」
「小泉に直接言えない事も星野を通すかもしれないしな」
「涼香に何でもやらせたらパンクしちゃうよ。それは恋人が頑張らないとね」
「頑張れリーダー」
一斉にそう言われ、私は苦笑いするしかなかった。
ともあれ、私達は六人で同じ未来を見る事が出来た。きっともう、この絆は壊れないかもしれない。いや、壊さないようにするんだ。
それは私がこのループ世界で常に抱いてきた想いなのだから……。




