【第二章】第四話~別案を差し込む~
七月に入り、涼香が疲れ果てていた。夏休みに大型オーディションがあるのが憂鬱らしい。
夏希はこの後、黒岩と一悶着がるのを知っていたので上手く回避するように立ち回る。
そうして行き先を花火大会ではなく、別の場所を提示した。
けれど夏希の立てた作戦はそれだけじゃなく……。
気付けばもう七月の頭。授業が終わって涼香と話そうと席に近付いたら、涼香がうんざりしたような表情で頬杖をついていた。いつも見ているような、でもどこかで見たような光景。顔は明らかに疲れ切っており、目も虚ろ。
「大丈夫、涼香? 何だかいつも以上に疲れた感じだけど」
私は涼香の前に座りその顔を覗き込むと、気怠そうに私を見たかと思うとまた頬杖をついた。そうして涼香から溜息が漏れる。
「うん、ちょっとね。色々立て込んでいて」
「仕事? 舞台とか忙しいの?」
「舞台の方はまぁ、何とかなっているんだけど、その先がね。なんか夏休みの終わりに大きなオーディションがあるみたいなんだけど、親とか事務所の力の入れ方が半端じゃないんだよね。もう一度大きな仕事を取ろうって感じで」
「あぁ、なるほど。涼香は」
そこまで言ってふと私は後ろを向いた。確か前回、黒岩がこの話に難癖をつけたはずだと思い出したからだ。すると案の定黒岩が立っていて、私達を見ていた。
「ん、何だよ?」
「黒岩は何か目標にしてるオーディションはあるの?」
盗み聞きを非難する事は簡単だったし、最初はそうしようと思った。でもそれだとますます黒岩が意固地になって涼香を責めるのは容易に想像できた。だから私はその矛先を変えようとしてみたのだった。
「オーディション? まぁ、幾つかあるけど」
「それってモデル? それとも俳優?」
「まぁ、両方かな。珍しいな、星野が気にかけるなんて」
「涼香もこうして苦しそうにしてるから、黒岩もそういう風に悩んでいるのかなって思ったの。ねぇ涼香、黒岩向きのオーディションとかって知ってる?」
私が涼香に水を向けると、二人がやや眉根を寄せながら私を見てきた。
「おい、何で小泉に聞くんだよ」
「だって誰よりも詳しいじゃない。黒岩、そういうのになりたいんでしょ? だったら情報は最大限に使った方がいいんじゃない?」
私の発言に黒岩がちょっとたじろいでいると、涼香が黒岩の方へ目を向けるのが見えた。
「……お金があるなら養成所や専門学校に通うのがいいよ。もしくは劇団に所属して鍛えたりとか。黒岩、背が高いし顔もいいんだから特撮とかまず目指してみたら? やみくもに受けたって難しいよ。どんな俳優になるのかモデルになるのかもう少し絞って、それに向けた方向で頑張った方がいいんじゃないかな」
涼香のアドバイスにいつもなら冷笑や皮肉を言う黒岩も、黙って聞いていた。涼香もこんな風に真正面からアドバイスをするのは私が知る限り初めてだ。だからお互い、どことなく恥ずかしそうにして視線を合わせていない。
「特撮、かぁ」
「視聴層もメインが子供だからそこまで粗も出ないし、何より登場人物みんな若いから有利だと思う。青春ドラマなんかは正直、事務所の力が結構出ちゃうからオーディションと言ってもほぼ出来レース。よほど物凄い才能でもない限りは難しいよ。売り出す方も無名の素人なんか相手にもしないだろうから」
「なるほどな」
黒岩が素直にうなずいていると、その後ろからそっと和樹が近付いてくるのが見えた。私が黒岩に何か言おうと思ったのと同時に、和樹が黒岩の背をパシンと叩いた。
「よぉ。珍しいな、お前が涼香の話を聞くなんて」
「お前かよ。邪魔すんなって」
「なになにー、なんかみんな集まってどうしたの? 面白い話?」
するとすぐモカが凪と一緒に現れた。みんな集まった事により、黒岩はもう少し聞きたそうだったけど口を閉じ、涼香は疲れ果てたように机に突っ伏した。
「あれどうしたの涼香、元気ないじゃない」
「涼香ね、夏休みの終わり頃まで忙しいみたいなんだ。今も忙しいんだけど、更に忙しくなるみたいでさ」
「そうなんだ。涼香も大変だよね、いつも」
「間宮も何かあるのか?」
「私も夏休みの間に展覧会とか色々あるし、親の仕事を手伝わないとならないんだよね」
……この流れは夏休み前にどこかに行くという話しになるはず。
「えー、みんな夏休み忙しいの? 折角の休みだからみんなで何かしたいなって思ってたのにさー」
「そうだよな、モカの言う通りみんなで何か集まりたいよな。でも俺も夏休みは結構バイト入れちゃったんだよな。あー、どうしようかなぁ」
このままだと花火大会になる。どうする、どこにも行かないようにするのがいいんだろうか。でもそれだと涼香も凪も気晴らしが出来ないから病みそうだ。となればやっぱりどこかに行った方がいいのだが……。
「あー、良い事思いついた」
和樹が胸の前でパンと手を叩くと、喜色満面に笑った。するとみんな一斉に和樹の方を見る。
「夏休みの間が忙しいんだったらさ、夏休み前に何かしようぜ」
「いいね、それ。何とか一日空けて、みんなで集まろうよ」
モカが賛同すると、涼香も顔を上げ微笑みながらうなずく。
「そうだね。夏休み前なら私も何とか一日空けられるようにするよ」
「じゃあさ、どっか行きたいとこある人は教えてー」
元気よくモカがそう言うと、間髪入れず私が手を挙げた。
「海に行きたい」
凪に発言させては駄目だ。そう思った私はすぐ手を挙げ、意見を言う。前回は誰も何も言い出さなかったから、凪が言った案を通したのだ。それに凪の性格上、誰かが何かを提案したら自分の意見を引っ込める。
「いいね、海」
「海かー、確かに夏らしいよね」
「おぉ、だったら水着見れるのか?」
「いやさすがに泳がないだろ」
「海辺を歩いたりするだけでも楽しいだろうね」
モカがすぐさま反応すると、みんなも好意的に反応してくれた。私はその中でも気になっていた凪を見れば、結構嬉しそうにしていたのでホッとする。
「じゃあ海で決まりだね。まぁ着替えるのとかシャワーとか海だとしたくないから、海辺歩いたりとか海の家に行ったりとかかな」
「えー、マジで水着見れないの?」
「そういう人には見せたくないの」
イヤイヤとおどける和樹に私が肩を叩くと、笑いが起きた。まぁ実際問題、海でそういうのをするのは汚れるのが嫌だし、何より盗撮とかが怖い。私だって当然嫌だけど、もし涼香がその被害に遭ったらそれこそ一大事だ。
それをみんなわかっているからか、強引に案を通そうとする人はいなかった。
「じゃあさ、いつにしよっか。夏休み前なら二十日とかどうかな?」
「いいんじゃないかな。まだ少し日があるから調整しやすいし。涼香はどうなの、お仕事の予定とかある?」
「舞台はその前の週に終わるから大丈夫だけど、何かしらはあると思う。でも今から調整すれば、午後からなら大丈夫かな」
「じゃあ二十日の午後にとりあえず決定ね。詳しい事はまた後で決めよう」
みんながうなずくのを見て、私はとりあえず肩の荷が下りたような気がした。とりあえず花火大会は回避できた。だからきっと、和樹が交通事故に遭う事も無いだろう。無邪気に笑う和樹や黒岩、他のみんなを見て私はやっと笑う事が出来た。
ただそれでも、念には念を入れたい。
私は以前から考えていた計画を人知れずもう一度頭の中で展開した。
「あのさ、黒岩。ちょっといいかな」
海に行く事が決まってから四日後、私は黒岩と運よく二人きりになるタイミングがあったのでそう声をかけた。
「ん、何だ? ここじゃ駄目なのか?」
涼香と凪は先生に用事を頼まれ、モカが別の友達とどこかに行って、和樹が購買に行った絶好のタイミングを私は見逃さなかった。黒岩はやや不思議そうな顔をしていたけど、私にはもうこの機会を逃せば無いとばかりに頼み込む。
「うん、まぁちょっとあまり聞かれたくないから。お願い」
「まぁいいけど」
教室を離れ、みんながあまり使わない階段の踊り場まで行くと私はまず頭を下げた。
「ごめん、海には来ないで欲しいの」
「どういう事だ?」
困惑する黒岩に私は顔を上げ、しっかりと目を見る。
「仲間外れにするつもりは無いの。酷い事を言ってるのはわかってる。ただ、最近涼香が忙しくて情緒不安定なんだ。だからその日は穏やかに過ごして欲しいの。もちろん黒岩が何かするだなんて思ってない。でも、ふとしたキッカケでスイッチが入る事だってあるでしょう?」
私の計画、それは黒岩を参加させない事だった。
とにかく涼香と争わせてはいけないのが第一優先だった。そのため露骨に黒岩を外すのは気が引けたけど、万が一また口論になってその結果和樹が突き飛ばされて事故を起こすのだけは避けたかった。
「まぁ、絶対に無いとは言えないな」
「だからごめん、その日は来ないで欲しいの。もちろん他の日は用意する。黒岩が何かしたい事があれば優先する。だから」
「いや、別にいいよ」
涼しげな顔でさらりと黒岩がそう言った。
「星野が小泉の事を大事だって思ってるのはわかっているし、俺だってまぁ大人げないとこがあるのは自覚してる。それに俺、そこまで海に執着してないから」
「いいの?」
私は思わず目を輝かせながら体を前のめりにする。
「いいも何も、星野が言ってきたんだろ。まぁ、適当な理由つけて断るわ」
「ごめん黒岩、ありがとう」
「別にいいよ。もし引け目を感じるんだったら、こっそりでいいからコーヒー牛乳でもおごってくれ」
にいっと笑う黒岩に、私は笑顔でうなずいた。
「悪い、今度の海に行く日にちょっと外せない用事入って行けなくなった」
お昼時、みんなで集まってご飯を食べようとしたところで黒岩がそう言ってくれた。するとすぐにモカと和樹が反応した。
「えー、マジで? その日はみんな空けようって約束したじゃん」
「そうだよ、折角みんな集まろうってのに。何があるのよ?」
黒岩は気にする素振りを見せず、コンビニのおにぎりを開封する。
「前に応募した東京の方の劇団、書類審査が通ったから面接するって通知があったんだよ。それが午後からで、都合合わないんだ」
「いやでも、夕方からでも合流できないか?」
「悪いけど無理だな。行けても一時間もいられないし、それにその日はもう無理だと思って別の劇団の見学申し込みもしたんだ」
「一緒に行けないのは残念だけど、もしかしたらチャンスかもしれないもんね。頑張って」
凪がそう言うと、黒岩は小さくうなずいておにぎりにかぶりついた。
「マジかー。でもまぁ、夢のチャンスならしょうがないかぁ。んで、和樹は行くの? 今ならハーレムだよ、ハーレム」
「いやぁ、だったらさすがに俺もやめようかな。でもまぁ、折角だから女性陣で楽しんで来ればいいんじゃない?」
「えー、何? 和樹ひよったの?」
モカが和樹の頬を指でつつきながら笑うと、和樹がその指を舐めようとしたので慌ててひっこめた。
「俺一人じゃお前らの面倒見切れないからな。モカは俺が来られなくなって心で泣いてるかもしれないけど、まぁ許せ」
「うっさいバーカ、そんなわけあるか。マジキモイ」
涼香と黒岩が呆れたように笑う。私もそれに続くけど、私は安堵の方が大きかった。
海に行く計画は中止にならず、黒岩を上手く引き剥がせた。何だったら和樹も来られなくなったので、もうあの事故は起こらないだろう。そうなれば前回のような結果にはならない。
だからきっと、この世界は上手くいくはずだ。
私はにやけそうな頬を隠すようにご飯を頬張った。




