【第五章】第五話~想い募る夏~
夏休みに入ると涼香は合宿のためいなくなった。
夏希はその間も例の漫画を読んで、これからの行動を確認する。
そして紗枝に漫画の件を話してみたものの、納得するような回答は得られなかった。
そして涼香の合宿が終わり、二人きりで遊びに出かけるのだった……。
夏休みに入るなり、涼香は合宿へと行ってしまった。
私はその間、部活に行ったりバイトをしたりと普段と変わらない日常を過ごしていた。いや、今までの夏休みとは違う。私はバイト先に行く前にまだ時間があったので、本棚から例の漫画の四巻を引っ張り出して熟読している。
不自然な並びにあったあの漫画。五巻、二巻、四巻、一巻、三巻と並んでいたのはもしかしたらこの流れで進めるべきなんじゃないのかと思っているのだが、今のところは正しいような気もする。
モカの告白が暗示された五巻、和樹の告白が暗示された二巻、その次の四巻は天才ピアニストが挫折を経て落ち込むも親友の助けもあって復活し、華々しい舞台に戻ると言う流れになっている。
ピアニストではないが、これは凪の抱える問題によく似ていた。挫折は夏休み中に行われる展覧会での結果が凪の両親にとって納得いかないものだったらしく、それにより凪が自信を失うというのが共通している。
そして物語はそこから親友がピアノを教えてくれるよう頼み込み、渋々ながらも教える。その過程で自信を取り戻し、徐々に明るくなり、やがては恋の話をするまで元気になる。そして片思いの人に告白すると言うストーリー。
この四巻で大切なのは親友の行動。前回、私が落ち込んでいる凪に字を教えてと頼んだ時に凪は習字なんか意味無いと断られた。だから私は今回、選択教室を書道に変えたのだ。授業が書道なら、字を教えてもらう事で成績に繋がるから。それは十分な理由付けだろう。
もしこれで凪が良くなるのならば、もうこの漫画の並びは偶然ではなく必然。
しかしだからこそ、私にはどうしてもわからない事があった。
「自分の部屋の本棚の並びがループ世界の指針になってる?」
「はい。私は一巻から順番に並べるタイプなんですけど、ふと気付いたら巻数がバラバラになっていたんですよ。それがやるべき事の順番のような気がして」
バイト先の書店で私はお客さんがいない時を見計らい、紗枝さんにコッソリ相談していた。紗枝さんは眉根を寄せながら首を傾げるばかり。
「うーん、それはちょっとどういう状況でどうなってるのかはわからないかも。でもまぁ、漫画の内容と現実の出来事が似通っている、そしてそれがやるべき事の順番になっているというのは面白いね」
「ですよね。ただ、誰がどうしたのかはわからなくて」
私も紗枝さんも腕組みをして、うんうん唸る。それもそうだ、紗枝さんは何でも知ってるわけじゃない。とにかく読書量が多いからその知識でもって私に考えられるべき事象を教えてくれたりアドバイスしてくれるだけなのだ。
だからこんな突拍子もない事、わかるわけがない。でも、それでも私は紗枝さんに相談せずにいられなかった。ループの事については紗枝さん以外、話せないから。
「多分だけどさ、今この意識ある夏希ちゃんじゃなく、もっと前の夏希ちゃんがやったんじゃないかな」
「そうなんすかね……。でもループしたら元に戻っちゃうんですよね。だったらその前の私が何をした所で、何もしてない状態に戻っちゃうと思うんですよね」
「だから結局仮定の話しかできないんだけど」
そう言うと、紗枝さんは咳払いをした。
「想いは繋がっていく。私はこれ、荒唐無稽な話じゃないと信じているの。人の想いは例え最初は雨粒のようなわずかなものでも、やがて寄せ集まると大河になる。大河の一滴ってやつね。だからもしかしたら、記憶に残っていない夏希ちゃんが何かしたのかもね」
「想いは繋がっていく、ですか」
正直それを論理的な思考だとかなんて思えなかった。仮定に希望を重ね、更には願望交りの妄想話。けれどどこか、それを信じたい気持ちはあった。非論理的でまるで願望のようなものだけど、きっと人生においてそういうのは必要ななのかもしれない。
想いの余白、思考の隙間、祈りや願いの余地。
「私だって何でも知ってるわけじゃないし、そもそもこのループと言うもの自体が常識外の出来事だよね。だから答えなんか無いの。ただ、そうだったら素敵だよね」
「そうですね」
何一つ解決していない。けれど私は紗枝さんと笑い合う事で心が軽くなっていた。
涼香に会いたいな。
部活やバイトを終え、晩ご飯を食べてから一人部屋にいると最近無性にそう思う。涼香の気持ちはもう知っているし、私の気持ちもそう傾きつつあるのは自覚していた。
最初は女の子同士の恋愛なんてどうかと思っていた。でもモカに会い、涼香の気持ちを徐々に知っていくうちに私の中で何かが変わってきた。それは最初から抱いていたのに目を背けていたのかどうかまではわからない。
ただ今までもよりもずっと、こうして一人でいると会いたいと言う気持ちが大きくなってきていた。
「でも、合宿中はスマホ取り上げられてるって言ってたもんなぁ」
会話は出来ない。でもメッセージならばと私は今日も短い文章を一回だけ送っている。
『元気にしてる? 私は今日バイトだったんだ。帰ったら遊びに行こうよ』
夜九時半か十時くらいにならないと涼香はこのメッセージを見られない。でもその時間までは待てなかったし、何よりスマホを起動した時に新着メッセージが入ってますとあった方が嬉しいかなと思って八時くらいには毎日送っている。
何度もやり取りするには涼香も疲れているだろうし、負担になるだろう。だから一回だけ。特別質問されない限りは返信しない。これは私が勝手に決めたルール。
ただ、わかっているけど淋しい。
私はスマホを枕元に置き、天井を見上げた。見慣れた白い天井。まるで真っ白なキャンパスのようなそこに、私は色んなものを思い描く。六人との思い出、涼香の笑顔、紗枝さんとのやり取りした今日の出来事……。
ズキンと不意に頭が痛んだ。そして妙な記憶がまた差し込まれる。
それは地震。天井が揺れ、世界が揺れる。ただ視界が暗く、揺れている事しかわからない……。
いつの記憶だろうか。始業式の時とはまた違ったような気がした。私が今まで体験してきた地震と言えば……と、そこでスマホの通知音が響いた。
涼香だ。
私はすぐにスマホを手に取る。思った通り、相手は涼香だった。私は自然と頬が緩み、目を輝かせる。
『合宿忙しいよー。でも元気。夏希と早く私も遊びたいよー』
何度も何度もその短い文章を見返しては頬が緩み、両手でスマホを握りしめながら私は枕に顔を押し付けた。
涼香とのやり取りなんて今まで何て事の無い日常だった。でも今は違う。送信する度にドキドキするし、返信が来れば見悶えるほど嬉しくなる。そして、これが涼香も同じだったいいななんて考えている。自分の気持ちと同じ意味であって欲しいと。
恋なのかな、これが。
今まで特定の誰かを好きになった事は無い。特に恋愛という意味においては。格好良いなと思う男の子はいた、素敵だなと思うアイドルもいた。でもそれはガラスの壁のようなものがあり、どこか無縁なものだと思っていた。
それはきっと、その人を深く知ろうとまでは思ってなかったからなのかもしれない。
表面的な物だけ見て、ちょっとした心の隙間を埋めたかっただけなのだろう。または友達と話している時に誰それが好きだと言う話になった時に合わせられるよう、単にチェックしていただけなのかもしれない。
恋愛として誰かを好きになる意味がわからなかったから。
映画や漫画などで恋愛物に触れればきっと人並みに恋っていいなと思える。感動するし、心揺さぶられたりもする。でもそこまでだ。実際に行動し、その人に好かれるために努力し、特別になろうとまでは思えなかった。
だって涼香の傍が心地良かったから。
そして涼香の気持ちを知った時、私の気持ちにも気付かされていた。涼香の特別になりたいし、涼香が誰かと一緒になるのはやっぱり嫌だと。涼香のために何とか不幸な未来を回避しようと頑張っているし、お互いに特別だと思っている。それはもう、友情という枠に収まりきるものじゃない。
胸の奥が切なく疼いた。私はその痛みにも似た疼きを誤魔化すよう、布団を抱いた。
「夏希、おはよう」
ドアを開けるとそこにはオシャレをした涼香が立っていた。顔は疲れが隠せていないけど、大きく笑うその姿に私は胸の奥が止まりそうなほど嬉しかった。
あれから一週間後、合宿が終わって帰ってきた翌日に涼香が遊ぼうと誘って来た。さすがに私は疲れとかを心配したけど、会いたいと言ってきかない涼香に折れた形となった。いや、私も何だかんだ言ってこうなってくれたのを歓迎している。建前じゃもちろん心配するけど、本心は一日でも早く会いたかったから。
「おはよう涼香。合宿お疲れ様。もうほんと、会いたかったよ」
私ももう出かける準備は済んでいた。玄関で笑顔を交わし、私は思わず身を乗り出して涼香を抱き締めた。
「うわ、ちょっと夏希、危ないってば。もぉ」
涼香が私を受け止め、抱き締め返す。
「ごめんごめん。でも、部活も寂しかったんだよ。行けばみんなに会えるけど、学校まで行くの一人だったからさ」
「それを言ったら私なんか葉守市にすらいなかったんだから」
私はゆっくりと離れる。涼香の熱が、匂いがまだ私に残るのを感じながら。
「だよね。だから今日は色々遊ぼうよ」
「当たり前でしょ。それを支えに合宿頑張ってきたんだからさ」
電車に乗って繁華街まで出ると、まずは映画館へ。二人とも好きな洋画のアクション物を見てそれなりに満足し、座りっぱなしだったからと併設されている大型のショッピングモールでぶらぶらと見て歩く。
「ねぇ見て、キャンプ用品だって。私やった事無いんだよね」
「私もお仕事以外じゃないかも。こういうの揃えて、仲の良い人達とやったら楽しいんだろうな」
少し歩けばおもちゃ屋が見える。
「うっわ、あのパズル何ピースあるんだろ? すっごい大きいね」
「一万五千ピースだって。気が遠くなりそうだね」
私達はその先にある洋服屋にも立ち寄る。
「こういうの着こなせる人、いるのかなぁ」
「俳優の津村さんくらいじゃないかな。あの人、私服もすごいよ。多分テレビで見てるよりもすごいの着てるから」
そして雑貨屋にも足を向ける。
「うわー、このネコの置物可愛い。顔が良いんだよなぁ」
「見てよ、こっちのフクロウ。すっごい可愛い。うわー、どうしよっかなぁ」
やがて歩き疲れた私達はショッピングモールに入っている飲食店街に行き、オムライス専門店に入った。あれもこれもと目移りする中で、涼香が別々のを頼んでシェアしようと言ってくれた。私達は色んな味を楽しみ、更に笑顔になっていく。
「美味しかったねー。私今度、涼香が頼んだキノコたっぷりホワイトチーズソースのやつ一人で食べようっと」
「私も夏希が頼んだ明太クリームは一人で全部食べたい。あれすっごい美味しかった」
「じゃあ結局、お互いのが美味しかったんだね」
「あはは、そういう事になるね。だからさ、また一緒に来よう」
私達は笑い合いながらショッピングモールを出て、街をぶらぶらとあてもなく歩く。夏の日差しが暑くて日陰を選びながら歩くけど、それも難しい。こんなに暑いのだから早々に喫茶店にでも入りたかったけど、お昼のオムライスがお腹にずっしりと残っていたから少し運動しないとという気持ちにお互いきっとなっていた。
「さすがに暑いね、何か飲もうか」
二時間ほど色々見て回ってから私がそう提案すると、涼香もうなずいた。私達は流行りのカフェだと落ち着かないからという理由で、中心部から少し離れた所に入る。ここもチェーン店だけど、割と落ち着いた雰囲気がしていて好きな場所だ。
私はオレンジジュース、涼香がアイスティーを注文すると壁際の席に座った。店内は六割方の埋まり具合で、話をしていても静かすぎる事もうるさすぎる事も無いだろう。
「何だかんだ、涼香と一緒にいるの楽しくて歩きすぎちゃったね」
「そうだねー。足とか結構疲れたよ。外も暑いしね」
それでも疲労は心地良かった。飲み物を一口飲めば火照った身体に冷たさと甘さが染み渡る。何だかそれが幸せで、ふと顔を上げれば涼香も同じような顔をしていたのでお互い笑い合う。
「夏希はこの夏、誰かと遊んだりしたの?」
「ううん、誰とも遊んでいないよ。涼香が初めて」
何気なくそう答えると、涼香が少し驚いたような顔をした。
「そうなの? 凪はまぁ展覧会で忙しいって言ったけど、モカとか吹部の子とかは?」
「遊んでないんだよね。部活とバイトで結構忙しかったからってのと、何か涼香が一生懸命頑張ってるのに、そういう気分になれなかったかな」
「いやいや、そんな事別に気にしないでいいのに」
笑い飛ばす涼香に私はそうかなと照れ笑いを浮かべる。
「で、涼香の方は合宿どうだったの? ヤバそうな雰囲気は伝わってたけど」
「いや、ほんとメチャクチャしんどかったよ」
笑いながらもその頃を思い出しているのか、目が笑っていない。涼香が思いを溜めるように飲み物を飲んでストローから口を離すまでの間、若干の緊張が漂った。
「まずもう、朝から夜までずうっとレッスン漬け。スマホも没収され、晩ご飯終わって寝る前に返してもらえる感じ。寝てるかレッスンしてるかだけ。だから返事とかも遅くなっちゃったんだよね」
「本当に大変だったんだね。でも良く頑張ったよ、お疲れ様」
私はそっと涼香の頭に触れた。柔らかな髪の毛が心地良い。
「ありがと。でも夏希、あれだね。一年の時まではこういうのあまりしなかったのに、二年になってから増えたよね」
私はドキッとしながら、ゆっくりと手を離す。
「まぁ、去年までは涼香は芸能人だし私が変な事をしてゴシップのネタになったら嫌だなってのが強かったんだ。でも、そればかりじゃ何か寂しいなって思ってさ」
涼香が私に対して好きという気持ちを持っているのは反則的ながらも知っている。それでもその続きを話すのは勇気が必要だった。だから私はじっと涼香を見詰める。その眼、その微笑みがいつでも私を勇気づけてくれるから。
「何だかこのままだったら離れていくかもしれないって考えたの。だから、もっと自分の気持ちに素直になって、やりたいようにやろうかなって」
すると涼香が眉根を寄せ、私を見詰め返してきた。
「離れるわけないでしょ、絶対そんな事あり得ないんだから」
少し大きな声に、私は店内の注目を集めないかと心配になって涼香に抑えるようジェスチャーをする。けれど涼香はうなずかず、代わりに一つ溜息を吐いた。
「夏希、私は今までもこれからも夏希から離れるなんてあり得ないから。絶対無いから。これはもう、私の中での夏希との勝手な約束みたいなものなんだよ」
約束、それは私と涼香との間で最も重い言葉。だから私もゆっくりうなずいた。
「わかってる。そう思ってくれてありがとう。私だって涼香から離れたりなんかしないよ」
「うん、ありがとう。私もわかってるつもり。夏希は絶対に私を裏切らないって。なのに」
すうっと涼香の視線が落ちる。だから私はポンポンとその肩を軽く叩いた。
「大丈夫、わかってるから。涼香と私は同じ気持ちだもんね」
「……そうだね」
ふと涼香の瞳に影が差す。私はその意味がわかっていながらも、あえてそれを無視する。今この時ではないし、それに私が先んじて言ってしまえば全ての流れが変わってしまう。折角あの漫画の並びのように進んでいるのだ。今はそれに従いたかった。
カランと氷の崩れる音が響いた。どちらのグラスからなのか、それはわからない。




