【第五章】第三話~新たな提案~
六月のある日、モカから週末二人きりで遊びに行こうと誘われる。
夏希はとうとうこの日が来たと、覚悟を決めた。
そして日曜日、夏希とモカは映画館へと出かける。
この日のために夏希は色んな布石を打ってきた。その回収が始まる……。
それから私は意図的にみんなで会う時はモカを立て、涼香と二人きりの時には特別甘い感じで過ごした。
モカに対しては発言や提案を褒め、涼香に対しては特別感を出していた。だからかみんなの前でモカを褒めていても、涼香は私に対して知ってか知らずか強い視線を送る事は無くなってきた。
狙い通りでもあるし、危うい綱渡りのようでもある。でもこうしないとならない。
実際モカは私を見る目に熱を帯びてきたように思う。でもそれはモカが私の事を好きだとわからないと見分けがつかないレベル。実際、恋愛においては卑怯極まりないだろう。何故ならその時点では気持ちを隠して育てている最中だろうし、駆け引きだって不安な一手だって何もかも見通しているなんて反則だろう。
でももう私は何が何でも進む。だってもう、ほとんどの人の気持ちや悩みは把握済みなのだ。それを今更初見のように戸惑ってなんかいられない。このためのループなのだろうから。
「ねぇ夏希、もしよかったら日曜日一緒に遊びに行かない?」
六月に入って少しした頃、授業が終わったタイミングでモカにそう誘われた。この頃はモカに悪い印象を持つことも無くなり、自然な笑顔で接する事が出来ている。そんな折だったので、私はすぐうなずいた。
「いいよ。あ、でも涼香はその日舞台の仕事があるって言ってたかも」
「うん、知ってる。凪もなんか部活で忙しいって言ってたよ。だからもしよかったら、二人で遊びに行かないかな?」
屈託なく笑うモカの目の奥にはどこか心細さというか不安が感じられた。もしかしたらこれは告白のための外出か、それに近い何かがあるのかもしれない。
ただ、私はこのために色々動いてきた。
五月に転入してきた時からモカと一生懸命仲良くなろうとしてきたし、今までの積み重ねからモカがどういう言葉で喜び、どういう言葉を嫌うのかを学んできた成果だ。そしてモカの表情の癖からも。
モカはやや不安な事や答えにくい事がある時、髪をかき上げる癖がある。今も私にそう提案してきた時、無意識なのだろうけど髪をそっとかき上げた。だから純粋に遊びに行くわけじゃないのだろう。
「別にいいよ。週末は天気も良さそうだし、私もどこか遊びに行きたい気分だったんだ」
「ほんと? よかったー。断られるかなーってちょっとドキドキしてたんだよね」
「そうなの?」
やっとモカの目の奥に不安が無くなり、嬉しそうに細めた。
「うん、だって夏希ってみんなで遊ぶイメージあったからさ」
「あー、なるほどね。でもほら、涼香はともかく凪も忙しいからなかなか二人でってのは無いんだよね。かといって男子だけで行くのはちょっとねぇ」
「あはは、確かにそうだね」
「二人して楽しそうだね」
私達が笑い合っていると、前方から涼香が声をかけてきた。モカとの話に集中していたから、近付くのがわからなかったのでモカと一緒に驚いた。それがまた面白くて笑い出すと、涼香もつられるように笑う。
「いやー、モカと週末遊ぶ約束してたんだよ」
「だから夏希借りるよ。涼香はお仕事あるんだって?」
「うん、舞台のね。だから行きたくても行けないんだ」
少し残念そうな涼香を見て、誰もいなかったらきっと抱き締めていたかもしれない。以前は芸能人だから下手な事は出来ないとか思っていたけど、ループを重ねるごとにそれよりも素直に気持ちを表す方が大事だと思えるようになってきている。
「まぁ、また今度の機会に。いつかみんなで予定合わせて、六人で遊ぼうよ」
「うん、そうだね。早めに教えてくれたら調整するよ」
六人が一緒に遊びに行くのは七月末の海まで無い。それを知っているからこそ、私はちょっと心が痛んだけど、そう言わずにはいられなかった。
「夏希、お待たせー」
葉守市の中心である葉守駅の北口にあるベンチに座ってスマホを見ていると、トントンと肩を叩かれた。モカだった。アクセサリーを多めに付けた肌の露出が多いその派手なファッションはモカだからこそ似合う。私がやったら大事故になるだろう。
「モカおはよ。じゃあどこに行こうか」
私がベンチから立ち上がると、モカが照れ笑いを浮かべた。
「えっとね、実は映画に一緒に行きたいなって思ってたんだよね。チケットはもう用意してあるんだ」
「へぇ、何て映画?」
「『ミュロンド橋の約束』っていうやつなんだけど、凄い泣ける恋愛映画みたいだよ。こういうの一人じゃなかなか観ないから、一緒に夏希と観たいなって思って」
確か以前も一緒に映画に行った時、恋愛映画を観た。モカってこういうのが好きなんだろうか、それともこれから告白するのに気分を高めたいんだろうか。私はそこまで恋愛映画に興味は無いけど、以前モカと一緒に見た映画も楽しかったから今回も楽しみだ。
「私も一人じゃそういうの観ないから、丁度いいかも」
「やった。じゃあ早速行こうか」
「待って」
モカが歩き出そうとしたので、私は呼び止める。この流れはもうわかっているものの、このモカとは初めてだからやるべき事はやらないとならない。
「チケット代、払うよ」
「あ、いいよ。私が行きたいって言ったワガママみたいなものだから。それにこんな人通りに多いとこでお金のやり取りはしたくないかも」
「でも」
一度はバッグに触れた手を戻す。
「あ、じゃあさ、映画終わったら飲み物奢ってよ。私、映画終わった後はカフェ行きたい派なんだよね」
「それでいいなら」
するとモカがニコリと笑い、歩き始めた。
「じゃあもう行こう。トイレ行ったり飲み物とかポップコーン買ったりしたいからさ」
私は一つ苦笑するとモカの隣に並んだ。
映画は洋画で、戦地に行く彼とそれを待つ恋人というお定まりの内容だったけど思ったよりは面白かった。彼が戦争で死地を潜り抜けている時に彼女が平凡な日常の中でコーヒーブレイクしていたり、逆に彼女が不安で祈っている時に彼が仲間と談笑しているというある種リアリティある内容がコメディじみていて面白かった。
ただ終盤に入ると二人の環境と心情がリンクし、どんどんと話に引きこまれていく。そしてラストでわかっていたけど二人が再開するところではつい涙ぐんでしまった。
そんな私以上に、モカが感情移入し過ぎて後半からずっと泣いていた。
「モカ、終わったから出よう」
「うん、うん……わかってるの、でも待って」
「ほら、清掃の人来てるからもう出よう」
モカはエンドロールが終わってからもずっと身体を丸め、私が渡したハンカチで目元を抑えている。そんなモカを私は無理に立たせ、出口へと歩いた。
それから化粧直しをした目の赤いモカが恥ずかしそうに現れると、私達は映画館を出て最寄りのカフェに入った。それなりに混んでいたものの、運良く私達は席を確保できた上に窓際だ。まだお昼前の温かな日差しがそそぐ街並みと行き交う人々を横目に、私は注文したアイスカフェラテに口をつけた。
「面白かったね、映画。ありがとうモカ」
「ううん、ごめん逆に。大分恥ずかしい思いさせちゃったよね」
若干うつむきながら悔いるようにモカが言ったので、私は大きく首を横に振った。
「いや、逆に凄いなと思ったよ。あんなに感情移入して泣けるのって、感受性豊かなんだろうね。それって凄い事だよ。だってさ、きっと同じものを見てもモカの方が色鮮やかに鮮明に見えてるんじゃないかな」
「そうなのかな?」
驚いたようにモカが私を見てきたので、私は自信満々にうなずいてみせる。
「そうだよ。だから映画凄く楽しかった。ありがとう、モカ」
素直な気持ちと、思い通りの未来への打算的なパス。その二律背反する気持ちを笑顔に込めて見詰めれば、モカが気恥ずかしそうにはにかんだ。
「うん、ありがとう夏希」
すっとモカの視線が落ちる。そして沈黙。店内の他のお客さんの声がやたらに響き、それが私達の間の沈黙をより一層強調させた。
ずるい事にモカが何を考えているのかわかる。だからあえての沈黙。まるで繊細なガラス細工のような今のモカの心情を思えば、待つしかなかった。
「あのさ、夏希」
静かにモカが口を開いて私を見た時、その眼には覚悟があった。私もその眼を見て、心を改めて決める。
「夏希にだから言うんだけど、私ね、レズなんだ。女の子が恋愛対象なんだよね」
「そうなんだ」
私はどんな反応をしていいのかわからず、誤魔化すように飲み物に口をつける。驚いてもきっと白々しくなるだろうし、あまり軽く受け止めるのも変だろう。知っている上での戸惑いを出すためにどうすればいいのか、私は涼香のように俳優ではないからわからない。
「思ったより驚かないんだね」
「あー……いや、驚いてはいるよ。でも、そういうのあるってのは知ってるから」
内心冷や汗をかきながら私はまた飲み物に口をつける。
「そっか。まぁ、でも夏希なら馬鹿にしたりとか気持ち悪いとか、そういうの言わないだろうなって気がしてた。まだ会って間もないんだけど、なんか信頼できそうでさ」
「そう思ってくれるのは嬉しいよ」
私が小さく笑えば、モカも安心したように口元をほころばせた。
「私さ、前の学校でそれがバレた時、散々言われたんだよね。当時付き合ってた彼女とももちろん別れる事になって、その子転校して行っちゃったんだ。私はしばらく耐えていたんだけどさ……」
きっと想像もつかない事を言われたり、されたりしてきたのかもしれない。辛そうに寂しげに、でもまだ笑顔で話すモカに私は思わず胸を締め付けられたけど、きっとこれは違う。同情なのだろう。
「辛かったんだね、モカ」
「まぁね。だからもうさ、恋なんてしないって決めてここに来たんだ。でも……」
テーブルの上に置かれたモカの手がぎゅっと握られる。一瞬落ちた視線はすぐ私を見詰めてきた。それは恐怖、不安、迷いの中で輝く強い光。
「私、夏希を好きになっちゃったんだ」
真っ直ぐに見詰めるその眼はただ綺麗だった。
「急にごめん、こんな事言っちゃって。でも、もうどうしても抑えられなくて」
「……どうして私を好きになったの?」
私も迷わずモカの瞳を見詰める。
「えっと、一目惚れに近かったかもしれない。最初から仲良くしてくれて、こんな私を気にかけてフォローしてくれたり、一緒にノッてくれたりしたのが凄く嬉しかったんだ。それにその、顔とか声も好きで」
恥ずかしそうに後半は声が小さくなるモカ。それがまたいじらしくて、可愛くて、私は気持ちを整理するように一つ深呼吸した。
「そうだったんだ」
深くうなずいた私にモカが顔を寄せてくる。
「だから夏希、もしよかったら付き合って欲しいんだよね」
真剣な表情のモカ。だから私ももう誤魔化さない。勇気をもって答えよう。
「ごめんモカ、それはできない」
一瞬モカがひるんだが、でもまだ諦めていないのか眉根を寄せながらもまだ私の目を見詰めていた。
「あ、いや、最初は友達からの延長でいいの。別にすぐにどうこうってわけじゃないんだ。それでもし気に入ってくれたらで、どうかな?」
「ごめん、それもできない」
「……涼香がいるから?」
その言葉に今度は私がひるみそうになったが、もう自分の気持ちや大事な今からは逃げないと再び自分に言い聞かせる。そしてゆっくりうなずいた。
「そうだね。もしモカと付き合っても私の心には涼香がいる。そうなったらどっちも上手くいかなくなるから」
「……夏希もレズなの?」
その答えはまだわからない。いや、全くわからないわけじゃないが、今ここで答えを出したくなかった。
「わからない。でも、涼香とはずっと一緒にいて辛い時を支え合って来た特別な関係なんだ。そして涼香は今、困っているみたいだからさ、何とか助けてあげたいの。涼香には私が必要だから」
そして私はすっと頭を下げた。
「だからごめん、モカとは付き合えない」
もうなぁなぁにはしない、そして私はモカの強さを信じる。だからこそ、ここでハッキリと答えを示した。
私はもう、未来へと行く。そのためには痛みも悲しみも引き受けないとならない。同情や優柔不断で機を逃すのは、相手に失礼なだけだ。変な気遣いこそが相手を苦しめ、傷付ける。
「そっか……涼香が相手じゃ、かなわないか」
そう決意したけど、顔を上げてモカの泣き顔を見ればやっぱり胸が痛んだ。
「モカ、本当にごめん。気持ちは嬉しかったよ。だからこそ、真剣に答えさせてもらったんだ。私、自分の気持ちに嘘ついて同情でなんか付き合えないから」
「ううんいいの、それでこそ私の好きになった人だから。そんな夏希だから私は好きになったんだし」
モカが手元の紙ナプキンでこぼれ落ちる涙を押さえつける。いつだってそんな姿を見るのは切ないし、胸が痛む。しかもしれが私の言葉でならなおさらだ。
「ほんともう、今日化粧崩れてばっかだよ」
でもそう言いながらモカが笑った。そうだ、これがモカの強さなんだ。
「じゃあもう、帰るね。ごめんね夏希、変な事言っちゃって」
そう言ってモカが腰を浮かせた。だからすぐ、私はつい大声を出してしまった。
「待ってモカ」
「え、何? どうしたの?」
中腰の姿勢でモカが困惑しながら固まっているのを見、私はその眼をじっと見詰める。
「友達はやめないでよ」
「……振った相手にそれ言う?」
少し眉根を寄せたモカが怒っているようにも見えた。けれど私はもう負けず、その涙目を見詰めたままうなずく。するとしばらく見詰め合っていたけど、やがてモカが笑った。
「いいよ、夏希の頼みだったら。私に辛さだけじゃなく、恋の楽しさを教えてくれたんだからさ。なんかさ、こんなに真剣にフラれたの初めてだよ。でも夏希だからかな、嫌な気はしないんだよね」
「ありがとうモカ」
見詰め合い笑い合うと、モカが立ち去った。一人残された私はその姿が完全に見えなくなると、どっと疲れが押し寄せて背もたれに深々と身体を預ける。
これでいいはずだ。そう自分に言い聞かせて。




