【第一章】第三話~焦燥~
紗枝の言葉に夏希は見た事も無い記憶が浮かび、汗びっしょりになる。自分を含めたみんなが不幸になる記憶。でもその記憶は二年生の秋や冬などの様子。二年生になったばかりなので、辻褄が合わない。
けれど夏希は妄想や空想、夢だとはどうしても思えなかった。
そんな不安は翌日学校に行ってからも晴れず、やがて具合を悪くして保健室へと行くのだった。
「夏希ちゃん、大丈夫? 顔、真っ青だよ」
紗枝さんの呼びかけに私は我に返り、呼吸をも忘れていたかのように大きく荒い息をする。背中に汗がびっしょりかいているみたいで、気持ち悪い。いやそれよりも、断片的に見えた存在しないはずの鮮明な記憶が恐ろしかった。
「ごめんなさい。大丈夫、です」
けれど私は笑顔の一つも浮かべられず、そう言うのが精一杯だった。
「少し事務所で休む? それとも、今日は帰る?」
「いや、大丈夫です。ちょっと、また外の掃除してきますね」
フラフラと外に出ると、春風が通り過ぎた。砂ぼこりが舞い上がり、思わず顔をそむける。それが通り過ぎると髪や顔を軽く払い、私は空を見上げた。
柔らかな春の日差しは眩しく、でもどこか心地良い。けれど目を閉じれば先程の記憶がまた絵を変えて浮かんでは消えていく。車に跳ねられる和樹、泣きながら私から逃げる涼香、どこかで見た女の人に刺される私、見た事も無い形相で怒鳴る黒岩、死にそうな顔をしている凪……。
私は思わず頭を振り、それを払おうとする。どうしてこんな嫌な絵が浮かぶんだろうか。鮮明で、強烈で、魂が引き裂かれるような苦痛も一緒に。ありえない、でもそれで片付けられるほど軽くは無い。
じゃあ本当かと言われると自信が無い。だって二年生の秋の記憶なんて、そもそもがおかしい。私はまだ二年生になったばかりで、今はまだ春なのだから。
けれどその嫌な記憶の続きは無い。どれもこれも、三年生やもう少し大人になった時のものはないのだから。それらを総合すると、私は二年生の一年間を繰り返しているのかもしれない。
そうなると、あの断片的に見える記憶は私が体験する未来なの?
温かい春の陽気の中、私はぶるりと震える。あんな恐ろしい出来事がこれから私に降りかかると言うのか。そんなの、どれ一つでも耐えられない。
私は思わずまた天を仰いだ。空は何も答えてくれず、ただあるがまま……。
帰宅して晩ご飯など諸々済ませると私は早々に自分の部屋に引きこもった。普段ならリビングで少しテレビを観たりするなどして家族との時間を過ごすのだが、今日はとてもそんな気分になれなかったから。
自分の部屋に入ると改めて周りを見る。何か他に変わったものは無いか、記憶に無いものは存在しないかと。けれど見つからない。わかっているのは巻数のバラけた漫画くらいだ。
私は自分の部屋のレイアウトをそうそう変えたりしないし、バイトで稼いでいても友達と遊びに行くのに使うくらいで、あまり物を置かない。だから変化があるならばすぐに気付くはずなのだが、そんな形跡は見当たらない。
少し集中していたから疲れてしまい、ベッドに寝転ぶ。今日は本当に疲れた。
紗枝さんとの会話の中で気付いたありもしない記憶と、自分が高校二年生を何度もループしているという仮説。映画や漫画、夢などがごっちゃになってそう思い込んでいるだけだと普段なら思うかもしれないけど、それがあまりにも鮮明だからそうだと切り捨てられないでいる。
今だってこうして目を閉じれば浮かんでくる。数々の悲惨な記憶、その中でも一際苦しい涼香の失踪事件。
ただ、それだってよくよく記憶を掘り返すと辻褄が合わない。
涼香の失踪は秋のはずなのだが、雪降る背景をバックにレポーターが何か言っている記憶もある。でも、どちらもまるで体験したかのような記憶。この目で確かに見たような感覚が残っている。
……もしかしたら、起こったり起こらなかったりしているのかな。
そんな色んな世界を私は今までに何度も体験しているのかもしれない。今が何回目の高校二年生なのかわからないけど、これはきっとやり直しなんだ。荒唐無稽とも思える仮説、でも今はそれ以外に説明がつかない。
でも、どうしてそうなるのかがわからない。断片的な記憶だからか、前後がわからない。
膨らみ続ける不安と恐怖。自分一人で抱えきれないくらいそれらが大きくなっていくけど、でもこんな事を誰に相談すればいいのだろうか。一番の親友である涼香だって、大真面目に言ったとしても信じてくれないだろう。凪だって、家族だって同じだ。
だってみんなきっと、巻き戻っているなんてわかっていない。わかっていれば始業式の地震騒動だってもっと冷静に対処している人が一人くらいいてもおかしくないだろう。でもあの時、私が観た範囲ではみんな混乱していた。恐怖でパニックになっていた。
どうして私だけなんだろう。何で私、気付いたんだろう……。
絶望感に打ちひしがれ枕を抱えると、涙が吸い込まれていく。まだ明るい部屋で私は声を押し殺し、夜が怖くて泣いた幼いあの頃のように枕を濡らし続けた。
「夏希、おはよう」
登校中、最寄り駅に歩いていると涼香が笑って挨拶してきた。春風が彼女の髪をたなびかせる姿はやっぱり綺麗で、こうして仲良くしているけど芸能人なんだなぁと改めて思ってしまう。
「おはよう涼香」
彼女に会えたのは嬉しかったけど、昨日から続く孤独感が私から笑顔を奪い続けている。おかげで寝不足だ。
「夏希、どうかしたの? なんか元気無いよ」
「あー、まぁちょっと」
曖昧に笑いながら私は前を向こうとしたが、ためらってしまった。うちに抱える辛さがその笑顔に甘えてしまい、迷わせる。
「あのさ、涼香」
「ん、なに?」
すがるように彼女の顔を見た途端、私は我に返った。
「あ、いや、なんでもない」
言えるわけがない。この世界は時間が巻き戻っているだなんて言って、信じてくれるわけがない。頭がおかしいと心配されるだけだ。
「え、なんでもないわけないでしょ。気になるから言ってよ」
涼香は今年の秋か冬、失踪しちゃうんだよ。どうしてそうなるの? どこに行くの? 原因は何なの?
「いやまぁ、ほんとに大した事じゃないんだ」
訊きたい事はたくさんある。でも起こってもいない事を訊いても相手からすれば意味がわからないだけ。だから、言えない。やっぱり言えない。
「ふーん。まぁ、いいや。話したくなったらいつでもいいから」
涼香もそれ以上は追求せず、わかったとばかりに前を向いて歩き出した。こういう所が長年付き合っている長所なのかもしれない。私もそれ以上は変に思われたくなかったから、しばらく無言で一緒に歩いていた。
あぁ、でもこのままだといなくなっちゃうんだよなぁ……。
「おはよう、夏希」
教室に入ると凪に声をかけられ、続いて和樹や黒岩からも挨拶された。三人は和樹の席の近くに集まって雑談でもしていたらしい。私もおはようと挨拶を返すが、三人を見た途端にあの記憶がよみがえる。
それはどれも不幸な記憶。凪はおかしくなり、和樹は交通事故に遭い、黒岩は狂ったように怒鳴っていた。そんなまだ訪れていない記憶が三人と重なり、私の心は重くなる。
「ん、夏希なんか暗いな。調子悪いのか?」
和樹がそう声をかけてくれたのだが、私はどう反応すればいいのか迷ってしまった。そんな私に助け舟を出すように、涼香が一歩前に出る。
「なんか朝から調子悪いみたいなんだよね。本人は大した事じゃないって言ってるけどさ」
「調子悪いなら保健室行った方がいいんじゃないのか、星野」
「黒岩君の言う通りだよ。無理しない方がいいよ」
凪も黒岩もどこか不安そうな向けている。みんなの心配は嬉しいけど、私からすればみんながどうにかなるのが怖い。でも、和樹に交通事故に遭うから気を付けてなんて言っても、いつどこでどの時間でなんてわからない。単なる交通標語程度の注意しかできない。そんなもの、まともに取り合うわけがないだろう。
凪や黒岩だってそうだ。おかしくなるよ、気を付けてと言っても全く理解されないだろう。でも、そうなる未来が訪れるのだけはわかっている。何とかしたいけど、何ともできない。もどかしい……。
「あぁ、うん。ありがと。辛くなったら無理せず行くけど、まだ大丈夫だから。ちょっと席で休んでる」
そう言って私が離れようとすると、涼香もついてきてくれた。涼香は私の席の前に座ると、心配そうに見詰めている。
「ねぇ、何か悩みとかあったら言ってよね」
「うん、ありがとう。でも、ほんとに大丈夫だから」
「いつも私の方が相談に乗ってもらってばかりなんだから、無理しないでよね。吐き出すだけでも違うからさ」
「涼香の悩みに比べたら私のなんて大した事無いよ」
無理して笑うと、涼香が私の肩をペチンと軽く叩いてきた。
「そう言う事を言ってるんじゃないの」
「……そうだね、ごめん」
どうしようかなと思っていたらチャイムが鳴り響いた。
結局私は二時間目を終えると保健室へと行った。
一時間目、二時間目と私は授業を受けながら色んな生徒を観察し、誰がどうなるのかと思い出そうと一生懸命だった。けれど涼香を含めたいつもの四人以外は特に何も見えないし、思い出せなかった。
きっと私の中でそこまで大事じゃないと言うと語弊があるかもしれないけど、大きく関わってこないのかもしれない。だから何も浮かばないのだろう。逆に四人は見れば見るほど嫌な記憶が浮かんでは消えていく。とめどなく、ひたすらに。
寝不足と心労と集中疲れが重なり、二時間目を終えると私はちょっと吐き気をもよおしたので保健室に行くと凪に伝えた。涼香じゃなかったのは単純に凪の方が席が近かったからで、特別な意味は無い。
「夏希、大丈夫? 保健室行くの?」
「うん、ちょっと具合悪いから」
「じゃあ私、吉井先生に伝えてくるね」
教室を出ようとしたところで涼香が次の教科担任の吉井先生に伝えてくるからと職員室の方へ向かった。別に授業が始まってから報告してもいいのだが、きっと居ても立ってもいられなかったのだろう。
「凪、ごめんね」
私は付き添ってもらっている凪に謝ると、彼女は心配そうな目を向けながら微笑んでくれた。
「大丈夫だよ。それに私ほら、結構病弱だからよく保健室行くから田所先生とは仲が良いんだ。夏希は滅多に保健室行かないでしょ」
「そうだね」
「だからまぁ、任せてよ」
凪に付き添われて保健室のドアを開けると、保険医の田沢先生が自分の椅子に座っていた。まだ三十前の若い先生で、ちょっとサバサバした感じの人だと見た目からのイメージでそう思ってしまう。そんな先生は何か本を読んでいたらしく、私達に気付くとそれを閉じて優し気な目を向けてきた。
「あら、間宮さん。って、今日は間宮さんじゃなくて、そっちの子かな」
「同じクラスの星野夏希です。ちょっと具合悪くて吐きそうで」
「うん、顔青いもんね。じゃあそっちのベッドに座って、体温計って。座っているのが辛かったら横になってもいいから」
きっと私は顔色が悪かったのだろう。すぐにベッドに通され、体温計を渡された。
「じゃあ夏希、またね。お大事に」
凪がそう言って保健室を出て行くと、間も無くして体温計が鳴った。熱は特に無く、平熱。
「風邪じゃないみたいだけど、顔色が良くないから寝て行きなさい。今日の朝は食べた?」
「少しだけ」
「朝はね、なるべくしっかり食べないと。寝不足とかだったりする?」
「多少は」
「睡眠不足もね、大きな病気に繋がるから意識した方がいいよ。それに新学期が始まって色々あったから、ストレスとかも出やすい時期だからね」
言い方はちょっと強い気もするけど、でも優しい先生なのかなとは思う。中学生の時の保険室の先生は具合がどんなに悪くても熱が無いと追い返された事もあるから。
「とりあえず一時間寝て行きなさい。途中、何かあったら教えてね」
そう言ってカーテンを閉めると、私は制服のボタンを少し緩めた。そうして田沢先生をカーテンの隙間からじっと見る。けれど特に何も思い浮かばない。
ホッとする反面、何だか人の不幸を先読みしようとする癖みたいなのが付き始めている自分に嫌気がさす。見えない、何も無いのが普通なのに。そんな自己嫌悪を隠すように私は先生に背を向け、布団をかぶる。誰からも見えなくなったからか、不意に涙がこぼれた。
もう本当にどうすればいいのかわからない。誰か助けてよ。私、どうしちゃったんだろうか……。
「夏希、大丈夫? 少しは良くなったの?」
結局私は二時間保健室で休み、お昼休みの時間に教室に戻ってきた。寝不足が少し解消されたからなのか、それとも泣いてスッキリしたからなのか学校に来た時よりは多少マシになっている。
「まぁね。ごめんね涼香、心配かけちゃって」
「いいの、そんなの。ところでお昼食べれそう?」
「それは大丈夫。私、調子悪くても食欲はいっつもあるから」
小さく笑い合っていると凪や和樹、黒岩もやってきた。みんなお弁当やコンビニ袋などを手にしている。
「夏希らしいや」
「白上君、ちょっとそれは」
「間宮の言う通りだ。具合悪い相手に軽口叩くもんじゃない」
保健室では一人だったけど、教室に戻ればこうして仲間達が集まってくれる。にぎやかだなぁと思い、自然と笑みがこぼれた。
「悪かったよ。で、もう大丈夫なのか?」
「熱も無いし、風邪とかじゃなさそうだからね。あと、お腹減ったし」
「でも無理しないでね。何かあったらすぐ教えてよ、夏希」
「わかってる」
私は幸せ者だ、こうして自分の事をちゃんと心配してくれる人達がいる。だからこそ、どうしてあんな記憶が浮かんでしまうのか知りたくもなる。
そんな決意を固めていると私の周りに机を集め、みんな適当に座ってお昼ご飯を食べ始めた。こういうのは一年生の時からで、他愛も無い雑談をしながら食べる事が多い。けれど今日はそれだけじゃなかった。
「そういや噂で聞いたんだけどさ、転校生来るらしいよ」
「どこ情報なの、それ?」
和樹がそう言うと、涼香がないぶかしげな視線を向けた。
「いや職員室行ったらさ、田中先生が学年主任の富田先生と何か話してたんだよ。今度来る子がとか何とか言ってたからさ、多分転校生だよ」
「和樹の場合、情報の出所がいい加減だからな。話半分で聞いておくよ」
ぼそっと黒岩が突っ込むと、どっと笑いが起こる。普段静かなくせに、たまにこういうのがあるから面白い。
「お前ら全然信じてないな。じゃあほら、賭けようぜ。一ケ月以内に転校生来たら俺にコーヒー牛乳おごれよ。負けたらみんなにおごるからよ」
不満気な顔をしてじろりと私達を見る和樹に、私は手を合わせた。
「ごちそうさま、和樹。アンタ太っ腹だね」
「ありがと、白上君」
「私もいいのかな。ごちそうさま」
「破産するぞ、お前」
「うるせぇ、まだ負けてねぇし。てか、コーヒー牛乳くらいじゃ破産しねぇよ」
またも笑い声が起こる。和樹は一人むくれているけど、いつもの事なので気にならない。というか、和樹自身もこういう立ち位置を楽しんでいる様子もある。
しかし転校生か……何か引っかかるなぁ。




