【第三章】第六話~涼香との距離感~
モカに告白された夏希は女の子同士で恋愛する事がよくわからず、答えを保留する。
そしてモカと別れた後、涼香について考える。
夏希にとって涼香は特別、涼香にとっても夏希は特別。互いにそう思える関係だと夏希は自負する。
ただ恋愛となると……。
モカからの告白を受けた私は正直戸惑っていた。
私は女の子の事を恋愛対象として今まで見た事が無かった。涼香ともモカともハグしたり手を繋いだりする事はあったけど、それは友情の延長線上なだけ。仲良くなる以上の意味なんて無かった。
この告白を断るのは簡単だろう。でも、心の奥底で何かが引っかかっているのも事実だった。
「正直言うと私、女の子とそういう事になるのは全然考えてなかった。かと言って好きな男子がいるってわけじゃない。だから……すぐに返事はできない」
心の奥底でひっかかっているのは嫌悪感ではなく、むしろそういう世界もあるのかという驚きに近かった。もちろんそういう関係がある事は知ってるし、実際モカがレズだってのは聞いていたから知っている。
でもその意味をどこか遠くの世界のように思え、理解をちゃんとしていなかった。
「そうだよね。急にそんな事言われても、だよね」
涙を拭ったモカは落ち着き、真剣に私の言葉を聞いている。ただやはり、どこか不安と失望が入り混じった顔をしていた。
「変な言い方だけど、正直どう言えばいいのかわからない。モカの事を嫌いになりたくないし、離れて欲しくない。そもそも私にそういう事の理解が足りないから、簡単に答えられない」
「真面目だね、夏希は。でもそこがいいんだよなぁ」
モカが小さく笑うと、うんと大きく伸びをした。
「やっぱり夏希に言えてよかった。聞いてくれただけでも嬉しいし、否定しないでくれただけでもありがたいんだ」
「モカ……」
「今日の事は二人だけの秘密だよ。さすがに私だってこんなの話されたらどうしていいかわからないからさ。でまぁ、もっともっとイイ女になって夏希の気を引いてみせるから」
突き出すようにモカがピースサインを弾けるような笑顔と共にしてきたので、私も笑ってうなずき返した。
駅でモカと別れて一人家路につく最中、私はずっと涼香の事ばかり考えていた。モカが言っていた「涼香は絶対に私の事が好きなんだ」という言葉、その意味について。
涼香とは小学生の頃からの付き合いで、仕事で忙しかったり有名芸能人という肩書からクラスで馴染めなかった時期も私はずっと傍にいた。その都度、取り入ろうとしてるとかズルいとか色んな陰口を言われた。
でも涼香はもっともっと色々言われていた。
『何で私、こんな事言われないとならないんだろう』
そう涼香が私の前で泣いた事もあった。その泣き顔を見て、心からの疑問を訴えられ、私は涼香を取り巻く理不尽さに腹が立った。意地でも一緒にいてやろうと思った。
だって同い年の子が大人顔負けで頑張っているのに、辛く淋しそうにしているのが私には耐えられなかった。それこそ昔はなんでそんな悪口言われないとならないんだと、一人泣いたりもした。涼香からも離れた方がいいよ、なんて言われた事もある。それも何度も。
だからと言って友達を辞めようなんて思わなかった。
だって涼香は面白くて、色んな事を知っていて、私の話にだって大笑いしてくれる普通の子。偉そうにしたり、刺々しかったりという面は見せなかった。だから次第に涼香も柔らかくなり、周りも成長するにつれある程度受け入れられる関係となった。
高校に入り凪や和樹、黒岩と出会った時も警戒こそしていたけど、過剰にならずに接してくれる三人に打ち解けていった。まぁ、その頃には私も涼香も余計な雑音を受け流せるようになっていたというのもあるけど。
だからまぁ、私と涼香の関係が特別なのは当たり前なのだ。
一番辛い時を泣きながら過ごし、励まし合った仲なのだから。だから涼香がどんなに成功しても、私との約束だけは守ってくれる。逆に私がちょっと金欠の時でも、軽々しく奢ったりなんかしない。あくまで対等。
きっと他の人、それこそ凪とかでもある程度差はつけているかもしれない。でもそれだって私は当然だとも思っている。凪達は素晴らしい友達ではあるけど、私だって同じようには思われたくない。
ただ……それを恋愛と言ってもいいのだろうか。
誰かの特別になるというのが恋愛の本質ならば、私と涼香の関係以上のものはない。でも私はそんな目で見た事は無かったし、涼香からそういう匂わせを感じた事も無い。単に凄く良好な関係。友情の最上位。そんな風に思っていた。
でも、涼香は違っていたのだろうか。
とぼとぼと歩いていると、いつも涼香と別れる道までやってきた。私は思わず立ち止まり、いつも涼香の歩く方を見る。何でもない住宅街の中の道の一つ、子犬を散歩させている年配の女性がいるくらいで人通りも多くは無い。
夏の風が通り過ぎた。街路樹をさざめかせ、蒸した熱気をさらってくれる。それでも私の中にくすぶるものの熱は冷めない。まだ陽の高い空を見上げ目を細めると、今頃遠い場所で頑張っている私の一番の人を思い描いた。
『夏希、帰ってきたよ。会いたいよ』
夏休みの中頃、涼香からメッセージが入ったのは夜の八時だった。それまでの間も度々メッセージのやり取りはしていたのだが、いつ帰ってくるのかというのはあえて聞かないようにしていた。
それは涼香を困らせるだけだと知っていたから。頑張っている人にそんな事言っても困らせるだけだし、決意を揺らがせてしまうかもしれなかったから。
『私も会いたいよ。涼香いなくて淋しかったんだから』
『ほんと? 嬉しいな。もし都合良かったら、明日会わない?』
『いいよ。明日はいつでも空いてるから、朝からでもいいよ』
『私、明日一日は完全フリーだから朝九時からでもいいかな。お昼食べて、夕方まで一緒にいたい』
『じゃあそうしよう。待ち合わせは涼香の家にする?』
『ううん、夏希の家に行くよ。そうしたいから』
それはもう、ほぼ会話をするかのようにノータイムでメッセージをやり取りし合う。最初は一階のリビングでそのメッセージを受けたのだが、やり取りしながら私は二階の自分の部屋へと向かった。
部屋に入り電気を点けると、ベッドに腰かけ私はなおもスマホを操作する。
『ねぇ、今電話しても大丈夫?』
『ちょっと待って』
そこでふっとメッセージが止まる。きっと涼香も自分の部屋に移動しているのかもしれない。そんな私の予想はきっと当たったのか、三分もしないうちにスマホから着信音が鳴り響いた。
「もしもし。夏希、今大丈夫?」
半月ぶりに聞いた涼香の声に私の胸が熱くなる。どこか抑えた、ひそひそ声。それがもう、私の喜びを爆発させる。
「大丈夫だよ。とにかくお疲れ様、涼香。合宿大変だったんでしょ」
「あんまりこういう事は言いたくないんだけど、ほんと大変だった。演劇の先生、ボイトレの先生、ダンスの先生とずっといて、ご飯食べて寝る以外はひたすら訓練させられたよ。勉強とか学びとかじゃなく、訓練。長かったよー」
涼香がそう言うって事は本当に厳しいものだったのだろう。それを軽く想像するだけでも怖くなり、私には到底無理だと思い知らされる。
「ほんと涼香は偉いよ、よくそんなに頑張れるね」
「あー、夏希にそう言われたからもう何もかも報われた気分。合宿中も返信遅かったりしてごめんね、もう気絶するように寝ちゃってたからさ」
「いいのいいの、気にしないで。私もさ、こうして涼香と話せているからもう何にも気にならないんだ。だから大丈夫、こうして話せて嬉しいよ涼香」
「夏希……ありがとう。やっぱり私、夏希がいないと駄目だわ。今だって、すごく安心しきってるもん」
嬉しそうな涼香の声に私の心もくすぐったいくらいに疼く。これだって別にいつも通りのやり取り、私達の日常。涼香が仕事を頑張ったら、いつもこんな調子だ。恋愛だとは思った事は無い、でも特別だとは常に思っている。
「私も涼香と話せて嬉しい。涼香の声聞けて嬉しいよ」
「うん、私も。私も夏希の声が聞けて嬉しい。多分だけど私、明日夏希に会ったらハグしちゃう。ううん、もうこれ間違いないよ」
「えー、予約制なの? でもまぁ、涼香ならいいよ」
「やった。ありがと夏希。大好き」
何気ない普段のやり取り、でもそこに大好きというワードが入った途端、すっと思考が冷静になっていく。
大好きとはどう言う意味なんだろうか。友情としての大好きなのか、それとも恋愛としての大好きなのか。もちろん涼香に好きと言われたら嬉しい。でも、どう受け取るかによって多少付き合い方が変わってくる。
女の子と付き合う事はどういう事なのか私にはまだよくわからない。一緒に遊んで手を繋いだりハグしたりなんかだと、今だってそうなのだから別に関係性を変える必要も無いだろう。
ただ恋人となれば、もちろんその先だってあるだろう。要はキスが出来るか、それ以上の事ができるかどうかだ。
さすがにそんなの考えた事が無いから、よくわからない。嫌悪感と言うよりは未知への恐怖に近いから、そういう好意を向けられたとしても受け入れる準備が無い。
それが特別な涼香だとしても、だ。
芸能人というのを抜きにしても涼香は可愛くて綺麗で、性格も良い。ちょっと抜けてて甘えん坊な所もあるけど、それだって私から見れば長所だ。ふとした仕草にドキッとする事もある。何気ないやり取りに心奪われる時だってあった。
「……夏希、どうかしたの?」
つい考えに夢中になってしまったから、涼香から心配そうな言葉が飛んできた。私は我に返ると、落ちていた視線を上げた。
「あ、ごめんごめん、何でもない。ただちょっと……こうして話せるのが嬉しくて、つい」
「そう。まぁでも、わかるよ。私も夏希と話せてない期間が長かったから、テンション上がっちゃったもん」
涼香が気にしてなさそうに続けると、変に疑われていない事に私はホッとする。
「まぁ、明日会ったらたくさん話そうよ」
「そうだね。私もちょっと疲れちゃったから、今日はもう寝ようかな」
「うん。本当にお疲れ様、涼香。じゃあおやすみ」
「おやすみ、夏希」
通話を終えると私はそのままベッドに寝転がった。涼香と話せたことによる心地良い喜びと、明日どんな顔をして会えばいいのかという不安が同居する。私は少し熱を持ったスマホをそっと枕元に置くと、大きく息を吐いた。
涼香が私に対し、恋愛感情を持っているかもしれない。
その事実が今までの思い出の見方を変えてしまう。もしも本当にそれがあるのだとしたら、私がハグした時に嬉しそうにしていた時とか逆にモカが私とハグしていた時の不機嫌さなど意味合いが違って見える。
その他にも不安になった時にそっと手を繋いだり、あの海で恐怖に怯える私の手を引いて逃げようとしたりとか、そういう事なのかと思ってしまう。
……考え過ぎなのだろうか。
いやでも、私は涼香の事を特別だと思っている。他の誰よりも大切にしたいし、大切だと思われたい。私がこのループの中で最も大事にしているのは涼香の事だ。仮に他の誰かが不幸になったとしても、涼香だけは大事にしたいとすら思っている。
それはきっと涼香も同じだ。そこはもう、疑わない。疑う事すら、失礼に当たる。
その人にとっての特別が恋人なのだとしたら、私と涼香はこれ以上ない関係だろう。でも実際に恋人になれるのかと言われたら……どうだろう。
私は涼香のほとんどを受け入れられると思っている。逆に何をされたら涼香の事が嫌いになれるのかわからない。だからもし、涼香にキスをされるとしたら私は黙って受け入れてしまうかもしれない。それが本気なのだとわかればの話だけど。
いや、それもどうだろうか……何だか私もちょっと、熱に浮かされ始めているのかもしれない。




