【第四章】第七話~失踪の原因を探る~
翌日、涼香は学校を休んだ。
学校に行った夏希。和樹も黒岩も苛立っており、凪は相変わらず暗く、モカも夏希を疑っているように見えた。
もう終わりなのかもしれない。そう思ったが、夏希はどうしても確かめたい事があった。
学校を早退した夏希はそのまま涼香の家へと向かったのだった……。
翌日、学校へ行こうといつもの待ち合わせ場所で涼香を待っていたけど来なかった。
五分十分と待つけど、一向に現れない。私の横を通り過ぎる気怠そうな人達の中、私はひときわ絶望をこの目に宿しながら涼香が来るはずの道の先をずっと見ていた。
これはもしかして……。
いや、まだ決めつけるのは早い。もしかしたら昨日の事で気まずさがあり、私より先に学校に行ったのかもしれない。
淡い期待だとわかっている。愚かな願望だとも承知している。けれどまだ、希望を捨てきれなかった。だって昨日、涼香の想いをちゃんと私は聞いたんだ。涼香は走り去っていったけど、でも私が待つように叫んだのはきっと聞こえていたはずだ。
だから……。
私は学校の方へと歩き出す。それでも涼香の家の方を気にせずにはいられなかった。
「おはよー」
けれど教室に入っても涼香はいなかった。いや、そんなのわかっていた。学校の玄関で涼香の上履きが残っていたままだったのだから。その時だってあれこれと都合の良い妄想を何とか正当化させようとしていた。
でも、現実はそれを見事に何もかも打ち砕く。
「あぁ、夏希。おはよう。今日は涼香と一緒じゃないのか?」
教室の入り口付近で呆然としていると、和樹に声をかけられた。そんな和樹はひどく疲れているみたいで、声に覇気がない。眠そうに目を細め、時折こすっている。
「あ、うん。待ち合わせの場所に来なくて。それより和樹、どうしたの? 何かすごく疲れているように見えるけど」
「あー……ちょっとバイトが忙しくてな。学校終わってからも結構シフト入れてるからさ。夜は十時まで働いて、学校来る前に五時から七時までバイト入ってるんだ」
「ほとんど寝てないじゃない。どうしたの?」
「いやまぁ、俺にも色々あるんだよ」
そう言えば和樹の家は会社の経営が悪化しているはずだ。花火大会で和樹が死にかけた時だって、入院費が払えないからと途中退院させていた。きっともう九月にもなれば更に悪化しているのだろう。
「そう、無理しないでね」
「ありがとな。んじゃ俺、ちょっと寝るわ」
そう言って和樹が自分の席に行き、突っ伏する。私はそれを見届けると、ぐるりと教室を見回した。凪は相変わらず暗いまま。いや、更に暗くなっている気がする。きっと満足にご飯も食べていないのだろう、頬骨が目立つくらい痩せてきている。
黒岩は自分の席で不機嫌そうにスマホをいじっている。きっとオーディションが上手くいっていないのかもしれない。あと凪があの調子なので、何もできない自分に苛立っているのだろう。
モカは特に変わった様子もない。けれど下手すれば刺されるかもしれないから、私は何とかそれを回避しようとモカの元へ近付いた。
「おはよう、モカ」
「あ、夏希。おはよう。涼香はいないの?」
どこか暗い目をしたモカが不思議そうにそう訊いてきた。私はちょっとたじろいだけど、愛想笑いを浮かべる。
「うん、待ち合わせの場所に来なかったんだよね。何があったのか全然わからないんだ」
「ふぅん、夏希でもわからないんだ」
……これはもう、疑っているのかもしれない。目や口調が雄弁に物語っている。
「そうなの。昨日一緒に帰っていたんだけど、ちょっと色々あって涼香に走って逃げられちゃってさ。何に涼香が怒っているのかもわからないんだよね」
「夏希でも涼香とケンカする事あるんだ」
どこか興味深そうにモカが見てくる。ここで私が涼香をかくまっている疑惑を何とかしないと刺されるかもしれない。それはもう、今日にでも。
「それはあるよ。でも、それで学校休むのは初めてかも」
「そうなんだ」
それ以上はもう会話も続きそうになかったから、私は席について一時間目の用意をする。モカもすぐに私に興味を無くしたかのようにスマホへと目を移した。これでどのくらいわかってもらえたのかわからない。一割なのか、二割なのか、それとも何も理解せずに逆恨みばかり募らせているのか……。
これはもう駄目かもしれない。
私は昼休み、教室の反対側の廊下でぼんやりとそう考えていた。凪はおろか和樹も黒岩も疲れ果てイライラしている。負の感情にとらわれて、互いに孤立しつつある。それがハッキリと見えるほどに憂鬱しか生まれこない。
このままだと、またモカに刺されてしまうのだろうか。
思わず私は自分の腕を抱き、ぶるりと震える。あの時の恐怖はまだハッキリと残っている。痛みもぼんやりと。
どうにかして回避できないだろうか。いや、それがもう無理なのだとしたら、せめて私は涼香の失踪の謎だけでもハッキリさせたい。どうして涼香が失踪するのかを。
昨日涼香は私にその想いを知られ、恥ずかしさからか逃げ出した。前回もきっと同じ。だけどそれよりも前、つまり花火大会のあった世界線ではどうだったか。確かあの時はそう言う感じじゃなかったはず。急にいなくなってしまったはずだ。
そもそも家族の事や事務所の事で大きなものを背負っている涼香が今までも大変な事なんてたくさんあったはずなのに、そう簡単に逃げ出すものだろうか。おまけに私からの連絡を一切拒否するなんてありえない。
また涼香は今も活躍しており、顔だって知られている。おまけにまだ学生で、何もかも捨てて逃げるにしても限界があるだろう。涼香の両親だって事務所だって、常にその動向を注意しているはずだ。
もし何かあるなら、今日だろう。いや、今すぐに行くべきかもしれない。
昼休み中に保健室に行き、私は田沢先生に具合が悪いから帰して欲しいとお願いした。当然先生は最初怪訝な顔をしていたけど、何とか許可を貰う事が出来た。私は具合悪そうな顔をして教室に戻ってカバンを手にすると、学校を後にする。
そんな私に声をかける人はもう誰もいなかった。
私は学校から離れると徐々に歩く速度を増し、やがて駆け出した。まだ残暑残る秋空は少し走れば汗が流れる。制服が身体に張り付くのもかまわず、私は荒い息を繰り返しながら走り続けた。
涼香、待ってて。私の話、お願いだから聞いて……。
いつもの涼香との分かれ道に差し掛かると、迷いなく涼香の家の方へと足を向ける。途中息が切れてフラフラと歩くけど、またすぐに駆け出す。ほんの少しの油断が後悔を生まないように、失踪前に間に合わせるように。
すると不意に見覚えのない記憶が頭に差し込まれた。
どこかはわからないけど、壁に献立表のようなものが貼られている。ぼんやりして内容は見えない。小学校? 中学校?
けれどそれはすぐ、私の荒い息によってかき消された。そんな記憶、どうでもいい。後で幾らでも考える。今はただ、一秒でも早く涼香の所へ行かないと。
やがて涼香の家が見えてきた時、私は安堵からかフラフラと歩き出した。限界だった。そうしてよろよろ二歩三歩進むと、膝に手をつき酸素を求める。咳き込み、むせた時に涙が出た。きっと私、情けない顔をしているだろう。
それでも、確かめないとならない。
私は涙と汗を拭い、涼香の家へ歩き出す。涼香の家は以前見た時と違って、昼間だからか窓にカーテンが引かれていない。私は玄関に近付くと、インターホンを鳴らそうとした。
その時、家の中から大声が聞こえた。何て言っているのかわからない。けれど言い争いでもしているかのような不穏な感じはハッキリ伝わる。怒鳴り声に怒鳴り声が重なり、物の割れる音まで聞こえてきた。
私は不安に胸を押しつぶされそうになりながら、インターホンを慣らす。
けれど反応が無い。私は少し間を置き、また鳴らす。でも同じ。今度は間を置かず、鳴らし続ける。それでも反応は無い。
「涼香、涼香。いるんでしょ。私だよ、開けて」
遂にはドンドンと私はドアを叩いた。すると中で一際大きな何かが割れる音が響いた。一体どうなっているんだろう、どうしてそんな事になっているんだろう。私はそんな不安を手の痛みで誤魔化す。
「涼香、開けて」
やがてドスドスと大きな足音が近づいてきた。そしてガチャリと勢いよくドアが開く。
「夏希ちゃんどうしたの? 学校は?」
出てきたのは涼香のお母さんだった。
普段は上品で物腰柔らかな人。だけど、久々に会った今は鬼のような形相で私を睨んでいる。髪は乱れ、肩で息をしながら敵意剥き出しの眼に私は一瞬ひるんだけど、すぐに気持ちを奮い立たせた。
「涼香が学校休んだから、心配で」
「あぁ、そんな事で。涼香、具合悪いから寝てるから、また今度ね」
そう言い捨ててドアを閉めようとしたので、私は手と足を挟み込む。
「さっき大声が聞こえたんです。涼香とケンカでもしていたんですか? 涼香に会わせて下さい」
「寝てるって言ってるでしょ。帰って」
「でも」
「帰ってって言ってるの!」
片手で私を突き飛ばしてきた。思いがけなかった行動に私はよろけて尻もちをつくと、バタンと勢いよくドアが閉められ、間髪入れず施錠する音が無情にも響いた。
そのまま私はしばらく動けなかった。痛みによるものじゃない、ただただ驚きのため。涼香のお母さんは絶対にそんな事をする人じゃなかった。今はあまり家に行かないけど、小中学生の時にはよくお邪魔した。その時も嫌な顔一つせず、出迎えてくれた優しい人。
そんな人が私を睨み、突き飛ばした。それが信じられなかった……。
中からはもう言い争うような声は聞こえない。ただただ静かなだけ。涼香が言い含められたのだろうか、それとも……。
私は最悪な想像を振り払うように頭を振り、一旦涼香の家から離れた。
けれど私は家に帰る気は無かった。このまま涼香の家を監視し、一体いつ涼香が失踪するのか見届けたかった。
涼香が逃げ出すなら、家族の手を借りないと難しいだろう。タクシーが停まるか、ガレージから車が発進される時に何かがあるはず。そう思った私は涼香の家から死角になるような場所に移動し、じっと見詰める。その間、涼香にメッセージを送るけどやっぱり既読がつかないままだった。
私がいなくなってからほどなくして、窓にカーテンが引かれた。私を警戒しての行為だろうか。次々と引かれ、やがて見える限りは全室閉め切られる。離れているからもう音は聞こえない。けれど私は見届けたかった。
やがて夕方になり、私は近くのコンビニで飲み物とパンを買う。そして頃合いだと思って自分の母親に「今日は友達お家に泊まる事になったから帰らない」とメッセージを送った。
私の母親は割とその辺融通がきく人なので「迷惑かけないように」とだけ返信が来た。少し前までは放任主義なのか見離されているのか悩んだ時もあったけど、今はありがたい。私は時折場所を変えながら、涼香の家を監視し続けた。
静かに陽が沈みゆく。何かしていればあっという間だけど、こうして黙って見ているだけならば時はあまりにも長い。それでもゆっくりと暗くなるにつれ、私は何か起こるのを今か今かと注目し続ける。
けれど何も変化が起きない。時折コンビニに行ってお菓子などを買ったりトイレ休憩したりするけど、動きはない。その場にしゃがみ込んだり、立ってストレッチしたりしながらその時を私は待ち続ける。
「ちょっと君、こんな所で何してるの?」
じっと涼香の家を見ていたら、不意に背後から声をかけられた。驚いて振り返れば、四十代くらいの男性警察官が不審そうに私を見ている。
「あ、いえ……何でもないです」
涼香が失踪するから見張っている、なんて言えるわけがない。あの家の人が失踪するから時間と動向を監視している、なんてなお言えるわけがない。それは私の行動が理解されないと言うのもあったけど、目の前の警察官の威圧に負けたというのが大きい。
「こんなところに一人でじっといたら危ないから、もう帰りなさい」
「……わかりました」
ここでごねたり抵抗した所で、無意味だ。私がどんなに暴れても制圧される、そんな事は容易に想像できる。私は素直に従うと、すごすごとその場を去った。
途中、振り返る。相変わらず涼香の家はカーテンを閉め切られており、何の情報も与えてくれない。いや、もしかしたら情報はもう出揃っているのかもしれない。
涼香が休んだ日の昼過ぎまでは明らかに家の中にいた。涼香のお母さんと言い争っていた声は女の人だったからだ。多分涼香だろう。けれどそれから激しさを増し、涼香のお母さんが私と会った時にはもう静かだった。あんなに激昂していた人が急に大人しくなる事なんてあるのだろうか……。
いや、無い。だからきっと、涼香は……殺された?
オーディションに落ちたからなのか、もう芸能界を辞めたいと言い出したからなのか、とにかく何らかのトラブルがあった。けれど涼香の親がそれを許さなかった。だからぶつかり合い、そして……。
全ては仮定、けれどあながち的外れでもないだろう。
きっと涼香はどこに行っていない、あの家のどこかに隠されている。それがきっと失踪の原因であり、本質。ここから数日の間にきっと涼香が色んなプレッシャーに負けたからというシナリオを書いた人物がいる。それによりニュースの視聴者は同情し、犯人捜しをさせない空気を醸し出すのだろう。
もう涼香に会えない。私はその事実だけを胸に家へと必死に歩き続けた。




