【第一章】第一話~奇妙な違和感~
二年生になってクラス替えが行われた。星野夏希と小泉涼香はまた同じクラスになって喜び合う。教室に入ると間宮凪、白上和樹、黒岩新など一年生の時からお馴染みのメンバーもいたので安心する。
ホームルームで自己紹介が始まった時、夏希は奇妙な胸騒ぎを覚える。そしてそれが涼香の番になった時、胸騒ぎが強くなる。その途端、地震が起こった。大きな地震で教室が揺れる。
「あー、やったぁ。夏希と一緒のクラスだ。嬉しい」
そう言いながら私の肩を叩き玄関前の掲示物に指をさして喜びのあまり小さく飛び跳ねたのは親友の小泉涼香。背中までの艶のある髪の毛がさらりとそのはずみで揺れ、甘い香りが私に届く。
「ほんと? 涼香と一緒だったら安心したよ」
今日は始業式。梓川高校では学年変わりのクラス替えがあるため、登校した者はみんなこうして玄関先のクラス分け表を見ている。私は自分が誰と一緒なのかまだわからなかったから、涼香のその言葉は私に大きな安心と喜びを与えてくれた。
ちなみに私はどこに名前があるのかまだわからないまま。それを察したのか、くりっとした大きな目を嬉しそうに細めながら涼子がまた指をさした。
「私達は二組だね。ほら、あそこに貼ってあるよ」
前にいる男子達の隙間から覗き込むと、二年二組の所に私と涼香の名前が確かに載っていた。他にも仲の良い友達が男女問わずにいる。離れて寂しい子もいるし、逆にホッとした子もいる。
ただおおむね、クラス替えには成功したと言ってもいいだろう。
「あ、同じ吹部のまりちもいるし、みかっぺもいる。凪もいるじゃない」
「ねー。もうこれだけで孤立化は防げるよ。それがもうすごい嬉しい」
嬉しそうに目を細める涼香を見て、同じように緊張していたのが嬉しくもあり微笑ましくもある。ただ、彼女をよく知る私としてはとてもそこまでとは思えなかった。
「いやいや、涼香ならすぐ誰とでも打ち解けられるでしょ。それにさ」
そこまで言いかけたところで、近くにいた女子二人組が目を輝かせながら近付いてくるのが見えた。見慣れた光景、だけど涼香からは笑顔が大人しくなる。
「あの、五組だった小泉涼香さんですよね?」
「そうだけど」
涼香も面識が無いのか、やや警戒したような表情に変わる。それに気付いているのかどうかわからないまま、彼女らはもう一歩近付くと勢い良く頭を下げた。
「私、同じクラスになる早瀬です。実は昔からファンで、よくドラマとか観てました。前に見た『ゆるゆるゆるり』や『きらめきテラス』でその演技力に惚れ惚れして、同い年なのにすごいってずっと尊敬していたんです」
「あー……ありがとう」
苦笑いを浮かべながらほんの少しだけ頭を下げる涼香の言葉を肯定と捉えたのか、早瀬と名乗った女の子は嬉しそうに涼香を見詰めた。
「それでその、私演劇部にいるんですけど、もし良ければいつか指導とかしてもらえたらなぁって。もちろん空いた時間でも気が向いたらでもいいですから。あの、見てくれるだけでもいいので」
「いやその、人に教えられるほど上手くは無いし、事務所からも勝手な事はしないでって釘刺されているから。ゴメンね」
そう言われ、残念そうに彼女達は去って行った。涼香がややうんざりした顔で私の方を向き直ったので、私も苦笑いで応える。
「人気者は辛いね」
「やめてよ、夏希まで。ほんともう、いつまで経っても昔のあのドラマの話題しかしてこないんだからさ、みんな」
涼香は幼い頃から芸能界にいる。幼少期に出演したドラマ『きらめきテラス』で主人公の娘役としてかなり話題の子役となり、ちょっとした社会現象にもなった。けれど子役の運命は大体同じようなもので、成長するにつれ世間は彼女に興味を示さなくなってきていた。
もちろん涼香は今でも芸能界にいて、色んな舞台やドラマにも出てはいるのだが、幼いあの頃の面影が無くなっているせいであの人は今、みたいな扱いをされている。本人は気にしていないふりをしているけど、長い付き合いの私にはかなり悔しいだろうというのがわかっている。
「ごめんってば。まぁでも、わかるよ。今を見て欲しいよね」
「夏希だけだよ、そう言ってくれるのはさ。あー、愛しい友よ」
「はい、ストーップ」
思わず抱き着かれそうになったけど、慌てて制する。涼香は有名人のくせにたまに距離感がバグる事があるから怖い。私も仲が良いのは嬉しいけど、あまりベタベタされると他の人の目が怖いからなるべく控えるように言っている。わかったとは言うものの、それでも時折こうしてくるから怖い。
考えすぎと言えばそれまでだけど、彼女くらいの知名度ならばそうするのがお互い安全だろう。
「とりあえず教室行こうよ」
「そうだね。どんな人がいるかなー」
私達は混雑する玄関を通り抜け、新しい靴箱に外靴を入れると上履きに履き替えてざわめきの大きい廊下へと歩み出した。
新しいクラスと言うのはいつだって怖いけど心躍る。涼香と揃って入れば早速クラス内では自己紹介をし合う人、元のクラスメイトと話している人、黙って机に座っている人と様々だった。私達はそれぞれの席を確認して荷物を置くと、二人でどうしようか顔を見合わせて笑っていると、声をかけられた。
「おはよう。夏希と涼香も一緒なんだね。よかったじゃない」
「おはよー凪。よかった、また一緒になれて」
おっとりした口調だけど黒縁眼鏡の奥の目は嬉しそうにしている間宮凪は一年の時からの付き合い。物静かで目立たない彼女だけど、書道ではかなりの腕前がありその界隈では割と有名人らしい。本人は否定しているけど、去年も全国大会で何とか賞をもらっていたみたいだからますます知名度を上げている。
「お、夏希達じゃない。見知った顔がいて安心するよ」
「アンタ達も一緒なんだ」
声をかけてきた白上和樹もまた一年の時からの付き合いだ。お調子者でノリが良く、一年の時はクラスの人気者だった。そしてその隣には百八十センチあるやや髪の長い見知った男子もいた。
「黒岩も一緒なんだね」
「あぁ、また一年よろしくな」
高身長とその風貌から女子の人気が非常に高い黒岩新も一年の時からの付き合いだ。見た目はモデルっぽいので格好良いなぁとは思うけど、異性として魅力的に思った事は無い。他の女子からはクールだと言われているけど、私からすればちょっと冷たく感じる時があるから。
とはいえ一年生の時もよくこの五人で話したり、時間があれば出かけていたりしたのでこうして同じクラスに集まれたのは幸運だ。それだけでもう心強く、何ならもっとたくさん話したかったのだがチャイムが鳴ってしまった。
私達は苦笑し、また後でと言い合いながら各々の席に戻ると、間も無くして新しい担任の先生が入って来た。
「はい、ちょっと早いけど席に座って。最初に自己紹介を含めたホームルームをやります」
年の頃五十くらいのかなりお腹の出た田中先生はほとんど私にとって接点の無い先生だった。ただなんか感覚的に、好きになれそうにないなぁと思ってしまう。それはきっとすごく太っている他に、頬のほくろから伸びたヒゲが不潔感を増しているせいかもしれない。
「じゃあ、先生の自己紹介は以上。それじゃあ廊下側から一人一人簡単に自己紹介していってくれ。名前と、前にいたクラス、好きなものとか言ってくれれば合格だぞ」
最初の座席はあいうえお順になっているので、星野夏希の私は窓側。小泉涼香は廊下側に座っている。まぁ、私が色々考えた所で、涼香が喋ればみんなそっちに興味が向くのだから真面目に考えるだけバカバカしい。
「阿部吉徳です。六組にいました。好きなものは……格闘技です」
自己紹介が始まり、覚えきれないだろうけど名前と顔を一致させようとする。当たり前だけど、みんな硬い。それでもこうすれば反応がいいなと思えばそれを使えるのが後ろの方の特権。今までもこうして様子見してから無難に物事をこなしていた。
どのくらいのテンションで行こうか、どの程度の話にまとめようかな……。
すると突然、強烈な胸騒ぎを覚えた。身の毛がよだち、つま先から脳天までぞわりと不快感の波が押し寄せる。それが何によるものなのかわからない。でも急に、そんな感覚に私は襲われた。
「えー、それじゃあ次の人」
次は涼香だと思った途端、更に強く胸騒ぎが荒れ狂う。それが何なのかわからないのでどうしてそうなるのか考え始めた時、学校が大きく揺れた。
震度五くらいの地震だろうか、掃除用具の入っているロッカーが大きくけたたましく揺れ、明らかに世界が揺れた。担任はもちろんクラスメイトも動揺し、辺りをキョロキョロと見回し、ざわつき出す。
そんな中、私は無意識のうちに席を立ち、廊下側の方へ目を向けていた。
「危ない」
叫びと同時に、廊下側の窓ガラスが音を立て派手に割れた。
予定されていた日程は急遽キャンセルされ、避難訓練を兼ねた全校集会が行われた。
私を含め、みんな不安げな顔をしながら校長先生の話を聞いていた。要約すれば学校全体の損傷はそうでもないけれど、一部破損が認められたので安全のため今日は帰宅する運びとなった。そこに歓びをあらわにする生徒は少なく、ほとんどが最初のスタートをくじかれた事による不安や不満に溢れている。
そしてそれは私達も同じだった。
「ねぇ、今日は部活も無いんだよね」
帰り支度をしていると不安げな涼香が声をかけてきた。
「そうだね。まぁ、あったとしても今日はミーティングくらいだっただろうけど」
「そっかぁ……じゃあレッスンか」
暗い顔を涼香がする訳を私は知っている。涼香自身はそこまでもう芸能界に未練は無いみたいなのだが、彼女の両親がかつての栄光を再び得たいらしく、事務所と相談して本格的に女優への転身を図っているみたいだった。ただ学業優先、学校行事を優先したいとの強い涼香の要望により、部活がある日はそれを優先させていたのだが、残念ながら今日は叶いそうにもない。
「部活無いとつまんない。夏希とも話せないし、一緒にいられない」
ぶつぶつと文句を言う涼香に寄り添い、耳打ちするように話しかける。
「あのさ、ぶっちゃけもう乗り気じゃないんでしょ?」
それはあまり他の人におおっぴらに聞かれたくないから。今の時代、誰でも世界中とリンクできるのだから学校での会話だってどう発信されるかわからない。ましてや涼香は社会現象を起こした人だ、未だその影響力はある程度残っている。
「まぁね。あんなとこ、長くいたらおかしくなりそう。見た目ほど華やかでもないし、私のありのままが求められている感じはしないんだもの。たまたま幼い頃に当たった役柄を擦られ続けている感じ。だからあの映像の後で私が紹介されると、妙な空気になるのがわかる。そんなの私も一緒だよって」
だから涼香もこういう愚痴を言う時は音量を下げるか、私と二人きりの時でしか言わない。その辺は酸いも甘いも見てきた彼女だからこそだろう。
「でも今日の地震があったから、それも中止になるんじゃないかなぁ」
「だと良いけどさ」
足取り重い涼香の愚痴を聞きながら彼女の家の近くまで歩くと、そこから別れて一人帰宅する。家には私一人。この時間は両親ともに働きに出かけている。小腹が空いたのでパンをかじりながらリビングのソファに座りテレビを点ければ、当然ながらどこも今日の地震についての話題ばかり。それでも被害はそこまででもないみたいだ。
そう言えば今日バイトだ。お店やってるのかな?
週に一日か二日のシフトで私は小さな書店でバイトをしている。個人経営のお店なので学業など私の都合を優先させてくれるのがありがたい。今日なら部活も早く終わるかと思って夕方からバイトを入れていたのだが、この地震でどうなっているのかわからない。だからとりあえず連絡を入れてみる事にした。
「あー、星野さん大丈夫だった? え、学校もう終わったの? お店の方はちょっと本の片付けに追われているくらいでそんなに被害は無いよ。バイトはどっちでもいいよ。お客さんもこんな日はあまり来ないだろうから無理しなくていいからね」
電話の相手は六十を過ぎた店長だった。明るい感じで店長はそう言うけど、正直やる事が無くて暇だ。幸い家の中も大丈夫そうだし、こんな日は一人だと寂しい。
「あの、今から行ってもいいですか? 片付けるなら人手あった方が良いでしょうし」
「そうかい、それは助かるよ。じゃあ待ってるから」
バイト先の書店までは自転車で十五分。すぐに着替えを終えて家を出ると街並みを観察しながら向かうけど、あの揺れに対してそんなに被害は無さそうだ。倒壊している建物も無いし、道路も割れていない。ほとんど代わり映えの無い町並み。
「おはよーございます」
自転車を店舗の脇に停めて店内に挨拶しながら入ると、レジ周りを片付けている藤原紗枝さんと目が合った。ショートカットの髪をわずかに揺らしながら彼女は無言で小さくうなずくと、すぐに作業に戻る。紗枝さんは無口だけど嫌な人ではなく、バイトの先輩として教えてくれる時は丁寧だし、私を結構気にかけてくれている。
そして暇さえあればレジで本を読んでいるのだが、今日は当たり前だけどそれどころではないらしい。
私も店長に挨拶してからお店のエプロンをつけて片付けを始める。そうしてしばらくしてある程度落ち着いた時、紗枝さんが私の所に近寄ってきた。
「今日さ、変な感じしなかった?」
「変な感じ、ですか? よくわからないですけど、地震があったのでそればかりが気になって」
あったと言えばあったが、でも震度五の地震なんて当たり前であってほしくない。紗枝さんは何と言うか、無口だし言葉足らずなところもあるからか意図が掴みにくい時がある。私が曖昧に返すと、紗枝さんは何を納得したのか小さくうなずいた。
「そっか、いつもの夏希ちゃんだね」
それきり無言になって、気まずくなりそうだったので私は掃除しますねと離れる。紗枝さんは嫌いじゃないけど、どうもこう言葉のキャッチボールが上手くできない。たまにこういうやり取りがあるけど、モヤモヤが残る事も多いから疲れてしまう。今日のような日はなおさらだ。
気分転換にふと外を見る。気付けば見慣れた太陽が雲間から顔をのぞかせていた。ただ、紗枝さんに言われたからか、見慣れているはずのそれに対して何だか妙な感じを抱いてしまう。
けれどそれが何なのか、言い表す言葉を私は知らない……。




