【第四章】第一話~四周目~
目覚めると夏希は自室にいた。けれど直前の恐怖からか汗でパジャマは濡れ、過呼吸になる。ループはまた起こった。けれど夏希は強い恐怖からしばらく泣き続ける。学校へ行く途中、涼香と会う。無垢な涼香の笑顔に癒される。夏希はやはり紗枝と話すべきだと考え、学校が終わるとバイト先へと向かうのだった……。
目覚めると今まで息が止まっていたかのように大きく呼吸し、むせた。そして反射的にお腹を触る。何も無い。ただ着慣れたパジャマの感触しか無かった。
汗をかいていた、パジャマがべちゃべちゃになるくらいに。私は吐きそうなほど呼吸を繰り返しながら、それでもこれだけはしないとならないとばかりに定位置に手を伸ばす。スマホは枕元にあり、すぐに触れられた。
四月七日、午前六時。
ループは行われた。けれどつい先程まであった恐怖、痛み、苦しさが抜けない。幻痛だとわかっていても、もう過ぎ去って何事も無い無事な空間だと頭で理解していても、怖かった。涙が自然と溢れた。
恐怖なのか安堵なのか、わからない。ただ私はしばらく泣き続けた。
五分、十分と私は布団の端を濡らし続ける。今日からまた始まる。でもどうすればいいのだろう。どこに失敗があったのか、よくわからない。
「夏希、起きなさい。今日から学校でしょ」
階下から響く母の声に私はしぶしぶ布団から顔を離すと、ゆっくりとベッドから降りた。そして部屋をぐるりと見回す。見慣れた私の部屋。何も変わりない。紗枝さんはループごとに変化が起こっていると言っていたけど、まだよくわからないままだ。
「夏希、いい加減にしなさい」
「今行くから」
もっと考えたい事、まとめたい事があるのに邪魔されるのが腹立たしく、私はドスドスと音を立てながら階段を下りた。
それでもいつも通りの時間に家を出ると、きっと涼香と合流するだろう道へ歩く。時間にして十分少々ある。だから私はこれまでの事を整理していく。
まず七月に入るまでは特に何も無い。夏休み直前に出かける先は花火大会ではなく、海。その海にも六人みんなで行かないとならない。そしてその前に黒岩に涼香からアドバイスさせるようにし、口論を起こさないようにしないとならない。
ここまでは多分、正しい。
でもそこから先、私は何を間違ったのだろうか。心当たりが正直無い。
涼香との仲は悪くなかったはずだ。けれど秋になると失踪してしまう。その後、私は逆恨みで半狂乱になったモカに刺されてしまう……。
思わずその時の事を思い出し、ぶるりと震える。そしてみぞおちの辺りをそっとさすった。
ここでまず考えるべきはモカだ。モカとは距離を置いた方がいいのだろうか。距離さえ置けば好きになられる事も、告白される事もないだろう。けれどそれで「六人の幸せ」を達成できるのだろうか?
もちろん普段は良い子だ。見た目はともかくノリが良くて可愛らしく、案外真面目。グループのムードメーカーでもある。だからあの時、明らかにおかしくなっていた事に驚いた。今までそんなモカ、見た事無かったから。
私が告白の返事を曖昧にし、先延ばしにしたからだろうか。
でもモカだってあれから返事の催促をしてこなかった。あの時まではいつも通りで、特にそれらしい予兆も無かった。だからつい、後回しにしていたというのは事実。
だけどもし、モカの告白の返事をするとしたらどうしたらいいのだろうか?
モカと恋人になる? いやそれは……ちょっと自分の中じゃ考えられない。別にモカが嫌いだとか衛生的に不潔だとかそういう事ではない。むしろ私達の誰よりもオシャレで、身なりに気を遣っている。
一緒にいても楽しいし、アクティブだから色んな事が出来る。でも、和樹同様に心が動かない。悪い要因が無いだけで、付き合いたいと言うプラスの気持ちにはならない。当たり前だ、だって女の子同士なんだから。
じゃあ断る? でもそれはそれで、急に逆上してまた何かありそうだ。
刺される前、紗枝さんはフラれたから死にました殺しましたじゃ人間社会は成り立たないみたいな事を言っていたけど、実際刺された。しかもいなくなった涼香をかくまっているという訳のわからない理由でだ。被害妄想に近い。
そう考えるともう、積極的に関わらないのも手なのかもしれない。というか実際に刺されたのだから、ちょっと仲良くなろうとは思えない……。
「おはよう夏希。今日から二年生だけど、一緒のクラスになれるといいね」
いつもの待ち合わせ場所には涼香がいて、会うなり笑顔でそう話しかけられた。あぁ、やっぱりいつ見ても綺麗だ。春風が彼女の髪をさらりと撫で、ほの温かい陽気が心を弾ませる。
「おはよう涼香。そうだといいね」
辛い記憶を残したままループをするのはいつだって苦しい。でもこの涼香に会うと、救われる。いつだって無垢で、嬉しそうで、純粋に私を求めてくれてるから。
だからどうして失踪してしまうのかわからない。
紗枝さんはこの世界が目覚めつつあるかもしれないと言っていた、ループが限界に近付いているかもと。だから私はどうにかして、何故涼香が失踪してしまうのか、一体どこに行ってしまうのか今回こそ突き止めないとならない。
もう涼香を失うのは嫌だから、涼香が失踪したと全国ニュースを聞くのは辛いから。
「ん、どうしたの夏希? なんかじっと見てるけど、何かついてる?」
考え込み過ぎていたのだろう。キョトンと不思議そうに涼香が私を見詰め返しているのに気付くと、私は慌てて首と手を大きく振った。そうしてゆっくりと歩き出す。
「あぁ、ごめんごめん、何でもないの。一緒になれたらいいな、そうしたらどんな一年になるのかなって考えてたの」
「なにそれ」
涼香が噴き出すと私は愛想笑いを浮かべた。
「でもほんと、そうなりたいよね。夏希とまた一年一緒に過ごせたら、どんなに私幸せだろうかなぁ」
「なるよ、きっとなる。ね、楽しい一年にしようよ。今年はいつも以上に仲良くなって、何でも話せて、これ以上ない最高の二人になろうよ」
私が身振り手振りでそれを強く言えば、涼香が笑い出した。
「変な夏希。でも、そうしたいね。私は何でも話してるつもりだけど……うん、今年はもっとたくさん話そうね」
笑顔が花咲く、それは街路樹の桜に負けないほどだった。私達は歩きながら誰と一緒になりたいかと話し合い学校へと向かう。もう何度もやっているやり取り、結果を知っているため私の心は盛り上がらないけど涼香が楽しそうだからいい。
すると不意に記憶が差し込まれる。
それは窓。四季折々が移ろう窓。私の家の窓枠じゃない気がする。でも懐かしい場所。
ぼやっとわずかに浮かんだ窓枠からは四季の移ろいが凄いスピードで流れていた。けれどそれに強烈な違和感を感じる。何が違うのか、上手く言えない。でも違う。
「夏希? どうしたの?」
それも話しかけてきた涼香の言葉に疑念や曖昧な記憶は彼方へと消えていった。
「あ、ううん、何でもない。ごめん」
思わず立ち止まっていた私は涼香の言葉に我に返ると、ゆっくり歩き始める。涼香もそれ以上は何も言わなかった。きっと新しいクラスへの不安と緊張だと思ってくれたのかもしれない。
春の風がまたそっと吹いていた。
地震による影響で学校が早く終わると、私はバイト先へと向かった。とにかく紗枝さんと話したかったから。自転車を強く漕いで向かえば、陽気が心地良い。私は周囲の街並みに目をやる。何も変わった様子はない。
けれど紗枝さんの話だと、少しずつ街の雰囲気が変わってきているという。ループの終わりが近いんじゃないかとも。正直私にその実感は無いけど、私よりもずっと意識のあるままループを繰り返している紗枝さんが言っているのだ、きっとそうなのだろう。
今回なのか次回なのか、それは誰にもわからない。でも終わりが近いのだとすれば、なるべく早く正解のルートを見つけないとならない。何度も何度も失敗するわけにはいかないのだ。
でも、分岐点がわからない。正解の様で、実は違っている事だってあるだろうから。
「紗枝さんこんにちは。店長と代わってもらってもいいですか? お話したい事がありまして」
バイト先の書店に入ると私は床に散らばっている本を片付けていた紗枝さんにそう声をかけた。
「……わかった。先に事務所行ってて」
私の雰囲気で紗枝さんは記憶を引き継いでいると察知したらしく、それ以上は何も言わずに店長の方へと歩いて行った。私は店長に軽く挨拶をすると、奥の事務所へ向かいソファに座って待つ。間も無く紗枝さんがやってきた。
「夏希ちゃん、ごめんね」
座る前に紗枝さんが頭を下げた。私は何に謝っているのかわからず、小首を傾げる。
「大声がして、私外へ出たの。そうしたら夏希ちゃんが刺されたのが見えて……。助けてあげられなかった。怖かったでしょう」
「あぁ、いや、あれは紗枝さんのせいじゃないし、きっと止められない運命だったんですよ。まぁ、思い出せばやっぱり怖いし、何かこうお腹の辺りも変な感じですけど」
慌てて立ち上がって否定しているうちに、あの恐怖がよみがえる。自然と視線は落ち、声も沈んでいくのがわかった。すると、不意に抱き締められた。
「私は何もしてあげられない。単なる傍観者。だから、ごめん」
「……ありがとうございます。その気持ち、凄く嬉しいです」
そっと私も抱き締め返す。そうして少しの間そうしていたが、やがて離れるとソファにそれぞれ腰を下ろした。
「それで紗枝さんに訊きたいんですけど、紗枝さんからしたらループした時ってどんな感じなんですか? 私は今日の朝六時に自分の部屋のベッドで目覚めるんですけど」
「私も同じ感じよ。直前の事は夢から目覚めるように、プツンと切れるわけ」
なるほど。じゃあみんな今日の起床から始まるんだ。
「実は私を刺したのは同じグループの子で、ループが終わる条件かもしれない『六人』のうちの一人なんです。一条モカという子で、五月に転校生としてやってきます」
「じゃあ、あまり無下にはできないのね。その子の事、そして夏希ちゃんとの関係を差し支えない範囲で教えて」
私は紗枝さんに全てを話した。モカが同性愛者で、私を好きだと言う事を。夏休み中に告白された事。告白の返事をできずにいたら涼香が失踪し、涼香と一緒にいて自分を馬鹿にしていると逆上されて刺された事を。
「だから、今回は正直少し距離を離そうかと思っていて。仲良くはやっぱり怖いですし、告白されなければ刺されるような事も無いかなと」
「まぁ、そうなるよね」
「ただ、ループの終わりが近いかもしれないと紗枝さんは言っていましたよね。もしそうなら、手探りで正解のルートを探すのはあまりにも非効率だと思うんですよ。それこそきっとあっちを立てればこっちが立たないってなりそうで」
紗枝さんは腕組みをして、深々とソファにもたれた。
「まぁね。ただ、私また思う事があって」
そう言って私の目をじっと見る紗枝さんは真剣であり、慈しみのようなものもたたえていた。
「夏希ちゃんが正解に近付いているからこそ、ループの限界も同時に訪れつつあるんじゃないかって思うの」
「どういう事です?」
「明晰夢って知ってる、夏希ちゃん」
「メイセキム、ですか? いや、ちょっとよくわからないです」
紗枝さんは組んでいた腕をほどき、前のめりになる。
「明晰夢ってのは夢の中で自我のある状態。つまり。夢の中で夢だって気付く事。この世界はそんな状態になっていると思う。だからこそ、目覚めも近い」
「えっと、つまりどういう事なんですか?」
「私は前に世界に変化が訪れつつあると言ったよね。その最たるものが夏希ちゃん、貴女が記憶を引き継いでループしているって事だと思うの」
いまいちピンとこない私は首をひねる。どういう事なのか話が見えない。
「明晰夢は浅い眠りに発生しやすいの。意識が浮上した時、自我が目覚める。この世界が大きな眠りの中にあるとするなら、つまり夢を見続けているのと同じような状態だとしたら、その中心である夏希ちゃんが記憶を引き継いでいるのも明晰夢の状態に近いんじゃないかと思うんだよね」
「えぇと、つまり私がループの記憶を持ち越しているのと目覚めが近いってのは一体どういう関係になるんです? ぼんやりとはわかってきたんですけど」
「明晰夢ってね、夢の中で自由に動けるけど自由に動こうとすればするほど結果的に頭を働かせるの。つまり目覚めようとする。本来眠っているはずの頭を自発的に動かすわけだからね。夏希ちゃんがあれこれ改善点を見つけて次に持ちこそうとすればするほど、世界は覚醒しようと動くの。それがちゃんとした結末になろうがなるまいが」
そんな馬鹿な、とは思っても言えなかった。だってこのループ自体が馬鹿げている現象なのだから。
「じゃあ私がやればやるほど、ループが終わりに近付く。でもそれは不本意な結果で目覚めて進んでいくかもしれないと?」
「あくまで仮説。ただ、そんな強い予感がするの。夏希ちゃんも何か無い? 変わった事とか。些細な事でもいい、しっかり気付いた方がいい」
そう言われても私には心当たりが無かった。




