【第三章】第九話~またも訪れる残酷な足音~
涼香が学校を休んだ。夏希は必死に連絡を取ろうとするが、メッセージに既読すらつかない。
思い切って涼香の自宅へ行ったが、何の反応も無かった。
そして数日後、涼香が失踪したとニュースが流れる。
夏希はもうこの世界は終わりだと感じ、紗枝の元へと向かったのだった……。
学校に行く最中、いつもの時間に涼香がいない事がまず私の心を乱した。十分待っても姿を見せなかったので、遅刻するからと私は駆け足で学校へと向かう。その最中、何かの理由で先に学校に涼香が着いていて、私が待ってたのにと軽く責めたい未来を思い描いていた。
でも、クラスに入っても涼香はいなかった。
ホームルームの時間になっても涼香の姿は見当たらず、不安が募っていく。そして先生が「小泉は体調不良で休み」だと告げた時、私の心が冷たく凍るのがわかった。気が遠くなりそうで、目の前が揺れる。
いやでも、これはもしかしたら昨日のよくわからない事が原因で、一日だけ気が乗らないから休むだけだ。きっとそうだ。私は無理にでもそう思い込もうとする。
何が原因かわからないけど、きっと私のせいなのかもしれない。私が何か気付かないうちに涼香を傷付けたり、迷わせたりしたのかもしれない。ただそれだけだ。それだけの事だ。頼むから、そうであって……。
そんな私の祈り虚しく、涼香は三日連続で学校を休んだ。
もちろん私は最初の一日目から涼香にメッセージを送ったり、電話したりもした。それが二日、三日ともなればもう迷惑メールかと思うほどにメッセージを送り続けた。
『涼香、大丈夫?』
『病院行った? 行かなくても大丈夫ならゆっくり休んで』
『辛いのかな? 大丈夫?』
『返事欲しいよ。心配なんだ』
『お願い。無事かどうかだけ教えて』
けれど幾ら送っても反応が無いどころか、既読すらつかない。三日目ともなれば私も必死で、どうにかして連絡を取りたかった。嫌われてもいいから、声を聞きたかった。例え私が悪くないとしても土下座して地面を舐めてでも、会いたかった。
そんな願いを一切知らないかのように、涼香からの反応は何も無かった。
もう遅いかもしれない。そんな事を思いながら私は学校帰りに涼香の家に行くと、家の電気は何一つ点いていなかった。窓という窓にはカーテンが引かれており、なのに内側から漏れる明かりも無い。
まだ夕方六時だから電気をつけなくてもいいかもしれないけど、それでもカーテンを閉め切っていれば中はそれなりに暗いだろう。外出しているにしても変だ。何度も涼香の家に遊びに行った事はあるけど、こういうのはあまり見た事が無い。
私はインターホンを押す。二度、三度と続けて。けれど反応は無い。
涼香の家には幾つもの監視カメラが付いているので、呼び出しに応じなくとも私が来たことくらいはわかるはずだ。なのに何故?
不意に私の脳裏に見憶えの無い記憶が浮かぶ。
廊下? どこの廊下だろう。学校とはまた違う、白い……。
薄ぼんやりと見えた廊下の映像、誰がいるとかは無かった。でももしかしたらループに関係する場所やシチュエーションなんだろうか。私はその記憶を掘り起こそうとするけど、もう霧のように消えてしまった。
いや、今はそれより涼香だ。
気を取り直し、ドアを強く叩く。けれど何の反応も無い。力いっぱい目一杯、強く叩くけど誰も出てこない。もしかしたら本当に誰もここにはいないのかもしれない。もうきっと涼香は失踪してしまったのかもしれない。
そんな絶望感を引きずったまま、私は家に帰る事にした。
それから数日後、朝のニュースで涼香が失踪した事を知る。
最初にそれを見た時のような絶望は無かった。心のどこかできっとそうなるだろうとは思っていたから、あぁやっぱりかという諦めにも似た感情の方が大きかった。それでももちろん心にぽっかりと穴が開いたかのよう。
でもそれは涼香がいなくなったからなのか、またループ発動の条件を満たしてしまったからなのか、どちらのものかはわからない。けれどもうこの世界は終わりだ。涼香がこうなってしまってはもうどうしようもないのだ。
だから私はその日学校に行かず、自転車に乗ってバイト先へと向かった。
「あれ夏希ちゃん、学校はどうしたの?」
バイト先の書店に入ると、レジの所で本を読んでいた紗枝さんが私に気付くと少し驚いた顔をした。
「あぁ、もういいんです。きっとまた始まっちゃうから、学校なんてもう」
投げやりな口調、言葉に紗枝さんは察したらしくすぐに立ち上がる。そうして「奥で話そう」と告げると先に事務所へと行き、店長と交代した。店長はこの時間に私がいる事にビックリしていたけど、特に何も言わなかった。それは優しさなのか、それともこの世界が終わるからそうなってしまっているのかはわからない。
事務所に入ると向かい合うようにソファに腰を下ろす。そうして紗枝さんは私をじいっと見詰めると、ゆっくりと口を開いた。
「今回はどういう終わり方なの?」
「親友の涼香が失踪したんです。友達も一人不安定なままで。まぁ、ループ脱出の要因が私を含む六人の幸せだとするなら、もう破綻しちゃったから」
「あぁ、小泉涼香ね。朝のニュースで見たよ。それで、何か心当たりはあるの?」
「明確なものはないんですけど」
私は紗枝さんに今回の世界での涼香とのやりとりを覚えている限り事細かに説明した。関係が良好だったけど、海で男友達に告白されてややケンカした事。女友達にも告白されたのを相談した事。会わなくなる前日に急に抱きつかれて謝られた事などを。
全てを聞きえ終えた紗枝さんは腕組みしながらうんうん唸っていた。
「で、一体どうして涼香がそうなったのかもうわけがわからなくて」
「多分、恋愛絡みだとは思うけど私はそういうの疎いから何とも」
「恋愛……やっぱり、そういう事なんですかね」
涼香に抱き着かれ、しばらくして泣きながらごめんと言われて去られた時、私はもしかしたら涼香にも恋愛感情を抱かれていたかもしれない。いやこれはあくまでも状況推察によるもので、涼香からそれらしい言葉を聞いていないから確定なんかじゃない。
でもあの場面、それ以外の何かがあるのかと言われたら、幾らそういうのに鈍い私でも何も無いと答えてしまう。
ただ、親友と恋愛をする。そんな事が正しいのかどうかまではわからない。
「まぁ私は話を聞いた限りで予測するだけだから何とも言えないし、どうすればゴールなのかもわからない。それにもし、小泉涼香がそうだとして夏希ちゃんがそれを受けるかどうかというのも別問題」
「でも、もしそうなら受け入れないとまた失敗しちゃうんじゃ」
紗枝さんはゆっくりと、諭すように首を横に振った。
「無理に受け入れたら、それこそ夏希ちゃんが幸せにならないでしょ。自分が嫌な事を受け入れ、相手が好き勝手に振舞う。そんなの六人の幸せじゃないんじゃないの。前にも言ったでしょ、中心は夏希ちゃんなんだって」
そうかもしれない、きっと紗枝さんの言う通りなのだろう。結局相手が願う事を私に突きつけたとして、私が心から受け入れられないとループの克服条件にはなり得ない。
「でもそれで相手が逆恨みしたり、ループを発動させるキッカケになったりしないでしょうかね」
「そこは言い方とか接し方次第だとは思うけど、でもフラれたから死にました殺しましたじゃ、人間社会はもうとっくに崩壊してるんじゃないかな。それこそ人はもっと強いものだと思うよ」
「……そうかもしれませんね」
紗枝さんの言ってる事はもっともだ。けれどそれは普通の世界の話であって、このループが繰り返される歪な世界ではどうなんだろうか。一つの判断ミスが命取りとなり、あっけなく崩壊に向かってしまう。
私にもし次があるとしたら、信じ切れるのだろうか?
「話は変わるんだけど」
紗枝さんが一つ息を吐く。私は思考を止め、その眼を見た。どこか憂いのある眼差しに胸が締め付けられた。
「私が個人的に感じているのが夏希ちゃんが色々考えて動いているからなのか、今までとは世界が違うような感じがするんだよね」
「世界が、違う?」
どういう事かと私が前のめりになる。
「上手く説明できないんだけど、夏希ちゃんが前回の記憶をハッキリと引き継ぐまでは良くも悪くも同じような日々を繰り返していたの。それこそこの日は晴れ、この日は雨とか決まっていた気がする。会話だって同じ言葉の繰り返し」
「今は違う、と?」
「店長と話していても、何か違う気がするのよ。だからもしかしたら、世界が停滞ではなく動き出している気がするの。ループは終わりに向かっている気がする」
ループが終わる。でも私はまだ明確な道筋を見つけていない、みんなが幸せになるような道を。
「でも、私はまだ何もできていない。もしみんなが幸せになれないままループが終わったらどうなるんでしょう?」
「それはもう、そのままじゃないのかな。何か不幸があってもループしないで続いてくだけだろうね」
当たり前の話。だけど私が背筋を冷たくするには十分だった。
「でも、この世界がループするのは私を含めた六人が幸せになるためなんじゃ」
「それはあくまで仮説じゃない。それに完璧な幸せなんてありえないのかもしれない。今は眠っているこの街だって、ループの限界がくれば目覚めるかもしれない。それはもしかしたら、幸せというのを叶えられないまま目覚めてしまうかも」
「という事はつまり……」
私の脳裏に怖い考えが浮かぶ。でもそれは紗枝さんによってすぐに言語化された。
「百点満点ではなく、六十点くらいで終わるかもね。最悪、ニ十点もいかないかも。夏希ちゃんを含め、誰かが不幸なままというのは十分にあり得る話かもしれない。それは心に留めておいて」
街が勝手に目覚める……。
そんな当たり前の可能性すら、このループしている異常な現状では頭になかった。そうだ、もしかしたら涼香が失踪したままの未来が起こるかもしれない。凪だってモカだって和樹や黒岩だって、欠けてしまうかもしれない未来。
そんなのは嫌だ。
でも、今もうここで出来る事は無いだろう。あるとするなら、次のループが訪れるように願うばかりだ。
書店を出るともう正午に近かった。まだ暑い秋の陽射しはチリチリと肌を刺す。私は停めてあった自転車の鍵を取り出し、開錠しようとポケットをまさぐる。
「夏希」
聞き覚えのある、でも低く恐ろしさの満ちた声が私を呼ぶ。私が驚いて振り返ると、そこにはモカがいた。
「モカ、どうしたのこんなとこで」
けれど私の呼びかけにもモカは暗い目をしたままだった。ゆらりとまるで怪異のように立っている。
「夏希、涼香をどこにかくまってるの?」
「何を言ってるの? そんなの私が知りたいくらいだよ」
「嘘つき!」
辺りを震わせるほどの大声でモカが叫ぶ。その眼は異常に血走っていた。
「涼香を隠しているんでしょ。私の告白に答えを出さないまま、涼香とどこかで一緒になっているんでしょ? わかってるよ、涼香が夏希を好きなことくらい。夏希だって涼香ならって思ったんでしょ。そうでしょ。絶対にそう。ねぇ、どこ?」
「嘘じゃないよ、本当に知らない。涼香の家に行ったけど、誰もいなかったし」
私はゆっくりと後退る。悠長に自転車にまたがって、この場を離れる余裕なんか無い。そんな恐ろしさがモカにはあった。
と、不意に記憶が差し込まれる。
あ、これ……モカに刺されるやつだ。
浮かび上がる記憶にはモカが包丁を持って私に突進してきた映像が見えた。わかっているとはいえ、死にたくない。でももうどうにもできないかもしれない。私は建物の壁を背にしてしまっていて、隅に追いやられている格好だ。
「モカ、待って。話を聞いて。告白の答えは受け入れるだよ。モカと付き合うよ、だから」
「嘘つき!」
またもモカが大声で叫ぶ。私はもう足が震え、とっさに逃げ出す自信すらなくなってきた。
「そんなの今更信じられるわけないよ。ここでなぁなぁにして、涼香と会うんでしょ。会って私の事、馬鹿にするんでしょ。負け犬ってね。わかってるんだから。そこまで私、馬鹿じゃないんだから」
一体どうしてこうなったんだろう?
涼香は失踪した、凪も夏休み中の展覧会が上手くいかずに落ち込んだ。でも、この二人だけのはず。あれからモカに何かあったとか、そういうのは無かったはずだ。
告白の返事を曖昧にしたままだったから?
でもそれだけで、こうなるのだろうか。私が気付いていなかっただけで、そこまでモカの気持ちが膨れ上がっていたというのだろうか? それとも涼香がいなくなったからモカの気持ちに歯止めがかからなくなってしまったのか?
「待って、待ってモカ。お願いだから」
「私、ずっと待ってたんだよ。ずっと、ずうっと、ずうーっと。でも夏希は涼香と一緒にいた。そして私、見たんだよ。涼香が学校に来なくなる前の日の夕方、二人で抱き合ってるのを」
あの時、どこからか見ていたのか。でも、思っているような事じゃないのに。
「これもうさ、許せないよね。浮気だよね、浮気。私の事ほったらかしにしといて涼香と抱き合って、その次の日から二人きりの世界なんでしょ」
「違う、違うんだって」
モカがカバンから包丁を取り出した。それを見た途端、私の心が凍る。いつかの記憶が今と重なる音がした。
「夏希の事、本気だったのにさぁ。もうこうでもしないと、結ばれないよ」
小さくモカが笑ったかと思うと、それを両手で持って私に突っ込んできた。私は逃げよとしたけど、そのあまりの恐怖に足が動かない。おまけに二メートルも無い距離だったから、来たと思った途端にはもう目の前にいた。
「あぐぅ」
身体ごと押し付けた一撃は今までの味わった事の無い痛み、苦しみを背中まで突き抜けさせた。息が出来ず、頭が白くなる。私は壁まで押され、背中が付いてもなお押され続ける。
「夏希が悪いんだからね」
目の前が白む。意識が遠のく。激しい痛みは限界を突破し、息ができない。苦しさに溺れながら、私は身体中の力が抜けていき、そして……。




