【第四章】第五話~救済のルートは遥か過去に~
涼香とはそれ以来、恋愛の話をする事は無かった。それでも夏希は涼香の事を意識し始める。
夏休み明け、学校に行くと凪が落ち込んでいた。展覧会での結果が両親には不満だったらしい。
夏希は以前の反省から何とかしようとするのだが……。
それから涼香とは特に何も無かった。部活で会っても会話やメッセージでやり取りしても、ほとんど以前のよう。ただあれから、恋愛について触れる事だけは一切無かった。
もしも涼香が私の事を好きで、でもその気持ちをひた隠しにしていたのだとしたら、確かにあの時の質問とか会話は意地悪だったかもしれない。だからこそ、私の方からあれこれと訊き出そうとすれば間違いなく涼香は逃げる。苦しめるだけになるだろう。
そんな風に夏休みを終えると、新学期が始まった。
「おはよう夏希、今日から二学期だね」
いつもの道で涼香と合流すると、にこやかにそう挨拶をされた。
「おはよう。なんか短かったな、夏休み」
「私は長期の休みがあるとお仕事とかレッスンとか詰め込まれるから、学校ある方が嬉しいけどね」
軽やかに笑う涼香を見ていると、性格はもちろん可愛らしい顔立ちに日頃十分気を付けている体型や肌の状態などそこらの子には無いものが確かにある。男子からすれば高嶺の花だろうし、女子から見ても羨ましい限りだ。
そんな涼香が私の事を好きかもしれない。
そう思ってみると、なお輝いて見える。十分なケアをしているからすっぴんでも肌が綺麗だし、唇も潤っている。優し気だけど強い意志がこもっている眼に、艶のある背中までの黒髪。風が吹けばなお強調された。
「ん、どうかした?」
視線に気付いた涼香が不思議そうに私を見詰めてきた。私は慌てて我に返る。
「あ、いや、何でもない。相変わらず肌綺麗だなーって思ってさ」
「いやー、でもこれからの季節変わりは乾燥が大敵でしょ。しょっちゅう保湿するのも面倒なんだよねー」
「だよね。私なんかお風呂上りですら面倒だからしないもん」
「お風呂入るのは好きなんだけどさ、スキンケアとか髪乾かすのとかそれ以外の事が面倒だよね。あー、髪切っちゃいたいな」
そっと涼香が自分の髪を手に取る。その仕草だけで私は不思議と胸が高鳴った。
「でも涼香の髪綺麗だからもったいないよ。きっとどっちも似合うんだろうけど、私は髪の長い方がいいかな。慣れてるからってのもあるけどさ」
「そう? 夏希がそう言うならこのままにしておこうかな」
すると機嫌良さそうに小首を振りながら涼香が歩く。恋愛に関する話はしないけど本人の無意識なのか、涼香はこういうやり取りになると妙に機嫌が良くなる。好意があるという前提で考えるけど、確かに私も好きな人に褒められれば嫌な気はしないだろう。
「おはよー」
教室に入ればいつもの面々、でも夏休み中に様変わりしている人達も少なくなかった。垢抜けた子、髪の色が明るくなった子、真っ黒に日焼けした運動部の子。その中で私は気になる席の方へと目を向ける。
するとやっぱり凪が暗い顔をしてうなだれていた。
「おはよう凪。どうしたの、何かあったの?」
「あ、おはよう。いや、ちょっとね……」
「ねぇ凪、何か悩みがあるなら話聞くよ。ね、夏希」
私が力強くうなずくと、凪は小さな溜息一つ吐き出してから口を開いた。
「夏休み中に展覧会があるって言ったでしょ。あれでね、入賞だったんだ」
「それって凄い事なんでしょ」
「もちろんそうだよ。でも両親からはそれしか取れないなんて駄目だ、恥さらしだって散々言われちゃってさ。その後のお仕事で誰かと会う度に駄目な子だ、出来の悪い子だって言われ続けて。もう何のために頑張るのか、わからなくなっちゃったよ」
またもうなだれる凪に涼香がそっとその肩に手を置く。
「わかるよ。自分の環境と周囲の期待で、普通なら凄い事でも褒められないのは辛いよね。凪、凄く頑張ってるのにさ」
「そうだよ。凪、部活でも頑張ってるしちゃんと結果も出してるじゃない。いつでも一番なんてどんな人間でも無理だよ」
「そうだよね、でも……」
前回、このままひたすら落ち込む凪に私達は何もしてあげられなかった。いつか状態が上向きになるだろうと思っていたが、そんな事は無かった、だからきっと、ループのトリガーになってしまったのだろう。
ここでちゃんと凪を励まし、解決させないと私はループから抜け出せない。紗枝さんもループが限界に近付いていると言っていた。もしかしたらみんなバラバラになったままの未来に進むかもしれないなんて、そんなのは嫌だ。
「ねぇ涼香、涼香はこういう時ってどうやって気分を変えたりしてるの?」
私が涼香に向き直れば、涼香が腕組みをする。
「難しいよね。私もそんな方法があれば教えて欲しいよ。上手くいかない時って結局自信を無くして、縮こまっちゃうんだと思う。そうなったら本来のパフォーマンスを発揮できない。だから下振れした時でもそれなりに上手くいくように練習しないとならないんだろうけど」
ちらりと涼香が凪を見る。凪だって相当の練習を重ねているはずで、これ以上頑張れと言うのは逆効果だろう。それは涼香も十分承知しているはずだ。
「どうしたの、みんな暗い顔して。やっぱ夏休み終わったのが辛い感じ?」
場違いなほど明るいモカの声に私と涼香が振り返る。そこにはモカの他に和樹や黒岩もいた。
「いや、そういうんじゃないの。凪が落ち込んでいるから、どうにかしたいなって思っているんだ」
涼香がそう言うと、モカが笑顔で大きくうなずいた。
「じゃあまたみんなで遊びに行こうよ。そうしたらきっと解決するよ」
けれどゆっくりと凪が首を横に振った。
「……親からしばらく遊ぶのは禁止にされてるの。それに、そんな気分じゃないし」
まずい、このままだと前回の繰り返しだ。
凪は落ち込み始めるとひたすらに落ちていく。その姿はもう何度も見てきた。だから別のアプローチで何とかするしかない。でも、どうすれば……。
「黒岩。黒岩はそういう時、どうする?」
私は救いを求めるよう、きっと一番耳を傾けるだろう黒岩に訊く。
「俺か? 俺はそうだな、自分の好きな物に触れるかな。外出とかできないなら好きな音楽聴いて、もう一度自分がどうしたいのか考えるよ」
「あー、原点に立ち返るのはいいって言うよな」
原点……凪の書道の原点って何だろうか。いや凪に限らずとも、立ち上がる方法で共通するのって何だろう。
「あのさ凪、ちょっとお願いがあるんだけど」
ふと一つの案が思い浮かんだので、私は声をかける。凪はどこか面倒臭そうに私の方へと顔を向けた。
「私も習字上手くなりたいから、教えてよ。教える事によって色々な発見とかがあるんじゃないかな」
どこかで見た事がある。勉強を上達させるには人に教えるのも手だと。教えるというのは自分に理解度が高くないとできないし、未熟な相手を修正する事によって基礎を再習得できる効果もある。また、教えた相手が上達していけば自信にもなるはずだ。
「え、何で?」
「いや、私も習字上手くなれば何かに活用できるかなって思ってさ」
凪は大きな溜息をついた。それは私の提案を却下するのと同義だろう。
「普通の人が習字なんかやっても、活用できるのは学生のうちだけだよ。習字の授業だけ。それに夏希、選択教室は音楽でしょ。書道関係無いじゃない」
凪の指摘通り、私の選択教室は音楽だ。それはもちろん吹奏楽部として、また涼香と一緒にいたいからと当然に選択したものだ。
この学校では例年、四月の終わりに選択教室と言って音楽、書道、美術のどれかを選ぶ。そしてその時間は各自別れ、別の教室で専門の先生の指導の下で 授業を受ける。
「そっか」
嫌な汗が背筋を伝う、後頭部を冷たい爪でひっかかれたような感じがする。私は何でもない素振りをしながらも、焦りと後悔で心臓が張り裂けそうだった。
間違えていたのかな、私。夏休みまでは順風満帆だと思ってたのに、まさか四月の段階から間違えていたのだろうか。もう、取り返しがつかないんだろうか……。
結局凪を誰も元気付けられないまま、ホームルームのチャイムが鳴った。
もし選択教室を間違えたせいでループがそもそも始まるトリガーとなっていたとしたら、本当に一体どこまで検証しないとならないんだろうか。選択も答えも無数にあり過ぎて、見つけられない。どうやって正解を見つければいいんだろう。
お昼を終えた私はふらっと教室を出て、あても無く校内を散歩しながらそんな事を考えていた。
実際、まさかそこでつまずくとは思わなかった。そしてそれが本当に正解なのかもわからない。もしも選択教室を書道にしたとしたら、また別の分岐が発生し、また無数の答えが生まれるのではないか。そんなの正直、どれだけループを重ねても無理だ。
……疲れたな。
ふと心が闇に飲まれそうになる。報われない無力感と言うのは隙を見せれば一気に心を折りに来るのを知っているから、私は気晴らしのために購買へと向かう。こういう時は甘いものを摂れば大抵解決するはずだ。
購買へ行きパックのイチゴ牛乳を自販機で買う。お昼前は混雑しているここも、それを過ぎればあまり人はいない。私は自販機の傍でパックにストローを刺すと、やや強めに吸った。
「星野、こんなとこにいたのか」
ぼんやりイチゴ牛乳を味わっていると、不意に声をかけられた。黒岩だ。私はまだストローを咥えたままだったので、軽く手を挙げて返事する。
「黒岩も何か買いに来たの?」
「まぁ、そんなとこだ」
黒岩はコーヒー牛乳を自販機で買い、私の隣に立って飲み始めた。
「なぁ星野、間宮をどうにか励ませないもんかな」
「私もそうしたいけど、どうしたらいいんだろうね」
どうにかするにはもうループして戻るしかないかもしれない。でももしかしたら、そうじゃない方法だってあるかもしれない。
私は黒岩を見上げる。
「黒岩はやっぱり凪に元気になって欲しいの?」
「そりゃあそうだろ、仲間だからな」
「ほんとにそれだけ?」
「……どういう意味だよ」
私は見上げながら一口吸う。黒岩は特に動揺を見せず、ただ眉根を寄せたまま。でもこれまでの言動からもう知っている。そしてそれが外れたとしても、大きなカードを持っている。
「凪の事、好きなんでしょ」
一瞬、黒岩の目が鋭くなった。でもすぐに元に戻り、コーヒー牛乳を飲む。
「何でそう思う?」
「見てればわかるよ、私達と凪への接し方が違うもん。あと、凪を見る時の目がちょっと優しいんだよね」
黒岩はじっと私を見詰めていが、やがてニヤリと笑った。
「ほんと、女子はそういうの好きだよな」
認めないか。でもまぁ、黒岩なら素直に気持ちを言うはずもないのはわかってる。
「凪さ、黒岩の事好きなんだよ」
普段はクールな黒岩が目を大きく開き、固まった。
「女子で恋バナした時に、凪が言ってたんだ。黒岩の事が好きだって。黒岩もどこかで気付いてたんじゃないの? 凪って和樹より黒岩の方がハッキリ物言うでしょ。あれって信頼してたからだと思うんだよね」
「星野、それ……本当なのか?」
明らかに動揺を見せる黒岩に私はうなずき返した。
「こんな時に嘘言ってどうするのよ。まぁでも、この会話は秘密だよ。わかってるでしょ」
「それはわかってる、もちろん誰にも言わない」
深く黒岩がうなずく。私はその眼を見て、やっぱり凪の事が好きなんだと確信した。
「だからね、私達の言葉よりも黒岩の言葉の方が届くかもしれないの。同じ励ますにしても何するにしてもね。だからもう、私にできる事は何も無い。黒岩が頼みなのよ」
けれど黒岩は難しい顔をしたまま、唇を真一文字に結んだまま。数十秒してもそのままなので、私が眉根を寄せるとすっと黒岩が視線を外した。
「……わかってるだろうけど、俺そういうの苦手でさ」
「苦手だろうと何だろうと、もう黒岩しかいないんだよ。アンタがやるしかないの」
そう、黒岩が上手くやってくれれば私はまたループしなくてもいい。ループが起こるって事は今までの経験からすれば、私に不幸な事が起こる。それはできるなら避けたかった。
「頼むよ。凪は落ち込んだらひたすら落ちていくから。諦めないでよね」
「……わかった。やるだけやってみるよ」
黒岩はコーヒー牛乳を飲み終えると、ゴミ箱にそれを捨ててから歩き出した。私はまだ三分の一残っていたイチゴ牛乳をもう少しだけ味わい、時間を置いてから教室へと戻った。




