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ミッシングリンク~忘却と目覚めの街の中で~  作者: 砂山 海


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【第三章】第八話~まだ熱のある秋風に抱かれて~

凪に対して夏希達は何もできないまま過ぎていく。

そんなある日、部活終わりに涼香から帰ろうと声をかけられた。涼香も最近は元気がない。

夏希はオーディションがどういうものかを訊き、規模の大きさに驚く。

そうして一緒に下校していると、涼香がふと違う道へと歩き出したのだった……。

 結局私達は凪に何のケアもできないまま九月も中旬を迎えようとしていた。

 遊びにも誘えないなら学校でと積極的に話しかけてみるのだが、気の無い返事ばかり。褒めても励ましても何の手ごたえも無く、自然と時が何とかしてくれるだろうとみんな思うようになった。

 それでも学校に来て、放課後は部活に参加しているので私としてはまだこの世界は失敗していないんじゃないかと思う。もしかしたらこの先、何か好転するような事態が起こるかもしれない。そう期待している。


「夏希、一緒に帰ろう」

 そんなある日、涼香が部活終わりにそう言ってきた。最近は涼香も凪に引っ張られているのか元気があまり無い気がする。

「もちろん。じゃあすぐに片付けるね」

 私は音楽室で自分の荷物を整理すると、カバンを取りに一緒に教室へと向かう。

 夕暮れの校舎は生徒が日中の四分の一もいないので、閑散としている。特に私達吹奏楽部はかなり練習時間も長く、これより長いのは運動部でも数少ない。だから通り過ぎる教室もほとんどもう生徒はおらず、寂しげだ。

「あー、今日も頑張った。何とかコンクールには間に合いそうだね」

「そうだね。私もお仕事であまり参加できてなかったけど、上手く吹けている気がする」

「やっぱり合宿での体力づくりが効いてるんじゃないのかな。そういえばオーディション、どんな感じなの? もう結果とか出てるの?」

 教室でそれぞれのカバンを手にしながら私がそう問いかけると、涼香は難しそうな顔で小首を捻った。

「とりあえず二次までは通ってるよ」

「え、凄いじゃない」

「凄くも何ともないよ。一次は書類だし、二次なんて大勢いる参加者から二十人くらいまでに絞るんだけど、素人も大勢いるから私のような経験者は通るよ。というか、さすがにそこでは落ちてられない」

 どこか悲痛な決意のこもった声。それはきっと涼香にのしかかるプレッシャーの大きさの現れだろう。

「じゃあ、本番はそこからってわけなんだ」

「うん。でもそこからは本当に名の通った人とかいるから、難しいかも。落ちたらうちの親とか事務所の社長、どうなるのかなぁ。受かったら嬉しいけど、でもお仕事ますます辞められなくなっちゃうだろうなぁ」

 私達しかいない教室に溜息が響く。私はそんな空気を変えるよう、わざと明るく質問してみる。

「ちなみに、そのオーディションってどういう内容なのか言える範囲でいいから教えて」

「村部隼太監督の映画のオーディション。カンヌにも出すって言われてるよ」

 村部隼太とは一般の私でも良く名前を聞く人で、ここ数年で大ヒット映画を何本も飛ばしている監督だ。だから当然どの事務所も力を入れてアピールしてくるだろう。もしそこで主演やヒロインなんて決まれば、国際的にも有名になるチャンスだ。

「えぇ、そんな凄いオーディションなの?」

「だからプレッシャーなんだよね。それに私、そんな作品に出られるほど演技力もなにもかも持っていないしさ」

 迂闊に違うとは言えなかった。もう私の想像を超えた所のお仕事の話であり、それこそ素人が簡単に何かを言っていいような感じじゃない。親友だとしても、だ。

「うちの事務所だって業界じゃ小規模だからそんなに力なんか無いのにさ。でもみんな夢見てる、私が子役の頃に大当たりしたのをもう一度ってばかりにね。そんなの宝くじの一等に当たるようなもんだよ、馬鹿らしい」

「でもほら、普通の人はそんなとこに残れないよ。それだけでも凄いよ」

 涼香はふと窓の外へ目をやる。夕日が教室をほの赤く彩り、何だか幻想的だ。

「……レヴォプロから遠藤環さん、アポロから姫野未来さん、スタークリエイトから佐伯桂里奈さんが参加してるんだよ」

 それは超大手かつ超有名な俳優さんだった。みんなテレビや映画で見ない日は無いし、最近の邦画はこの三人で回していると言っても過言じゃない。さすがにこの人達相手だと涼香には悪いけど、ちょっと無理そうな気がしてくる。

 きっとそれが顔に出てしまったのだろう。涼香は私にいたずらっぽく笑いかけると、カバンを持った。

「ね、無理でしょ。ほら、帰ろう」

 私にとっては凄く遠い、画面越しの世界。でも涼香はそこで頑張っているんだな。そう思うとその責任感や期待感などのプレッシャーが垣間見えたような気がし、私は胸が締め付けられた。


 学校を出てゆっくりと私達は歩く。九月の中旬とは言えまだまだ暑い日が続き、この時間になっても通り過ぎる風は熱を帯びている。それでも日中熱されたアスファルトが幾分か落ち着いているので、どうにもならない暑さではない。

「夏希はさ、怖くて逃げだしたい事ってある?」

 ぽつりと呟いたその声が風に運ばれる前に私は涼香の方を見た。

「もちろんあるよ。私だってこう見えて、色々あるんだから」

 選択を失敗すると崩壊する世界。ループによって巻き戻されるが、ずっと同じ所をもがき溺れ続けているような感覚だ。悲惨な現場も見た、死ぬ恐怖も体験した。いつだって逃げたくて仕方ない。

「そっか、みんなそうだよね。私だけじゃないもんね」

 ふっと一つ笑い、涼香が視線を落とす。私はそんな涼香の手をそっと握った。

「どっちがとか、誰の方がとか、悩みってそういうんじゃないよ。本人が辛いと思えば辛いんだよ。そんな事を言ったら偉い人が『お前の悩みなんて大した事無い』って言われたら、みんな何も言えなくなるよ」

「偉い人って、例えば?」

「えっと……大統領とか首相とか?」

 思いがけない答えだったのか、涼香がぷっと吹き出した。

「確かにそれは偉いわ」

「まぁそれは物の例えだけど、その人にとっては乗り越えたから大した事無いって思える事でも、当人からすれば乗り越えられなくて悩む事もあるよね。そんな時は誰だって逃げたいよ。誰も彼も立ち向かえるような人ばかりじゃないからさ」

「そうかなぁ……でもそうかもしれないね」

 迷い、それでも一つの納得を見つけたのか涼香は一人小さくうなずく。伏し目がちな眼も先程よりは元気そうに見える。

「世の中の格言とかアドバイスなんてさ、結局成功した人の言葉でしかないんだよ。生存バイアスみたいなもんだよ。生き残れなかったり埋もれてしまった普通の人達の意見なんかかき消されてるだけなんだってば」

「なんだか夏希って凄く大人びてるよね。ちょっと前までは正直、社会に出てる私の方がとか思ってたけど、最近は凄く深い事も言うよね」

 その言葉にぶわっと背中に汗が流れた、当たり前だ、私はこの記憶を持って同じ生活を三年繰り返している。誰それの好みやアドバイスの仕方なんかも心得ている。だから逆に今、怪しまれていないかと怖くなった。

「あー、まぁ多分バイト先の人がそういうの色々教えてくれるからだよ。博識なんだよね」

「そうなんだ」

 ふっと笑う涼香が可愛らしく愛おしく、夕日の効果もあって不意に胸を締め付ける。


 そのまま私達は歩き続け、もう少しでいつもの分かれ道が見えてくる所まできた。すると涼香はふと足を止め、うつむく。私も足を止め、不思議そうな眼差しを涼香に向けると、涼香はくるりと踵を返して別の方へと歩き出す。

 帰る道とは違う、住宅街の中でも人気のない道。私は涼香がそっちに何か用でもあるのかと大した疑問を抱かずについていく。その道は私もあまり通った事が無く、少し山間に向かうからか寂しげな感じすらする。

 しばらく歩くと、小さな公園に着いた。そこはブランコと滑り台、小さなシーソーしかないような寂れた公園。子供もおらず、かと言って日向ぼっこするような老人もいない。夕暮れ時に影すら残さないような公園だった。

 そこに足を踏み入れ、涼香は誰もいない滑り台の傍に立つとうつむいた。ここはいつもの通学路とは違い、大通りから外れているので同じような制服を着た人は見えない。私は何だろうかと涼香を注視するけど、涼香は視線を落としたまま動かない。

 どうかしたんだろうか?

 こういう涼香は過去にも見た事がある。何か言いたいけど言えない時、よくこうしていつもと違いう場所に行きがち。子供の頃からの癖みたいなものだ。

 だけど大抵、こういう時は私からあれこれ訊いても答えてくれない。あれこれ訊くと、逃げてしまうから。だからいつも涼香が何か言ってくれるまで待つしかない。

 オーディションの事だったり事務所や家族を背負っているプレッシャーだったりと、辛く苦しい事も多いだろう。もっと本音を言いたいけど、軽々しく言えない事だってあるだろう。

 私は部活帰りだった事もあり少し疲れていたので、近くにあったブランコに座ろうと近付く。すると砂を踏む音が聞こえたので振り返ると、涼香に抱き着かれた。

「涼香?」

 正面から私の胸に顔を埋めるようにして、ギュッと力強く抱き締めてきた。柔らかく、ふわりと良い匂いが鼻をくすぐる。私はとっさに抱き締め返した。驚きはしたものの、いつものハグだと思って。

「夏希」

「うん、どうしたの?」

 ハグを解禁してから時折こういう事がある。それは甘えたい時、じゃれ合いたい時、心細くなった時、辛い時など色んな場面で。こうしていると落ち着く、こうしていると心が温かくなる。私は涼香とこうするのが好きだ。

「夏希、あのね」

 言葉はそこで止まり、ただ抱き締め合うばかり。次第に制服越しに涼香の体温が伝わってきて、私の心にむず痒いものが生まれる。でも消して嫌じゃない、むしろ幸せすら感じる。涼香に必要とされているからだろうか。

 不思議と人気のない公園をまだ熱を帯びた秋風が通り過ぎていく。

「ごめん」

 そう言って私から離れた涼香は泣いていた。目を潤ませ、鼻をすすり上げる。私は思いがけなかった言葉と様子に戸惑い、かける言葉が見当たらない。

「涼香、それってどういう事?」

「ごめん夏希、忘れて」

 サッと踵を返し、涼香が走り出した。私はとっさの事に面食らったまま呆然と立ち尽くす。すごい勢いで走り去る涼香は段々と遠くなり、もう追いかけられる距離じゃない。やがて間もなく、見えなくなった。

 残された私はまだわずかに残る涼香の熱と匂いを大事にしようとするが、秋風がさらっていく。そうして一人残された私はもう何が何だかわからず、ゆっくりと家へと帰る。

 何を思い、何故泣いて、どうして逃げたんだろう?

 ほどなくしていつも涼香と別れる道に差し掛かると足を止め、涼香の帰る方へと目を向けた。薄暗くなった道は見慣れたはずなのにどこか不気味で、寂しい。通行人も行き交う車もあるけれど、背景のよう。

 私、何か間違ったんだろうか?

 不意にそんな予感が頭をよぎる。すうっと血の気が引き、訪れるかもしれない最悪の未来が近々訪れるんじゃないかという恐怖に手足が冷たくなるかのよう。

 もう三周、おまけに涼香とは幼い頃からの付き合いで誰よりも理解できる。けれどまだそれでもわからない事があるんだろう。だってさっきの涙の意味がわからない。ごめんが何に対して謝っているのかわからない。何故忘れて欲しいのかも、わからない。

 だからあの場面で私が何をどう言えばいいのかわからない。反省するキッカケも糸口も何もかも見えないから、どうする事もできない。一体涼香は何を迷い、何に対して謝ったんだろうか。

 正直、私は一周目の時よりもずっと涼香に対して距離感近く接し、ケアしてきたつもりだ。包み隠さない本音も話した、秘密だよと言われたモカからの告白の全貌も話した。なのにどうして、こんな風になってしまうのか。

 これが単に一過性のものなのか、それともループ全体にかかわるものかのかまだわからない。ただ、時期的にもう九月の中旬だ。涼香に何か起こるとするなら、もう間もない。だから怖い。

 私は空を見上げた。いつの間にか重たげな雲が空を侵食しているのに気付く。


 翌日、涼香は学校を休んだ。

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