【第三章】第七話~曖昧な私達~
涼香と遊びに出かけた夏希は涼香の様子を観察する。けれどイマイチ良くわからない。
会話の中でモカに告白されたと話した時、涼香と衝突しかけるが何とか収める。
夏希にはどうしても今まで通り親友以上の気持ちを感じられなかった。
夏休みが明け教室に行く二人。そこでは凪が暗い顔をしていたのだった……。
翌日、約束通り朝の九時に家のインターホンが鳴り響いた。もう来るとわかっていた私はすぐに玄関へと駆け出し、ドアを開ける。
「来たよ」
嬉しそうにそう言う涼香は夏らしいコーデでまとまっている。でも日焼け対策はバッチリだ。私はそこまで気にしていないので、ノースリーブのシャツに薄手のチノパンとラフな格好。
「待ってたよ。じゃあ、行こうか」
やや曇り気味の空はこの時期ありがたい、陽射しを遮ってくれるから。それでも暑い事には変わりなく、二人並んでとりあえず駅まで歩いているのだが、汗が噴き出してくる。
「合宿ってやっぱ凄かった?」
私は嬉しそうにしてるけど目の下のクマが取れていない涼香に訊くと、苦笑いをされながらうなずかれた。
「あー、うん、凄かった。何がって昨日も話したけど、ご飯食べて寝る時間以外はひたすらレッスンしてた。マジで十五時間くらいはずっと何かしてた」
「十五時間? ヤバいね、それ」
私が目を丸くすると、涼香が大きく首を傾げながら溜息をついた。
「親も事務所もやれやれって言うからさ、逃げ場なんか無いんだよ。弱音吐く人も場所も無くて、夏希に連絡しようにも日中はスマホ取り上げられててさ。もう本当に辛かったんだよね」
そう言いながら涼香が自然に体を寄せてきた。
避けるのはさすがにあからさま過ぎるから、今まで通りに体を寄せ合う。すると涼香の熱の他に肌の柔らかさ、生肌が当たっている部分の湿り具合、ふわりと香る匂いなど生々しい情報が私に与えられる。
「でもやり遂げた涼香は偉いよ。本当に凄い」
私は何とか外面を保ちながら涼香の頭を軽く撫で、抱き寄せた。より密着する事によって生まれる熱、質感、そして嬉しそうな涼香の顔。
私はそれを見て、心に大輪の花が咲いたかのようだった。でも今はその感情に名前をつけたくなかった。
一緒に繁華街に行き服や小物を見て回り、お昼は二人とも好きなファミレスで。それから流行りの映画を観て、カフェでお喋り。何て事の無い、いつもの二人での休日。
私はその時々で涼香の様子をチラチラ確認していたけど、特に今までと変わりなかった。街中だから必要以上にベタベタせず、もちろん手もつながず、適度な距離感でお喋りに花が咲く。いつもの私達の関係。
「あー、楽しい。すっごい心が軽くなった」
映画館近くのカフェで私達は冷たい飲み物を飲みながらお喋りをしている最中、ふっと涼香が満足そうに笑った。その表情は晴れやかで、夏休み前の憂鬱な顔とは比べ物にならないほど生き生きとしている。
「それはよかった。私もすごい楽しいよ」
「合宿の最中もさ、こういう事を夏希としたいなーって考えてたんだよね。それがもう支えでさ、何とか乗り切れたよ」
「本当にお疲れ様。で、何か上達した感じはする?」
「どうかなぁ。目に見えてどうこうってのは実感無いけど、でもタメにはなったよ。ただ、これでオーディション上手く行かなかったらと思うと、ちょっと」
ふっと涼香の顔に暗い影が差す。折角の楽しい気晴らしの日に変な事を言ってしまったと私はすぐに反省し、何とか話題を変えようとする。
「でもそれだけ頑張ったんだから何かしらの役には立つんじゃないかな。頑張った経験って絶対に強くなれるからさ。部活だって間は空いちゃったけど、その集中力と体力は役に立つよ」
「部活ねぇ……折角いい感じだったのに、またやり直しだもんなぁ」
相変わらず浮かない顔をする涼香に私の焦りは増えていく。
「いやでも、うちは割と緩いし何とかなるよ。前にも言ったけどオーボエの未亜ちゃんが辞めたから課題曲やり直しだし、みんなまた覚え直しだからさ」
「痛いよね、それ」
「ほんとだよね。涼香はとりあえずそのオーディションの間までは予定びっしりじゃないんでしょ、部活来れそう?」
「それはもちろん行くよ。明日もあるんでしょ?」
「あるよ。あー、涼香と一緒に部活行けるのも久々だから楽しみ」
「合宿で相当走り込みとかさせられたから、フルート吹くのも力強くなってるかも。ちょっと楽しみなんだよね」
徐々に涼香の顔に笑顔が戻ってくる。私は心の中で胸を撫で下ろし、カフェモカに口をつけた。
「私も部活で走ってたけど、絶対涼香のがきついトレーニングしてたからレベル上ってるよ。楽しみだな、涼香のフルート」
「いやでも、楽器には触れてなかったからね。どうなるかな」
「そう言って下手だった事ないじゃない」
「たくさんあるの、知ってるくせに」
笑い合い、心に幸せが満ちるのがわかる。やっぱり涼香と一緒にいるのが一番楽しい。
「それで話は変わるんだけど、夏希は夏休み中誰かと遊んだりした?」
その質問に私の顔が一瞬強張った。きっとそれは些細な時間と変化だっただろう。でも涼香が見逃すはずがない。それに、ここで誤魔化したところで後になってバレたらなおさらこじれるだろう。
「モカと遊んだよ」
「あ、そうなんだ。まぁ、凪も忙しそうだもんね」
涼香は納得しながら何気なさそうにカフェオレに手を伸ばす。私はここで何も言わないという事もできる。でもきっと、それは悪手だろう。どうせ隠したって私の事だからすぐにバレる。なら先手を打った方がいいのかもしれない。
「それでね涼香、私……モカに告白されたんだよね」
途端、涼香の目が大きく開かれ身を乗り出してきた。
「え、何? モカに? どういう事?」
モカからは秘密にして欲しいと言われたけど、無理だ。と言うか他の人なら幾らでも誤魔化せたり嘘ついて隠せるかもしれないけど、涼香には無理だ。だっていつか絶対バレるから。
「いや、私の事を恋人として好きだって。あの、これモカから秘密にしてって言われたけど涼香だから言ってるんだよ。涼香なら他の誰にも言わないってわかるし、涼香に隠し事なんかできないから」
「あ、うん、わかってる。……で、返事はしたの?」
浮かせた腰を落ち着かせ、涼香が私の目をじっと見つめる。
「わからないって答えた」
「わからない? 断らなかったの?」
眉根を寄せる涼香に私は必死に、真剣に見詰め返す。
「だって、わからないんだもん。そんなの考えた事も無かったし。ハッキリ断ってモカともう話せなくなるのは嫌だって思って、でも受け入れるのもなんかわからなくて」
「それで、モカは何て?」
「もっといい女になって振り向かせてみせるって」
涼香が納得したようなしてないような溜息をつき、深々と椅子に座る。私はそんな様子にちょっと腹が立ち、キッと涼香を少し睨んだ。それはどこか、涼香が私を好きなのかもしれないと言うモカの言葉があってこそだったのかもしれない。
「ねぇ涼香、涼香はそんな告白されたらどうする? すぐに答えられる? 女の子同士付き合うって、想像できるの?」
「モカから告白されても私は断るよ」
「じゃあもし、私からだとしたら?」
思い余って口に出したけど、相当に卑怯な事だったかもしれない。そんな反省が浮かぶのと同時に、涼香は口を閉じ視線を下げていた。
「……ごめん。悪かった。もうやめよう、この話題は」
もし本当に私の事を涼香が好きなのだとしたら、この上なく意地悪な質問だったかもしれない。そう思ってしまうのは涼香の悲痛な顔を見てしまったから。その途端、私の怒りは急速にしぼんでいく。
「言わないでよ、絶対」
「うん、言わない。約束する。なんか、ほんとごめん。そういうの言われて夏希が一番どうしようって思ってたはずなのに、つい」
「いいよ。何か私も変な事言っちゃったし」
互いに作り笑いでその場を和ませ、何事も無かったかのように別の話題へと移す。愛想笑いをし、隙間を埋めるようにカップに手を伸ばすけど、もう私のカフェモカは空になっていた。
「それじゃ、またね。明日部活で」
涼香といつもの場所で別れると、私は小さな溜息を人知れずつきながら家路につく。少し歩いて振り返り、涼香の姿が見えなくなると私はがくりとうなだれた。
今日一日遊んで、涼香が私の事を恋愛として好きなのかどうかというのは正直わからなかった。遊んでいる最中はいつも通りだったし、別に特別な事も無かった。
モカに告白されたって時はちょっと感情的になっていたけど、それだって親友が女の子から告白された驚き、そして売り言葉に買い言葉と言う怒りに怒りを重ねたと考慮すれば特別これだというのは無かったような気がする。
意地悪な質問をしたけど、それだって私が涼香に同じ事言われたら答えに窮しただろう。
結局、涼香が私の事をそう言う意味で好きなのかどうかというのはよくわからなかった。まぁもし本当に私の事が好きだとしたら、きっとそう簡単に打ち明けたりはしないだろう。なんたって付き合いが長い親友なのだ。それによって関係が終わる事だってありうる。
それに涼香は私の親友でもあり、幼い頃から俳優だ。演じる事は誰より上手いだろう。
夏休み明けの登校風景は憂鬱さと喜びが交錯している。夏休み早かったと愚痴る子もいれば、会えて嬉しいと久々の再開を喜び合う子もいてどこか騒がしい。
私はどちらかと言えば前回、前々回と違ってなんとかみんな無事にここまで来れた安堵感の方が強い。ただ別の視点から見ればもうその先を私は知らないのだ。
わかっているのは秋になれば涼香が失踪する未来。
しかし今の関係でどうしてそうなるのかよくわからない。前回はともかく、前々回はみんなバラバラになっていく中で涼香と一緒にいようねと約束したのに、何故かいなくなってしまった。だから今回も安心はできないだろう。
そう、ここからが勝負なのかもしれない。
「夏希、おはよう」
「おはよう、涼香」
いつもの待ち合わせ場所で涼香と会う。その笑顔を見て、私はなお一層の決意を固めるのだった。
「おはよー」
クラスに入ればそれなりの変化があった。運動部の人達は真っ黒に日焼けしており、髪型を変えている人、何だか明るくなった人、反対にどこか元気の無い人など様々だ。
「あ、おはよう」
凪はそんな元気の無い人の一人だった。
落ち込みがちに自分の机で頬杖をつき、私達が入ってくるなり小さく挨拶を返す。顔色もあまり良くなく、見るからに元気がない。ふと周囲を見れば少し離れたところから黒岩が心配そうに見ているけど、それだけ。
私はカバンを置くとすぐに凪の机に近付く。もちろん涼香もそうする。
「凪、久し振り。どうかしたの、元気無さそうだけど」
「あー……うん、ちょっとね。自分が嫌になっちゃって」
溜息をついてうなだれる凪に、涼香がそっと肩に手を添えた。
「話くらいなら聞くよ、凪。それくらいしかできないかもしれないけどさ」
「ありがとう涼香。そうだよね、涼香のが大変だろうにそんな気を遣わせるくらいだったら、言っちゃった方がいいのかもね」
「比較しなくていいよ、そんなの。ただ、友達だからでいいじゃない」
「ありがと」
ゆっくりと凪が顔を上げる。久し振りに会った友達の顔が悲痛な顔で始まるのは私も胸が痛い。
「……実はね、展覧会が夏休み中にあるって言ったでしょ。上手くいかなかったんだよね」
「上手くいかなかったって、どういう意味で?」
私が顔を寄せると、凪は悲しそうに目を伏せた。
「そのままの意味。私の書いたのが入選止まりだったんだよね」
「よくわからないけど、それって凄い事なんじゃないの?」
書道の世界は正直よくわからない。そんなに字の上手くない私からすれば凪なんて物凄い字が綺麗で、達筆。そして入選ってだけでも凄いと言うのがわかるけど、それじゃ駄目なんだろうか。
「普通は栄誉ある事だよ。ただ、両親から秀作賞とか大賞取れなかったのが恥だって散々言われてさ。その後のお仕事の場でも駄目な子だから、出来の悪い子だからって散々言われて……なんかもう、嫌になっちゃった」
「それはさすがにハードル高くない? どんな人だってずっと一番であり続けられるのなんか無いでしょ」
私がすがるように涼香を見れば、涼香はまるで我が事のようにうなずいていた。
「自分の環境が普通じゃないからこそ、周囲のハードルって上がっていくんだよね」
「そうなの。私だって頑張ってるのに。それこそずうっと入選して賞とかもらってるのに、親が認めてくれない。親が書道家だからひいきされてるんだって声も知ってる。でも、だからこそそう思われないようにしてるのに、どうして」
凪の悲痛な訴えに胸が締まる。きっとこういうのは涼香じゃないとわからないのかもしれない。私じゃ何を言っても説得力が無いし、力になれないだろう。
「そうだよね、わかるよ。頑張ってるもんね、心無い言葉を言われないように。でも、それすら受け入れないとならないの。受け入れて、なお負けないようにしないといけないの。じゃないとずっと、辛いだけなんだよ」
「じゃあ私、辛いだけなのかな。このままずっと、辛いだけなのかな」
何とも言えない空気が辺りを包む。涼香もこれ以上何を言っても難しいのかもしれないと判断したのか、それ以上は言わない。私もどう言えばいいのかわからない。
「なになに、なんか暗いよ。どうかしたのー?」
そんな空気を破ったのはモカだった。モカが和樹の頭をつかみながらやってきた。その後ろには黒岩もいる。
「よくわからないけどさー、パーッと遊べば気晴らしになるよ。海、楽しかったでしょ? だったらまたみんなで遊びに行かない?」
「おぉー、モカ良い事言うね。夏休み開けてみんな落ち着いただろうから、どっか行こうぜ。俺も夏休み中はたくさんバイトしたから、多少は付き合えるぜ」
「俺もまぁ、休み中に色々片付けたから参加できるかな」
みんなが凪を盛り上げようとする。この感じ、好きだ。六人の絆がちゃんと感じられる。誰かが傷付けば誰かがフォローし、みんなで進む感じが。
「……ごめん。嬉しいんだけど私、遊びに行くの禁止されてるんだ。だからごめん、行けない」
私達は燃え上がりそうな火にバケツの水をかけられたかのように無言になると、どこか居心地悪そうにチャイムが鳴るまで無難な言葉で凪を励まし続けた。
でも凪にはきっと、何一つ届いていない……。




